暁天はもうすぐ
ヒントを出せば狡噛はあっという間に準備を整えて逃亡してしまった。分析室を訪れてみればヘルメットは無くなっているので、きっと本来の筋書き通りに征陸の助けを借りて今頃は雑賀教授のところにでも行っているのだろう。分析室からの帰り、エレベーターホールで宜野座が征陸を責めているのを聞いてしまうと、自分も責められるべきなのにそれを隠していることが申し訳なくなった。宜野座にはあまり悩んだり考え込んだりしてほしくない。色相が濁ってしまう。ララは本来死ぬはずであった人物を助けたいのはもちろんだったが、できれば宜野座にも潜在犯落ちしてほしくなかった。個人的には監視官の頃より執行官の宜野座のほうが落ち着いていて頼りがいがありそうなので好きではあるが、あの宜野座は常守がいてこその宜野座であって、今この状況では同じようになるとは思えない。だとすれば、彼にはこのまま監視官として一係にいてほしい。
エレベーターに乗って食堂に行くとはじめのころ常守が食べていたカレーうどんを注文した。これを食べることで常守になれるとは思ってはいないが、少しでも彼女の考えていたであろうことを知りたいと思ったら急にカレーうどんが食べたくなってきたのだ。…自分はどうなっていたら常守のようになれたのだろうか…まるでわからない。元の作りが違うと言ってしまえばそれまでなのだが、事件自体は犯人の行動を事前に知っていれば縢や狡噛の協力のもと、わりと簡単に解決することができた。けれど宜野座にとって常守がそうであったように、ララのしてきたことで誰かに希望を与えることなどできたのだろうか。心の持ちようでどうにかなる、と…そう思わせる行動をしてきただろうか。答えは認めたくないが否だった。ララはどこにでもいる普通の人間に過ぎないことを彼女自身が自覚している。事件の解決も知っていたから先回りして行動しただけで、常守のように度胸や勇気、強さを以って事件に当たってこなかった。きっとここまでやってきたこと、縢やグソンの命を救ったことも……果たして彼らのためになったのだろうか。もしかしてただの自己満足になってやしないだろうか。自問自答すれば悪いほうへ悪いほうへと考えは転がっていく。
「ララっち」
「あ…縢くん」
目の前に縢が来ても気づかないとは…これでもなかなか追い詰められていたんだな、と情けなくなった。縢はロコモコを載せたトレーを向かい側に置き、座った。
「言いたいこととか聞きたいこと…ありますよね」
「そりゃあね。で、ララっちはどうなの?潜在犯の俺でも聞き役だったらなれっかな?」
本当は縢だって色々考えているはずなのにそう言ってくれる優しさに泣きたくなった。思い返せば縢には初めの頃は嫌味を言われることもあったが、ある程度距離が縮まってからは一番の理解者であったように思う。年齢が近いというのもあったのだと思うが、狡噛よりももっと気楽で何気なくララのことを案じているのがいつも伝わってきた。
「縢くんて優しいですよね」
「俺はただ自分の上司が心配なだけ」
「じゃあ上司繋がりで…宜野座さんが心配なんです」
「ギノさんか…確かになぁ」
「宜野座さんはきっと色々悩んでるし葛藤もしてるし…とにかく、精神的負担はすごいはずなので」
「けど、それはララっちもじゃないの?」
「私もまぁ、少しは色相濁りましたけど、犯罪係数はずっと60後半なので多分平気なんじゃないかなって」
この世界で育たなかったせいなのか元来そういう質だったのか、ララのサイコ=パスは常守ほど良くはないがほぼ安定している。どこかで他人事、架空の世界だと思っているからだろうか。この時期の宜野座の犯罪係数が80を超えていたのを考えれば、ララの精神状態はまだまだ大丈夫ということだ。それなら捜査に関する負担は自分が背負いこめばいい。ララはテーブルへ向けられていた視線を縢に移す。
「…あとでお話しがあります」
「OK.何か食べたいものは?って、カレーうどん食べたあとじゃ入らねえか」
「あの、じゃあ…デザート、お願いしても良いですか?」
「もちろん」
快く承諾してくれた縢の笑顔にララも思わず笑みがこぼれた。ずっと食べてみたいと思っていたのだ、縢の作るデザート。今はそれが一番の愉しみになりそうだ。
夕飯を食べてからララは事務作業をいくつか済ましてから縢の部屋に向かった。ジャケットを脱いでソファに座るとすでに冷蔵庫で冷やしていた縢お手製のデザートと紅茶が運ばれてきた。苺のムースのようだ。
「レアチーズと苺のムースだよ」
「わあ、お店みたい!」
透明の丸い容器に入ったムースはレアチーズと苺のジュレが層になっている。見た目からしておいしそうだ。いただきますを言ってスプーンで一口食べれば苺の甘酸っぱさとチーズの酸味とクリーミーさが口に広がる。
「すごくおいしい!さすが縢くん特製ですね」
「まぁねー」
縢もララの向かい側に座って自作のムースを一口食べた。
「でさ、ララっちが心配するってことはギノさんも何かあんの?」
「その…宜野座さん、潜在犯落ちするんです」
「槙島絡みじゃあ、わからなくもねぇな」
縢は今までの槙島の犯行を思い出すように手を止めてテーブルの一点を見つめた。槙島が関わってきた犯行はどれも捜査する側の精神を著しく疲弊させる。ララは頷くと話を続けた。
「その決定的なできごとっていうのは宜野座さんを助けるために征陸さんが槙島に殺されたことなんです」
「とっつぁんが…?……で、でもそれはまたララっちが教えてくれれば助けられるんでしょ?」
「たぶん…だけど相手は槙島で…ダイナマイトもワナもあって…」
今までに無く自信なさげに声が小さくなっていくララに縢はわざとらしく大きなため息を吐いてやった。
「はぁ〜あ。ったく、忘れた?ララっちは現場にいなかったけど前回槙島を逮捕したの俺だぜ?一回やりあった相手ならそう恐がることもねぇよ」
「でも…」
「…何で急に弱気になったの?何が恐い?何が不安?」
それでも依然として不安そうな表情を隠さないララに今度は眉を下げてその顔をじっと覗き込む。その視線に気付いて一瞬だけ目線を上げるがすぐにまた下を向いてしまった。
「私…結局ただの凡人だから、誰かに希望を与えたり心の持ちようでどうにかなるって思わせたり…そういう行動できませんでした。今までもただ先回りして事件解決しただけで。それも狡噛さんと縢くんに頼ってばかり…」
「ララっち」
どんどん俯いていくララに縢は優しい声色で名前を呼ぶ。そっと上げられた目線がまた下がってしまわないうちにもう一度声をかける。
「ララっち。ちゃんと俺を見て」
「……」
ララは不安そうにしながらも顔をあげた。
「ララっちは自分が凡人って言ったけど、じゃあただの凡人が俺を助けたの?」
「…そうなります」
「はぁ…そりゃあここに配属されてすぐの頃は凡人だっただろうし、コウちゃんと比べたら霞むのもわかる。前にララっちが言ってた常守だっけ?そいつと比較しちゃうのもわかる。けど、それから成長したじゃん。俺も含めて死ぬはずだった人間を救えた。元の筋書きをただなぞって見殺しにしたわけじゃない。ララっちはちゃんと、自分の意志で行動を起こしたんだよ」
それはララを元気づけるための嘘なんかではなく、縢の本心だった。今までもララは狡噛や縢の助けを借りながら多くの人を助け、事件を解決してきた。だが狡噛と縢の助けを借りることは簡単なことでもなかった。KTビルで大倉を執行したときは半信半疑であったし、大倉の様子からドラッグを使用していても不思議ではないと自分たちで判断したからララの指示に従っただけだった。二人ともただのお人好しで手を貸したわけではない。それ以降もあくまで自分で状況を見て、ララの言うことが自分に不利にならないと判断したうえで従っていた。次第に彼女の指示がまるで先のことをわかっているかのように的確であるとわかり、それからは特に疑うこともなく手を貸すようになった。確かに曲者揃いの執行官と比べると彼女が自分を凡人と言うのも無理はないし、実際にそう思われている。だから敵が四人いたノナタワー地下からララが無事に戻ってきたのは縢も驚いた。けれど、縢は自分を救い槙島の逮捕を指揮した彼女がただの凡人であるはずがないと信じていた。むしろララが凡人だったら俺は凡人でも救える程度のことで死んでたのか、と落ち込む。縢の言葉を聞いてララの目にも少しずつ不安は消えていっているようだった。
「ギノさんととっつぁん、助けようぜ」
「…はい」
声は小さかったものの、強く頷いたララをみて縢は笑みを浮かべる。それから二人はムースを食べながらその日に何が起こるのかを話し、解決策を考えることにした。
「だから、征陸さんを助けて宜野座さんにはしばらく療養をしてもらえば…変わるかなって思うんです」
「じゃあ俺はギノさん達について行って、ギノさんが勝手にどっか歩かないようにするのと槙島が変なもん出さねぇように戦えば良いってこと?」
「やっぱりこの作戦だと…縢くんの負担が大きいですね」
「俺は全然平気だって」
「でも…」
「大丈夫。やるだけやろうぜ。よく言うじゃん、やらないで後悔するよりやって後悔しろって」
「…そうですね。協力、お願いできますか」
「当然」
「よかった。縢くんがいるだけで心強いです」
「とっつぁんとギノさん守るためならそりゃあね。筋書きに従うんじゃなくて、自分の意志で行動しねぇと」
そんなようなことをあの人も言っていたな、と心の中で思った。シビュラにはじかれた彼らにとってはきっとシステムに従うことは不本意で、シビュラの言いなりにならずにこの世界を生きることに意味があるのだろう。その気持ちは少しわかる。それに、もし縢の協力を得られないまま事件が進んでいたら、ララは笑えていなかっただろう。そう思うと彼には感謝してもしきれないほどだった。
情緒不安定なヒロイン…
ヒロインはあくまで凡人だけど一つ違うとしたらシビュラ社会に染まってないことです。
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