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槙島さんに手伝ってほしいことがあると言われ、はじめて外に出ることになった。とは言っても家を出たとき既に外は夕暮れで、橙色の太陽が沈みかけていた。初めて見た未来の景色は想像よりもずっと薄汚い。槙島さんの家の中が綺麗すぎるから外観もおしゃれなモダン建築かと思っていたらそれは何と古びたビルの一室で、ビルを出ると安っぽいネオンの光る路地に出たのだ。百年後というのはどこもこんな感じなのだろうか。ビュー、と風が吹くと色々なにおいが一緒に通り過ぎる。寒い。まだ春は先のようだ。秀星のコートのボタンを閉めてポケットに手を突っ込む。
「本当に新しいコートはいらないのかい?」
寒そうにする私に少し苦笑いして槙島さんが言う。前にもサイズが合っていないのを指摘されて、新しいコートを買おうか聞いてくれたのだが、これは秀星との大事な思い出なので丁重にお断りした。だからその答えは今日も変わらない。
「このコートがいいんです」
「そう」
槙島さんも私の答えを分かっていたかのように頷いた。
槙島さんの後ろを歩いていくとその先に一台の自家用車が停まっていて、後部座席の扉が開いた。これに乗っていくらしい。知らない人の車に乗るのは抵抗があったものの、後ろには槙島さんが居て今さら私にはどうすることもできないから仕方なく乗った。隣には槙島さんが座り、静かに車が発車した。
「その子が例のお嬢さんですか?」
「うん」
運転手みたいな人がいるのかと思いきや、バックミラー越しに見えたのはカジュアルな服装をした目の細い男の人。何となく不気味な雰囲気の人だった。
「あの…これからどこに?」
「少し離れた廃棄区画の知人に会いに行く」
「廃棄区画?」
「シビュラの目の届かない無法地帯のことです」
この人、不気味な雰囲気でしかも敬語とかすごく悪人ぽいぞ。アニメや漫画でも大体は強敵として出てくる。念のため注意しておこう。廃棄区画といえば秀星から聞いたことはある。潜在犯も多く潜んでいて滅多に公安局も捜査をしない無法地帯というところだ。そんな場所には近づきたくない。槙島さんだって真っ白な色相なのだからそんな怖い場所には行かないほうがいいはずなのに。
「どうして廃棄区画にわざわざ行くんですか?」
「おや、知らないんですか?ここも廃棄区画ですよ。廃棄区画ってのはいくつかあるんです」
「でも、何でそんなとこに…」
そんな場所に行けば潜在犯がたくさんいるはずなのにどうしてそんな危険な場所に行くのだろう。しかも、私を連れて。もしかしたら最初から槙島さんは私を騙してて、優しくしてくれたのも実は嘘で、本当は殺して内蔵とか売るつもりだったとか…?過去の人間なら殺してもバレない。ああ、嫌だ。せめて家族に葬式はしてほしかった。
「廃棄区画にいる人間は面白い」
「え…?」
「その辺を歩いてる奴らなんかより余程人間らしいと思う」
つまり、ご友人が廃棄区画在住と?そういうことなのだろうか。
「はぁ…そういうことですか」
「殺される、とか思った?」
「…頭を過りました」
「ごめん、恐がらせてしまったね」
槙島さんが微笑む。これだけで私は安心してしまう程度にはなってしまった。その色相の示す通り白がよく似合って綺麗で博識なこの人がこれから廃棄区画に向かっているなんて誰が思うだろう。ああ、本当に怖い人だ。他人にこんなこと思ったことないのに私の中で槙島さんは完璧を具現化した存在として君臨しつつある。これ以上、槙島さんと二人でいたらどうにかなってしまいそうだ。確実に懐柔される。いや、もう懐柔されたのかも。
少しでも気を紛らそうと外を見るといつの間にか綺麗な街並みに変わっており、高層ビルやストレスケアの広告ばかりが目に入った。歩道には会社帰りの人やカップルなどたくさんの人がいるのに道にはゴミも落ちていなくて、建物もどれも新築のように綺麗で汚れというものが無い。廃棄区画を出ただけでこんなに風景が変わるなんて。確かにこれなら精神的にも良さそうだ。ストレスを溜めないように街並みにまで気を使ってるのだろうか…もしそうなら掃除する人のメンタルが心配かもしれない。それに大都市を綺麗に保つには頻繁に掃除しなきゃいけないはずなのに、そんな人は見かけないのも不思議だ。それとも町を歩くような人達は色相が綺麗だからポイ捨てしないってこと?外の世界は外の世界で不思議なことだらけだ。
「何か気になるものはあったかい?」
「あ、はい。聞いても良いですか?」
「うん」
「街にはゴミ1つ落ちてないし、建物も全部新築みたいに綺麗なんですけど、どうやって維持してるんですか?」
まさか掃除してるだけなはず無いよなぁ…こんなに人で賑わってるんだから。槙島さんは窓から外の街並みを見た。
「それはね、ホロを使ってるんだよ」
「ホロ?建物にも?」
「映像を投影して元から美しい建物であるかのように見せるんだ。ほら、あの公園の噴水もホロだ。実際にはあそこに噴水なんて無い」
そう言った槙島さんの視線の先にある公園を私も見てみると、確かに公園には大きな噴水があるように見える。映像なんかじゃなくて、本当にその場に噴水があるとしか思えない。
「すごい…」
「廃棄区画はホロもまともに稼働していないから、こんな綺麗な街並みじゃない」
じゃあ、この街も本当はもっと汚いのかな。見たくないものを見ないようにするのは確かに精神的には良いのだろう。でも実際の姿を隠されているというのは何となく嫌な気分というか、恐い感じがした。
****
赤く錆びた鉄の階段、壊れた街灯、埃を被ったネオンの看板。ホロで隠されてない廃棄区画はさっきまでの街がとてもクリーンだっただけに、とてつもなく汚なく感じる。所々ホロがあるけどそれも壊れかけのようでチカチカと点滅する蛍光灯のように見えたり見えなかったりする。この廃棄区画は思っていたよりも人は多く、みんなタバコを吸ったりお酒を飲んでそれなりに賑わっていた。浮浪者もたくさんいるようだった。私の時代にもこういう場所はあったのだろうけど、絶対に近づかなかった。誰とも目を合わさないようにして前を歩く槙島さんの背中を追いかける。
「槙島さん、こんなところに何の用があるんですか…?」
「ちょっとした取引だよ。僕から離れないようにね」
言われなくても離れないから大丈夫ですって…心の中で呟いた。こんなところで少しでも離れたら何があるか分からない。薄汚れた廃棄区画では目の前を歩く槙島さんはとても浮いた存在に見える。こんな場所とは無縁のような人なのに…やっぱり、本当は危ない人なのだろうか?でも、そうではないことはシビュラシステムが色相で証明してくれたじゃないか。そう、この世界の絶対的存在が肯定する人間なのだ、変わった人かもしれないけど悪い人ではないはず。槙島さんを信じよう。そうすればいつかきっと元の時代に……
ドンッ
「っ痛ぁ…」
「いってぇー…」
路地から突然飛び出してきた人にぶつかって思いっきり尻餅をついた。お尻がじんじんする…。でもガラス片が落ちてなかっただけマシと思おう…うん。
「え、羅々?!」
「ん…?」
この声はどこかで。というか、これ完全に聞き覚えある!
「秀星!?」
久しぶりに見る顔に自分でも分かるくらいパアッと表情が明るくなる。一足先に立ち上がっていた秀星が右手を差しのべてくれたので掴まって立ち上がった。突然いなくなっちゃったけど、元気そうで安心した。あの日と変わらない姿のままだ。何だか懐かしい細身のスーツ姿の彼の左手を見てみるとその手には黒い鉄の塊――ドミネーターが握られていた。しかもボディは青緑のライトで光ってる……私の家に居たときはこんな風に光ったことなんか無かったのに…もしかして。
「今、仕事中?」
「そ。前から狙ってた奴の居所が掴めたんで、捕まえろってさ。でもいざ突入したらもぬけの殻で…って、そんなことより羅々こそどうしたの!時代越えちゃってるし、しかもここ廃棄区画だし!」
「え、私は…」
槙島さんにお手伝いを頼まれたから。そう言おうとして槙島さんが側にいないことに気づいた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「え、あ…」
くるくると周りを見回してみても槙島さんは見当たらない。あんなに目立ってたのにどこにもいない。どうしよう、連絡先なんか知らないのに…これじゃあ帰れない。私が転んだことに気づかないで行っちゃったのかな…内心オロオロしてるのをどうにか顔に出さないようにした。仮にも秀星は刑事だから、いくら槙島さんが潜在犯じゃなくても廃棄区画にいたとなれば怪しまれてしまうはずだ。しかも朝永の仲間とわかればクリアカラーでも罰則があるかもしれない。
「それで、羅々は何で未来にいんの?…あいつ?」
「えっと…あの、うん、あの潜在犯」
嘘は言ってない。秀星はやっぱりか、と舌打ちをした。
「それで廃棄区画なんかに居るのか…」
「え?」
「突然こっちに来たってことは戸籍も何も無いわけっしょ?…そんじゃあココでしか生きられないよな…」
な、なんか私が廃棄区画に居る理由を良いように理解してくれてるんだけど…まぁ、いいか。槙島さんは朝永の協力者だ。そんな人のことを公安局の刑事やってる秀星には言わない方が良い。槙島さんも大変な目に遭っちゃうだろうし、私も何かの事件の容疑者にされたら嫌だ。ふと秀星の後ろを見ると、奥から秀星と同じドミネーターを持ってだらしなくスーツを来た男の人が歩いてきた。
「縢、何だそいつは」
近くまで来ると、その人は私の顔をチラッと見た。顔は整ってるけど目が鋭くて怖い。背も高いし筋肉がスーツの上からでもわかる。秀星が犬ならこの人は狼といった感じだ。
「コウちゃん。ほら、話したじゃん。百年前、世話になった子」
「…飛鳥井羅々、だったか?」
「そうそう!何か、今回は逆に羅々が飛ばされたらしい」
「アイツはまだ逃走中だったな」
そう言うとコウちゃんと呼ばれた、確か、狡噛さん?と思われる人はドミネーターを私に向けた。弾の入ってない、けれど殺傷能力のあるその銃口が私に向けられている。心臓が鷲掴みでもされたかのようにドクンと跳ね上がり、バクバクと鼓動を速めていく。秀星は焦った顔でトリガーを引こうとする狡噛さんの腕にしがみついた。
「ちょ、コウちゃん何してんの!」
「タイムマシンの存在は信じるが、コイツが潜在犯じゃないかどうかは調べる必要があるだろ」
「でも急に未来に来て正常値ってほうがどうかしてるし、」
しかし秀星が言い終わらないうちに狡噛さんはドミネーターを持つ手を下げた。そして首を傾げている。
「犯罪係数は0。トリガーはロックされた」
「そんな奴いるんだ…」
私も秀星も口をぽかんと開けていた。秀星の言う通り、突然未来に来て正常値でいるほうが変だ。どんだけ環境適応能力高いの?いやいや、私そんな鋼のメンタルしてないよ。もしかして秀星に会えたことが嬉しくて?うーん、そんなこと有り得るのだろうか。色々考えているうちにバクバクうるさかった心臓はいつもと同じ静かな鼓動に変わっていった。一先ずこの汚い地面に横になる危険は回避できた。ふと秀星のほうを見ると真剣な顔で狡噛さんと何やら話している。
「羅々は俺の巻き添えになってこっちに来たんだし、放置するわけにはいかないって」
「とは言っても、子供でもないのに保護する理由が無いだろ」
「でも戸籍も家も親も、何も無いまま廃棄区画にいたら確実に犯罪に巻き込まれる」
「…それもそうだが」
家はある。…あ、やっぱり無い。槙島さんと連絡つかない限りあの家に戻ることはできないし、そもそも秀星と鉢合わせたことすら槙島さんの仕業だったら…とか、色々考えてみてできれば秀星の言う通りどうにか私を廃棄区画じゃない場所に保護してほしいと思った。狡噛さんは何やら考え込んでいたが、少しして腕時計みたいなのに向かって話し始めた。それを見てると秀星が安堵したような笑顔で隣に来た。悪いことにはならないようだ。
「マジで驚いたよ。もう会えねぇと思ってた」
「私も会えないと思ってた。さっきぶつかったときも、もし恐い人だったらどうしようかと…。でも、嬉しい。また秀星に会えて」
「俺も。ってか、さっきから思ってたんだけどそのコート!」
指を差され、そういえば自分が秀星の青いコートを着ていたのだと思い出した。どうしよう、すごい恥ずかしい!!
「いや、これは…!なんか、ほら!秀星の忘れ物だし、もし再会したら返せるようにっていうか!」
秀星のにおいがしたからとか秀星のこと思い出すとかそんなカップルみたいなこと口が裂けても言えない…!なんて恥ずかしい奴なんだ私。十歩くらい譲ってカップルじゃないにしてもこれじゃ飼い主のにおいが恋しくて飼い主の服の上でお留守番する犬だわ。私の咄嗟の言い訳に秀星はそうだったんだ、と返事してくれてうまく誤魔化せたのだと胸を撫でおろす。
「羅々んとこには色々置いてきちまったからなぁ。反対に俺が持ち帰れたのって、あのライダースと…」
そう言ってスーツの内ポケットからカードケースを取り出すと、その中からさらに一枚をケースから出した。
「これって…」
「そ。懐かしいでしょ」
「うん」
秀星が見せたのはお台場に行った日、二人で撮ったプリクラだった。しかも大事にカードケースに入れておくなんて、私に負けず劣らずなかなか恥ずかしいことしてる。でもそれ以上に嬉しかった。
「時代が違うとなると電話とかメールもできないしさ」
「そうだね…でもまさか未来に来れるなんて思っても無かった。まぁ、めちゃくちゃ不安だけど」
「今コウちゃんがギノさんに羅々のこと話してるから、上手いこと行ってくれれば良いんだけどなぁ」
「もし上手いこといったら私はどうなるの?」
「戸籍作って、シビュラ判定で働くとこ見つけるんじゃないかな」
働くとこ、か。未来で働くなんてすごく不安っていうか…不安を通り越して恐怖だ。せめて秀星の側で働けるならまだ心強いけど秀星は潜在犯の執行官で、私は超超善良で健康なメンタルの過去の住人だ。共通点を探すほうが難しいってくらい私達は違う。秀星は狡噛さんの様子が気になるようで、しきりに狡噛さんを見ている。ポーカーフェイスなのか彼の表情は全く変わっていない。暫くして狡噛さんはこちらにやってきた。
「とりあえず、サイコパスに問題が無い以上は廃棄区画から離した方が良いということになった。着いてこい」
私と秀星は久々の再会に喜びつつ、その後ろを着いて行った。
免罪体質でもなければ朱ちゃんのような色相美人でもないです。
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