月をみている。
お月見団子に、炭酸ジュース。時々凛月くんが弾いてくれるたぶん有名な曲を聴きながら。
贅沢極まりないお月見会場である。

『ねぇ、今度はさ……特別に音楽室に入れてあげるから、またジュース持ってきてよ。もちろん月見団子もいっしょにね』

凛月くんの言う「今度」はけっこう早くやってきた。
今日の天気は晴天で、夜まで続くらしくて――現場に繰り出した帰りにネットで評判の和菓子屋を偶然見つけて、使命感に駆られ“お月見セット”を購入したのが発端で。
お月見を決行すべく私は学院に急いで戻り、凛月くんを探し出して「今晩お月見しよう」と誘ったのである。彼はそんな私の言葉に目を丸くしたものだから、忘れられていたのかもしれないと思ってちょっと虚しかったけど。
まあ、ご機嫌そうに鍵盤に触れているし団子も気に入ってくれたようなのでいいだろう。

私は惚けたように窓越しの満月をみている。
その隣に、凛月くんはぽすんと腰をおろした。

「綺麗だねぇ」
「うん。やっぱりお月見はいいね」

本人には言わないけど、凛月くんの眠りに誘うような声も月夜にぴったりで心地が良い。

微睡の淵にいるような、夢みたいな空間だ。
日常の枠の中ではあるものの幻想的な風景を臨みながらゆっくりと時が流れていく。
沈んでいくみたいに寄りかかると、動揺したのか凛月くんはびくっと身体を揺らした。

「……なぁに」
「……なんとなく?」
「鹿矢ってさぁ。時々距離感バグるよねぇ……?」
「えー。凛月くんに言われたくはないけど」

私の髪の毛を至近距離でくるくるしてたでしょうが、と思いながら視線を向けると凛月くんの真っ赤な瞳とかち合う。
いつもとは違うアングルから見る凛月くんに一瞬どきっとして、反射的に目を伏せてしまった。

「……寝るの?」
「寝ないよ」
「じゃあなんで目閉じたの」
「……なんとなく」
「……鹿矢」
「な、なに」
「こっち見て」
「ちょ、ちょっとだけ待って……」

自分から寄りかかっておいてだけど。至近距離にいる凛月くんに恥ずかしくなってしまって、視界を閉じたから。
思い立ったままの行動というのもあって注がれる声の近さとか体温とかを予想していなかった。

凛月くんはこちらに視線をやっているのだろう。
またあの距離で目が合うのだと思うとやっぱり恥ずかしい。今も思い出すだけで顔があついのに。

「……恥ずかしがってるの。自分から寄りかかっておいて?」
「……そ、そうだよ」
「へぇ。可笑しな鹿矢」

あ、いま口角が上がっただろうな。みたいな声で呟いて、凛月くんは私の手に触れて、ゆっくり絡めていく。
恋人同士みたいな繋ぎ方をするから頭の処理が追いつかない。
めちゃくちゃ弄ばれている。絶対に。

「凛月くん、心臓消えちゃうから、ほんとに」
「心臓は消えたりしないよ。……ふふ。鹿矢の手、汗ばんでる。そんなに恥ずかしいの?」
「ふだん誰かと手とか繋がないから」
「ふぅん。照れてる?」
「照れてる!」

自分だけが意識しているみたいなのが腹立たしくて、やけくそになって肩口にぐりぐりと頭を埋めれば「なぁに?」と余裕そうな声が降ってくる。
べつに、なんにもないけど。誤魔化すように唸っていると空いた方の手で優しく撫でられる。触れられた場所が、あつい。私がそもそもの原因ではあるのだけど、今日は本当に距離感がおかしい。恋人同士みたいな触れ合いをしている気すらする。

「ほら。ずうっと目を閉じてたら勿体ないでしょ。いい加減観念したら?」

鹿矢がお月見しようって言ったくせに、なんて言われてしまったらぐうの音も出ない。たしかに誘ったのは私だし降参すべきだろう。
ちらっと目を開くと凛月くんの悪戯っぽい笑みが薄っすらと見える。

「やっと目開けた。おはよう、鹿矢?」
「……おはよう、凛月くん」

寝ていたわけでもないし、とても月明かりに照らされながら交わす言葉とは思えないが。
満足げな凛月くんの表情はやっぱりちょっと直視できなくて、私は目を逸らすみたいに空に浮かぶ月を眺めた。





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