「トリックオアトリート」

お約束の台詞を突然投げつければ、そりゃあ誰だって驚くわけで。
まぁ私だって始めから言おうなんて思っていなくて、ただ言いたくなったから言ってみただけで――めちゃくちゃ期待をしていたわけでもない。
二人して手ぶらだし、おそらく巴は何にも持っていないだろうと楽観的に考えていたのである。

「……そういえば、ちょうどサンプルを貰ったんだよね」
「サンプル?」
「うん、まだ詳しくは言えないけど……タイアップの案件があってね。はい、どうぞ?」

ところが。巴はポケットからガムを取り出して渡してくるものだから、私は呆然と特殊加工されたパッケージのそれを眺める。
ポケットを叩けば出てくるビスケットじゃないんだから。まさかそんなところからお菓子が出てくるなんて思ってもみなかった。

「じゃあ次はぼくの番だね。トリックオアトリート♪自分から言っておいて持っていないだなんて、言わないよね?」

ふふん、と腕を組んで巴はにっこりと笑顔を浮かべている。
私が巴からもらったガムしか持っていないことを分かっているくせに、意地悪な問いかけをするものだ。

「……カバンにチョコ入ってるから、取ってきてもいい?」
「だめ。今すぐ渡してくれないと無効だね」
「え、ええ……」
「はい、鹿矢の負け。大人しく罰ゲームを受けるといいね!」

いたずらとはなんだったのか。
そもそもハロウィンは勝ち負けを決めるイベントでもなんでもない。
一般的にはお菓子をくれなきゃいたずらするぞ、的なやつである。

「一応聞くけどなにをすればいいの」
「そうだね……、じゃあぼくに甘い言葉を囁いてみて?」

もちろんぼくが満足するまでね!とよく分からないいたずら(この場合命令のようなものに近い)を命じられ、私は頭を捻る。

すっかり巴流ハロウィンに流されているのはもういいとして。
甘い言葉やらはアイドルたちのそばにいるから死ぬほど聞いてきたけど、いざ自分が言うとなると恥ずかしいものだ。

「うーん……お手をどうぞ、お姫さま? 」
「だめだめ。捻りがないね」
「…………俺に着いてこいよ……?」
「なんで疑問系なの。……鹿矢、本気で考えてる?ぼくは借り物の台詞じゃなくて、きみの言葉が欲しいね」
「難しいこと言うなぁ」

私はアイドルじゃないんだけど。
――でも、たとえばじゃあ私が彼らの立場だったらどんな『甘い言葉』を囁くのだろう。仮にもアイドルだったとしたらなんて声をかけるのだろう。
若しくは、巴を誑かすと仮定したら。

むう、とむくれている巴の腕を引いて。
息を吸い込んで、耳に触れるか触れないかの距離で小さく声を落とす。

「不用心だよ。こんな距離を許すなんて」
「……、鹿矢、」
「……可愛い声。他の子には聞かせないでね。私だけに聞かせてよ」

溢れかえりそうな羞恥をぐちゃぐちゃにして思考の外へ投げ捨てて、ゆっくりと腕を離して彼の表情を窺う。
巴は頬をほんのり紅く染めて悔しそうに眉を顰めている。どうやら私の勝ちらしい。

「……満足した?」
「……まだくれるのなら、期待するけど?」
「も、もうないから。終わりね、これ以上やったら心臓がもたないから」

アイドルって、こんな台詞を恥ずかしげもなく言ってのけてしまうから本当にすごいと思う。

ぱたぱたと熱を発している顔を扇いでいると――先ほどの状況を再現するみたいに、巴は私の腕を引いて耳元に口を寄せて。私の名前を呼んで、甘い息を吐いて。

「不用心なのは鹿矢のほうだね」
「……っ、まっ」
「……この距離を、ぼく以外に許さないで。ぼくだけに許して」

ありったけの熱を帯びた声で包んでくるものだから。思考は真っ白にされてしまって言葉が出てこない。
覆い被さるような体勢の巴はそのまま私を抱きしめて、優しく頭を撫でて――満足そうに声を漏らす。

「……ふふ。ぼくのいたずら、気に入ってくれた?心臓がばくばく鳴っているね」
「………………巴って悪趣味だ……」
「あはは!なんとでも言うといいね?」

一瞬“本当”だと思ってしまった自分を殴り飛ばしたい。
つまるところ、巴は私に甘い言葉を吐かせて、それを転用した台詞で私の心臓をぶっ壊すとかいう悪趣味ないたずらを画策していたのだ。……自分で考えたものが元になっていると思うと恥ずかしくて逃げ出してしまいたい。
けど、しばらくは巴は離してくれなさそうだし。いっそのこと意識を飛ばしてしまった方が楽になれる気がするのだけど。

――これはアイドルの本気を見た気がした、ある年の、あるハロウィンの日の話。





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