真っ赤に燃えていくみたい。
空の色が侵食して、教室を燃やしている。そのなかで、私や机の影が長く伸びて模様をつくっている。

たとえばこの黒がブラックホールだとしたら、時空やらを歪めて過去や未来に飛んでいってしまうのだろうか。
近頃やたらと流行っているSFモノの影響でそんな空想を描いてしまう。
あり得たとしても――未来はイヤかも。なんて。良い未来ならいいけど、嫌な未来は見たくないから。

「……おや、鹿矢。まだ残っておったのか」
「……?」

どこかで聞いた声だけど――聞き慣れない言葉遣いをするひとの声がして、教室の入り口に目をやればぼんやりと誰かがいるのが見える。
視力は裸眼で問題ないレベルのはずで。なのにしっかり捉えることができない。
ネクタイが緑色なので、辛うじて彼が三年生ということだけは分かる。

「スタジオを除けば、空き教室に詰めておるのかと思ったが……。教室に居座るとは日直当番泣かせじゃのう」
「今日は私が日直なので、少しくらいはいいかなと思って。すみません、すぐに出ます」

要するに、放課後の教室に居残るなと注意されているのだろうし。
上級生の反感を買ってしまうのは怖いので荷物をまとめていると、それすらも癪に障ってしまったのか彼は私に近づいてくる。

「なんじゃ。今日はやけに他人行儀じゃのう……?敬語に戻っておるし」
「他人行儀って……、そ、そこまで仲良いわけじゃないですよね……?それに上級生に敬語なんて」

ふつうですよ、と言いかけたのだけど。
近くまでくればぼやけていた視界のモヤも晴れて、そのひとの正体が鮮明になっていく。そして言葉を失ってしまう。

――彼はまだ海外のはずで、夢ノ咲学院に居るはずもない。
だけど、目の前に居るのはどこからどう見ても朔間先輩だ。私の知らないうちに帰国していたのだろうか。

「ど、どうして」
「どうして、は我輩の台詞じゃよ。さすがにそこまで邪険にされると傷つくわい。……ん?鹿矢、髪を切ったのかえ?ずいぶん懐かしい長さじゃのう……?」
「切って、ないですけど、」

はて、と首を傾げる朔間先輩は私の記憶の中の先輩と髪型も口調も違うが、たぶん本人なのだろう。
そっくりさんが世界に三人いたとしても、ここまで似たひとが夢ノ咲学院に現れるわけがない。しかも私の名前を知っているみたいだし。呼び方も同じだし。

でも。表情から察するに“三年生の朔間先輩”に扮装して私を揶揄おうとかでもないらしい。
だとすると、このひとは本当に三年生の朔間先輩ということだ。

「……ふむ、なるほど。不可思議なことも起きるものじゃ。ネクタイの色とその風貌からして、おぬしは二年生の鹿矢か」
「……はい。……先輩は三年生?」
「うむ。この通りすっかり老け込んでしまったがのう?」

薄笑いを浮かべる三年生の先輩は、口調や雰囲気は落ち着いたように思う。
視認できなかったとはいえ声は同じなのに――本人だと分からなかったくらいだ。

「ええと、でもカッコいいと思いますよ。落ち着いてる雰囲気もいいというか。歌った時のギャップとかが刺さりそうじゃないですか」
「たしかにそう言ってくれるファンの子もおる。……くっくっく、かつてのおぬしにも同じように映っておるのなら儲け物じゃ」

こちらへおいで、と手招きをされてそばに寄れば、夕焼けのなかで一際濃く光る深紅と視線がかちあう。
身長はさほど変わっていないけれど、色気みたいなものは増えているから心臓に悪い。

「なんでしょう」
「去年はこうしてじっくり目を見ることも、支えてやることも叶わんかったから……過去のおぬしを堪能しておるのじゃよ。すべては夢なのかもしれんがのう?……許しておくれ、鹿矢」

贖罪のような言葉を乗せて、先輩は私の頭を優しく撫でる。

彼の台詞からして、きっとこの先も私は朔間先輩と多くの時間を過ごすことはないのだろう。
……支えれられなかっただなんて、気にしなくていいのに。

むしろ、未来の私はきちんと先輩を支えられたのだろうか。
五奇人のサポートは具体的に期限を定められているわけではないから、ある程度の成果を出さなければクビにでもされているだろう。

もらった分はきちんと返せないとフェアじゃないと思うし、それだけが心配でならない。
……まぁ、モチベーションにも直結してしまうから、詳しくは聞きたくないけど。

「先輩は頑張ってたんですから仕方ないですよ。それでも私のことを気にかけてくれて、“置き土産”をくれたんでしょう。それだけでじゅうぶんです」
「……“それ”は枷にはなっておらんか?」
「枷というよりは、盾です。情けない話ですけど……先輩が私を守ってくれてるから、なんとかなってるようなものなので」

感謝しかないですよ、と笑えば、先輩は私の腕を強く引くものだから、自然と抱きつくみたいな体勢になってしまう。

驚きながらも慌てて離れようとすると、ぎゅう、と力任せに抱きしめられて。頬に熱が集まっていくのがわかる。
気のせいかもしれないが朔間先輩の心音も速く感じるし、思考回路がめちゃくちゃだ。

「……あ、あの、むり、むりです、」
「……鹿矢は『朔間零の女』じゃろ。嫌かもしれんが、このくらい我慢せい」

嫌とかではないんだけど。
抱きしめられるとか、家族以外だと数えるくらいしかなくて。頭を撫でられることはあっても身を委ねる機会なんてほとんどないし。
ドキドキし過ぎて心臓が皮膚を突き破ってしまいそうだ。

「鹿矢」

耐えるみたいにシャツを握れば腕を回せと言わんばかりの声が降ってくるものだから、もうどうすればいいのか分からない。

「…………あの、先輩。私、たしかに『朔間零の女』ですけど……三年生の先輩の『女』じゃないですからね、」
「…………おぉ、そうじゃった。これは立派な浮気じゃのう。過去の我輩に言っておかんとのう」
「え、ええ……?どうやって言うんですか」
「秘密じゃ。我輩『魔王』じゃから、なんでもできるんじゃよ」

茶化すような声色でわしゃわしゃと頭を撫でられて、ああ、懐かしいな、と目頭が熱くなっていく。
ちょっとだけ乱暴で、でも優しくて。
同じひとのはずなのに――あの手のひらの温もりが、なんだか無性に恋しい。
そう思ってしまうのは目の前の先輩に失礼だと思うけど。

「(……でも。そっか、帰ってくるんだ)」

未来の、普段の私の行く先やらを把握しているあたり、おそらく来年には先輩は帰ってきていて。海外を飛び回るのではなく学院に身を置いている。
キャラ変はしているものの、この夢ノ咲学院でアイドルを続けているのだろう。
少なくとも彼の居る未来は、先輩が笑っていられる“先の物語”らしいということに安堵する。

教室の色は見えない。
朔間先輩の胸に埋もれているから、日が暮れてしまってもきっと気づけない。
記憶にも手元にも残らない温もりを堪能するみたいに、私は先輩の背中に腕を回した。





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