「凛月」
「え?」
「凛月って呼んで。俺は鹿矢って呼んでるんだから、鹿矢も合わせてよ」

喉に詰まりかけたゼリーをなんとか飲み込んで、半泣きの私の背中をさする凛月くんは今、さらりと突拍子も無いことを言った気がする。
大丈夫?と頬杖をついて覗き込んでくる彼は通常運転らしい。

「な、なに急に」
「う〜ん、なんとなく。対等っぽくない気がして。あんまり気にしたことはないんだけどねぇ」

期待の眼差しを向けられておいて申し訳ないが、答えはノーだ。

「恥ずかしいから却下」
「そうなの?試しに呼んでみてよ。案外恥ずかしくないかもよ」
「や、やだ、言う前から恥ずかしいよ」
「一回くらい、いいでしょ。だめ?」

ねぇ、お願い。と猫撫で声で――さらには上目遣いでお願いされてしまっては断るのも憚られる。
……まぁ、一度だけなら。でも流されっぱなしは嫌なので、私も負けじと凛月くんの肩を掴んで。

「………………り……凛月、」
「………………」

心の中では“くん”を付けて、じっと見つめる。
そして訪れる無言タイム。……これは今日に限った話ではなく出会ってからずっとなのだけど、凛月くんと話しているとスッと会話が途切れることがある。
それを不快に感じたことはないしマイペースな凛月くんのことだ、気に留めてはいないだろう。
けれど今は投げかけた言葉に返事を貰っていないという状況だから、ちょっといたたまれない。なんでもいいから反応してほしいんだけど。

風が窓を叩く音だけが空き教室を満たしている。
寸刻の間を置いて、凛月くんはようやく口を開いた。

「もう一回」
「は、はぁ。………………凛月」

一度とはなんだったんだろう。なんて思いながら言われた通りに復唱する。多少言い慣れた感はあるものの、恥ずかしさは増すばかりだ。

しかし意外なことに、二度目を所望した凛月くんの頬はほんのり赤く染まっている。

「……なんで凛月くんが照れてるの」
「……照れてないよ」

ふい、と逸らされた視線に悪戯心が疼く。
追いかけるように、求められてもいないもう一度を押し付けてみる。

「凛月」
「……なぁに、鹿矢」

余裕ぶって言ってみた三度目のそれに驚いたのか、一拍開けて凛月くんはこちらへ視線を戻す。照れを含んだ瞳が可愛らしい。

妙な居心地の良さもあって、物理的な距離と同じくらい近くなった気分だ。
誰に対しても出来るようなものではないけれど。凛月くんの、そういう表情が見られるならたまには呼んでみてもいいかもしれない。不意打ちみたいな感じで。

「慣れるの早すぎじゃない?もっと恥ずかしがってもだもだすると思ったのに」
「あはは、期待に添えなくてごめん」
「べつにいいけどさぁ〜……」

不服そうな凛月くんは私の手を取って、暖を取るように包み込む。
……なんとなく察したというか。凛月くんは四度目を望んでいる目をしている。

「……凛月」
「ふふ。よくできました」

慣れてきたのはどうやら私だけではないらしい。
それでも恥ずかしさはあるから――今度は目を逸らしてしまったけど。

凛月くんの指が、少しずつ熱を帯びていく。
なんだか温もりを共有しているみたいだ。

「ねぇ鹿矢。俺、今までたくさん鹿矢って呼んできたよねぇ。……その分も俺のことを呼んでくれなきゃ対等じゃないと思うんだけど」
「ええ……返しきれないよ、たぶん。っていうか今呼んでる分もこの先の分もカウントするつもりでしょ」
「うん。だから、“そういう”お願い」

期待してるから、と笑って私の手を包んだまま――凛月くんは机に伏せてしまって夢の世界へ落ちていく。……言い逃げとかずるい。
期待されるのが好きなの、知ってるくせに。

「…………おやすみ。凛月」

記念すべき五度目は聞けなかったね、っていつか言ってやろう。






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