結果的に。衣更くんの話をふわっと聞いただけで、そこまで力にはなれなかったと思う。
二の次にしていたわけでもないが思考を割ける時間も限られていて、その間に心当たりのある場所へ足を走らせてももぬけの空。よってタイムオーバー、なんて日も少なくなかった。電話にも出ないし様子がおかしいのはたしかではあるが、どうも私は解決の糸口を掴むには程遠い位置にいるらしい。

……私も私で凛月には調子を取り戻してほしいし、『Knights』の面々も心配していたから。それに何より――仲良しの子と微妙な空気になってしまう寂しさは分かるから、お節介を焼きたい気持ちもあるのだ。
まぁ、入り口にも立てていないのだけれど。

「何、その変な顔。集中力欠けてるんじゃないの?」
「女子に向かって失礼な。……集中はしてるけど、凛月が心配でちょっとね」
「ああ……くまくん、近ごろ元気無いもんねぇ。妻瀬仲良いじゃん、何か知らないの」
「……もしかしてそれ流行ってる?」
「はぁ?」
「あーいや、なんでもない」

前夜祭当日。
【ファッションショー】の準備もあらかた終わったので、間食を摂りながらステージの最終チェック。瀬名大監督の指示のもとビデオカメラも複数箇所に設置したし、問題はなさそうだ。超完璧。
会場に籠った熱にあてられてぼんやりした脳を活性化させるように頬を叩けば、瀬名はぎよっと表情を歪めた。

「……ちょっとぉ?その気合の入れ方、痛々しいし視界に入ってくるだけで不快なんだけど」
「だ、だってなんかフワフワするから……。きんきんに冷えたジュースでも飲みたい気分。瀬名監督、ジュース奢ってよ〜」 
「俺は監督じゃなくてモデルだから。っていうか奢らないから。ステージと機材のチェックは?」
「オールオッケー。あとはデザイナーさん待ちかな」
「そ。……だったら外の空気でも吸ってきたら。かさくんもいるから多少は余裕もあるし、少しなら抜けても平気でしょ」
「……えっ。いいの?」
「十五分後には戻ってくること。分かった?」
「了解。ありがと!」

十五分。ドリンクを買って戻ってくるなら、五分もあればじゅうぶんだ。つまり、瀬名は“変な顔”の原因を解決してこいと背中を押してくれたのだろう。

何度か作業の合間に音楽室へと足を伸ばしたけれど、タイミングが悪かったのか凛月と顔を合わせることは叶わなかった。
私、案外凛月のことをよく分かっていなかったんだなぁ――と若干途方に暮れながら訪れた空っぽの音楽室でたそがれて、悔しくなりながら扉を閉めたのは苦い思い出だ。
でも。今日は瀬名の許しもあれば運の巡りも良いらしい。

「凛月、見つけた」
「……鹿矢」

鍵盤に触れようとしていた指は止まって、私の名前をぽつりと呟く。
やっぱり音楽室には凛月がいないとなんだか落ち着かない。けれど、風景に馴染む彼の姿は消え入りそうなほどに弱っているようにも見える。

「久しぶり。……顔色悪いけど大丈夫?」
「…………」

これは大丈夫じゃないかも、と椅子を持って陰鬱な空気を纏う彼に寄り添うように座れば、寂しげな瞳がこちらを向いた。
顔色は、良くない。でも学校に来ているということは、衣更くんとのことを多少なりとも気にしているのだろう。

「凛月。ちょっと前に衣更くんと喧嘩したんだって?ついでに朔間さんに八つ当たりもしたとか」
「……はぁ。どっちの差し金?鹿矢を使うとか最低なんだけど」
「私が勝手に気にしてるだけだよ」
「……そう」

チクタクとお構いなしに進む長針の音が響く。
僅かに聞こえる喧騒は遠く、今が前夜祭の真っ只中であることを忘れてしまいそうだ。
凛月が迎えにきてくれた【DDD】の時は今と逆の立場だったように思う。……最近の出来事なのにもう懐かしく感じるのは、この間までの生徒会天下が嘘のように学院全体が活気付いているからだろうか。
悪くはないけれど、目まぐるしく変わっていく景色には少し焦燥感を覚えてしまう。

「……ねぇ。鹿矢は、変わらないでいてくれるよね」

数分の沈黙を置いて。倒れ込むように私の肩口に頭を埋めた凛月は、小さく声を溢した。
儚げな印象はあったけれど、どちらかというとのらりくらりと生きているように見えた凛月から発されている言葉とは思えなくて息を呑む。

凛月の周囲の人間に比べれば付き合いの短い私にそんな台詞を吐くくらいだ。
彼が大事で大好きだと言う衣更くんは変わってしまったとか、そういう類のものから生じた諍いだったのだろうか、なんて、憶測でしかないけれど。
縋るみたいなか細い音はいまにも消えてしまいそうで、反射的に手を握る。

「そう言ってくれたのは凛月だよ。今も昔も、私は変わらない。『Knights』“贔屓”の広報、ってね」
「……“味方”でしょ、鹿矢は」

望んだ答えを投げかけたところで、凛月の、変化に対しての忌避感を拭うことはできないだろう。本当に不安を向けられている当人ではないのだから。
それでも、と安心させるように手に力を込めれば凛月の指がぴくりと反応する。退けないあたり、嫌ではないみたいだ。
……私はいつもこんな一時凌ぎにしかなれないけど、それが出来ただけでも及第点を貰えたのなら嬉しい。

不変のものなんてほとんどない。
生きている限り凛月も同じだし、正論だけを言うのならそれをぶつければいい。
私は変わっていく。衣更くんだって、凛月だって、これから歳を重ねるごとにずっと変わり続けていく。
昨日の凛月は今日の凛月じゃないし、一秒ずつ違うはずでしょ、なんて――美しく飾られたお手本みたいな言葉を放てばいいけれど。
そんなの、私じゃなくても行き着く答えだ。

「変わるのは、イヤだな。無理やり帳尻を合わせるのも大変だし、そういう現実はわりと嫌い。ほんと、いやになっちゃう」
「……鹿矢ってわりと生きるの向いてないよねぇ?」
「手酷いね。思い出を思い出として昇華できないんだよ。大好きで、大切すぎて」
「……しってる」

――衣更くんは革命の中心人物的な存在だったから、周囲の環境も凛月に比べればひどく変化しているのだろう。
だから自分がひとり取り残されているように感じているのかもしれない。放たれているのはたぶん、そういう寂しいの雰囲気だ。
凛月の指は、ひんやりしていて気持ちが良い。

「でも、思い出に抱きついたところで気持ち良いのは一瞬だけ。それもイヤで……置いてかれるのはもっと嫌いだから、なんとか追いかけてる最中」
「それってセッちゃん?」
「ううん、『Knights』だよ」
「…………ふぅん。じゃあ俺も鹿矢の前にいるんだ」
「んー、凛月はなんとなく隣っぽいけど」
「……そうだねぇ」

凛月を真似て試しに彼の髪束を指で掬ってみるけれど、想像通りさらりと落ちていく。
のっそりと身体を起こした彼のようやくお目見えした赤はゆらゆらと揺らいでいて、とても綺麗だ。

「……きちんと話してみたら。衣更くんだけじゃなくて朔間さんとも。喧嘩したこととか……言っちゃったことは無くならないけど、話さないと後悔すると思うし。言わなきゃ伝わらないこともあるし。大切なら尚更」
「…………はぁ。ほんっと、鹿矢にだけは言われたくない。その言葉、丸々返してやりたいところなんだけど」
「え、ええ……耳が痛いなぁ」

自業自得、と深く息を吐いた凛月は眉を顰めて再び私の肩へと落ちていく。

「……お節介だった?」
「うん、余計なお節介。自分のことを棚に上げてそれっぽいことを言われても説得力ないし……鹿矢は俺にお節介焼かれてればいいの」
「あはは、ごめんね……。じゃあ今日のはお節介焼いてもらうためにお節介を焼いたってことにしておいて。未来への投資みたいな」
「………仕方ないから考えとく」
「ふふ。よろしく」






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