「あ、妻瀬先輩」
「衣更くん」

ピアノの音に導かれたのだろう。
音楽室のそばの廊下でばったりと鉢合わせた衣更くんは、私を見るなりハッと表情を変えた。

「……凛月、居るんすね」

肯定するように道を開ける。
少し緊張した背中を押してやれば彼は一礼して、駆けていく。

大切な幼馴染の名前を呼びながら勢いよく扉を開けるのを見届けた私は、ブレザーをはためかせながら体育館へと急ぐ。
……今の、良い感じのキャラっぽい気がする。
ううん──そうじゃなくて。少しは“良い先輩”らしく在れただろうか。



***



ランウェイを歩く彼を見るのは初めてだった。
モデル活動をしていたことはもちろん、遊木くんやなるくん、椚先生とはその繋がりもあって顔見知りなのだと話してくれたから知っていたけれど、専ら『アイドル』として夢ノ咲学院での二年間を過ごしてきた彼しか知らないものだから思わず見入ってしまう。

瀬名泉というひとを魅力的にみせるステージのひとつが『モデル』であり、『アイドル』なのだと体現するかのように彼は堂々と歩いていく。
そして。華々しいオーラを纏ったなるくんが瀬名と入れ替わるように闊歩する。

彼らが織りなすファッションショーは大盛況、始まる前までは『Knights』全員での舞台でないことが少し寂しかったけれど、それを払拭するくらいに気分は高揚している。
いやほんとに――数十分前まで雷を落としまくってた瀬名とは到底思えない。


「――遅いっ!十五分で戻ってこいって言ったよねぇ!?ただでさえ時間が無いってのに、まったく!」
「ごめんなさい〜……」

帰ってくるや否や瀬名の怒号にびゅうっと吹かれ、三分遅刻の罪状を突きつけられた私はステージ傍でお説教コースへと招待されたのだった。

目をかけているらしいデザイナーさんの衣装を纏った瀬名はいつもよりシュッとして見えて、カッコ良いな〜と遠目ながらに思ったのに。
私を視界に捉えた途端雷を背負ったので、どんな見てくれをしていても瀬名はやっぱり瀬名である。

「……で?どうだったわけ」
「うーん、解決しそう……?」
「なんで疑問系なの」

呆れるように肩を落とす瀬名の髪に付いた糸クズを取りながら、私は恐る恐る視線を合わせる。

「私なりに話したけど、それが解決に繋がるとは思えないから……。当事者同士で話さないと解決しないじゃない、いざこざって」
「妻瀬にしては珍しく一理ある回答じゃん」
「珍しくとは」
「そのままの意味だけど。……まぁ、やれるだけのことはやってきたんでしょ」
「……ははは、どうでしょう」
「自信ないわけ」
「私が一方的にお節介焼いただけだし。なるようになるでしょ。そんな希望を持てるドラマティックなシーンには遭遇したので、大丈夫大丈夫」
「ふぅん、そう……。妻瀬が大丈夫だって言うならそうなんだろうけどさぁ?サボりには変わりないよねぇ」
「仰る通りで。その分は私が働くよ」

さて、と仕事に取り掛かるべく身なりを整えて――賑わい始めた会場の音に耳を立てれば、期待に満ちた声が聞こえてくる。
きっとこの中には、かつての瀬名のファンだって居るのだろう。

ランウェイを前にした背姿は若干の緊張が窺えるが、凛としていて誇らしい。どこか知らない世界へと飛び立ってしまうみたいにも思えるけれど。

「瀬名」
「何」
「今日も最高に綺麗だよ。頑張ってね」

いつも通りの言葉を、贈る。
当然でしょ、と一拍置いて笑ってみせた瀬名は、最終調整も兼ねてなるくんとデザイナーさんとの会話に混ざっていく。
そんな姿が少しだけ、遠くに見えた気がした。




***




すべてのステージの撤収作業が終わり、なんやかんやと雑務をしているうちに行き着いたのはいつもの空き教室だった。

『根城』と呼ぶには不十分だけど、運良く誰が練習場所として使うこともなく私だけで独占していると言っても過言ではないこの教室は『Knights』のお膝元に次いで落ち着ける空間だ。
帰途に着く生徒たちを一望することのできるエリアに位置しているので、それを眺めるのも楽しみの一つなのである。

疲労を引き摺っているひとも、打ち上げに赴くひともそれぞれに誰かと言葉を交わしながら歩いていく。
そのなかに、あんずちゃんを背負う凛月と衣更くんの後ろ姿が見えた。……同じステージを経て二人はどうにか仲直りできたようだ。

安堵と同時に降ってくる寂寥感から逃れるように窓から視線を逸らすと、扉の開く音とともに陽気な声がやってくる。
やっぱりいた、とこちらへ近付いて来るのはクラスメイトの羽風薫だ。今日はステージには登壇せずに『学院祭』のパンフレットやチケットを配り歩いていたんだっけ。

「やっほ〜。もしかしたらと思って覗いてみたら大正解♪まだ残ってたんだね、鹿矢ちゃん。またお得意の仕事?」
「うん、今日の写真の整理とかしてたの」
「へぇ……他の子たちは帰ってるのに。それって、今無理にすることじゃないよね」
「…………まー、そうだけど」

急ぎのものなんだよ、とか言えばよかったのだろうけど。すぐに気の利いた台詞は出てこなくて、言葉を詰まらせれば悟ったような――寂しげな視線を一度だけ刺して、羽風は口元を緩める。

「もう遅いし一緒に帰ろうよ。なんならお兄さんが家まで送ってあげよっか」
「お兄さんって。同い年でしょ〜……」

羽風の言葉はむず痒くも心地良く感じてしまったので負けを認めざるを得ない。回りくどい言い回しをする友人ばかりなせいか、ストレートな誘いは少し気恥ずかしいけれどやはり嬉しいものだ。
観念するように荷物をまとめて隣に並べば、羽風は意外そうに頬を緩ませた。
帰路を共にすることもほとんどない彼と暗がりの昇降口という取り合わせは違和感だらけだ。

「絶対断られると思ったのに、誘ってみるものだね」
「い、意味もなく断らないよ。それに、今は話し相手が欲しい気分だったから。……申し訳ないけどそういうのだよ」
「鹿矢ちゃんに何戦何敗中だと思ってるの。たとえ“そういうの”でも嬉しいよ。……ていうか、その調子だと瀬名くんに振られちゃった?」
「……誘われたけど断ったの。モデル仲間との打ち上げだって言うから水刺したくなくて」
「あはは、遠慮の鬼〜。……なるほどね。自分で断ったのに寂しくてセンチメンタルになってたんでしょ、違う?」
「うるさーい」


――【ファッションショー】を終えあんずちゃんに衣装を託した後、撤収作業を少しだけ手伝って訪れた【春の音楽祭】も想定通り大盛り上がり。
羽風を除く『UNDEAD』のバンドをメインに『Trickstar』の面々も音を奏でたりパフォーマンスを披露したりして、縁あるニつのユニットによるステージは楽しげな笑顔で満ちていた。

その中に、よく知る顔がひとつ。
衣装を纏いピアノを奏でていた人物は紛れもなく凛月だった。
朔間さんが凛月をステージに呼んだのだと聞いて納得はしたものの――それにしても楽しそうにしていたものだから、【ファッションショー】には顔を出さなかったのに、なんてジェラシーも感じてしまったけど。
凛月が大切に思っているだろうひとたちと同じ舞台に立っていることは幸せなことなのだと咀嚼して、カメラを構えた。
衣更くんや朔間さんとも話していたようだし、大方“いざこざ”は解決へ向かったのだろう。めでたしめでたしだ。

そう──『前夜祭』はどのステージも大成功で、反省点やらがあるにしても結果としては良かったはずなのに。心に積もっていく満足感と寂寥感はなぜか、とんとんだ。

「……羽風、これから時間ある?奢るから夜ご飯付き合ってよ」
「えっ、もしかしてデートのお誘い……?あの鹿矢ちゃんが俺に……!?」
「やっぱり今の無しで」
「う、嘘だって!ディナーくらい奢られなくたっていくらでも付き合うよ」

オススメのお店案内するから許して、と端末を取り出した羽風は慣れた手つきで画面をスライドさせていく。
少しだけ歩調の遅くなる彼に合わせてゆっくりと歩いていく。

息を吐いても白くはない。
なんだかそれが無性に寂しくて、もう一度と深く息を吐いた。






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