ブラックスピネル




ナマエは焦っていた。始まってしまったそれに、ケイミーの番が分からない以上、常に不安が駆け巡っていた。それに意外と警備が多く、手間取っていた。中には海楼石弾入りの銃まで持っている奴もいるし、さすが海軍本部が近いシャボンディ諸島と言ったところか。見聞色を身につけていなければ危なかった。それを教わった奴に対して、腹が何かを蠢いた気がしたが、今はそれに呑まれている場合ではない。
暫く向かってくる相手を倒して走っていると、牢の中に見える人の集まり。やっと見つけた。ナマエはスピードをあげ、そして手前にいる警備員に触れる。

「Pilfer」

奪われたそれは、警備員の'声'。音もなく口だけをパクパクさせている姿は滑稽にも見えた。ナマエはそのまま発砲してくる弾丸を避け、相手の懐に入ると顎を下から蹴り上げる。その戦闘を見ていた牢屋から、凛々しい声が聞こえた。

「君は、盗人シーフだね」

しっかりとした口調にナマエはこれが奴隷になってしまう人の声とは思わなかった。そのただならぬ雰囲気に、ああ、先程のピリピリとした感覚はこの人のものかと直ぐに分かった。

「探している人がいるんです。ここに、女の子の人魚はいませんでしたか?」

「・・・先程、連れていかれてしまったよ」

「!?」

その言葉を聞いてぐっと拳を握り締めた。そして奥歯を噛む。間に合わなかった。私はいつも気付いた時には後悔している。もっと速く走っていれば、もっともっと早くに気づいていれば。この虚しさを幾度となく感じたが、深呼吸して心を落ち着かせた。

「おい!あんた!助けてくれよッ」

「私達奴隷になるなんて、嫌っ!!お願い!」

牢屋から切実な声が聞こえる。その声に聞き覚えがありすぎて、ナマエは胸が苦しくなった。そして牢屋に近寄ると、その錠に触れる。

「Steal」

その錠はふわっと消えると気付いた時にはナマエの手元に収まっていた。周囲は目を見開いてナマエを見ていた。こんな簡単に外せるのかと。この子は一体何者なのか。

「私は急がなければいけません。錠は外しました。首輪の鍵はどこかにあるはずです。ほとんど警備員の人は倒したので自力で探してください。あとは、静かに行動を」

捲し立てるように早口で用件だけ述べると足早に立ち去ろうとする。その後ろ姿に口々に感謝の意を伝えた者たちはぞろぞろと牢屋から出た。そしてまたあの凛々しい声が聞こえる。

「どこに行くのかね」

「・・・友達、を奪いに」

そう言うとナマエは今度こそ、その場からいなくなった。

「あの'娘'さん、なんとまぁ危うげな」

一言、酒を煽りそう呟いた。







案外舞台と裏は近く、すぐに到着出来た。舞台袖からちらりとその様子を見る。何か騒ぎがあればそれに乗じて連れ戻すことが出来るのだが。あまりこんなところにもいたくはない。

「魚人島からやって来た!!!'人魚'のォ!ケイミー〜〜〜〜〜!!!」

興奮したようなその紹介に会場は一気に盛り上がりを見せる。ナマエはそれに酷くイラついた。何をそんなに盛り上がれるのか。お前達みたいな奴らがいるから!!殺意を押し殺して押し殺して、なんとか気持ちを落ち着かせた。
そして、嫌な声が、響く。

「5億ベリィー〜〜!!!5億で買うえ〜〜!!!」

この気持ち悪い話し方に、耳から離れない5億という桁違いの数字。こんなことが出来るのは――天竜人。
会場が静まり返る。

その反面、ナマエの頭には嫌な記憶が蘇っていた。

「時間いっぱいです!!それでは本日の大目玉!!'人魚'のケイミーは・・・世界貴族チャルロス聖の5億ベリーにて――」

『ナマエ、お前は今日から――』


――ああああああああ!!!

大きな叫び声と共に勢いよく会場へ突っ込んできたそこには、こんなところには似つかわしくない、麦わら帽子のよく似合う男。
騒がしい程のそれに、ナマエの意識は現実に引き戻される。

「ル、フィ・・・さん」

「あっ!!ケイミー〜〜〜〜!!!ケイミー探したぞ〜〜!!よかったーー!!!」

「ちょっと!!!待て麦わら!!!何する気だよ!!!」

駆け寄って行こうとするルフィにハチが止めに入る。何かが脳裏を掠めた。ナマエが密かにヤバい!と思うも、また、一足遅かった。止まらないルフィにハチは思わず残りの腕を出してしまった。

「きゃああ〜〜!!!魚人よ〜〜!!!気持ち悪い〜〜〜!!!」

その瞬間、会場が一気に嫌悪に包まれた。こうも感情がハッキリ伝わってくるのは見聞色のせいなのか、それともそれが必要ないくらいに周りが出している空気なのか。お願いハチさん、もういいから、これ以上は抵抗しないでくれと願う。
それでも、悪夢は続く。

――ドン!!ドォン・・・!!

「自分で捕ったからこれタダだえ?得したえー魚人の奴隷がタダだえ〜〜〜!!」

鋭い発砲音。自分の恩人が目の前で、血を流して倒れているではないか。そう、天竜人がハチを射抜いたのだ。ナマエの中にどろりとした感情が溢れ出る。

「ゴメンなァ・・・ご、ごんなつもりじゃなかったのになあ・・・!!ナミに・・・ちょっとでも償いをしたくて・・・おめェらの役に立ちたかったんだげども・・・・・・」

ハチの息も絶え絶えな声に胸が締め付けられた。
それでも遠い昔の記憶は、足を動かしてはくれない。何故、止めに入れない?何故助けてあげられない?それは一重に相手が'天竜人'だから?絶対に手を出してはいけない相手だからか、それとも――


『ナマエ、お前は今日から、
――――'奴隷'だ。』

自分が'奴隷'だったから?


「・・・・・・結局迷惑ばっかりかけて・・・ゴベンなァ〜・・・!!」

「魚め〜!!!撃ったのにまだペラペラ喋って・・・お前ムカツクえ〜〜〜〜!!」


そして再び銃口をハチに向ける天竜人。だが、それに立ち塞がる男が一人。ナマエは目を疑った。いや、ナマエだけじゃない。誰しもがまさか、と思う。
この世界の絶対的決まり事。'天竜人に手を出してはならない'。それは誰もが暗黙のルールで守ってきたものだった。海軍でさえも、天竜人の権力には叶わないのだ。
そう、それでもこの男には、関係ない。ルフィはスタスタと天竜人に近付く。その瞳には輝かしくも内に秘められた感情が見て取れた。許せない、ただその一言が。

「お前もムカツクえ〜〜〜!!!」

発砲音と共に聞こえたのは、鈍くそして力強く、天竜人を殴りつける音だった。

何かが救われたような気がしたナマエの頬には、一筋の涙が伝っていた。