ヘリオドール



静まる会場に誰もが息を飲んだ。この世界の掟を意図も簡単に破ってしまう、いやそれは違う。ただならぬ想いで彼は拳をぶつけたのだ。その意思の強い瞳には突き動かされるものがあった。ナマエは頬から出た涙を拭うと、その逞しい背中を瞳に焼き付けた。

「悪ぃお前ら・・・コイツ殴ったら海軍の'大将'が軍艦引っぱって来んだって・・・・・・」

指をパキパキと鳴らすその姿には微塵も悪いとは感じていないように見えた。だが、大将が出てくるとなれば仲間にも危害が及ぶのは確かであるので、それを危惧しての発言だろうか。それでも一味の中に異論を唱えるものは誰一人としていなかった。
寧ろ戦闘心が剥き出しの者や、腹を括っている者、次の算段を思案している者。通常の海賊であれば異常なまでのその冷静さにゾクリとしたものが走った気がした。

「チャルロス兄さま〜!!!お父上様にも殴られた事などないのに〜〜!!!」

その甲高い声に会場は一気に騒ぎを取り戻した。天竜人を怒らせた、その事実は周りにいた人間を臆病にするのは充分だった。途端に出入り口は人で溢れ返り、戦闘が会場内で勃発する。

「貴様らあくまでも我々に歯向かうと言うんだな!!?」

「ケイミーは売り物じゃねェ!!!」

「'海軍大将'と'軍艦'を呼べ!!!目にものを見せてやれ!!!」

その大きな声にハッと我を取り戻したナマエは、高揚する自分の心臓を落ち着かせケイミーの水槽に近寄る。

三十六煩悩鳳さんじゅうろくポンドほう!!!」

「ふせろ!!」と共にその鋭く、力強い攻撃にケイミーを閉じ込めていた大きな水槽は、斜めに斬られていた。水槽を斬るなんて頭が可笑しいんじゃないかと思ったが、彼の実力の賜物であり、さすがと言うべきか。


「ケイミーさん、」

「え!!?ナマエちんも来てくれたの!?」

「ハチさんを助ける、その手伝いをすると、言ったじゃありませんか」

ケイミーはその発言に首を傾げたが、記憶に新しいマクロ一味の一件を思い出した。それはもう事が済んでいる一件であって、ましてや麦わらの一味ではないらしいこの人がわざわざ、一味から隠れるようにしてこそこそと、ここにいるということは自分の為に来てくれたのかもしれない。
ケイミーの目には涙がうっすらと滲んでいた。何とまぁ不器用な人なのだろう。それでも嬉しい事実に輝かしい笑顔をナマエに向けた。

「Steal」

ケイミーの首輪に触れた。







騒がしい音に目を向けると、ウソップやロビン、ブルックが遅れて到着していた。天井から突き破ってきたそれは運悪くもロズワード聖に直撃した。誰を下敷きにしてしまったかを理解していないウソップは呑気に「げっ!!ごめんおっさん」と天竜人をおっさん呼ばわりである。ある意味一番罪深い男かもしれない。


「ルフィ、ケイミーは!?」

「あそこだ!!首についた爆弾外したらすぐ逃げるぞ、軍艦と大将が来るんだ」

「・・・っ、ナマエは、どうするんだよ」

そう、このシャボンディ諸島に入る時にいつの間にか船から消えていたナマエ。気配もなく消えたその人に一味には妙な空気が流れた。船の至る所を探したがいなかった。幸い、ナマエは有名な賞金首であった為、島の中にいるという噂は飛び交っており観光ついでに会えるだろうと考えていた。
だがこんなことに巻き込まれてしまえば、一味もこの島にずっと居るわけにはいかない。ルフィはぐっと押し黙った。何故こんなにもナマエのことが気になるのか、それはやはりナマエに仲間になってほしいからか。いつも胡散臭い笑顔を浮かべてはいるが、たまに見せたふっと気の抜けたような顔に、一味の心を奪ってみせた。それはもう華麗な泥棒のように。

「おい、麦わら屋、ナマエの'今の'船長なんだろ?」

低いながらにもその妖艶さ漂う声音にルフィは顔を向けた。誰だこいつと思うも、今正しく考えていた人物の名前がこいつから出たではないか。ぐぐっと眉間に皺を寄せると、ローも同じように顔を歪めた。

「ナマエのこと、知ってんのか?」

「あぁ。ナマエは今、この建物の中にいる」

案外近い場所にいたナマエの居場所にルフィは胸を高鳴らせた。居場所を教えてくれるなんて案外良い奴なのかもしれない!と思ったのもつかの間、ローはさらに続けた。

「ナマエの心の傷は深い・・・お前にそれを癒せるのか?」

「・・・癒すもなにも、おれは、ナマエと一緒にいたい。それだけだ」

当然のように放たれたその言葉にローは目を見開いた。随分と捻くれた自分の思考回路とは相容れないそれに、ぐっと拳を握った。先程、忙しない邂逅を果たした時に見た、ナマエの目には、密かに焦がれているものが見えた。

『そうか・・・なぁ、おれと来ないか?』

『ごめん、今は一人がいい』

麦わら屋のところにいると言っていた時に寂しげに揺れた瞳が全てを物語っていた。ああ、ナマエは麦わら達に恋に似た熱情を持っているのだと。だがそれを押し殺して、'おれとの目的'を果たそうと、自分の目的を果たそうと生きているナマエに、おれが一番あいつを縛り付けているのかもしれないと感じてしまった。
少しでも素直になれたらのなら、少しでもナマエに会いに行けてたのなら、今の関係はもっといいもので、手から落ちることもなかったのに。昔からこんな性格の自分に初めて不満が募った。

「・・・そうか。ならいい」

「ってか何だお前・・・何だそのクマ」

今はこいつらに預けるとしよう。ローはふぅと溜め息をつくも、その表情を途端にハートの海賊団、船長'トラファルガー・ロー'の顔にしたのだ。
まだ時期じゃない、同じものを目指しているのであれば必ず巡る時がやってくる。その時まではおれはあいつを口約束でしかないそれで、縛り付けておく。何故ならそれは――猛獣のような瞳が爛と輝いた。

まずはこの建物の周りにいる海軍をどう蹴散らせばいいのか、算段を立てる。そうだ、とりあえずこいつらを利用でもしてやろうか。

「因みに・・・海軍ならオークションが始まる前からずっとこの会場を取り囲んでいる」


――戦闘開始だ。