「安心してよ。常日頃監視をするわけじゃない」
そこまで俺も暇じゃないからね、なんて自分で勝手に決めておいて、仕方なくと言った風。
私は頼んでないのに……
「ほら、帰るよ」
「いや、私まだ仕事が、」
帰らないと意思表示すれば、納得のいかない顔をして無理やり腕を引かれる。
「店のことなら、楽器弾いてたアンタの友達に言っといたから、安心しなよ」
なまえは帰るってね、と初耳な情報で開いた口が塞がらない。
勝手にそんな約束した彼にも、安易に承諾した雅にも、それに気がつかなかった自分にも呆れてしまった。
「ダメです! 私、戻ります! 」
引かれた手を真逆の方向に力を入れれば、無駄とばかりに体ごと持っていかれる。
往生際が悪いなぁとため息をつかれ、このやり取りが面倒になったのか、気づけばいとも簡単に小脇に抱えられた。
お腹に彼の腕が回り、くすぐったい感覚に身じろぎはしたものの、次に襲ったのは恐怖心。
「お、下ろしてください! 」
「今? 」
「違います! 地面に、地上に! 」
視界から馴染み深い、砂の地面が遠ざかり、瓦ばかりの景色になる。
道ゆく誰かが気付いてはくれないかと期待したが、意外にも人は上を見上げないものだと虚しくなる。
「今日は俺の言うこと聞いた方がいいよ。なまえ」
ジタバタしない私をみて観念したと思ったのか、念を押すように言われる。
人間とは思えない脚力で建物を軽々と飛び越え、見慣れた二階建てのアパートが近づく。
大通りではなく、裏道に面している為、街灯があまりなく薄暗い。
干しっぱなしの自分の洗濯物が見える。
ココだろ、と小さな子供を扱うようにそっとベランダに降ろされる。
彼は器用に手すりの丸みを帯びたところに乗っかり、
「店のところに、変な奴いた」
気づいた? と視線を向けられるが、それに肯定は出来なかった。
「アンタは1人で出歩かない方がいい」
どうやら、私を家まで届ける事が使命だったようで、帰ると言わんばかりに手すりに立ち上がる。
視界に彼の腕が入り込み、大事なことを思い出した。
「少し、待ってて下さい」
部屋に慌てて入り、あるモノを手にして、またベランダに戻る。
差し出した真新しい包帯をみれば、彼はキョトンとして、渡される理由が分からないという顔をした。
「この前の、血だらけにしちゃったので……」
「わざわざ買ったの? 」
まじまじと、整った顔を近づけられてつい後ずさる。
「……もう会わないかもしれない奴の為に買うなんて、なまえは律儀だね」
懐に包帯が滑り込むのを見届ければ、自分の行いを肯定された気がして安堵する。
今度こそ、本当に帰るらしい。
「鍵、かけ忘れるなよ。
あと、大通りに面してないからって安心してるとレース、盗まれるよ」
レース? 言葉の意味を処理していれば、羽根がついてるみたいに軽やかに彼は落ちていく。
「えっ! 」
ベランダの手すりに身を乗り出したが、私の心配をよそに彼は、器用に建物を飛び越えて、夜の街へ消えた。
「名前、また聞きそびれちゃった……」
視界の端で白いものが風で揺れる。
気になって見てみれば、彼の言葉の意味を理解した。
「み、みられた! 」
もう絶対、洗濯物はベランダに干さないと固く誓った。