第32話 夜の獣

私の今の状況は最悪だった。


馬乗りされて身動きがとれない。私の腕力じゃこの人に勝てない。


「優しくするさ……」


耳元で囁かれ、ゾワッと悪寒がはしる。声も出ない。


このまま、2年前みたいに私はまた動けないの?
あの時は、運良く月詠さんに助けられたけど、今度こそダメかもしれない。


兄のように慕ってたあの人の顔が、目の前の男とカチリと重なる。記憶が鮮やかになり、呼吸が上手くできない。
グラグラする視界の中で襖に手を伸ばすが、それは空振りするだけ。


「は、なし…て……」


女将さんや月詠さんにまた迷惑かけてしまう。大丈夫なんて言ったけど、こんな簡単に捕まるなんて、情けない。





情けなくて



怖くて



震える




誰も来ない




声も届かない





嫌だ





嫌だ……!








いよいよ、男の手が体をまさぐり始めた時だった。







「か、むい…さん…っ」






薄れる意識の中でどうして、あなたを思い出す。
名前を呼んだって、意味なんてないのに。







______








「触らないでくれる? 」




耳を塞ぎたくなるほどの衝撃音。
目の前には中と外を隔てていた障子が、無惨な姿で転がっていた。
紙は破れ、囲っていた木材もズタボロ。


一瞬にして戦場と化した部屋。月明かりを背にして、遠慮なしにズカズカと足を踏み入れた人物。



「その汚い腕、俺が貰ってやるよ…!」
「か、」



突然の事で、呆気にとられている男を一瞬にして蹴り上げる。
口を塞いでいた腕がなくなり、お腹の圧迫感も消えた。悲鳴と衝撃音と共に男は壁にめり込み、白目を剥いて、動かなくなった。


なんとか起き上がり、呼吸を整える。
神威さんは私の目の前を、木屑を踏み荒らしながら通り過ぎていく。目も合わない。


もう気絶している男にめがけて、包帯の巻かれた拳を思い切り振り上げた。




「神威さん‼ 」



彼は獲物を捕らえた、獣のような瞳をしていた。

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