
29. 夜の獣
私の今の状況は最悪だった。
馬乗りされて身動きがとれない。私の腕力じゃこの人に勝てない。
「優しくするさ……」
耳元で囁かれ、ゾワッと悪寒がはしる。声も出ない。
このまま、2年前みたいに私はまた動けないの?
あの時は、運良く月詠さんに助けられたけど、今度こそダメかもしれない。
兄のように慕ってたあの人の顔が、目の前の男とカチリと重なる。記憶が鮮やかになり、呼吸が上手くできない。
グラグラする視界の中で襖に手を伸ばすが、それは空振りするだけ。
「は、なし…て……」
女将さんや月詠さんにまた迷惑かけてしまう。大丈夫なんて言ったけど、こんな簡単に捕まるなんて、情けない。
情けなくて
怖くて
震える
誰も来ない
声も届かない
嫌だ
嫌だ……!
いよいよ、男の手が体をまさぐり始めた時だった。
「か、むい…さん…っ」
薄れる意識の中でどうして、あなたを思い出す。
名前を呼んだって、意味なんてないのに。
______
「触らないでくれる? 」
耳を塞ぎたくなるほどの衝撃音。
目の前には中と外を隔てていた障子が、無惨な姿で転がっていた。紙は破れ、囲っていた木材もズタボロ。
一瞬にして戦場と化した部屋。月明かりを背にして、遠慮なしにズカズカと足を踏み入れた人物。
「その汚い腕、俺が貰ってやるよ…!」
「か、」
突然の事で、呆気にとられている男を一瞬にして蹴り上げる。口を塞いでいた腕がなくなり、お腹の圧迫感も消えた。悲鳴と衝撃音と共に男はそのまま壁にめり込み、白目を剥いて、動かなくなった。
なんとか起き上がり、呼吸を整える。神威さんは私の目の前を、木屑を踏み荒らしながら通り過ぎていく。目も合わない。
もう気絶している男にめがけて、包帯の巻かれた拳を思い切り振り上げた。
「神威さん‼ 」
彼は獲物を捕らえた、獣のような瞳をしていた。