
32. 誰のせい
あの日の神威さんの表情が、頭から離れない。
ひのやの店先をお客さんが入りやすいように、ほうきで綺麗にしていれば、遠くから声が聞こえた。
「なまえー」
「あ、神楽ちゃん」
傘をさした神楽ちゃんが手を振りながら、こちらに向かってくる。その後ろを歩いてくるのは、銀時さんと新八くんだ。私は手を止めて声をかける。
「皆さん、この前はありがとうございました」
「なまえ、もう外でていいアルか? 」
「うん。いつまでもお店休んでる訳にもいかないしね」
さくら屋の騒動から数日。気を遣ってくれた女将さんや日輪さんから休みをもらっていた。
傷が癒えたわけではない。けど、いつまでも籠っていてはあの時と一緒だ。
それに、外に出れば神威さんに会える気がした。
「あら、銀さんたちじゃないか。席空いてるよ。なまえ、お茶頼むね」
銀時さんたちを席に案内し、言われた通りに日輪さんへお茶を持っていく。店先で日輪さんと商人らしきお客さんが談笑していた。給仕するタイミングを逃し、足を止める。
「そういえば、さくら屋は大丈夫なのか? この前も客に怪我させた女がいるらしいじゃないか」
その会話にドキリと心臓がはねる。間違いなく私のことだった。
「でも、それは嫌がる女を、無理やりつけまわした男が悪いと私は思うけどねぇ」
日輪さんはそう言ってくれるけど、商人は納得のいかない顔をして続けた。
「ここんトコ、悪い噂が立ってるんだよ、あそこは。
ぼったくりの店だとか、裏社会に通じる奴が働いてるとか、過去には一夜限りを良いことに、客の財布から金を盗るとんでもねェ遊女がいるとか…」
違う、そんなのデタラメなことばかり。女将さんも姉様たちも、他の従業員だって、そんな事する人たちじゃない。
「なんだいその噂は。嘘ばっかりじゃないか」
「この前の事件があった時から噂されてるよ。これでも俺は情報屋なんだ」
さくら屋の評判が落ちている。あの店がどれだけ女将さんにとって大事なのか、私は知っていた。なのに、その店が傷つけられている。誰のせいでもなく、
「私の、せい」
「おい、オヤジ。鼻からお茶淹れてやろうか? 」
閉じていた目を見開けば、後ろから銀時さんの蹴りが入り、けたたましい音を立てる。
突然のことに驚いた商人は、お尻を押さえて、一目散に逃げ出した。呆気にとられてる私をよそに、銀時さんはいつもの眠そうな顔のまま。
「すまねェ日輪。あんたの客に」
「良いんだよ。あんな客、こっちから願い下げさ」
日輪さんから微笑みを返されるが、今はどんな顔をして良いのか分からなかった。
「なまえは何も気にすんな」
そんな事ない。気にするなと言われても、さっきの商人の話が蘇る。お客に怪我をさせた、というのは本当だ。
俯いていれば、大きな銀時さんの手が頭に伸びてくる。しかし。それはいつものように触れる直前で、何かを思い出したように、不自然に止まった。ぎこちなく腕が元の場所に戻る。
きっと、いつもみたいに頭を撫でる直前で思い出したんだ。私が男に襲われそうになったのを。だから触れるのをやめた。私が怖がると思って。
銀時さんにも気を遣わせて、私は何してるんだろう。
♢
「では、お先に上がりますね」
部屋で売上の計算など仕事をしている女将さんへ声をかけた。腕を止めて私の方を振り返り、微笑む。
「なまえ、お疲れ様。今日もありがとうね。……無理だけはするんじゃないよ」
念を押すように言われて、曖昧に笑う。昼間、ひのやであったことが思い出され、唇を噛んだ。女将さんは知っているのだろうか。今、さくら屋が噂されてることに。
その原因が私だということに。
聞くのが怖かった。女将さんに拒絶されるのが、さくら屋から追い出されるのが怖かった。
そのまま、何も言えず、深く頭を下げて部屋を出た。外に出れば、ひんやりとした空気が肌に当たる。
「あ、鍵……」
休憩室の鍵を持ってきてしまった。戻さなければいけないと思い、再び裏口から中へ戻る。
女将さんの部屋の隙間からわずかに灯りがもれている。ノックしようとしたその時だった。
「その噂なら知ってるよ」
指が動かない。部屋の中に女将さんの他に誰かいるよう。それは、さくら屋でも遊女の歴の長い姉様だった。
「それはあの子のせいじゃないさ」
「私も分かってます。あの子はむしろ被害者だわ。
でも女たちの中にはそう思わない子もいるし……
それにその噂の影響で売り上げも落ちてるんでしょう? 」
女将さんの肯定するようなため息が聞こえる。売上が伸びず、潰れた店をいくつも私は見てきた。
まさか、さくら屋も……と最悪の想像をしてしまう。
「なまえは雅の為に、座敷に上がったんだ。そんな事知ったら、あの子が傷つく」
私を庇うような女将さんの言葉に胸が痛む。
それ以上聞いていられず、鍵を女将さんの部屋の前にそっと置き、さくら屋を後にした。
♢
とぼとぼ裏通りを歩き、家に向かう。大通りはまだ夜の賑わいを感じさせる声や音がするが、それは耳に入らなかった。
「浮かない顔して何してんだ。嬢ちゃん」
声をかけられ、顔を上げるが姿は見えない。街灯も少ない為、目を凝らして辺りを見渡せば、突然目の前に黒い壁が現れた。
「阿伏兎さん……」
「よォ、ちゃんと覚えられてるとは光栄だねェ」
悪人顔の彼の名を呼べば、愉快そうに笑うのだった。
どうして彼がここにいるんだろう。なぜ私に声をかけたんだろう。
「こんな時間に女を夜道に歩かせるってのは、吉原の常識なのかァ? 」
「もう慣れてますから」
そうかい、と呟いて私の隣を歩き始めたので、つられて私も置いてかれないように早足になる。
「団長じゃなくて、悪いなァ」
長い沈黙を破り、阿伏兎さんがさほど悪びれた様子もなく謝る。
団長…そうだ、この人は神威さんの知り合いだ。
「あ、あの! 神威さん、怪我は大丈夫ですか…? 全然、顔を見なくて、それで」
私が必死になって訴えれば、阿伏兎さんの目が丸くなる。そして、堪えきれないというようにククッと喉を鳴らした。どこに笑い所が…?
「まさか、団長のことをそんなに心配する奴がいるとはなァ」
「お、おかしいですか? 」
「いや、逆だなと思ったんだよ。あの時とな」
あの時……?
「覚えてないのも、無理ねェか。嬢ちゃんも団長も豆つぶくれェのガキだったもんなァ」
その言い方はまるで……
続きを聞こうと彼を見つめるが、話を逸らすように着いたぞ、と足を止める。つられて上を見上げれば私のアパート。
送ってくれたんだ、と気づいたのは阿伏兎さんが来た道を戻っていくからだ。
「あの、阿伏兎さん! 」
「団長は、無事だよ。嬢ちゃん」
心配するな、と笑みを浮かべて、彼は片手を上げて去っていく。あれ以上、情報を教えてくれる気はないらしい。
神威さんが無事と分かって、少し安心するけど、阿伏兎さんの言った、”あの時” が気がかりだった。
「私は、神威さんに会ったことがあるの? 」