11. 幻じゃない夏の香り



「や、やっぱりやめた方がいいよぉ…」
「はぁ?二組のヤツらにバカにされて、悔しいじゃんか。見返してやるんだよ」



 俺は旧校舎に一人でも行くからな!
 近くに行けばそんな会話が聞こえてくる。
先に門を超えてきた少年は、腰に手を当てて、校舎を真正面から受け止めた。今が夜だということも忘れ、叫び散らかす勢い。

 もう一人は少女だった。今にも泣き出しそうな顔をしている。勝気な少年の言葉に、反論したくても出来ず、もどかしげに拳を握りしめていた。
 二人とも十歳くらいだろうか。


 ズカズカと少女を置いて少年は歩き出す。まるで、はなから一人で行くつもりだったと言いたげに。その背後を、慌てた素振りで少女が追いかけた。



「てか、なんでお前着いてきたんだよ」
「だってあそこは…きゃ!」


 
 自分たち以外の誰かがいると思わなかったのだろう。少女が、横から近づいた私の存在に気づき、この世の終わりみたいな顔をして、素早く勝気な少年の背後に隠れる。



「な、なんだよ!」



 少年もすぐ私に気づいて威嚇の姿勢を取りながら、少女を守るように立ち塞がる。しかし、顔は恐怖と怯えで引きつっていた。その証拠に私が一歩進むごとに、彼らは一歩下がる。まさに一進一退。


 二人に不審者扱いされていると分かりつつ、私は彼らと同じ目線になるように、膝を折った。まずはこの警戒心を解かなければならない。
 今にも叫びそうな二人に、シッっと指を口に当て、声を出さないでと仕草で伝えた。



「あ、怪しい者じゃないの。二人ともこの学校の児童…だよね?ここは危ない。今すぐ家に帰ってほしいの」



 お願いだから。
 あまりの私の真剣な声と内容に、二人の顔は不審者対面の怯えから解放されていく。代わりに困惑していた。それもそうだ。
 見知らぬ相手が夜に自分たちの通う学校にいて、危ないから帰れ、なんて素直に受け入れるのも難しい。


 しかし、説明したところで、分かってもらえるかどうか。そもそも時間がない。こうしてる間に、アイツが来てしまうかも。
 今なら、まだ二人を逃がせる。それに、この子達が学校に入ってしまったのは、私のせいだ。私が門をちゃんと閉めておけば、侵入することもなかったのに。




「お願い」




 もう一度、祈る気持ちで二人に訴えれば、少年は観念したらしい。わ、分かったよ…と納得はしてないが、承諾してくれた。
 少女は初めから学校に入ることに反対していたため、むしろ少年が諦めてくれたことに、ホッとした笑顔を見せた。



「お、お姉ちゃんはどうするの」



 危ないんでしょ…?
 少年の背後から少しだけ顔を覗かせる少女が、恐るおそる聞いてくる。大きな瞳は純粋に私の身を案じて揺れていた。




「だ、大丈夫。その…心配しないで」
「でも古い校舎には、」




 そこで少女の言葉が中途半端に止まった。大きな瞳がさらに見開かれ、少年の肩を掴む手に力が加わる。服に無造作にシワが作られ、少年は訝しげに少女を見る。
 その恐怖を詰め込んだ視線は、しゃがむ私の背後に注がれていた。




「っ!」




 反射的に術式を発動しながら振り返る。あの人型呪霊がもう数メール先にいた。
 背後から少女の小さな悲鳴と少年の、なんだよ? と不審と困惑に満ちた声がする。
 しかし冷静に説明してる暇も思考も、今はない。
 少女は視えているのだろう。あのおぞましいまでの、呪霊が。




「早く!逃げて!」




 少年少女を庇うカタチで手を広げ、二人に精いっぱい叫んだ時、携帯を持っていた手をパンッと何かに弾かれた。拍子に乾いた音を立てて、私の手からこぼれ落ちる。
 驚いてみると、それは黒紫色の小さな呪霊。おちょくりたいのか、目の前を浮遊していた。



「これ、さっき旧校舎にいた…」



 私が旧校舎の廊下で払いのけた蠅頭だった。その姿は先ほどと違い、黒く染められている。
 数メートル先の人型呪霊を見る。顔全体につけられた大きな目はニタリと笑っていた。そして、一本の真っ黒な手が伸びてくる。
 私ではなく、背後の子どもたちを狙って。




「ダメ!」



 私はもう一度呪霊に向けて術式を発動した。黒い手は弾かれ、一旦は素直に元に戻る。
 すると呪霊の大きな目が、今度は子どもたちではなく、攻撃した張本人を映し出す。標的を変えたのが自分でも分かった。
 私は同時に少女たちとは反対方向、つまり校舎側に走り出す。


 呪霊は徐々に方向を変え、さっきの眠くなるくらいの歩行が嘘のように、ゆらゆらと左右に動きながら、私に向かって猛スピードで走ってきたのである。


 真っ黒な腕が二本、私の方へ伸びてくる。柔らかいホースのように、自由自在に動き回り、私を捕らえようとしてきた。
 術式を発動して避けるが、長くは持ちそうにない。
 私はそこである違和感をもった。



(なんか、大きくなってる…?)



 最初に旧校舎で見た時より、ふたまわりほどの大きくなっている。
 どうして急に肉付きがよくなったのか、と考え、先ほどの蠅頭を思い出した。そして一つの仮説に辿り着く。




「ゴ…ア……イ? 」




 耳を塞ぎたくなる呪霊の不快な話し声。同時に伸びてきた右手が、勢いよく私の足元を狙い地面にめり込んだ。
 飛んで避けた良いものの、別方向から伸びてきた黒い左手に、勢いよくドンっ!と弾き飛ばされた。




「いたっ!」




 あぁ、この光景に見覚えがある。五条くんに体術訓練で吹っ飛ばされた時と同じだ。


 バフっとちょうど砂が山積みになっているところに体が落ちる。おそらく子どもたちが遊ぶ砂場だろう。
 襟や袖、口にも砂が入り、ジャリと不快な感触があるが、上手く転がることができた。こればかりは、五条くんと組み手をしてた甲斐があったというもの。



 ちらりと校門へ視線を送れば、子どもたちの姿はない。おそらく家に帰ったのだろう。
 そんな小さな安堵も束の間で、呪霊は容赦なく私を攻撃しようと近づいてくる。
 すぐさま起き上がり、花壇や障害物になりそうな所を必死に走った。時折、私も術式を発動するが全く効いてる様子はない。



 携帯が手元にないことが悔やまれる。これではもう助けを呼ぶ手段はない。襲いかかるのは私より、はるかに等級の高い呪霊。
 アイツはおそらく、他の低級呪霊を取り込んで、体を大きくしている。
 学校は呪いの巣窟だ。このままでは、あの呪霊は肥えていくばかり。どこまで大きくなる?すでに私の手に負えないのに、あれ以上、大きくなられたら…



 ダメだダメ、とわざと大袈裟に頭を振り、悪い想像を打ち消す。余計なことは考えない。まずは携帯を取り戻さないと。  
 そう決意をし、校門へ向かって走り出したその時だ。
 



「なに…?!」




 走っている私の足に何かがまとわりつく。そのおかげで盛大に転んでしまった。
 何事かと足元を覗き込めば、真っ黒な手が地面から生えており、足首を力いっぱい引っ張られる。恐怖で短く悲鳴を上げた。
 



「離してっ」




 呪霊の腕を無我夢中で蹴り、声を荒げた瞬間だった。真横から手が伸びてきて、私は首を掴まれる。



「くっ…」



 あの呪霊の手、どこまで伸びるの?
 そのまま徐々に体が浮いて、足が地面から離れるのが分かった。
 雑巾を掴むみたいに、首を絞められる。苦しい。
 その隙にあの呪霊と距離が縮まるのが視界の端で分かる。
 

 これは本当にまずい、と頭より先に本能的に体が動き、術式を出そうとしたその時だ。つぅーと片方の鼻から何かが垂れてきた




「うそ……」




 鼻血が出ていた。これは私の呪力が底をつき始めている証拠。血は唇伝って口内に侵入し、鉄のイヤな味が一気に広がった。



 あぁそっか…先輩との任務で使って、さらにこの呪霊に連発してたから、早々に切れそうなんだ。なんてざま。



 弱々しくなる私を理解したのか、既に目の前に来ていた人型呪霊の黒い手の力がさらに強まった。まるで、新しい玩具おもちゃを与えられた子どものように。
 大きな一つの目がニタリと形を変え、嬉しそうな感情を剥き出しにされた。




「コ……ワ…イ?」




 呪霊のモザイクがかった声がした。揶揄っている。嘲笑っている。圧倒的な力の差があるこの場面で、勝ち目のない私を。



 怖い?怖くないと言ったら嘘になる。でも肯定してしまうということは、この場を諦めるようで、その方が私には怖かった。




「怖く……ないっ」




 呪霊の力がさらに強まる。無駄な抵抗はやめろと言われてるようだ。息が出来なくなる。目の前がボヤける。許されるだけ酸素を取り入れようとするが、もう虫の息。
 絶望に苛まれたその瞬間、なぜだか夏油くんの顔が思い浮かんだ。
 




「げ、とう…くん」





 呟いた好きな人の名前。
 会うといつも微笑んでくれて、任務で失敗するとその度に慰めてくれた彼。
 私の面白くもない話を、最後までうんうんと聞いてくれて、私の名前を優しく呼んでくれる私の好きな人。
 その夏油くんに、もう会えない?





「いやだ…」





 ダメだ。諦めたくない。だって私、夏油くんに何も伝えてない。 
 私は手探りで、腰にある呪具の短刀を握りしめた。





 次の瞬間、バシュと目の前に何かが通り過ぎる。





 同時に私の首を締めていた腕が千切れ、紫色の液体が顔に飛び散った。浮いていた体がドサリと地面に落ちる。





「はぁ、はぁっ」





 懸命に酸素を喉に入れた。危なかった、本当に。
 薄目を開ければ、イカの呪霊が飛んでいた。その視界に、こちらに向かって一目散に走って来る人物がいる。誰か近づいてくる、と思っている間に、大きな腕に抱きかかえられた。





「なまえ!!」




 
 そこには、好きな人がいた。






「夏油くん…?」





 弱々しく確かめるように呟く。どうして、彼がここに?
 聞きたいことは沢山あるのに、朦朧として上手く言葉に出来ない。
 夏油くんはおでこに汗をかき、見たことないほどの不安と焦りが入り混じった表情をしていた。
 しかし、すぐさま鋭く目に視線を動かし、恨めしそうにポツリと呟く。
 



「あれか…」




 心底不快だと全身から滲み出ていた。私を抱き止める腕に力が入る。そのあたたかさに戦場でありながら、安心してしまう。


 夏油くんは右手を前に出した。そのまま空を切るようにスッと横に動かす。
 するとまるで、その部分がガラスだったみたいに空がピシッと割れる。そこから、夏油くんが操る巨大な呪霊が現れた。


 芋虫のような呪霊は重力に逆らうことなく、真っ逆さまに落ちていく。
 そしてそのまま、大きな口を開けて、あの人型呪霊を飲み込んだ。


 夏油くんの呪霊がそのまま地面に落ちた衝撃で、砂埃が舞う。それから庇うように夏油くんに引き寄せられた。
 彼の匂いが鼻をかすめたので、あぁ、私生きてるんだと改めて実感する。
 夜の学校は、もとの静けさを取り戻していた。











「なまえ…」


 ぶつかったり、転んだり、攻撃されて出来た私の傷を、痛々しそうな表情を浮かべ、心配そうに覗き込む夏油くん。
 そう。いつも怪我してる本人より、彼の方が悲しそうな顔をするのだ。




「全身、痛いや…」




 なんて、へらりと笑うが夏油くんは笑ってくれない。むしろ、さらに心配させてしまったようで、急いで高専に帰って硝子に診せよう、と空飛ぶあのピンクの呪霊を召喚した。



「どうして、ここに?」



 やっとの思いで口にする。夏油くんはそんなことかと困ったように笑い、私の顔にかかった髪をそっと横に流した。



「子どもたちから聞いたんだ」
「子どもって…」



 まさかと思い、校門に目を凝らす。そこには怯えながらこちらを、伺う二人の姿があった。




「君から電話がきたのに、最初何も反応がなくて。何度も名前を呼んでたら、『なまえって黒い制服着たお姉ちゃんのこと?』って子どもの声が聞こえたんだ」


「電話って、あの時の」




 あの蠅頭に弾き飛ばされた時、どうやら運よく通話のボタンを押していたらしい。



「そしたら、君が化け物と戦ってるって言うから、場所を聞いて、ここまですっ飛んできたんだ」



 文字通り、飛んでね?なんて上手いこと言うもんだから、笑ってしまう。空飛ぶピンクの呪霊も誇らしげに私たちの周りを一周した。
 あの少女が夏油くんに伝えてくれたんだ。きっと彼女は私たちと同じ視える側。



 夏油くんの白い大きめのTシャツをギュッと握る。それには砂や、あろうことか私の血までついてしまっていた。せっかくの服が台無しになり申し訳ない気持ちが広がる。


 それに、私鼻血出してるんだった。呪力も底をつき、体力もほぼゼロ。全身擦り傷だらけで、制服には呪霊の血がついてるし、誰が見てもボロボロの格好。
 そんな中、好きな人の前にいるなんて恥ずかしい。
 しかし、夏油くんはなにも気にする様子もなく、私を抱きかかえてくれていた。
 



「夏油くん」




 かすれた声で呼べば、ん?と私の口元に耳を寄せてくる。普段とは違い、下ろされてる彼の髪の毛がパサリと顔にかかってくすぐったい。




「きてくれて、ありがとう…」




 最後の力を振り絞り、お礼を告げれば夏油くんが何かを言いかける。
 その言葉を最後まで聞くことのないまま、私は意識を手放した。