12. 真夜中、私の名を呼んだのは



「お?起きた」



 むにっと頬がヘコむ。私の頬は今、同級生の長い指の圧により、形が変わっていることだろう。
 ツンツンと弄ぶようにいじる人物の名前を、やめて…と訴える意味で弱々しく呼んだ。





「五条くん……」





 指が離れ、その手が今度はグイッと私の頬を軽くつねった。普通に痛い。
「いはぃ…」と消えかけの声で訴えれば、不満げではあったが、やっと私の頬を解放してくれた。
 五条くんは苛立つ素振りで自身の白髪をガシガシと掻く。その様子を私は、薄らぼんやりと眺めていた。



 どうやらここは、高専の医務室。私は一番端のベットに寝かされているらしい。五条くんの背後に大きな窓が見える。
 そこから見える空は澄んだ青色。夏の色をしていた。




「お前、俺がいない時に死にかけるんじゃねぇよ」




 焦ったわ、マジで。と五条くんは深くため息をついている。
 死にかける……そんな大層な出来事、私にあったっけ?なんて困惑するほど、私の頭はまだ覚醒してないらしい。





「昨日、なまえから着信あったから折り返したのに出ねぇし。
硝子に電話したら、丁度、ボロボロのお前が高専に運ばれてきたって焦ってるし。

そしたら、まさかの三級のお前が、一級案件の呪霊と戦ったなんて言うしよ」




 昨日…そうだ。任務に行った学校の旧校舎で、私はあの呪霊と対面したのだ。というか、やっぱり一級案件の呪霊だったんだと妙に納得をした。
 徐々に思い出される昨夜の記憶。私はあの時、五条くんに電話をしたんだ。
 彼の態度に、よほど心配をかけてしまったんだと申し訳なくなる。





「本当に、私も終わった…って思ったよ」





 ははっ、なんて助かったから言える軽口に、五条くんはちっとも笑ってくれなかった。
 三級術師と一級呪霊なんて、どう考えても相性が悪すぎる。私が今こうして五条くんと話せているのが不思議なくらいだ。現実味がなくてなんだか、昨日の出来事がもう遠い昔に思える。




「でも、不幸中の幸いだったな」
「え?」
「お前が会った呪霊、まだ覚醒しきってなかったんだと」




 どういう意味?と困惑していれば、五条くんの指先が私の額をトンッと叩く。




「寝起きの子どもってことだよ」




 今のお前みたいにな、とゲラゲラと笑っている。
 そっか、未完成の一級呪霊だったんだ。でも、覚醒しきったらもっと危なかったのでは…
 もしかしたら、夏油くんが来る前に決着がついていたかもしれない。
 未完成であるにも関わらず、あそこまで苦戦を強いられるとは、私はなんて弱いのだろう。




「私って、まだまだだね」
「あ?生きてるんだから勝ちみてーなもんだろ」




 心底、意味わからん。とその澄んだ宝石が見てくるものだから、「そうだよね」と素直に答えた。励ましてるつもりはないのだろう。でも時々、五条くんの真っ直ぐな瞳に救われることがある。




 医務室のベッドを区切る白いカーテンが一気に引かれ、視線を向ければそこには硝子ちゃんがいた。
 私の姿を確認して、安心したように笑みを浮かべる。ゆっくりと私が身体を起こせば、労わるように硝子ちゃんが背中を支えてくれた。




「身体どう?」
「大丈夫。硝子ちゃん、ありがとう。治療してくれて」




 お礼を告げれば、言葉の代わりに彼女の優しい手のひらがポンポンと頭を撫でる。





「五条くんもありがとう」




 私たちのやり取りを黙って見ていた五条くんにもお礼を告げる。
 俺は何もしてねぇ、と言わんばかりの顔をしていたが、あの場にいなくても私は五条くんに助けられた。




「体術訓練で鍛えられた受け身、ちゃんと実践出来たよ」




 嫌味ではない事はきっと伝わっているはず。五条くんが容赦なく何度も吹っ飛ばしてくれたおかげで、あの呪霊に攻撃されても上手く体勢を立て直せた。こればかりは、彼のおかげだ。





「電話に出なかったのを責めてくるかと思ったら、お礼かよ」

「なまえは五条と違って優しいから」





 へーへー、と硝子ちゃんの軽口に適当に返事をする五条くん。いつも通りのやり取りに顔が綻べば、五条くんと硝子ちゃんが顔を見合わせてフッと笑った。
 いつもの日常がそこにはある。
 けど、その"いつもの" にもう一人、大切な人がいない。




「ねぇ、夏油くんは…?」




 おそるおそる尋ねる。二人は顔を見合わせ答えてくれたのは五条くんだった。




「傑は任務」




 それなら、ここにいないのも仕方がない。少しだけ寂しさが心に募るが、それを誤魔化す為に、「そっか」とへらりと笑った。


 五条くんがおもむろに、自分の携帯電話を取り出す。どうやら私が目を覚ましたことを、夏油くんにメールで伝えてくれるらしい。
 寝起きの写真でも送っとく?アイツすっ飛んで帰ってくるんじゃね? と五条くんに携帯で撮られそうになったのを、シーツを被って全力で拒否した。





「夏油はタイミング悪すぎ。ずっとなまえのそばにいたのに、目覚めた時はいないなんて」
「…ずっと?」
「そうだよ。ここになまえを寝かせてから、朝までずっと」



 硝子ちゃんの "ずっと" に彼女なりの意味が込められてる気がした。
 そっか。だから、私のベッドの横に椅子があったんだ。誰かが腰かけたような位置に置かれてたから不思議だったので納得した。




「五条が来た時も、いたでしょ?」
「あぁ。しかも、寝ずにな」




 五条くんが横から、またも私が驚く発言をする。
 話を聞くと、どうやら五条くんも任務を終えてそのまま、高専に帰ってきたらしい。
 昨日の時点では本当は泊まりで、帰ってくるのは明日。つまりは今日の午前中だった訳だが、彼は日付が変わる頃に高専に到着したそうだ。
 どうしてそんな、とんぼ帰りみたいなことを。不思議に思って問いかければ、



「あのなぁ…一級呪霊と戦ってボロボロ。おまけに呪力も空っぽの同級生が高専に運ばれてきた、なんて報告うけたら、ホテルのベッドでうかうか寝てられる訳ねーだろ」



 おまけに、俺はそいつから電話かかってきてんだぞ、と心底呆れた顔をされてしまった。
 五条くんが夜中、医務室へ行けば、そこには寝ずに私のベッドの横に腰かけた夏油くんがいたそうだ。




(朝までずっと?)




 どうして夏油くんは、ただの友達の私にそこまでしてくれるんだろう。
 もし、夏油くんにその理由を聞いたら、彼は答えてくれるのだろうか。