
15. 彼女が落としものを拾った日
彼女に最初に抱いた印象は、"大丈夫か?この子" だった。
無下限と六眼の抱き合わせ、反転術式、自分は呪霊操術の使い手。私たちの学年はそれだけ粒揃いだったが為に、彼女の存在は別の意味で目立っていた。
彼女は普通だった。むしろ性格で言えば私たち四人の中で一番控えめで、こう言ってはなんだが、呪術師に向いてないのでは?と勝手に評価すらしていた。
術式も珍しい訳ではない。呪力量も特別多くはない。体術訓練で悟に何度も吹っ飛ばされるのは当たり前。
その度に私は容赦のない相方に、加減を覚えろと口出しをしていた。
当然悟も入学当初から彼女に対して、マヌケ、雑魚。挙げ句の果てには、「呪術師やめろ」などの罵声を浴びせた。心配の意を込めてそんな発言をしていたかもしれない。でも、それは今だから言えること。
呪術界のトップに君臨する五条家当主と一般家庭出身のなまえは、まるでガキ大将にいじめられる子どものようで。
その度に私は、弱い者いじめは良くない、と幼い頃から刷り込まれた庇護の精神によりフォローしていた。
しかし、正直自分も雑魚までは思わないけど、弱いとは少なからず感じていた。
大丈夫か?この子、と。
悟に散々言われ、メンタルも強そうには見えないから、早々に高専を辞めてしまうんじゃないかと硝子に吐露したことがある。
しかし、私の気持ちに反して、彼女とすぐに距離を縮めた硝子は「大丈夫じゃん?」とあっけらかんとして笑っていた。
♢
なまえへの印象が変わったのは、入学してから数ヶ月ほど経った頃。任務に二人で赴いた時。正確には先輩術師と共に三人で任務に就いた時だ。
その時、私はもう既に準一級。一級も間近と言われており、今回はとある廃墟に準二級呪霊が二体、それ以下の低級呪霊が多数という内容だった。
「夏油がいるなら安心だな。祓わなくても、俺たちで弱らせて、取り込んでもらえばいい」
な?と先輩術師に急に同意を求められ、なまえは返事に困っていた。
でも彼女のそんな様子でさえ、先輩術師は気に留めないくらい浮き足立っている。私がいるから、楽に任務を遂行できると思っているのが透けてみえた。
まぁ、この先輩術師より階級がもうすぐ上になる自分が動かないわけにはいかないだろう。
「頑張りますね」
と人当たりの良い笑みを浮かべた。以前、悟に「その貼り付けた笑い、気色悪りぃ」と突っ込まれたことがある。それに対して私は「営業スマイルだよ」と返していた。
「よろしくね。げ、とうくん」
しどろもどろに私の名前を呼ばれ、振り返る。彼女は未だに私や悟に少し緊張してるようだった。きっと男友達というものに慣れないのだろう。
同じ歳なんだから、身構えなくてもいいのに。別にとって食いやしない。
「うん。よろしく、なまえ」
数少ない貴重な同級生と少しでも打ち解けたいと思い、私は硝子となまえのことを早々に名前で呼んだ。
案の定、最初彼女は突然の呼び捨てにかなり戸惑っていた。あの時の慌てようは少し面白かった。
私と悟のことも呼び捨てにする?と冗談めかして聞いたことがある。
すると、硝子はすぐに、今さら変えるのダルいと却下。なまえは、「苗字呼びが慣れたらね…」なんていつになるか分からない上手い言い訳をしてきた。絶対に呼ばないなこの子。
「夏油くん、昼間急に任務入ったんだってね。その、お疲れ様」
「ありがとう。急だったから参ったよ」
恥ずかしげに俯いたなまえに言われ、私は軽口をたたく。彼女は口下手な所があるのに、こうした労いの言葉を懸命に伝えようとしてくれる。
それに感謝を述べるとともに、なまえにはバレないように小さく息を吐いた。
朝に一件。昼に緊急の任務が一件。ラストがこの任務。そのせいか疲労は確実に蓄積していた。人手不足だから仕方ないとはいえ、こっちは学生だぞと心の中で悪態をつく。
しかし、弱音を吐いてもいられない。悟も同じくらい任務をこなしているし、遅れをとりたくない。
それに、今日はなまえもいる。彼女はこの時まだ四級。私がいるとはいえ、呪霊は二級相当。危険な状況になった時、真っ先に守らなければいけないのは四級の彼女だ。
というか、危険を冒してまで彼女をこの任務に当てなきゃいけないのか?上の考えていることはよく分からない。
気を引き締めると同時に、またあの呪霊の味が口の中に広がると思うと、深いため息が出た。
結論、その任務はすんなりとはいかなかった。舌打ちが出そうになるのを必死に堪え、自らの呪霊を操る。
彼女にイラついたわけでない。むしろ、私の想像以上に彼女は頑張っていた。問題は先輩だ。なまえより経験豊富で階級も上なくせに、捌ききれてない。
それに想像以上に低級呪霊の数が多い。自分は二級呪霊の相手をしないといけないから、手助けも遅れてしまう。その上、立て続けの任務で疲労困憊。
(あぁ、もういっそ、巨大な呪霊を出して全て祓ってやろうか)
自分の手数が増えるのと、今の自身の状態を天秤かければ、どちらに傾くのかは一目瞭然だった。
ほどなく、低級呪霊も片付いてきた。
呪霊も弱まっている。あとひと押しすれば取り込める、もしくは祓える所まできた。
仕方ない。この呪霊だけでも取り込もうと右手を気怠げに突き出す。あぁ、またあの味に味覚が支配されるのか。
—取り込まなくても、いいのでは?
そんな甘い考えをすぐに打ち消す。青白い光が呪霊の体を包み、引き寄せられるように、私の手中に集まりかけたその時だ。
「…は? 」
霧吹きの如く呪霊が塵となり、跡形もなく目の前から消えた。
訳がわからず周りを見渡せば、術式を発動したなまえがそこにいた。
♢
ようやく全てが片付き、三人で力尽きていた時だ。想像より長引いた任務のせいか、先輩術師が不満げになまえに突っかかる。
「てか、さっきの祓わなくても良かったんじゃね?夏油、取り込もうとしてたし」
私もそこは疑問に思ったが、なぜそれをお前が彼女に対して不満げに言うのか。
大した成果も出していないくせに、一丁前に口先だけは達者らしい。
責められているなまえをフォローしようとした時、彼女は既にこんなヤツに向かって小さな頭を下げていた。
「す、すみません」
「結構、強そうな呪霊だったよなー」
夏油も残念だろ? なんて同意を求められるが正直、なまえが最後祓ってくれた事には感謝していた。
体の疲労。二人を守りながらの戦い。思うようにうまく扱えない自分の力。
「…いえ、また取り込めばいいですから」
なのに余裕がある顔を見せて、また人の期待に応えようとする自分に、この時ばかりは心底嫌気がさした。
♢
高専に戻り報告書を出したあと、彼女と二人で寮までの道を並んで歩いた。大人一人分ほど空けたその幅は、私たちの心の距離を示しているよう。
「あ、の。夏油くん」
「ん?」
溜めて溜めて、頑張って口に出したような響きだった。そんなに堅くならなくていいのにと思いつつ立ち止まる。
怖がらせないように、威圧感を与えないように。彼女と視線を合わせるため、私は体を折り曲げた。
夜なのに、月明かりと外灯が近くにあるせいか、思ったより彼女の表情がよく見える。
なまえは私と目線を合わせようとせず、緊張した面持ちで小さく呟いた。
「今日、余計なことしてごめんね…」
任務のことかと直ぐに察した。今の今まで気にしてたらしい。きっと先輩術師の言葉を鵜呑みにしたんだろう。
余計なことじゃない。むしろ私にとっては救いだったというのに。
「私は全然気にしてないよ」
本音を彼女に告げる。意識して優しく言ったところで、ふと疑問が蘇ってきた。
顎に手を当て、決まりが悪そうななまえをまじまじと見つめる。
私の視線に気づいているのに、断固として目を合わせようとしない彼女がどこかいじらしく、軽く口が弧を描いた。
「でも、聞いていい?なんであの時、祓ってくれたの?」
純粋に知りたかった。戦いの最中、なまえが何を考えたのか。
自分の手数を奪われたなんて思わない。もう弱っていた呪霊だから、彼女の力で倒せたとしても不思議ではない。
そうじゃなく、どうして彼女は取り込もうとしてた所をわざわざ祓ったのか。
そんなこと聞かれると思わなかったのか、なまえは、え?と私を見た後、口をポカンと開けたまま、瞬きを繰り返す。やっと目が合った。
いつもなら、言葉を補足して彼女が円滑に会話できるようにサポートするのだが、今回ばかりは、彼女自身の言葉で聞きたかった。
なまえは口を控えめにパクパクと動かす。まるで小さな金魚だ。
そんな様子を首を傾げて眺めながら、なまえの言葉を待つ。どれだけ時間がかかろうとも。
「夏油くん、辛そうだったから…」
観念したなまえがようやく答えた。眉毛は困ったように下がり、不安げに揺れる瞳から、なぜか目が離せない。
辛そう?私が? どうして?…気づかれないようにしていたのに。
彼女に見透かされ動揺した私は、それを誤魔化す為に慌てて言葉を紡いだ。
「私は強いから、心配しなくて大丈夫だよ」
心の片隅で、彼女は弱いからという先入観があったせいか、どこか突き離す物言いになってしまう。
余計な心配するな、と捉えられても仕方ないほど、言葉選びに失敗してしまった。
私の突っぱねた返答に、なまえは少しだけ眉間にシワを寄せて、瞬きを数回した。
それはどこか、私の言ったことを理解はしたが、納得はしてないという表情だった。
目は泳ぎ、口が真一文字に結ばれ、思いを言葉にするか迷っている様子。
そして数秒後、決死の覚悟で私を見上げた。
「夏油くんはもちろん、強いよ。けど…辛い時は辛いって言っていいと思う」
ます…となぜか最後だけ敬語になった彼女に気が抜けてしまう。きっと人にあまり意見をした事がないのだろう。
その後、すぐに「ごめんね。私じゃ頼りないけど…」と自信なさげに呟いた彼女のつむじが上からよく見えた。
(あぁ、この子は私の心に寄り添ってくれるのか)
夏油ならどうにかしてくれるだろう。守ってくれるだろう、助けてくれるだろう。
"あの五条悟" と肩を並べる存在なのだから。
いつしか、私より経験豊富なはずの先輩術師から頼られ、大人から期待されるようになった。自分の実力に伴って、守られる側から守る側へ立場が変化する。
見込みがあると言われれば、それに応えようと頑張りたい気持ちも、決して嘘じゃない。
それでも毎回、呪霊を取り込むあの作業にはうんざりした。
以前、等級の高い呪霊を、取り込まずにそのまま祓ったことがある。その光景を、同行した先輩術師は見るなり、「勿体ない」とその何も考えてない、空っぽの頭で私に文句を言ってきた。
—なら、お前が経験してみろ。あの呪霊の味を。
術師として、先輩の意見は正解なのだろう。でも、私の心は?
取り込めと簡単に言うが、あの憎悪、嫉妬、絶望、後悔が混ざり合った塊を飲み込むのに、精神がすり減らない訳がない。
なのに、自分のプライドが、意地が、周りからの期待が、こぼれ落ちる心の欠片をそのままにした。見えないフリをした。
でも、それを拾ってくれる人が今、目の前にいる。
不安げに揺れる瞳は確かに私を見て、拾い損ねた欠片を差し出してくれている。
「…ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しいよ」
自分が思うよりずっとずっと、穏やかな声が出た。意識せずとも、自然に顔が綻ぶのが分かる。
目の前でそれを受け止めるなまえは、控えめに微笑みながら、なぜか泣きそうな顔をしていた。