16. 黒猫は蚊帳の外



 気がついたら、なんとなく彼女を目で追うようになっていた。


 二年生になり、なまえの階級が四から三へ。彼女が呪術師として懸命に活動していたのを知ってるから昇級した際、「なまえ、頑張ってたもんね」と素直に褒めると、少し恥ずかしそうに「えへへ…ありがとう」頬を染めて微笑んだ。可愛らしい。



 最初は悪態をついていた悟も、めげないなまえの姿に毒気を抜かれたのか、雑魚、マヌケとは言わなくなった。「弱っちぃ」とは言うけど。
 私はもう彼女のことを、弱い同級生なんて思わない。
 その代わり、別の感情に支配されていた。


 難しい顔をして苦手な数学を頑張って解いてる姿も。
 私たちが普通の高校生だったら、という夢物語に付き合ってくれるところも。
 私があえて狙って「可愛いから」と言えば瞳を丸くして、ポカンと呆けてる姿も。
 未だに私の名前を呼ぶのが、ぎこちない所も。
 ひたむきで、懸命で、可愛いなと思う。そんな彼女をずっと見ていたかった。







「うわぁ、一回会ってみたかったの。よろしくね、夏油くん」


 やけに馴れ馴れしく話しかけてきた補助監督に、一瞬頬が引き攣る。我に返った私はすぐさま営業スマイルの仮面を被り、よそ行きモードに変更した。
 見慣れないと思っていたら、数週間前に異動してきた補助監督らしい。担任がそんなことを言ってた気がする。


「背ぇ高いね。何センチ?」


 自分の身長と比べるように、自身の頭の上に手を置き、私の周りをウロチョロする。そんなことより、早く今日の任務内容を教えて欲しい。
 しかし、自分より年上だし補助監督でもある。今後も関わるであろう観点から、蔑ろにする訳にもいかない。
 今日だけの辛抱と自分に言い聞かせ、適当に話を合わせる。悟が気色悪いと言っていた笑顔を貼り付け、私は任務についたのだった。



 私の思いに反して、彼女はやけに積極的に関わってきた。廊下で見かければ話しかけてくるし、許可した覚えもないが、いつの間にか下の名前で呼ばれる。ついでに私の連絡先も欲しがった。
 最初は、携帯を忘れたと誤魔化していたが、言い訳も底をつき、ついには連絡先を交換する羽目に。その時の光景をあろうことか、悟に見られていた。


 好かれてる自覚はあった。しかしそれは、私自身に興味があるのか。はたまた、悟に近づきたいが為に私を利用してるのか。
 それとも呪霊操術の使い手、五条悟の相方、特級になるのも時間の問題と言われ、期待されている私のステータスに惚れているのか。そんな勘繰りをしてしまう。今までも、私に告白してくる女の子の中に、そんな人は多数いたからだ。

 まぁ、そんなことは正直どうでもいい。大勢の人に好かれようが、特定の一人に好きになってもらわなければ意味がない。



 

「おい、傑。お前、新しく来たホジョカンと飯行ったんだろ?二人で」


 楽しそうな雰囲気で、悟が背後から肩に腕を回してきた。二人で、を強調してきた言い方に、少しだけ苛立ちを覚えたので、悟の質問には答えず、「暑いよ」と軽く彼の腕をいなした。


「なぁ、どこ行ったんだよ」


 もしかして、もう手ェだした? と下品な発言をする相方に心底ため息が出た。こんなことをなまえに聞かれたらたまったものではない。


「悟、うるさい」


 教えろよぉー、と駄々をこね始めた相方を無視して廊下を歩き続ける。


 悟の言う二人での食事。あれは不本意だった。ちゃんとそうなった理由もある。
 本当はもう一人、先輩術師がいたのだ。任務が終わった直後。ついでにご飯行く〜? くらいのテンションで先輩術師が提案してきた。
 三人でなら、と特に断る理由もないので二つ返事で了承した。なのに、その先輩に別の任務が急遽入ってしまう。先輩がいないなら、このまま高専に帰ろうかと思っていた矢先、


「傑くん行こっ」


と補助監督は笑みを浮かべ、しっかり私の腕に絡みついた。彼女の行く気満々で、有無を言わせない態度に負け、その日は二人で食事をすることになってしまう。


 私を悩ませたのはその後だった。一度承諾したが故、頻繁に誘われる。
 断り続けていたが、遠くの地域の任務になると、どうしても高専に帰る手段が限られる場面がある。
 そんな日には彼女の送迎車に頼るしかない。結果的に食事を共にする羽目になるのだ。
 なまえと二人で食事をしたのは、二ヶ月も前というのに。









 なまえと悟が同じ任務に駆り出された。私でさえ、彼女と任務はここ最近被ってない。遊びじゃない、大事な任務だと自分に言い聞かせても、もどかしさと苛立ちが心の中で渦巻く。

 気晴らしに飲み物を買いに来た自分の元へ、あの補助監督やってきた。私のげんなりした小さなため息は、彼女に聞こえてないらしい。


「何か飲みますか」


と一応聞いてみれば、「え!いいの?」わざとらしく驚き、腕を絡ませてきた。暑い。
 これがなまえだったら…と想像する。いや彼女は腕を絡ませるどころか、「大丈夫だよ。自分で買うから」と言うに違いない。
 確信に近い想像をしていれば、自然と顔が綻んだ。
 補助監督には「何笑ってるの?」とどこか不審げに聞かれたが、私は「なんでもないですよ」と営業スマイルを見せた。


 そしたら急に、「あぁ!クソッ!」と聞き慣れた声が遠くの廊下から響いてくる。姿は見えないが、間違いなく悟だ。
 只事ではない声色。気になって彼女の絡みつく蛇のような腕を解き、声のした方へ歩み寄る。
 しかし、そこにはもう誰もいなかった。





 何となくモヤモヤしたまま教室に戻る。道すがら、これまた何となく窓の外へ目を向けると体育館へ続く渡り廊下に、なまえと悟がいて、私はその光景に目を奪われた。



 彼女が涙を流している。普通なら、目の前の人物に泣かされていると思うが、どうしてもそうは思えない。彼女に何があったのだろう。
 悟がハンカチをポケットから取り出し、彼女に渡した。そういえば、持ち歩いた方がいいと、忠告したのは自分だ。
 彼女の頭に悟の手が乗る。彼の手がデカいのか、なまえの頭が小さいのか。
 ぎこちなく撫でる姿は、いつも私がみてる、わがままで、子どもっぽくて、彼女をからかっている悟とは違う。



 どうして、なまえは泣いてるんだろう。
 その姿をどうして悟には見せるんだろう。
 なぜ、頼るのは私でなく悟なんだろう。



 胸が締め付けられて、無意識に自分の制服の胸元をギュッと掴んだ。



 そのあと教室に戻ってきた二人の態度はどこかよそよそしい。気づかないフリをしていたが、なまえの目元が少し腫れているので、あぁ、さっきの光景は見間違いじゃないと再認識させられた。
 その夜、私は思い切って悟の部屋を訪ねた。



「よぉ、どうしたんだよ。ゲームか?」
「違うよ。ちょっと聞きたいことがあってね」



 サングラスをしてないせいで、悟の青が露わになっている。
 そういえば、前になまえが悟の瞳を「宝石みたいに綺麗だよね、五条くんの目」と無邪気に褒めていたことを思い出した。そう言われて満更でもない顔をした悟のことも。こんな時に。


 ここに来るまでは、問いただしてやる、と意気込んでいたが、いざ相方のキョトンとした無防備な状態を目の前にして、自分の決意の温度が下がるのが分かった。


「悟、」

「なんだよ。はっきり言えよ。もしかして、借りてる漫画返せって言いに来た?」



 私が聞きたいことの心当たりが本当にないらしく、笑いを交えて言葉を促される。
 それを聞いて、漫画を貸していたことも思い出した。でも、今はそんなことどうでもいい。




「…なまえと何かあった?」




 真っ直ぐ六眼の瞳を射抜く。なまえの名前を出したら、わずかに目を見開いた。しかし、すぐに逸らされる。後ろめたいことでもあるように。
 数秒の沈黙後、ガシガシと白髪を掻き、一気に面倒だという感情を前に出された。分かりやすすぎるだろ。



「何もねーけど?」



 用事はそれだけ?俺、もう寝るわ。
それだけ言い残して悟はドアを乱暴に閉めた。


 嘘だろ、ちゃんと話せ。彼女は泣いてただろ?
 言いたいことは山ほどあるのに、再びドアを開けて相方に問い詰めるほど、今の私は強くなかった。