
2. あまいどくを渡される
心地良いゆったりとしたBGM。店員さんの歩く足音。人々の話し声と食器が触れ合う音。甘いケーキの匂い。
「なまえー」
目の前のショートケーキの一角を、フォークで削りとった所で、硝子ちゃんに突然呼ばれる。
生クリームでコーティングされたスポンジが中途半端に唇の手前で停止し、パシャリと軽快な音がしたと思えば、目の前にはカメラのレンズが。
「目が半開きだ」
見てみ、と言いたげに硝子ちゃんの白い携帯が差し出される。そこには半目でショートケーキを食べようとするマヌケな私の姿。とても夏油くんには見せられない。
渋い顔をして彼女に携帯を返却すると、ちゃんと保存ボタンを押していた。
硝子ちゃんは写真を撮るのが好きみたいで、こんな風に不意打ちで撮られることもしばしば。
でも、そのおかげで、私の携帯にも夏油くんと一緒に写っている写真が沢山ある。何気ない日常から、四人で遊びに行った時、学校行事の時の写真など。
それらは私の宝物だ。
時々、彼女の気兼ねのなさが羨ましく思う時がある。
私の恥ずかしさをなんとか隠した渾身の「夏油くん、写真撮ろう」という声かけと、硝子ちゃんのラフな「夏油、撮るよー」では温度が違いすぎるからだ。
「誰にも見せないでね?」
「大丈夫。夏油の言う通り可愛いから」
「…夏油くんにもね?!」
私の抗議に、知らん顔でニっと笑う彼女。絶対さっきの話を面白がってる…。
それは、頼んだケーキセットを待っている間ことだ。
お願いします硝子ちゃん。私が自惚れないように喝を入れてください、と懇願する思いで、先日の夏油くんとのやりとりを話した。
すると彼女は、「えー、本音なんじゃないの?」とこれまた私がさらに勘違いしてしまうような台詞を放った。
「いや〜、夏油くん気遣い人だから…」
「ははっ。自信なさすぎじゃん」
自分を戒めるように、無理やりケーキを口の中に突っ込む。口の中に広がる甘さに、これは五条くんも好きそうだなと彼の顔がパッと思い浮かんだ。
私は五条くんと甘さの好みが似ているので、お互いにスイーツの美味しいお店を教え合っている。ここも、教えたいリストの中に入れておこう。
さっき硝子ちゃんにこのケーキを一口あげたけど、甘すぎ、と秒で自身の頼んだアイスコーヒーと相殺していた。
美味しいのに…。
「夏油に告白しないの?」
「ゲホッ!」
急に予想だにしないことを突かれて、飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。
言わずもがな、硝子ちゃんは私が夏油くんを好きだと知っている。打ち明けたというより、バレた。勘が鋭い彼女には隠し通せなかった。
男は星の数ほどいるよ? と硝子ちゃんが半ば本気で私に説得をしてきたことが、今となっては懐かしい。
「こ、告白なんて出来ないよ…」
気を紛らわすためにアイスティーをストローでぐるぐると混ぜれば、カランと氷のいい音がした。
その様子を眺める硝子ちゃんは、テーブルに頬杖をつき、茶化すように続ける。
「でも、アイツ意外とモテるから誰かに取られちゃうかもよ」
「それは、そうなんだけど…」
耳が痛い言葉。動揺してしまい、左右に視線が泳ぐ。
硝子ちゃんの言う通り、夏油くんはモテる。優れた容貌に柔和なあの性格。包み込むような笑顔。それにノックアウトされたのは、一人や二人じゃない。
告白現場も何度か見かけたことがあるが、想いのたけをぶつける女の子を目の前にして夏油くんは、
"すまない。今は誰とも付き合う気はないんだ"
そう口にしたのだ。告白した女の子より、夏油くんの方が心苦しそうだったのを覚えている。
あの気まずそうな、申し訳なさそうな視線を私にも向けられたら、次の日からどんな顔して彼に会えばいいのか分からない。
しかも、誰とも付き合う気がないということは、脈なし確定。失恋するのは目に見えている。
だから私は、一番近くて遠い、友達という立場に甘えることにしたのだ。夏油くんと気まずくなるくらいなら、このままでいい。
それが弱い私が出した答え。彼と向き合う日なんてきっとこない。
「あたしは、なまえのそういう所も好きだよ」
項垂れている私の頭に小さな手がのる。大勢の人を助けてきた彼女の手のひらに、こうして私もまた救われているのだ。
♢
「いだっ!」
「お前、ほんと弱ェな」
自分の視界に綺麗な青空が広がる。このまま鳥にでもなりたい。
そんな妄想に割って入ってきた白髪に丸いサングラスをかけた同級生。
せっかく綺麗な顔をしてるのに、それを台無しにするレベルで、口元があざ笑うように歪んでいた。
いつもの光景。見下ろされることにはもう慣れてる。
「手ぶらの俺に負けてるようじゃ、呪具の意味もねーな」
勝ち誇った顔をする五条くんを無視して、私はのそのそと起き上がる。
体の横には呪具に見立てた長い木の棒が悲しげに転がっていた。
私が任務に行く時は、呪具も一緒に持って行く。術式にプラスして、呪具を用いた戦術の方が良いんじゃない?と私の戦い方をみてアドバイスをくれたのは、この場にいない夏油くんだった。
自分の手札が多いことに越したことはない、と私は深く頷き彼の教えを守っている。
「受け身の取り方は一番上手いけど」
転がる木の棒を見つめていたら、可笑しそうにケラケラと笑う五条くんの姿が目に止まる。
白いYシャツに制服のズボン。どうみても、体術訓練向きじゃない格好の彼。それもそのはず。
午前中任務に行っていた五条くんは、帰ってきて早々、私たちのいるグランドに姿を現したからだ。
走りこみを中断した私は、硝子ちゃんと話す五条くんに、お疲れ様と声をかける。すると、
「あんなの朝飯前だし」
と彼らしい一言をいただいた。
まだまだ体力が有り余ってる五条くんは、「俺が相手してやるよ」と余裕の笑みを浮かべて私と組み手を始めたワケだ。私は本気だが、彼は遊び半分なのだろう。
んー、解せない。
その証拠に五条くんの服には、砂埃も芝生の草の一つもついてない。反対に私の白いTシャツと黒のハーフパンツにはもう汚れが目立っているのが悲しい。
「なまえー、大丈夫? 」
グラウンドの横に併設された石階段に座る硝子ちゃんが、私に呼びかけてくる。
暑さをしのぐため、下じきで自分の顔を扇ぐ彼女に、「大丈夫だよ」と笑顔で手を振る。
が、思いがけず自分の腕がぎこちなく止まった。
硝子ちゃんの背後から、のそのそとゆったりした足取りで、黒い影が現れたからだ。
「傑も今帰ったのかよ」
その人物の名前を呼んだのは、彼の相方である五条くん。
硝子ちゃんと軽く言葉を交わした夏油くんは、そのまま階段を降りて私たちの元へやってくる。
急いで立ち上がり、砂埃を払った。汚れた姿を彼に見られたくないという乙女心だ。
夏油くんは今にも、「さとるぅ〜」と彼特有の、語尾長めに五条くんを呼びそうな雰囲気で歩いてくる。
しかし、隣にいる私を視界に入れた途端、上から下まで瞬時に視線を動かした後、眉毛が困ったようにハの字になった。
あれまぁ…といった笑みを浮かべて、そのまま五条くんではなく、私の前に立ち止まったのである。
「夏油くん。あの、お疲れ様」
「ありがとう。なまえは、また悟に派手にやられたみたいだね」
「簡単に吹っ飛ばされるコイツが悪いんだよ」
五条くんは頭の後ろで両手を組み、夏油くんの言葉に不満を一切隠さない。俺は悪くねェと言わんばかりに、ベーっとピンク色の舌まで出している。
そんな態度の五条くんに、夏油くんはいつもの如く、やれやれとため息をついた。
「私とやる時と同じ力でやったら、そうなるだろ」
「あぁ?手加減して訓練になるのかよ」
「それはそうだけど、悟は加減を知らなすぎる。これでなまえが怪我したら元も子もないだろ?」
「大丈夫だよ。コイツ受け身上手いし」
な?とからかうように五条くんはその長い体を折り曲げて、わざとらしく視線を合わせてくる。
サングラス越しに見えた宝石のような青い瞳は、完全に私をバカにしていた。
でも本当のことだから何も言い返せない。悔しい…
せめてもの抵抗で五条くんを恨めしそうに見上げるが、彼にしてみれば、蟻にでも見られてるくらいの感覚なんだろう。私の視線に眉ひとつ動かさない。
ふと、もう一つの視線を感じた。
先を辿れば琥珀色の双眸が私を捉えている。じーっと何か言いたげな視線に、私の方が耐えられず、サッと顔を背ける。
な、なんだろう…
すると、夏油くんはおもむろにポケットから紺色のハンカチを取り出した。
「動かないで」
と囁くように言われ、左の頬にハンカチを当てられた。拒否するようにビクリと体が反応してしまうが、決してイヤなわけではない。突然で、驚いただけだ。
夏油くんは何かを拭うように頬を軽く擦る。動くなと言われたが、夏油くんの端正な顔が目の前にあっては、どっちみち微動だに出来ないし、目のやり場に困る。仕方なく、彼の制服の校章ボタンを眺めていた。
数秒後、よし、と夏油くんが小さく呟き、紺色のハンカチは再び彼のポケットへ。
「あ、ありがとう」
「いいえ。でも少し擦り傷になってるね」
夏油くんの方が痛々しそうに眉をひそめるから、私はすかさず擦り傷の部分を手で覆う。
吹っ飛ばされて地面に伏せた時についたらしい。
夏油くんは五条くんにくるりと向き直り、低く静かに呟いた。
「女の子の顔に傷を作るのは感心しないな。悟」
子どもを注意する親のような言い方だった。
夏油くんの物言いに五条くんの怒りボルテージが上がったらしい。はぁ〜?とワザとらしく声を荒げて、
「俺に説教すんのかよ、傑。
…ちょうどいい。雑魚相手の任務だったから、こっちは体力が有り余ってんだ」
「奇遇だね。私もだよ」
五条くんはいつもの如く「来いよ」と挑発し、夏油くんも背負っていたスクールバックを乱暴に芝生へ投げ捨てた。
あ、マズイ…と察知した私は、そそくさと二人のそばを離れる。
硝子ちゃんを見れば、いつもの光景に呆れ顔。おいでーと私に手招きをした。
「ケガ見てあげる」
「へ、平気だよ。ただの擦り傷だから」
硝子ちゃんは火のついてない煙草を咥えていた。口寂しいから、という理由でこんな風に咥えてる時がある。
そんな硝子ちゃんから私は傷を隠すように手で押さえた。
「顔赤い」
硝子ちゃんは口元を緩ませ、やれやれと言った様子。でもその瞳は優しくて、隣に座った私の頭をよしよしと撫でてくれた。
「夏油くんってさ」
「ん?」
「あーいうこと素でやるよね」
「素ねぇ…」
布一枚しか隔ててないせいで感じる夏油くんの指先の感触。真剣に見つめてくる琥珀色の瞳。
私のことを呪術師という前に、当然の如く、女の子という枠組みの中に入れてくれる彼。
あの仕草も言動も彼にとっては特別な意味なんてないのに、どうしても私の気持ちは揺れ動いてしまう。
___戸惑ってる君、可愛いから
___女の子の顔に傷を作るのは感心しないな
夏油くんの声が頭の中を反芻する。彼は知らない。あなたの何気ない言葉で行動で、私がこんなに心を乱されることを。