3. 掬い上げたのは熱帯魚



 激しい音の波が押し寄せてくる。なにかのキャラクターが喋る声やゲームの効果音。プリクラのコーナーでは流行りの曲が爆音で流れている。
 正直、隣にいる同級生にでさえ、意思疎通を図るにはいつもより声を張り上げないと伝わらないくらいだ。



「え?」
「だーかーら、四人でここに来るの久々だなって言ったんだよ」



 音の渦にかき消されてしまった五条くんの言葉。聞き返そうと背の高い彼を見上げれば、その整った眉の形が崩れている。
 そして、何度も言わすなと言いたげに、私の耳に顔を近づけて先ほどのセリフを放った。
 五条くんの吐息が耳をくすぐる。うわっと驚いて少し離れれば、いつの間にか隣に来てた夏油くんにぶつかってしまった。



「ごめん!」



 多分聞こえてないと思うけど、私の口元と表情で察した夏油くんは、気にしないでくれと微笑む。
 そのまま流れるように五条くんと私の間に割って入ってきた。



「あ? なんだよ傑」
「いや、別に」



 そう言って夏油くんは、涼しい顔して落ちかけたスクールバッグを背負い直した。
 チラリと夏油くんを盗み見る。結い上げたお団子から飛び出た毛先が、歩くたびにゆらゆら揺れている。無防備にさらされたうなじ。男の人らしい線の太い首筋。



(かっこいいなぁ)



と心のシャッターをきれば、急に夏油くんが振り向いたので、ひっ!と背中に氷でも入れられたみたいなリアクションをしてしまう。
 私を覗き込むように首を傾げたので、彼の前髪がサラリと落ちた。



「どうかしたの?」



 そんなに見つめて、と夏油くんの口元が滑らかに動く。
 目線を奪われていたことも、それがバレて羞恥心でいっぱいなことも切れ長の双眸に見透かされそうで、何でもないよ、と私は慌てて首を横に振った。
 夏油くんの背中には、目でもついてるのかもしれない…


 その後、御手洗から戻ってきた硝子ちゃんに、「なんかあった?」と指摘されたのは言うまでもない。









「ぶははっ!だから言っただろ、なまえ。俺に賭けとけって!」



 五条くんの豪快な笑い声が店内のBGMに負けないくらい響き渡る。



「はぁぁぁ」



 反対に夏油くんは深いため息をつき、頭を抱えていた。そのせいで、まとまっていた黒髪が少し乱れる。


 二人がやっていたのは格闘技の対戦ゲーム。ボタン操作をしてパンチやキックを繰り出すもの。
 このゲームをすると毎回、賭け事が始まる。賭けといっても、勝った方に負けた方がジュースやコンビニデザートを奢るという程度だけども。 



「じゃあ、あたし五条」



 すぐさま硝子ちゃんが五条くん側につく。味方がいることに自信が湧いたのか、五条くんはニヤニヤしながら、



「お前も俺に賭ければ?」



と勝負前にそんな提案してきた。こうなると、それを聞いている夏油くんはワザとらしく、しょぼんとする。
 "君も悟の味方なんだね" と言われてもないのに、そう聞こえるのは何でだろう。捨てられた猫みたいで放っておけなくなる。



「私、夏油くん応援するよ」



と口が勝手に動いてしまうのだ。



「なまえ、ありがとう。頑張るよ」



 なんて爽やかな笑顔で言われたら、彼の味方をしてしまうというもの。
 たとえ、硝子ちゃんや五条くんに奢るはめになっても。



「夏油、自分は格闘技得意なくせに、格ゲーで負けるとかウケる」



 棒付き飴を舐める硝子ちゃんが、勝ち誇った笑みを浮かべる。彼女のセリフに、たしかに…と納得する自分がいた。
 本人はあんなに強いのに、ゲームの中じゃ弱いなんて、なんだか可愛らしい。夏油くんに見えないように小さく微笑む。



「なまえまで笑ってる」



 バレた。後ろを振り向いた夏油くんが、切れ長の瞳をさらにジーッと細くさせる。への字に曲がった口。いつもの涼しい顔の彼とは結びつかない不貞腐れた子どものよう。

 気を悪くしたかと慌てて謝罪をすれば、夏油くんの顔がふっと綻び、「冗談だよ」と高校生らしく笑うのだった。
 向けられた表情に心を奪われていれば、嬉しそうな二人の声が向かい側から聞こえてくる。



「じゃあ、傑となまえは帰り道のコンビニでデザート奢りな」
「ゴチでーす」







 色めき立った女子高生に女子大生。圧倒的に男性率が少ないこの空間で、私の同級生の三人は目立っていた。
 顔の整ったタイプの違う夏油くんと五条くん。その二人の横にいても全く違和感のない儚げ美人の硝子ちゃん。
 注目の的になっていることなど、三人は気にも止めず話し続けている。



「なんで、アンタたちまで来るわけ?あたしはなまえと撮りたいんだけど」

「いいじゃん、別に」

「四人で撮るの一年の時以来じゃないか?」



 硝子ちゃんは不満げに舐めてた飴をガリっと噛み砕く。二人は見向きもしてないけども。
 私は、今度一緒に撮ろうと言って彼女をなだめた。


 そんなことをしてる間に、五条くんが機械を覆うカーテンをペラっとめくる。
 テキトーにここでいいんじゃね?の一言により、爆音で流行りのBGMが流れるプリクラ機の中へ。
 スクールバッグを荷物台に置き、五条くんと一緒に物珍しげに画面を凝視する夏油くん。そんな彼を眺めながら、前髪をもっと整えてくれば良かった、と今さら後悔した。





「よ、四人で前は…多分ムリじゃない? 」


 私は一番端っこで、隣は硝子ちゃん、五条くん、夏油くんと横に並び、お団子状態。
 確かに…と落ち着いた声が、私の一番反対側から聞こえた。
 歌姫先輩や冥さんとなら女子四人で並んで撮れる。しかし、五条くんや夏油くんは体格が良いため枠に入りきらないのだ。硝子ちゃんが呆れた様子で二人に噛みつく。



「クズどもは後ろ行ってよ。あたしとなまえが前だよ」
「やだ。俺、前がいい」



 五条くんの断りの速さに少し笑ってしまった。正面に陣取り、彼は動く気はサラサラないらしい。
 それじゃあ、私が後ろに行こうと一歩下がれば、夏油くんも同じ考えのよう。
 前を陣取る相方に対して、しょうがないなと笑っていた。



『撮影が始まるよ!5…』



 機械から可愛らしい声が聞こえて撮影のカウントダウンが始まった。画面を見れば、誰か見切れている。あ、私だ。




「なまえ、こっちおいで」
「お前、入ってねェんだけど」




 夏油くんがそう言うのと、五条くんの声が重なった。同時に言われたのに、優しい声の方に反応してしまうのは、彼が私にとって特別だからだろうか。
 しかし、夏油くんに近づく私の腕を阻むように五条くんに掴まれる。
 呆気にとられてる間に力づくで引っ張られ、体は自ずと前へ。この大きなBGMも相まって、前を陣取る彼に夏油くんの声は聞こえてないらしい。
 


「わっ! 」



 自分の肩に五条くんの、がっしりした腕が回され、驚いた拍子にパシャリと軽快な音。強引な最強同級生を見上げれば、楽しそうな横顔が目の前にあった。



『こんな感じだよっ』



 3秒前に撮った画像が映し出されたので、五条くんと共に画面を覗き込む。
 私は驚いた顔してるし、五条くんは白い歯を見せて自分はちゃっかり笑ってる。
 硝子ちゃんはキリッとした顔でピースをして、夏油くんは五条くんに視線を注ぎながら、眉間に皺を寄せて顔を歪めていた。
 これはカオスな写真が出来上がったものだ。



「悟、なまえを離しな」



 夏油くんが五条くんの肩に手を置き、静かに落ち着きを払った低い声で告げた。何となく、言い方にトゲがあるのは気のせい…だと思う。


 無事に撮り終えたプリクラをハサミで切り取り、硝子ちゃんに手渡せば、彼女はふはっと声を漏らした。



「まともな写真、一つもないじゃん」



 夏油くんと五条くんが睨み合っていたり、五条くんがやっぱり横一列で撮りたいというので、無理やり前に四人並んで団子状態で撮ったり。
 三人の陰に紛れて、私はピースした腕しか写ってなかったり、硝子ちゃんがここぞとばかりにタバコを咥えたり(もちろん火はついてない)



「あたしら、プリクラもまともに撮れない」
「ふふっ、そうだね」



 これはこれで思い出の品になりそうだと、二人にもプリクラを差し出せば、案の定声を噴き出して笑っていた。









「ちょっと便所ー」


 五条くんがヒラヒラと手を挙げて去っていく。夏油くんも後に続いたので、大男二人は姿を消した。
 硝子ちゃんとぷらぷら歩き回っていれば、彼女が、あーと落胆した声を出す。ついでに小さく舌打ちも。



「ごめん、なまえ。あたしプリクラコーナーにタバコ置いてきたわ」



 一番忘れちゃいけないものを置いてきた硝子ちゃんは、今来た道を早足で戻っていく。ポツンと取り残された私。一人になるとゲームセンターのごちゃ混ぜな音がやけに耳に響いた。


 ふと横に視線を向ける。初心者向けであろう小さめのクレーンゲーム機が数台、連なって置かれていた。その内の一台に私は目を奪われる。

 景品は黒猫のストラップ。ぬいぐるみ形状で、サイズは丁度、子どもが手を握りしめるくらい。ちょこんとお座りをして可愛らしい。というか…




(夏油くんに似てる…)




 欲しい…!とつい目を輝かせ、その台の足元にしゃがみ込んだ。キョロキョロと周りを見渡し、まだ三人が来てないことを確認。すぐさまチャリンとお金を投入する。
 ここだ!と思ったところにアームを降ろしたが、掴み損ねた黒猫はわずかに場所を移動しただけ。



「もう一回…」



 見れば見るほど、彼にそっくり。
 黒猫は目がキュっと糸目になっており、口元もふにゃりと崩れていて、頬にはピンク色の刺繍が施されている。
 その表情は、夏油くんの好物である蕎麦を食べている時の顔に似ていた。

 そんな彼のあどけない姿を見ると、どこか安心する自分がいる。夏油くんはたまに、無理して大人になろうとしてる気がするから。
 声を出して笑ったり、ゲームに負けて悔しがったり、年相応の表情を見かけると私まで嬉しい。
 同時にもっと色んな顔を見たいという、欲張りな気持ちには知らないフリをしている。



 カチャカチャと試行錯誤しながらボタンを動かすが、黒猫が落ちる気配はない。硝子ちゃんたちが戻ってくるのはそろそろだろう。
 ラストチャンスと思い、お金を投入口に入れた時だ。ボタンがチカチカと光り始めたと思ったら、私の手元が急に陰る。不思議に思って顔を上げれば、



「おねーさん、それ欲しいの?とったげよっか?」
「えっ」



 クレーンゲームの台に手をついて、私を見下ろす二人組の知らない男がいた。
 突然のことにパチパチと瞬きを繰り返し、数秒後、言葉の意味を私はようやく理解し、慌てて首を横に振った。



「い、いえ!大丈夫です」
「なんで〜?これ欲しいんでしょ」



と人の良さそうな笑みを浮かべているが、一向に退く気配はない。
 そういえば…前にも硝子ちゃんと駅を歩いてる時、同じような表情をした人に声をかけられた。

 その時、硝子ちゃんはあざ笑うように「あはは、興味ねェ〜」と一喝してその場を乗り切ったのだった。けど、今彼女はいない。
 私は急いで立ち上がり、身を守るようにスクールバッグを抱きかかえる。



「本当に、大丈夫なので」
「君、どこの高校? 見慣れない制服だよねぇ」
「一人なの? じゃあ俺らと遊ぼうよ」



 全く私の話を聞いてくれない。上から下まで舐めるように動く男の視線に、ゾワッと鳥肌が立った。反射的に自分の足元へ顔を向ける。
 この場から立ち去りたいのに、背後には黒猫のクレーンゲームの台があり、逃げ出せない。
 一人の男が私の肩に手を置いたその時だった。





「私の連れに何か用ですか? 」





 地を這うような低い声がした。顔を上げれば、無表情の夏油くんが目の前に。
 突然の登場に戸惑う男二人を他所に、黒い制服に包まれた腕が伸びてきて、私の手を掴む。
 まるで水を掬い上げるように、いとも簡単に引き寄せられた。大きな黒い背中に隠されて、私の視界から男たちが消える。


 自分たちより遥かに身長があり、耳には大きな拡張ピアス。大人びた顔つきの青年が現れたことにより、声をかけてきた二人組は、いやぁ〜とか、あはは、とかさっきの威勢はどこへやら。




「…行こう、なまえ」




 これ以上、話す価値もないと言いたげに夏油くんは私の手をとり、早足でその場を去る。
 一瞬見えた彼の横顔は、心底不快だという顔をしていた。




 連れられるままに自動ドアを抜けて外に出る。ゲームセンターとはまた違う、騒々しい音が鼓膜を震わせた。
 人々の話し声に足音。車のエンジン音、ビルにつけられたモニターから流れる何かのCM。
 ジトッとした中途半端な暖かさが肌につく。私たちは身を隠すように、建物の影へ身を寄せた。



(あ…五条くんと硝子ちゃん)



 歩を進める間、二人の姿が頭をよぎる。でもそんなことをすぐにかき消すくらい、ある箇所に全神経が集中してしていた。


 夏油くんの大きくて無骨な手が、私の右手を包み込んでいる。少しだけ強めに込められた力。まるで離れないでと言うように。



 さっき五条くんに肩を寄せられた時、触れ合った面積は彼の方が多いはずなのに、夏油くんに手を握られている方が何倍も緊張する。鼓動が速くなる。
 恥ずかしいから離してほしい気持ちと、ずっと繋いでたいという気持ちが見え隠れ。
 



「すまない。もっと早く戻ればよかったね」




 夏油くんがゆっくりと振り向き、申し訳なさげに琥珀色の瞳が揺らぐ。
 その言葉を否定しようと、つい右手に力がこもってしまった。それに反応した夏油くんが、わずかに握り返す。



「全然、大丈夫だよ。き、気にしないで」



 そう伝えても、私の右手は彼に繋がったまま。どうして離してくれないの?


 夏油くんとっては何気ない行動でも、私にとっては特別な行為。自分ばっかり緊張して、それが繋がれた指先から彼に伝わってしまいそうで困る。


 腕を引けば解放されるかと思い、軽く動かす。しかし、それを阻むように夏油くんは一層強く力を込めたのだ。
 驚いて顔を上げれば、そこには唇を固く結び、珍しく拗ねてるような夏油くんがいた。
 どうしてそんな顔。



「……悟はいいのに?」


 
 五条くんはいいのに…?
 彼のセリフに瞬きを繰り返す。言葉の意味を理解しようと逡巡していれば、見かねた夏油くんがやんわりと手を離した。



「戻ろうか」



と何事もなかったみたいに微笑むので、結局私は何も聞けなかった。