
18. 真夜中、きみの名を呼ぶ
「体は傷だらけだったよ。呪力も空っぽだし多分、打撲も所々してると思う」
「そうか…」
部屋着のまま治療に当たってくれた硝子は、真っ白なベッドで横になってるなまえを、心配そうに眺める。つられて私も、規則正しく寝息を立てる彼女を見つめた。
なまえの折れてしまいそうな細い首に、あの呪霊にやられたアザが色濃く残っている。それに心を痛めていると、硝子が思いついた様子で短く、あぁそうだと声を発した。
「学校にいた子どもたち、無事に家まで届けたって補助監督が言ってたよ」
「そう。よかった」
小学校に向かっている途中、念の為高専に電話をし、補助監督を一人向かわせた。現場調査も兼ねて。
ちょうど戦いが終わる頃、補助監督も到着したので子どもたちを彼に任せ、私は高専に戻った。学校を飛び立つ前の、少年少女が心配そうになまえを見つめる姿が頭に焼きついている。
「硝子、ありがとう。私がここに居るから、君は休んで」
夜中に叩き起こしてしまった同級生を休ませようと、未だになまえを見つめる硝子に声をかけた。
私のセリフに硝子は視線だけをこちらに寄こし、少しばかり逡巡したあと、
「じゃあ、任せる」
なんかあったらいつでも呼んで。
そんな頼もしい言葉を残し、硝子は静かに医務室をでた。
ベッドの横に置かれた小さな電灯。彼女を起こすまいとスイッチを調節し、さらに光を弱めた。点いてるのか、そうでないのか分からないほどの、ぼんやりとした灯りが彼女の顔を照らし出す。
今、穏やかな夢の中にいる彼女が、ほんの数時間前に一瞬でも生死を彷徨ったと思うと、心臓が凍りつくほどの恐ろしさに見舞われた。
白いYシャツに包まれた彼女の肩が、自分の想像よりも華奢で、驚きを隠せない。
このまま、小さくなって消えてしまうのではないかと、ありもしない想像に突き動かされ、布団から無防備に出ているなまえの左手に腕を伸ばす。
ここに間違いなくいるんだと確かめたくて触れたその手は、小さくて子どもみたい温かかった。
ふと、医務室の扉が開く。思いの外、静かに。迷いなくこちらに向かってくる足音に、意識が持っていかれる。
(誰だ?こんな時間に)
前屈みだった体勢をゆっくりと元に戻し、彼女の手の甲に乗せていた自身の手を、静かにどかす。
半ば睨みつける勢いで仕切りカーテンを凝視していれば、控えめに白い布が揺れ、向こう側が見えた。そこにいた人物に、私は少しばかり呆気にとられる。
「悟…」
反射的に名前を紡げば、同じ温度で悟も私の名を呼んだ。相方の姿を見てすぐ思い浮かんだのは、どうしてここに?という疑問だった。
悟も私がいたことに一瞬驚いていたが、それよりも視線はすぐベッドの上のなまえへ。
静かに眠る彼女を見て、少し表情を歪めた後、ゆっくりとカーテンをかいくぐり、切り取られた小さな空間へ足を踏み入れた。
窓側へ移動をする相方を黙って見守る。私と向かい合う形をとった悟はポケットに手を突っ込んだまま、なまえを見下ろした。
「どうなの?」
主語が端折られすぎて、普段ならわざと「何がだい?」なんて茶化し、聞き返す所だ。そして、怒り出す悟の横でなまえが微笑むのがいつものお決まりの光景。だが、今はそんな戯れ無意味。
それにいつになく固い声でどこか不服を含んだ聞き方は、悟なりの不安の表れだったように思う。
「硝子が治療してくれたから、今はもう大丈夫。寝てるだけだ」
安心させるため、敢えて簡潔に説明すれば、案の定悟は、張りつめた糸が切れたみたいにふぅーと長いため息をついた。
でも、なぜ悟が高専にいるのだろう。確か任務だったはず。それも遠出の。それを知っていたから、私は悟に敢えて連絡をしなかった。なまえの事を伝えた所で、余計な心配をかけるだけだと思ったからだ。なのに、どうして。
「悟、帰るのは明日って…いやもう今日か。今日の午前中じゃなかったのか」
我慢ならず問いかけた私に悟は一度瞬きした後、そっと彼女の眠る白いシーツを控えめに撫でた。伏せた瞳に悟の長いまつ毛が下りる。
「なまえから電話あってよ」
「電話?」
「あぁ。折り返したのに出ねぇから、硝子にかけたんだよ。そしたら『なまえが一級くらいの呪霊にやられて、今から高専に戻ってくる。忙しいからまた折り返す』ってすぐ切られた」
「…そうか」
「てか、俺傑にもかけたんだけど」
と訝しげに言われた。マナーモードか充電が切れてるんだろうけど、それを確かめるには至らない。「あぁ、すまない」とうわべだけの返事をした。
君にもかけてたのか。
悟の話を聞いて、そう発言しかけた自分に驚いた。私はさっき何を言おうとしたのだろう。でも考えるのがやめられない。
あぁ、私より先に悟にかけたのか。私にかけてきた時には、彼女の手元にもう携帯はなかったのだから。
いや、彼女の頼り先が私の他にもいただけだろ。それが悟であっただけだ。なにを落胆する必要がある。
なにより、駆けつけたのが悟でも私でも、なまえが助かったのだからこれ以上のことはない。
そう自分自身に言い聞かせても、彼女の中で、一番先に思い浮かんだのが悟だったと思うと、少しだけ切なくて、膝に置いた拳を無意識に握りしめた。
「それで、急いで帰ってきたのか?」
「そーだよ」
何の気なしに言うけど、悟が赴いた任務先は車で三十分とかそういうレベルじゃない。
唯我独尊なんて言われているが、何やかんや悟はきちんと優しさも兼ね備えている。こういう所に、なまえが惹かれてもおかしくないなとどこか納得する自分がいた。
それに最近の悟となまえは、私の知らない所で距離を縮めていたから、悟にとっても彼女は特別な女の子なんじゃないかと勘繰ってしまう。
「おいマジ、心配させんな」
恨めしげに小声で独り言を呟き、悟の長い指が彼女の頬を軽くつねる。起きてしまわないか気がかりだったが、本人は少しみじろぎした後、また小さな寝息を立てていた。
まだ夢の中に居たいらしいなまえに、悟は呆れながらも気の抜けた笑いを見せる。
「てか傑、朝には任務だろ。ここにいるの代わってやろうか?」
なまえの頬で遊ぶ事をやめた悟は、そんな提案をしてくれる。私のことも気遣ってくれるなんて、入学当初だったら想像もつかないな、と悟が不貞腐れそうな失礼な事を思う。
でも、今はどうしてもこの場所を悟に譲りたくない。浅ましい子どもじみた嫉妬に嫌になる。
「…いや、大丈夫だよ。悟こそ行ったり来たりで疲れただろ」
間髪入れずに申し出を断った。悟を気遣うフリをしながら、本当はなまえのそばに私がいたいだけのわがままだ。
悟はすぐさま「ん。わかった」とだけ言い私の横を通る際ポンっと労る素振りで肩に一度手を置き、そのまま出て行った。
「なまえ…」
呼びかけても彼女は答えない。ここに残ったはいいものの、なまえが目が覚めた時、そばにいるのが私でいいのだろうかという葛藤が、いつまでも頭から離れなかった。
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夏油視点おわり