
20. 溶けてゆく夜は琥珀色
太鼓の音、笛の音色、屋台から飛び出す威勢のいい声。人々の手には、わたあめ、かき氷、りんご飴。
そんな大勢の人間をかき分け、神社の鳥居付近にいる人物に私は視線を奪われた。
人混みの中に頭ひとつ抜けた体躯。私と同じ、夜の色をした制服に身を包み、手に持つ携帯をつまらなそうにいじっていた。
時より誰を探す素振りで辺りを見渡している。その視線が私を発見するなり、ふわっと柔らかくなった。歓迎の眼差し向けられた私は、より一層足を速める。
「ごめんね。この前の…小学校の任務の報告書出してたら遅くなっちゃって」
「大丈夫。私もさっき任務終わった所だから」
「そ、そうなんだ。お疲れ様」
「なまえもお疲れ様」
いつもの何気ない会話なのに、私に注がれる眼差しが心なしか熱っぽくて、つい目が泳ぐ。見てはいけない気持ちになり、気を紛らせようと、私は慌てて言葉を紡いだ。
「なんか、すごい…結構人いるね」
周りを見渡しても人だらけ。七海くんが言っていたお祭りのことを話したら、「せっかくだから行こうか」と夏油くんは快く受け入れてくれた。規模がそんなに大きくないだけに、人も密集しやすいのかもしれない。
行き交う人々と体が触れないように気を配っていると、右手がスッと自然に取られる。
「はぐれないように、ね?」
突然の夏油くんの行動に、顔に熱が集まる。彼がそれに気づいた様子はなかったので、片手で扇いでそっと冷ます。
どこか控えめに繋がれた手。時折、私が人にぶつかって転けそうになると、夏油くんが瞬時に察して引き寄せてくれる。「ありがとう」と小さく呟けば、耳元に唇を寄せて「どういたしまして」とやけにいい声で囁かれた。絶対にわざとだ。
「はい、どうぞ〜」
いちごシロップのかかったかき氷を店員さんから受け取る。ストロー型のスプーンで掬えば、シャリっといい音がした。
「悟ってかき氷食べた事ないんだって」
「え?!そうなの?」
「今度、食べさせてみようか」
楽しそうに五条くんについて話す夏油くんを横目で見る。なんだか未だに夢みたいだ。好きな人が自分の隣にいるなんて。
ん?と私の視線に気づいた夏油くんは少し首を傾げたあと、思いついた素振りで自分のかき氷を一口掬った。
「食べる?はい」
私の口元にブルーハワイのシロップがかかった氷がやってくる。
すごい。昨日までの自分には考えられないことが起きている。こんな恋人みたいなこと。
夏油くんは不思議そうに、食べないの?なんて聞いてくる。私は少し怯んだ後、躊躇いがちに小さく口を開けた。すると、一瞬で舌の上に氷の冷たさと爽やかな味が広がる。
「美味しい?」
なんて満足そうに聞いてくる夏油くんに、私は小さく頷くしかなかった。
♢
人混みを抜け、人があまり通らない石階段に腰を落ち着かせる。
祭り会場からは少し離れるが、「ここ花火が良く見えるって高専の事務の人が言ってた」と夏油くんは得意げに教えてくれた。
座る位置を少しばかり変えたら、石階段に置いていた指先同士が触れる。反射的に「ごめんね」と謝れば、夏油くんは困った顔して笑った。
「暗いね」
ちょっと待って、と夏油くんがとても小さな呪霊をポンと呼び出した。それは淡く橙に光り、私たちをぼんやりと照らし出してくれる。
「戦闘には不向きだけど、活躍出来て良かった」
褒められた呪霊は、私たちの周りをふわふわと嬉しそうに浮遊した。それを珍しげに眺める夏油くんの横顔に見惚れながら、私の口は勝手に動く。
「夏油くん…聞いてもいい?」
窮屈そうに体を丸めている夏油くんは、僅かに顔を傾ける。なんでも聞いて、と表情が訴えていた。
「私のどこを、好き…になってくれたの?」
制服のスカートを握りしめる。なんだか自惚れてる質問で恥ずかしい。でも、ずっと気になっていた。浮遊する呪霊が時々夏油くんの瞳をキラリと映し出す。
自分から聞いておいてなんだが、少しの沈黙も落ち着かず、彼から逃げるために俯いた。なのに、サラサラと下に流れた髪を、夏油くんが掬い上げる。ビクッと驚いてる間に、髪をそのまま私の耳にかけ、頭を撫でられた。
その手つきが本当に優しくて、自分で思うのはなんだが、愛でるという単語がピッタリだった。
「君が」
「う、うん」
「寄り添ってくれたから」
ひとつ瞬きをする。
寄り添う…?任務で失敗した私に夏油くんが寄り添ってくれることは何度もあったが、その逆なんてあっただろうか。
困惑し、えっ私?と自分を指させば夏油くんは小さく頷いた。夏油くんは中途半端に宙に浮いた私の指先を絡めとった後、伏せ目がちになる。
「呪術師やってると…人の悪意とか憎しみとか醜さとか。そういうのに直面するだろ?それが嫌になる時がある」
おぞましい呪霊。足がすくむ。逃げ出したくなる時もある。これを生むのが、私たち人間なのだと思うとどうしてもやりきれない。
「でも……君が辛い時は言葉にしていいって言ってくれたから」
今、ここに私はいる。
握られた手に力が込められる。呪霊に照らされている彼の眼差しが、あまりにも優しくて泣きそうになる。
全てを慈しむ微笑みに、私は何をしてあげられるのだろう。
「夏油くん」
「ん?」
「好き…だよ」
私の突然の告白に、夏油くんは一瞬面を食らった。以前の私なら考えられない積極さだ。
でも今は、自分の気持ちを素直に夏油くんに伝えたかった。
夏油くんは腰を浮かし私に近づく。そのせいで隙間がなくなり、肩がぶつかった。
「なまえ、」
夏油くんの指先が私の耳に触れる。吐息混じりの声に、心拍数が上がる。少しずつだけど、確実に距離が縮まっている。
まって、これはまさか…
反射的に目をぎゅっと瞑った瞬間、軽快な音がどこからか流れてきた。
驚いて顔を上げると目を丸くした夏油くんが数センチ先に。軽快な音は鳴り続き、どうやら発信源は夏油くんの制服のポケットのよう。
はぁ…と残念そうに私の耳から手を離し、顔を顰めて携帯を取り出した。ディスプレイをみると、意外そうな声を上げる。
「先生からだ」
独り言を呟いた後、通話ボタンを押す。私は少しホッとしたような、でもどこか残念な気持ちで短く息を吐いた。
先生と会話してる夏油くんの顔つきが段々と真剣になって、チラリと私をみた。
「います。隣に」
固い声。夏油くんは携帯を耳から離し、代わりにスピーカーのボタンを押した。夜蛾先生の声が聞こえてくる。
『緊急の任務だ。なまえと傑に今から言う現場に行ってもらいたい。補助監督は後から合流させる』
「分かりました」
『なまえ、体調もう大丈夫か?』
「は、はい! 平気です」
夜蛾先生から内容を聞き終え、私たちは立ち上がった。夏油くんが右手を掲げると、割れた夜空からエイの呪霊が現れる。
「なまえ、無理してないか?」
夏油くんが心配そうに首元を一瞬見たので、安心させる為に力強く頷く。「大丈夫だよ」と伝えれば夏油くんは複雑な表情を浮かべた。
差し出された大きな手。その姿は私にとって王子様みたいだ。でも乗り込もうとしているのは、かぼちゃの馬車でも白馬でもない。私たちが向かう先は豪華なお城でもない。
呪いが渦巻く地だ。
「夏油くん、前に私たちが普通の高校生だったらって話したの…覚えてる?」
「もちろん」
夏油くんは差し出した手をそのままに、少しだけ首を傾げた。私が急にそんな事を聞いたからだろう。
「私も、そう願った時があったの」
呪霊の存在も知らなくて、命懸けの任務もない。授業を受けて、テストの結果に一喜一憂して、友達とお弁当を囲んで、部活に励んで、恋をする普通の高校生。
でも、それはやっぱり夢物語で。
「どうしたって、私は呪術師で」
血生臭い現実はいつも隣り合わせ。こうして、好きな人のそばにいる時でさえ、呪いのある場所へ私たちは赴かなければならない。
祓っても祓っても、人の心から生まれる呪いが消えることはない。
人の悪意も醜さも、残酷さも孤独も。目の当たりにするこの世界。終わりの見えない戦いは、ずっと夜の闇の中にいるようで。
「けど…その闇の中でも、夏油くんがいてくれたら、それだけでいいの」
それがどんな、世界線でも。
黙ったまま夏油くんが私の手を取る。引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。夏油くんの大きな背中に、私は腕を回す。
「君の隣にずっといるよ」
鬱陶しがられても離してあげられないな、なんて言うから「そうしてね」と微笑んだ。
怖くて、辛くて、理不尽なことに泣きたくなる時も、胸が引き裂かれる出来事にも遭遇するだろう。
それでも、あなたが隣にいてくれるから。隣で微笑んでくれるから。
淡く溶け出した私の夜は、あなたの優しい琥珀色に包まれる。
Fin.