7. 星が逃げた空



 あの日から、何となく夏油くんを避けてしまっている。
 教室にいる時も、体術訓練をしてる時も。
 夏油くんの顔を見ると、どうしてもあの時の補助監督さんとの光景がチラついてしまう。
 

 あれから五条くんは私に何も聞いてこない。まぁ、ほぼバレてるようなものだから、改めて聞いてこない彼には感謝するとともに、少し意外だった。
 夏油くんへの態度みたいに面白がるのかと思っていたから。
 しかし五条くんは、からかうどころか、私の前では夏油くんと彼女の話題を出さなくなった。









「嘘でしょ……」


 そう呟いた私の嘆きは、人々の足音にかき消されていった。


 今日は午後から一人任務。呪霊が廃ビルに多数出現。しかし低級呪霊との事で、三級の私一人でも行けるだろうとGOサインがでた。



「お疲れ様でした。じゃあ、帰りましょうか」



 補助監督の男性が優しく微笑んだその時、彼の高専用の携帯電話がけたたましく音を奏でる。
 こういう時は大抵、術師へ別任務の依頼か、補助監督が他の現場に駆り出されるかだ。結果は後者。



「私、電車で帰りますから、大丈夫ですよ」



 補助監督も呪術師と同じく、万年人手不足なのだ。こういう事は多々ある。
 「すみません」と彼は申し訳なさそうに、私を駅まで送ってくれた。



「車両点検の為〜」



 駅に到着し、ロータリーで補助監督を見送った後のことだ。
 駅内に入り、切符を買おうとすれば、淡々としたアナウンスが耳に入る。私が乗るはずだった電車はどうやらしばらく動かないらしい。
 空はとっくに夜の色をしていた。



「嘘でしょ……」



 そして、冒頭に至る。
 とりあえず、高専に電話をして事情を話すせば、別の補助監督が迎えに行けるか掛け合ってくれるとのこと。
 しかし、ほとんどが出払っている為、遅くなるかもしれない、と申し訳なさそうに言われた。



「大丈夫です。駅前で待ってますね」



 正直、早めに迎えに来て欲しい気持ちはある。低級呪霊とはいえ結構な数が出現したので、さすがの私も参ってしまった。
 しかし、電話越しの疲れ果てた声を聞いたら、ただの三級術師がそんなワガママ言い出せるはずもない。


 ふぅーと深くため息をつき、そのまま視線を下へ向けた。違和感のある自分の右足首。さっきの任務で挫いたのだ。今になって痛みが出てくる。
 電車を乗り継いで帰ってもいいが、今のこの足ではあんまり動きたくないのが本音。
 この程度の任務で負傷するなんて、また五条くんに何か言われるなぁ…と彼の歪んだ表情が頭に浮かんだ。


 疲労の原因はもう一つ。どうやら夏油くんと例の補助監督さんが一緒の任務らしいという事。
 先ほど、同行した補助監督との何気ない会話でそれが判明してしまい、勝手に落ち込んでいる。
 肉体的にも精神的にも今日は、なにかと堪える日だ。
 


 駅前にある手すりに背中を預ける。
 小さな広場には、友達と談笑する高校生や、仕事終わりのサラリーマン、OLに、帰りを急ぐ主婦など、人で溢れていた。
 人々が行き交う都会のザワザワとした喧騒。みんな自分のことしか気にしてない。いつもは気にならないのに、街の音や不特定多数の声が騒がしく感じるのは、きっと疲れているんだ。


 視界の中に道ゆく人を映したくなくて、空を見上げた。でも瞬く星は見えない。
 高専の辺りだったら綺麗に見えるのに…と諦めてまぶたを閉じる。


 真っ先に頭に思い浮かぶのは、好きな人。
 そういえば一年生の時、夏油くんとこんな騒々しい街中で、夜空を見上げたことがあったなぁ。




「なまえ…?」




 夏油くんのことを考えていたら、名前を呼ばれる幻聴まで聞こえてきた。相当疲れているらしい。




「なまえ! 」




 これは…クリアに聞こえすぎる。ハッとして声がした方に顔を向ければ、そこにいたのは夏油くんだった。
 見間違い…じゃない。
 人混みから頭ひとつ抜けた体躯。わずかに見開かれた双眸。五条くんとは対照的な、夜空のような黒髪。私と同じ闇に溶け込む高専の制服。



「何してるんだい?こんなところで」



 夏油くんも、まさかこんな所で同級生に会うとは思ってなかったのだろう。珍しく、なんで?と素直な感情が顔に出ていた。
 声をかけてくれたのに、私はレスポンスするのも忘れて、まじまじと見つめてしまう。
 本当に、夏油くん?


 駅の光に照らされて、彼の顔が浮かび上がる。頬がわずかに赤いのは、むし暑いせいと、駆け寄ってきてくれたからだろう。



「任務?灰原の代わり?」



 夏油くんがこんな事を聞くのは、私が連日風邪をひいた灰原くんの代わりに、任務に赴いているからだ。
 先日、灰原くんのお見舞いに行くと、「なまえさん、ほんどにずみまぜんっ」と私があげたスポーツドリンクや、のど飴の入った買い物袋を大事そうに抱え、鼻声の全力謝罪された。
 むしろ夏油くんに会わなくて済むから助かるよ、とは灰原くんに言えなかった。



「誰か待ってるの?」



 記者の如く次々とふってくる質問に、遅ればせながら補助監督の事情を話せば、「そっか」と彼は納得した。
 そうして、どちらともなく言葉が続かず、二人の間に静寂が降り立つ。街の喧騒がやけに耳に入ってくる気がした。


 きっと私が避けていることに、なんとなく気づいてるだろう。聡く頭の良い、観察眼に優れた彼のことだから。
 そして、この沈黙に耐えられるほど、私の忍耐力は強くない。



「夏油くんは?今日、郊外の任務だったよね」



 どうしてここに?と疑問も込めて努めて明るく話した。夏油くんが任務で赴いた場所は、ここの地域とは関係ない所のはず。



「あー…」



 夏油くんが言い淀む。歯切れが悪い上に、私とも視線が合わない。聞かれたくなかったのかなと焦ってしまう。
 慌てて寄りかかっていた手すりから体を離せば、足首に体重がかかったせいで、わずかに痛みがはしった。でも顔には出さなかったはず。
 なのに、



「…どこか痛い?」



 夏油くんは眉をしかめ、首を傾げた。
 悟られないようにしたのに、どうしてわかってしまうのだろう。今度は私が言い淀んでしまう。
 そこへ追い打ちをかけるように夏油くんは「なまえ?」と優しく私の名前を呼んだ。



「…ううん。どこも、痛くないよ」



 なるべくゆっくりした動作で首を横に振った。夏油くんにも、自分にも言い聞かせるように。


 気づかないでほしい、私のことなんて。嬉しくなってしまうから。
 少しでも私のことを考えてくれたのかななんて思ってしまう。


 ついた嘘をさらに誤魔化すみたいに、私はへらりと笑った。
 でも、夏油くんの表情は崩れない。真剣な眼差しで私の偽りを見抜こうとしてる。そんな目で見ないで。心まで見透かされそう。

 


「なまえ、」
「傑くん!」




 その時、可愛らしいソプラノが私たちの会話を遮った。聞き覚えのある声。
 夏油くんの背後に目を向ければ、走ってきたのはあの補助監督さん。
 視界に捉えた途端、無意識に息を止めた。夏油くんをチラリと見れば、彼の目は泳ぎ、マズイと今にも口に出しそうな表情をしていた。
 彼女は私たちの元へ到達すると、恋人のように夏油くんの逞しい腕に絡みつき、覗き込むように話しかける。



「ごめんね、高専から電話きちゃって…?」



 そこまで言って、彼女は私の存在に気づいたらしい。コテンと不思議そうに首を可愛らしく傾げる。大きな瞳が揺れ動き、上から下まで私を見定めるような動きをした後、長身の夏油くんを見上げた。



「後輩ちゃん?」
「違いますよ。私の同級生で…この前任務帰りに会いましたよね」
「この前?」



 完全に彼女の記憶に私は残ってないようだった。口を可愛らしく、への字に曲げて懸命に思い出そうとしてる。本当に記憶を辿っているのかは分からない。




「あ!反転術式…じゃない方の子だ! 」




 "じゃない方の子"
 言われた瞬間、目を見張る。彼女の言葉に悪意がないのは当然分かっていた。
 無下限と六眼の抱き合わせ。呪霊操術の使い手。反転術式。
 これらの希少な同級生がいれば、三級の私なんて、じゃない方になる。


 でも、急に恥ずかしくなった。
 一級の夏油くんと三級の私。じゃない方の私。
 バッチリと化粧をした可愛らしい顔に綺麗なスーツに身を包んだ彼女。汗まみれで呪霊の血が染みついた黒い制服姿の私。
 どうしようもなく、二人の目の前に立っているのが嫌になる。



「迎えはすぐ来るのかい?」



 私の心情などお構いなしに、心配そうに夏油くんが覗き込んでくる。
 揺れ動く琥珀色から目を背けたくなった。逃げ出したくなった。
 見ないでほしい。そんな綺麗な人が横にいるのに、呪霊の血を浴びた私の姿なんて。
 見たくなかった。組まれた腕を解こうともせず、受け入れている夏油くんを。



「私と帰る?」



 そんな提案をされ、一瞬心が揺れ動いた。
 横にいる綺麗な彼女より、私を選んでくれるのだろうか。



「でも、今からウチとご飯だよ?」



 不満げに補助監督さんが呟く。頬を膨らませた顔まで人形みたいだ。夏油くんは少しばかり彼女に視線を注ぎ、数秒の沈黙のあと、人当たりの良い笑みを浮かべた。



「でも、この時間。こんな所に彼女を置いていけませんよ」



 というか私は行くって言ってませんよ、と困った風にワントーン上がる声。
 チラリと彼女が私を見る。その瞳は夏油くんには決して見せないであろう鋭いモノだった。こっちが怯んでしまい、彼女の態度に気づかないフリをして、私は慌てて笑顔を取り繕う。



「夏油くん、私は大丈夫だよ。迎えはその…すぐ来るから」



 本当はいつ来るか分からない。もう足が痛いのを我慢して、電車を乗り継いで帰ろうかと心が傾き始めていた。



「傑くんっ」



 急かすような彼女の甘えた声。それもそうだ。彼女にしてみれば、こんな所から早く引き上げて、二人で美味しい食事をしたいはずだ。
 私も一人なりたい。だから早く二人で行ってほしい。そう願っても、夏油くんは全く動く気配がない。どうして?


 重苦しい沈黙に耐えかねた、その時。ポケットに入っていた私の携帯が鳴り響く。この状況に変化が訪れた。
 救世主とも呼べる電話。誰からかも見ずに慌ててボタンを押し、耳に当てる。



『あー、なまえー?』

「ご、五条くん?」



 この場の救世主メシアは同級生の五条悟だった。
 私たちに流れる重苦しい空気をぶち壊すような、まるで家族に向けるようなテキトーな声に、どれほど救われたことか。
 夏油くんの顔が強張って見えたけど、私はそれどころではない。



『お前、ホジョカンに置き去りにされたんだろ?』



 電話越しなのに、ニヤニヤした五条くんの表情が思い浮かぶ。置いていかれたというのは語弊があるので、訂正しようとひと息ついた時だ。



「そうじゃないよ。補助監督さんに別の任務が…」
『俺今、近くにいるから、なまえのこと拾ってやるよ』
「えっ」



 そこから動くんじゃねぇぞ〜と電話をさっさと切られてしまった。私の返事も聞かず、一方的な態度に呆れてものも言えない。
 でも正直助かった。帰りの手筈はついたので、ここから離れられる。




「悟から?」
「う、うん。近くにいるみたいで、五条くんが拾ってくれるみたい」
「そう。良かったね」




と夏油くんは喜びを口にしているはずなのに、その笑みがなぜか私には怒っているように見えて戸惑う。どうしてそんな顔するの?
 身構えるように携帯を握りしめた。プラプラと黒猫のストラップが揺れている。


「気をつけて帰るんだよ」


 それだけ言い残すと、夏油くんは早足で私の横を通り過ぎていった。そんな彼に、待ちわびたように着いていく補助監督さん。雑踏に紛れて遠くなる二つの影。
 恋人のように寄り添う二人を、私は最後までみれなかった。




 その後、補助監督と迎えに来てくれた五条くんに、「なんか、しけたツラしてんな。俺が迎えに来てやったのに」と大きな手で両頬をタコみたいにされる。
 五条くんの悪態にへらりと笑えば、納得のいかない顔をして、さらに強く掴まれた。