8. 駆けつけるのは王子だけじゃない



 朝早く、寮食堂の前にいる五条くんを発見した。
 私からは後ろ姿しか確認出来ないが、一度見たら忘れない鮮やかすぎる白髪に、あんなモデル体型の人、高専には一人しかいない。
 寮母さんと何やら話し込んでる。そういえば今日は少し遠出の任務だと聞いたから、早めに朝ご飯をとったのだろう。


 話しかけるか迷っていると、寮母さんが気づいてくれる。そして、「なまえちゃん、おはよう」と一段と大きな声をかけてくれた。まるで、目の前の白髪の同級生にも知らせるように。
 案の定、五条くんは慌てた様子でバッと後ろを振り返る。そんなに驚かなくても。


 「おはようございます」と数メートル先の二人に歩み寄ろうとすれば、それより早く五条くんが動き出した。
 表情は硬く、全てを薙ぎ倒す勢いでズカズカと迫り来る長身の男。それにロックオンされた私。
 動くなよ、と露わになっている二つの宝石に命令された気がして、私はその場に縫いつけられた。
 


「お、はよう」
「はよ」



 なんとなく萎縮して挨拶をする。しかし、目の前に立ち塞がる五条くんは、そんな私の態度気にする素振りもなく、急にお土産の話をしてきた。
 何を言われるんだろう、と身構えていた私は少しの間呆気に取られ、口をポカンと開けてしまう。



「お、お土産?」
「そう。お前、なんか食いたいのあんのかよ」



 なぜか"文句あんのかよ" みたいな、喧嘩腰の口調にツッコミたくなったが、今は黙っておく。
 それより、わざわざ聞いてくるなんて、どうしたんだろう?


 五条くんが遠出の任務に行く時は、これ買ってきてとリクエストをしない限り、大抵彼好みの甘いお菓子。「主導権は俺にある」とか言って。
 私は五条くんがチョイスした甘いお菓子も平気で食べるけど、硝子ちゃんはいつもコーヒーをお供にしていた。
 


「おい、早く言えよ」
「えぇー…」



 今度はカツアゲでもされてる気分だ。"おい財布早く出せよ" 的な。
 会話のラリーが上手くいかない私に、五条くんの綺麗な顔が段々と不機嫌になっていく。分かりやすい…


 正直なんでもいいのに。無事に帰ってきてくれたら。
 でもきっと、そんなことを言ったら"お前に心配されるほどヤワじゃねェよ" と小突かれそうなので、黙っておいた。



 うーん…と一応、考えているアピールをするために、腕を組む。
 硝子ちゃんは、甘すぎるのは口に合わないし、かといってビター過ぎるのは五条くんの好みではない。
 夏油くんは…大抵、「なんでも食べるよ」といつも誰かに合わせてくれていた。



「えっと…硝子ちゃんたちには聞いた? 」



 結局、答えの出ない私は質問に質問で返してしまう。その様子に五条くんは、呆れを隠しもせず大袈裟にため息をついた。
 な、なんで?



「俺は、お前に聞いてんの」



 好きなの言えよ、とぶっきらぼうに命令され早くしろと綺麗な二つの瞳が訴えている。
 すると、野菜のカゴを持った寮母さんが、五条くんの後ろからひょっこり現れた。




「なんでも好きなの言いなさいよ。五条くんは、なまえちゃんに元気出してほしいんだってさ」

「なんで、言うんだ……すかっ 」




 五条くんは、突然の寮母さんのセリフに慌てふためいている。
 ギリギリ敬語に直した彼に感心しながら、そういえば前に夏油くんに注意されていた事を思い出した。
 寮母さんは敬語とかタメ口とか、そんなこと気にしてないけど、礼節を重んじる夏油くんは見逃せなかったよう。「いいかい、悟」と教えを説く彼は、まるで先生のようだった。


 悪気のない密告をされた五条くんを見上げれば、眉間に皺が寄っていて口元は固く結ばれている。その顔は不機嫌なのではなく、どちらかといえば、羞恥心を隠すためな気がした。


 寮母さんはその様子にカラカラと笑い、あっという間に食堂へ消えていく。完全なる言い逃げだ。
 それより、私に元気になってほしいって…と五条くんの態度に混乱していれば、ヤケになった彼が声を荒げた。



「お前が最近ボーっとしてっから!この前もヤガセンの呪骸にやられやがって」

「あー…」



 グサッと五条くんの人さし指が私のおでこに当たる。
 忘れたとは言わせねぇ、と彼の指がどんどん食い込むので、「わ、忘れてないよ」と慌てて弁解をした。痛い…



 先日、私と五条くん、夏油くんの三人に加え、灰原くんと体術訓練をした時だ。
 夜蛾先生の作った二匹の呪骸相手に、私は呪具(に見立てた長い木製の棒)を使い、灰原くんは術式を使用。二人で協力し、実践訓練をしていた。


 横目でチラリと夏油くんを見れば、五条くんと組み手という名の、取っ組み合いをしている。
 というか、二人が真面目に組み手してるの見たことないかも?


 なんやかんや夏油くんが楽しそうにしているので、不覚にもその無邪気な姿に心を奪われた。きっとあの顔は、五条くんにしか引き出せない。
 でも、その相方にも見せない表情を、補助監督であるあの人は知ってるんだろうなぁ…


 そんな妄想に勝手に落ち込んでいれば、「なまえさん、どうしました?お腹空きました?」と灰原くんの大きな瞳が、不思議そうに私を見つめていた。









 攻めと守り。両方を駆使して呪骸相手に戦っていると、石階段に黒服の人影があった。
 夏油くんが、その人物の元へ走っていくのが視界の端で見え、五条くんはいいトコだったのに邪魔しやがって、と不満げに芝生を蹴っている。
 私も訓練に集中しているフリをして、横目では夏油くんの姿を追っていた。


 どうやら補助監督のよう。一瞬、あの人…?と変にドキッとするが、目を凝らして見ると違う。
 こんな人違いでさえ動揺するなんて、私のメンタル、相当キテるのではないかと疑う。
 ホッと無意識に胸を撫で下ろしたのも束の間で、突然強い力で引っ張られた。



「…あれ?」



 自分の間の抜けた声と同時に、共に戦っていた灰原くんが視界から消えた。代わりに青空が広がる。
 どうやら、無防備に突き出していた棒を呪骸に掴まれ、そのまま勢いよく頭上に投げられたらしい。
 先生の呪骸に吹っ飛ばされるのは、威力も高さもワケが違う。可愛らしい見た目のどこにそのパワーを隠しているのか。


 芝生の上とはいえ、上手く転がらないと、このままでは大怪我する。棒を振りかざし、体勢を整えた瞬間、横からボンッと衝撃が。



「うわっ!」



 もう一匹の呪骸に攻撃されて、さらに吹っ飛ばされた。先生の呪骸は容赦ない。
 その拍子に手から木の棒がポロッとすり抜ける。
 あ、これは…マズイ。
 
 
 

「なまえさん!?」




 私の異変に気づいたらしい、灰原くんの焦った声が聞こえる。
 体勢を整える暇もなく、私の体は落下していた。どうにかショックを和らげたいのに、うまく体がまわらない。





(落ちる…!)





 そう覚悟した次の瞬時、体がドンッ!と何かにぶつかる。
 呪骸に攻撃されるとは別の衝撃。インパクトは確かにあったのにどこも痛くない。…どうして?




「…浮いてる」
「っ、なにしてんだよ」




 責めるような低い声が上から聞こえた。右横を見上げれば、同級生の綺麗な横顔。
 私は間一髪で五条くんに助けられていた。


 すれ違い様に、真横でコケた人を抱き止めるように、私のお腹に彼の逞しい右腕が回っている。 自分の足元で、灰原くんが心配そうに叫んでいるのが聞こえた。

 ご、五条くん…と口には出すものの、言葉に力が入らない。その様子を黙って見ていた彼は、安堵の色を含んだ、ため息をこぼした。
 しかし、すぐさまサングラスの縁からギロリと睨みつけられ、その迫力に思わず肩をすくめた。

 
 なんの会話もなく、ゆっくりと五条くんが地上へ舞い降りる。私は後ろ向きのまま、彼の右腕にジェットコースターの安全バーを握るかの如く、しがみついていた。(決して、ふり落とされると思っていた訳ではない。決して)


 私の右足が地面に着いたことを確認すると五条くんがお腹から、そっと手を外した。
 しかし、想像より自分の膝は笑っていたらしい。そのまま前のめりになり、バランスを崩してしまった。




「ちょっ」
「あ?」



 
 膝から崩れ落ちた私は、不覚にも目の前の白いTシャツを掴んでしまう。
 低い声が聞こえたと同時に、私の体は彼の胸に、全力で飛び込む形になった。
 そして五条くんの体は背後へと傾き…




 ドンッ!と突然のアクシデントに五条くんも対処しきれず、二人で地面に雪崩れ込んでしまった。




「痛ってぇ…」




 顔をあげると、私が巻き込んだ最強術師は臀部を押さえながら呻いている。自分はなんてことを…



「ご、ごめん…!」



 慌てて謝罪を述べ、不機嫌MAX顔の彼の白いTシャツからパッと手を離す。言われた訳でもないのに私はその場に静かに正座をした。
 まるで夜蛾先生に怒られる時の五条くんのよう。




「お前…俺がせっかく助けてやったのに、恩を仇で返すのかよ」




 あぁん? と青空をバックに盛大に顔を歪めた五条くんは、片手で私の両頬を鷲掴む。タコみたいにされて喋れない。
 突然の暴挙に一応抵抗を示すものの、五条くんの力が強すぎるので秒で諦めた。



「なまえさーん!大丈夫ですか?!」



 パタパタと灰原くんが犬のように駆け寄ってきた。
 その可愛らしい後輩に、大丈夫だよ。でも助けて、の意味を込めて目で訴えるが、どうやら前者しか伝わらなかったらしい。
 良かったぁ!と屈託のない明るい笑顔を向けられ、その眩しさに思わず目を細めた。
 灰原くんとは反対に、黒いサングラスをかけたガラの悪い同級生に「おい」と現実に引き戻される。




「お前、何やってんの」
「硝子が出張中なんだから、怪我すんじゃねーよ」
「あんくらい体勢変えて着地出来んだろ」




 ふりかかる言葉の雨から逃げるために、視線を横に逸らす。しかし、その行為が彼の癇に障ったのか、ずいっと顔をさらに近づけられた。
 五条くんのおでこに怒りマークが見えそう。口が押しつぶされてるので、へぃ…とマヌケな返事しか出来ない。




「…呪い目の前にして、他のこと考えんな」




 声は荒げてないものの、いい加減にしろと念を押す雰囲気があった。


 するりと頬が解放され、ジッとサングラス越しに視線を注がれたが、空色の瞳からもう怒りは感じられない。
 代わりに、どことなく心配そうに揺れていたので思わず、ごめん…と力なく謝った。


 この微妙な空気を壊そうとしたのか、それとも何も考えてないのか、キョロキョロと私たちを交互に見る灰原くんの元気な声が、辺りに響く。



「五条さん、めっちゃ早いですね!」



 足にエンジンでもついてるんですか?!
 彼は目を輝かせて感銘を受けていた。まるでヒーローショーを見た子どものようなリアクション。
 五条くんは、はぁ?と鬱陶しそうに返事をするが、さすが灰原くん。彼の塩対応は気にも止めてない。
 そんな彼を見れば、何かを両手で抱えていた。大きめのボーリング球のような。
 ゴトゴトと灰原くんの腕の中で小さく暴れていた。なにそれ?と眺めていれば、灰原くんが見てほしいと言わんばかりにソレを差し出す。



「これは、夏油さんがやったんですよ!」



 ね!と灰原くんが元気よく後ろを振り返れば、ゆっくりとした足取りで夏油くんが近づいてくる。
 その彼の足元には、灰原くんが持つ不思議な球と同じモノが、彼の歩幅に合わせてコロコロ転がっていた。
 下を向いていた夏油くんは、私の視線と灰原くんの言葉に気がつくと「あぁ…そうだよ」と興味なさげに呟いた。




「大丈夫かい?」




 夏油くんは困ったように眉を下げ、正座してる私を覗き込んでくる。彼の一房の前髪が風に揺れてサラサラと横に流れた。
 袖を捲った夏油くんの腕が伸びてきて、遠慮がちに私の手首をひく。いとも容易く体を持ち上げられた。そのまま立ち上がったことを確認すると、夏油くんは眉毛を下げたまま、わずかに微笑んだ。


 五条くんはその様子に、はぁーと短くため息をつく。
 もう一度チラリと灰原くんの持つ物体を見れば、説明を乞いてると思ったらしく、夏油くんが抑揚のない声で解説してくれた。




「…君を助けようと思って咄嗟に出した呪霊だよ。球体そのの中に君を保護して、衝撃を和らげようと思ったんだ」



 
 まぁ悟がもう居たから、無駄だったけどねと肩をすくめて、どこか自嘲気味。
 


「あ、ありがとう」
「…助けたのは悟だよ。私は何もしてない」



 そう視線を逸らされた。彼の突き離すような雰囲気に、私は何も言えなくなってしまう。



「じゃあ、私は行くね」



 そして、そのまま脱ぎ捨てていた上着を掴んで任務に行ってしまった。











「あの時は、ありがとうね」



 もう一度素直に感謝を告げると、五条くんは「べっつにー」なんてフンっと鼻を鳴らした。
 それから、んで?と再び催促される。そうだ、お土産の話だ。何でもいいという答えはこの際、受け取ってくれなそう。



「じゃあ、甘いお菓子がいいかな」



 そうリクエストすれば、五条くんはパッと光が差したように笑う。待ってましたと言わんばかりだ。




「そういうの選ぶの俺得意。まぁ、多分渡すのは…いや、上手くいけば今日の夜だな。それか明日」
「あ…泊まりがけなんだ?」




 私が問いかけると、「んーいや?俺のやる気次第?」なんて、五条悟だから許される返事をもらった。同行する補助監督も大変だなと苦笑いを浮かべる。
 私への用事が済んだらしい五条くんが「じゃあな〜」と歩き出したので、最後に私は慌てて声をかけた。




「き、気をつけてね」



 
 すると、横を通り過ぎる間際、五条くんが一度止まり、私の顔をじっと見つめてきた。
 え、なんだろう?と数回瞬きをしていると彼はニカッと白い歯を見せ、「行ってくる」と嬉しそうに笑った。
 それにつられて私も自然と顔が綻び、



「行ってらっしゃい」



と彼を送り出したのだった。