約束はしたものの、彼は忙しかった。
あれから3週間 彼と会ってない。
「連絡する」なんて簡単に言ったけど、連絡先交換してないよね、わたしたち。


『で、どないやねん』


彼に会えない、その空白の時間は私とこの男の中を親しくした。


「何が?」


かつて私のお一人様オアシスだった喫煙所は、いつしか運が良ければ村上さんに会えるかもしれない場所になり、そして今では渋谷くんと落ち合う場所になっている。なってしまっている。それはそれで楽しいよ。楽しいんだけど…なんだかなあ。


『うまくいってんのんか』
「だから 主語、」


早くも2本目に火をつける彼に言葉を催促した。出会って数ヶ月、まだ言葉なしでいろいろ伝わる関係ではないぞ。


『会うてんのやろ?』


アイツと。


『仲良くやってんのか』


アイツでわかってしまうのが悔しいけれど、わたしとこの男の間で 話題に上るほどの共通の知り合いは 知り得る限り一人しかいない。
村上さん。今どうしてるんだろうなあ。


「…それがねえ、会う約束はしてるんだけど、」


まだご飯も行ってないのよ。

その言葉に渋谷くんがわざとらしくむせかえった。折れそう。細くて、そんなに大きく咳したら折れちゃいそう。


『お前それ…ええ、?まじで?』


狼狽える彼の手元から灰が落ちる。『あいやー』なんて、慌ててスーツから払いのけた。


『いやいやいや、ヒナに限ってそんな』
「その"ヒナに限って"さんが、誘うだけ誘ってその後音沙汰無しなのよ」


自分で言ってて悲しくなる。「忙しいんだよ、村上さんは」なんて自ら言い訳してみて、うわ、かっこ悪いな。
それに気付いてか、渋谷くんがはんっと鼻で笑った。


『お前ほんとは遊ばれてんのとちゃうか?』


目尻に寄った皺が可愛い。キュッと上がった口角に黒い影と、整った歯並びに見とれてると今の言葉を聞き逃すところだった。
遊ばれてる…ね。そうなのかな。そもそも彼からの好意を受け取った覚えはないんだけれど。でも真面目な人だから、その気もない相手とあんな雰囲気共有するかなあ。とは思ってた。…これが期待してるってやつか。


『あ いや冗談やて冗談』


物思いに耽る私の顔を見て、渋谷くんが慌てて訂正した。「そんな顔すんなや…」なんて困った素振りで、やけに気を使った見方。なにそれ、私どんな顔してんの?



「なんや、お揃いで」



背後から不意に声が聞こえた。肩が跳ねる。渋谷くんが伸ばしかけてた手を引っ込めた。


『噂をすればやん』
「噂てなんやねん」


にやりと薄い笑いを貼り付けた渋谷くんの視線を追って振り返る。「かっこいいて?」なんて真顔で返す 村上さんがいた。


『調子乗んなよ』
「ついに俺の男前に気が付いたんとちゃうんか」
『俺はそんな響子みたいなこと言わへん』
「は、」


いま、渋谷くんなんて言った?
村上さんは私と目を合わせることもなく私の隣に座って、挟まれた2人の会話にただただ首が忙しかった。


『今もずっとヒナに会いたい会いたい言うて』
「ちょっと、渋谷くん」


牽制のつもりで渋谷くんの肩を揺する。
「なんや神谷、そういうのは本人に言った方がええで」
と言う村上さんの言葉に振り返ると彼は気持ちよさそうに煙を吐き出していた。いや言ってませんって。
渋谷くんはそれを受けて「そうや、直接言え。俺に言われても腹立つだけや」と言いながらまだ短くなってない火をもみ消した。渋谷くんはちょっと黙っててくれるかなあ!


『なんやねん!人が親切に……ふん!』


わざとらしく怒った言い方で立ち上がって、両手をポケットに突っ込んだ。


「ふんて…」
『帰る!邪魔したわ!』


ガニ股で、どすどすと音が聞こえてきそうな歩き方で私の前を通り過ぎる。「おー、帰れ帰れ」と村上さんが手でしっしっとやるとヤンキーみたいにメンチを切った。

『…まあ、ええわ』

しかしすぐに力を抜いて、いつものあのにやにやした口元で『ごゆっくり』とつぶやく。


「言われんでも」


村上さんがゆっくりと顎で頷くように渋谷くんに目を合わせる。ふっと笑って、華奢な身体は出て行った。


「…………」
「………………」
「……」
「…………」


微妙な空気、な気がする。まず会うのが久しぶりだ。緊張する。何を話そう。そもそもいつも何話してたっけ。私話しかけてたっけ。どうだったかな。この間の約束の話する?いやでも忙しかったら鬱陶しいかな。最近お会いしませんね…いやなんかそれもさっきの渋谷くんの一言で言いにくい…


「……………」
「………」
「…………」
「…………………」
「………」

「連絡先、聞くの忘れとったな」


思い出したように、話の流れのように自然に沈黙を破ったのは、村上さんだった。
「あ、はい」
なんて返事をして、おもむろにお互いスマホを取り出して連絡先を交換する。
"村上信五"
登録された番号と、新しくアプリに表示される名前に笑顔が抑えきれない。


「最近大変ですか、やっぱり」


にやつく顔を隠すように、思わず口を開いた。



「…敬語」



だがその質問には答えてもらえなかった。代わりにいつもより低い声で短く言われたその単語。どういう返事だ。
「え?」と聞き返すと、彼は眉間に深くシワを寄せた。


「敬語、なんでやねん」


抑揚のない声が威圧する。「すばるにはタメ口やったやんけ」と言って、「昔も敬語なんか使ってへんかったやろ」と視線をこちらへ流した。


「そう、でしたっけ」


そうだ。そうだった。
でも、あの頃とは違う。お世辞にも、あの頃の二人の間柄ではないのだ。今の村上さんはあまりにも遠い。
渋谷くんは何となく敬語を使わせない雰囲気を出してる、から、ああなったけど。
でも村上さんは、



「俺はあかんのか」



近付くって、怖いことだと思う。一度近づいてしまうと、離れる時が辛くなるから。近付くことって、好いていれば好いているほど たくさんの勇気と労力がいる。


「そんなこと、ないです」
「せやったらええやんけ」


ちらりと彼を見るとばちっと視線が合ってしまって気まずかった。目をそらしながらフィルターを咥える。煙草って、便利だな。手持ち無沙汰になることがほとんどないし、間を作るきっかけにもなる。


「…村上、くん」
「おう」
「最近忙しいの?」
「そや、ええ子やな」


会話が噛み合ってなくて面白い。「なにそれ」と笑うと「聞き分けのええ子、好きやで」と優しく返された。




「お前みたいなん、めっちゃ好きや」




ドクン、
心臓が大きく跳ねる。
部屋中の煙が動きを止めたように感じた。
一瞬思考が停止して、彼の灰が赤く灯るのが夢のようだった。

普段笑わないのに、こういう時だけ 笑わないでよ。








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お前みたいなんって、どんなん。

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ミガッテ