3
「先輩って、どんな人たちが居んの?」
手にしていたリュックを背負い直し、肩を並べて歩く人物を軽く見上げながら虎杖悠仁は
恐らく寮へと向かう道すがら世間話に花を咲かせようとしたのだろう。
相手からすれば話しやすく、自分からすれば知っていて損はない話題を選んだ辺り、それなりの処世術を身に付けているようだ。
「良い子も良い子たちだよ。元気溌剌で。心配しなくても、悠仁ともすぐに打ち解けてくれるさ」
因みに相手からの問い掛けにあっけらかんとした態度で返事を返すのは五条悟だ。
相も変わらず全身を黒一色で纏め上げ目元を覆ったスタイルでいる彼は人差し指をピッと立てると更に一本、二本と追加していく。そしてその指を虎杖に見せると、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「ただ二、三年生は丁度出払っちゃっててね。紹介はまた今度になるかな。代わりに僕のお嫁さんに会わせてあげる」
「先生、結婚してたの?!!」
「フフン、結婚秒読み待ったなし!」
「……?なら「お嫁さん」じゃなくね??」
それって「
そのような疑問と共に首を傾げる虎杖ではあったものの、傍らの五条から「近い将来“絶対にそうなる”訳だから間違ってはないんだよ」と返されてしまっては『そう言うものなのか』と素直に納得する。
根が正直者なので余り疑うことを知らぬのだろう。五条も五条で断言しているから尚更だ。
「先生のお嫁さんになるってことは、その人も呪術師?」
「んー……まあ一般人ではないかな。僕としては余り「呪い」に近付けさせたくは無いんだけど」
「危ないから?」
「大切だからだよ。この世の何よりもね」
笑みを携えてそう言い切った五条を前に虎杖は思わず「おお……」、だなんて声を漏らす。
相手の強い想いに当てられたのもそうだが、己が「想い」をハッキリと口に出来てしまう五条を率直に『格好良いな』と思ったのだ。
きっとそれだけ相手の事を大切に想っているのだろう。先程からやけに上機嫌なのも、件の「お嫁さん」とやらに漸く会えるからかもしれない。
「おっ。噂をすればだ」
「えっ、どこどこ!?」
五条の言葉に反応する形で忙しなく辺りを窺えば、目的としていた学生寮と思しき建物から一人の女性が姿を現した。
まだ多少の距離はあれど、頗る目の良い虎杖である。この距離からでも確と相手の容姿を捉えることが出来た事で反射的に口を開き掛けたら──────────ほんの一瞬、僅かながらにも“意識を持って行かれる”。
そして気付いた時にはもう既に
「──……っ?!」
否。
実際は“首を掴もうとしていた手を直前で止められた”、と言うべきか。
たった一歩で相手との距離を詰めた虎杖は、目の前の女性に手を伸ばした状態のまま、物の見事に動きを封じられてしまっていたのである。
自身が一歩を踏み出すよりも前に異変を感じ取っていた五条悟によって。
「
瞬間、何処からともなく此方を嘲笑うかのような哄笑が周囲に響き渡った。
「ケヒッ、ヒヒッ、ハハハハハハハ!!ああ愉快だ!愉快極まりない!!」
「あっ、テメェ、なに勝手に!」
「
全てを言い切る前に「それ」が口を閉ざしたのは、虎杖の腕を掴む手に更なる力が籠められたからだった。
また息をするのも躊躇われる程の殺気に「器」である虎杖が怯んだのも大きい。
見ると先程まで浮かべていた笑みを消して虎杖、否、彼の頬に一部分だけ姿を現した「両面宿儺」を見据えていた五条が両目を覆う目隠しに触れながら感情の籠っていない声で言葉を紡ぎ出していた。
未だに勘違いをしているであろう相手に向けて、ハッキリと。
「自惚れるのも大概にしろよ。巫蠱がオマエのものだった時なんてねぇんだよ」
皆まで言わずとも「失せろ」と促してくる五条を前に不気味なほど笑みを深めた「両面宿儺」ではあったのだが────────次の瞬間、それはそれは小気味の良い平手打ちが“そこ”に入った。これでもかと言わんばかりに、スパーンッ!、と。
因みに平手打ちを食らわせたのは五条でもなければ女性でもなく、言うなれば虎杖悠仁その者であった。
要は自分で自分の頬を引っ叩いたのだ、「両面宿儺」を引っ込ませるために。
だが勢いが余ってしまったのだろう。小さな呻き声と共に頬を押さえてしゃがみ込んだ虎杖を見て女性がすかさず彼に手を伸ばそうとすれば、
「〜〜っ悪い!
「……え、」
間髪入れずに“痛かったよな”と問われたせいか、女性が大きく目を見開かす。
しかしすぐに「いえ」、と否定すると、目下の虎杖が途端にホッとした様子で笑い始めるものだから彼女の中で小さな疑問が生じてしまう。
てっきり今し方の発言からして
ただの偶然か、或いは「器」であることによる感覚的な何かであったのか。
色々な感情を伴いながらも未だにしゃがみ込んだままでいる虎杖を暫し見詰めていたら、そんな女性を一瞥した五条がポツリと一言。
「────悠仁さあ。この場合って普通、「怖かったよな?」、って聞くところなんじゃないの?」
「え?……あっ、そっか。なんで言い間違えたんだろ」
自分自身の発言を思い返して虎杖が不思議そうに首を傾げていると、何を思ってか女性が突然ポスッと彼の頭に手を乗せた。
でもって急にやわやわと相手の頭を撫で始めるものだから、されるがままとなる虎杖はパチパチと目を瞬かす。
果たしてこれは労いによるものなのか、はたまた歓迎の意を表されているのか。
頭を撫でられるだなんていつぶりだろう?とまで思考する虎杖は、自身をジッと見詰め、まるで何かを懐かしむように瞳を細めた女性をただ黙って窺い続ける。
初めて会ったのに初めてではなく感じるこの感覚は己の中に居る「両面宿儺」のせいなのだろうな、と考えながら。
◆
「もしかして僕にまだ話してない事とかあったりする?」
互いに簡単な挨拶を交わし合いながら虎杖を部屋にまで案内した後、自室に戻る道すがらに五条にそう問われた女性は素直に目を瞬かす。
何だって急にそんなことを聞かれるのか、その理由とやらが全く思い付かなかったからだ。
故に隣を歩く五条を思わず見上げてしまったのだが、生憎と件の彼は此方に目を向けることなく前だけを見続けていた。
しかし問い掛けであった以上は答えるべきなのだろうと考える女性は暫しの沈黙後、逆に相手へと質問を返す。
「何故、そのように思うのですか?」
「んー?“勘”」
「勘、ですか」
「そっ。ただし断言しても良いものだ」
僕に話してないこと、あるでしょ?
又もや同じ台詞を繰り返すと足を止めて女性の顔を覗き込んでくる五条だったが故に、彼女もまたピタリ、と足を止める。
幸い彼ら以外に誰も居ない空間であった為に通路の真ん中で立ち止まってしまっていても問題になることは無かったのだが、足を止めさせられた女性は見るからに困った様子でいた。
質問に答えない限り解放して貰えないことを知っていたからだ。
「……話す必要が無い、と判断した場合でも話すべきなのでしょうか」
「巫蠱に限ってはね。君が“話す必要が無い”、と判断したものが僕にとっては重要なことかもしれない。なら僕は例え些細なことでも君を知っておく必要がある」
「それでも話す程のことではないと告げたら、私は信用を失うのでしょうか」
「それは無い。僕は他の誰よりも君を信用し、信頼してる。ただ僕の過保護っぷりが復活するだけだよ」
五条の「過保護」が復活する、と聞いて、女性が多少なりとも身体を強張らせたのは、去年この身に取り込んだ「呪い」を祓われてしまうと些か困ってしまうことがあるからだ。
暫くはこのままで、との我儘を渋々ながらも彼が聞き入れてくれていたからこそ、今現在は“この状態”を維持出来ているのだが、これを機に「それ」がなくなってしまうとなると少々厳しいものがある。
何せ「去年のような出来事」がまた起きないとも限らないのだから。
無論その辺りのことに関しては五条とて此方の気持ちを色々と汲んでくれているはず、なのだが────。
「君は「嘘」を吐かないけど、誤魔化すことはあるでしょ。あやふやにして、無かったことにしようともする」
「そんな、ことは」
「保健室で“する”のは嫌だって言うから僕の部屋に行こうとしたのに、巫蠱、脱兎の如く逃げ出したでしょ。しかも学長の元に逃げ込むもんだから僕はしこたま怒られたわけ」
「……あ、りましたね、そんなことも……」
やはり根に持っていたか、と居たたまれない気持ちになる女性は気まずそうに視線を彷徨わせる。
正直なところ、“あの時”の事に関しては此方にもそれなりの言い分があったりするのだが────────……目の前の五条にとっては「逃げられた」、と言う事実が何よりも重要であるのだろう。
もしかしたら「拒絶された」、と、そう思っているのかもしれない。もしくはそう思い続けてきたか、だ。
「巫蠱にとっての「僕」って、そんなに信じられない類の人間なわけ?」
「いいえ。悟を信じられないなど、そんなことは絶対に有り得ません」
「僕の言葉も想いも素直に受け取ってくれないのに?」
「そ、れは、その、私の性質、と言いますか、色々と根深いものでして、最近はちゃんと素直に受け取るよう努力しているつもり、なのですが…………まだ足りませんか」
「全くもって足りない」
「!?」
間髪入れずに返したことで明らかにショックを受けた様子の女性だったが故に、五条の顔から思わず笑みが溢れかける。
しかし敢えて無表情を貫いたまま彼女を手招くと、落ち込みながらも素直に近寄ってきた相手をそのままギュッと抱き締めた。
次いで女性の首筋に顔を埋めて肌に唇を寄せると、人知れず先程の光景を脳裏に甦らせる。
【〜〜っ悪い!痛かったよな!?】
五条悟は知っている、彼女の中に「痛み」と言うものが存在しないことを。
生まれながらに備わっていなかったのだと彼女自身の口から疾うに聞かされていたから、識っていた。
にも関わらず虎杖悠仁は言ったのだ、「
あれが只の言い間違いであったのならば深く捉える必要も無かったのであろうが──────如何せん彼は「両面宿儺」の「器」だ。
身の内に「宿儺」を宿したことで何かしらの“繋がり”を得たのだとしたら、あの
彼女が話したがらない「何か」が。
(ほんっと、嫌になるよ)
死して尚「彼女」を縛り続け、挙げ句の果てに受肉した今ですら
心底、嫌になる。
「悟、そろそろ、」
「巫蠱」
「はい?」
「あ」
「あ?」
腕の中で身動ぎし、恐る恐る此方を見上げてきた女性に繰り返すよう促せば鸚鵡返しで言葉が返ってくる。
故に五条は僅かに覗いた赤い舌を逃さぬようにしてその唇に己が唇を重ねた。反射的に身を引かせた相手の腰に素早く腕を回し、後頭部に手を添えて更に身体を密着させては貪るように彼女の唇へと噛み付く。
「──!?さ、……っん、ぁ……」
「……っは、口、閉じないで。開けたままでいて」
咄嗟に閉じ掛けた口に無理やり己の舌を捩じ込み、驚きから動きを止めた女性の舌に容赦なく自身の舌を絡ませる五条。
無論ささやかな抵抗はされるものの、逃げ惑う舌を執拗に追い、唇で唇をこじ開けたままわざと相手の耳に届く程の粘着音を響かせ続けていたら──────呼吸を乱した女性が縋るようにして五条の背中に手を伸ばしてくるのが分かった。
なので名残惜しそうにしつつもゆっくりと唇を離していく五条は苦しげに息を整え始めた女性に向け、すかさず己が想いを紡ぎ出す。
「好き。めっちゃ好き。愛してる。だから「続き」しちゃ駄目?」
「っ、だ、めに、決まっているでしょう」
「はー!?普通この流れなら「続き」するでしょ!しようよ!えっち!今すぐに!!」
「流れ、云々の前に、明日は野薔薇を迎えに行くのでしょう。仙台から帰ってきたばかりなのですから、悠仁たち同様、早く休んだらどうなのですか」
「別に僕は夜通し巫蠱を抱き続けようと翌日に支障を来したりはしないんだけど。余裕で回数こなせるけど。……あ、巫蠱が立てなくなっちゃうのか。絶対に加減出来ないし」
「聞かなかったことにしますから離して下さいませんか」
真顔で返事を返してくる五条に人の話をちゃんと聞くよう諭しつつ、相手の腕をペシペシと軽く叩く女性。仕草で拘束を解くように促しているのだ。
しかし何度頼もうと一向に離してくれないので眉を下げながら再び五条を見上げたら────────なんと言うか、見るからに拗ねていた。
それはもう見事な拗ねっぷりだった。いい大人が分かりやすく唇を尖らせている。可愛くも何ともない。
「てかさ、なんで僕だけシちゃ駄目なの?アイツには許したのに」
「アイツ?」
「……恵の」
「もしかして甚爾のことですか?」
「…………」
「えと、どうしてそのような考えに至ったのかは知りませんが、私と彼の間に“そう言った行為”は一度として無かったのですが……」
「……………………、は?」
女性からのまさかの返答に五条が素の声を漏らす。
思わず腕の中に居る相手を見下ろせば逆に“何故そう思ったのか不思議でならない”と言った顔で見られてしまい、唖然とする。え。マジか。
では自分はこの十数年間、ずっと
「そもそも「私」のような
呪術師ならば尚のこと、と語る女性は目の前の男が現在進行形で抱いている劣情をすっかり忘れ去っているらしい。
誤解は解けたかと言いたげに己を見上げてくる相手を見てほんの少しだけ呆れにも似た感情を抱く五条は暫しの沈黙後、『……まぁ良いか』、と仕方なしに自分自身を納得させる。今はただ「あの男」を受け入れなかった当時の彼女の選択に感謝すべきだろうと。
◆
「一年がたった三人って少な過ぎねぇ?」
「じゃあオマエ、今まで「呪い」が見えるなんて奴に会ったことあるか?」
「……ねえな」
それだけ
そう告げるなり辺りに目を向けるのは跳ねた黒髪を持つ少年こと伏黒恵だった。
東京都立呪術高等専門学校、即ち呪術高専の制服に身を包んだ彼は隣で呑気にアイスを頬張っている虎杖に呆れながらも変わらず原宿駅構内に視線を注ぎ続けている。見ての通り、人を待っているのだ。
「おっまたせー!」
約束の時間から微妙に遅れた頃にやってきたのはコンビニ袋を片手に携えた五条で、その傍らには興味深げに辺りを眺めている女性の姿もあった。
恐らく久方ぶりの「外」なので見るもの全てが物珍しく感じるのだろう。特級呪術師と言う立場上、五条も休暇が多いわけではないのでこう言う時でもなければ彼女を外に連れ出せないと言っていたし。
つまり五条が待ち合わせ時間に遅れたのもその辺りのことが関係しているのだろうが──────あからさまに“もう少し寄り道すれば良かった”、と言いたげな表情でいるのは
本来ならば「遅れてごめんなさい」と口にすべきは彼女ではなく、(女性を連れ回して散々デート気分を味わった挙句に約束の時間に遅れた)五条の方であろうに。
「そうだ、先生。俺の制服、伏黒のと微妙に違ぇんだけど。これって良いの?」
「問題ないよ。ウチの制服は希望があれば色々と弄ってもらえんの。悠仁のは僕がカスタム頼んどいたから」
「気を付けろ、五条先生こう言うところあるから。あと巫蠱さんが関係することには悉く口出ししてくるからな」
まあ“それ”に関しては五条だけに限った話ではないのだが。
「ふーん……あっ、そう言えばさ、巫蠱さんのあの手のやつ、宿儺の指に巻き付けてあったのと同じ呪符?ってやつだよな?なんで?」
「────」
「もしかして聞いちゃいけない系?」
「いや…………あの人の場合は少し複雑なんだよ」
「簡潔にオナシャス」
「身体の中に複数の「呪い」が宿ってる」
「簡潔すぎない?」
「……その「呪い」が表面上に
「へえー。……風呂の時とか大変じゃね?」
「超速乾性の特別仕様」
「マジで!?」
「嘘に決まってんだろ」
「嘘なの?!」
その嘘いま必要?!などと騒ぎ出す虎杖を適当にあしらいつつ、伏黒は少し先を歩く人物へと視線を注ぐ。
ああは言ったものの、伏黒とて「彼女」について知っていることはそう多くはないのだ。
聞けば答えてくれるだけの関係性は築けている。が、いざ尋ねようとすると途端に気が引けてしまうと言うか何と言うか。
五条あたりに尋ねればもう少し詳しい事情を知ることが出来るのかもしれないが──────そうまでして知りたいか、と問われたら、答えは「否」だ。
伏黒は自分自身の立場を確と理解している。
どこまでが許された境界線であるかをちゃんと把握している。
だから必要に駆られない限りは不必要に踏み込んだりはしない。それぐらいが丁度いいとすら思っている。
でなければ自分もまた彼女に対して過保護なだけの人間になりかねないから、と。
「ちょい待って!あれ、あれ食いたい!ポップコーン!!クレープも!!」
「観光に来てんじゃねえんだよ」
「仰って頂ければポップコーンもクレープも好きなだけ買って差し上げますよ」
「巫蠱さんも虎杖を甘やかさないで下さい」
宮城県から出たばかりと言うのもあって、無駄にテンションが高い虎杖を前に女性が嬉々として袂から財布を取り出す。
その姿はさながら初孫を前にした祖母のようで、だからこそ止めるに止められなかった伏黒は傍らの五条へと無言の圧力を掛ける。
このままでは不必要なものまで手当たり次第買っていきますよ、だなんて圧を。
「好きな子が楽しそうにしてる姿って、何でこう、愛しくて堪らないんだろうね?」
「目的忘れてません?」
原宿に集合したのは残りの一年を迎えに来たからでしょーが、と言う伏黒の冷静な突っ込みは物の見事に周囲の喧騒に掻き消されてしまうのであった。
◆
「ウッッソでしょ……ここ、本当に東京なわけ?」
「釘崎、俺とおんなじこと言ってんなー」
東京も郊外はこんなもんらしいぞ、の一言にギンッ!と鋭い眼差しを返すのは釘崎野薔薇である。
肩口まで伸ばされた明るい髪と可愛さの中にも気の強さを窺わせる面立ちをした彼女は虎杖達と同じ呪術高専の一年生であり、その一方では盛岡まで片道四時間は掛かる田舎から出てきたばかりの上京ガールだったりもする。
つまり東京に出て来れる日を待ちに待っていた人間なのだが────────見つめる先の彼女は明らかにダメージを
何故かと言えば、これから苦楽を共にするであろう「東京の学校」がまさかの“山の中”にあったからだ。
しかも併設されている寮が思っていたものとまた違っていたらしくダブルパンチを食らってしまっている始末。
「あ、でも中は割とキレイな方だぜ。な、伏黒?」
「まあそもそも人が少ないからな。キレイなのもただ単に使われてない、ってだけだ」
「どーでも良いわ、ンなこと!」
ド田舎から出てきた早々に呪霊狩りをさせられ、要望していた銀座の寿司屋が何故か回転寿司となった挙げ句の果てが「コレ」とは。
地方民なめてんのか、とすら思い始める彼女を尻目にさっさと寮に戻ろうとしている男性陣だったが故に「荷物運び手伝えや!」などと切れてしまう釘崎だった。むしろ此方から言う前に率先してやれとまで思う釘崎だったものの、「大して荷物ないじゃん」と返されては堪らず舌を打つ。
こんなことならば先に色々と買い物を済ませてこいつらに荷物運びをさせてやるのだった、と解りやすく眉を顰めれば、ひょいっと彼女のキャリーバッグが抱え上げられた。
誰に?
無論、釘崎の傍らに立っていた女性によって、だ。
「家具は備え付けの物がありますが、もし気に入らないようでしたら別のものを取り寄せましょう。配置換えもしたければお手伝い致しますので遠慮無く仰って下さいね」
「唯一の良心キタコレ」
「おー!巫蠱さん力持ちー!」
「……まあ「今」の巫蠱さんの状態なら
それなりの大きさと重さを有するキャリーバッグを軽々と抱き抱えて釘崎と共に寮へと向かっていく女性だったが故に、素直に感心してしまっていた虎杖であったのだが──────不意に「え?」、と漏らす。
どうやら伏黒の呟きが聞こえたらしい。あんなにも華奢で可憐な容姿をしているのに俺を抱えられちゃうの?、と言わんばかりの表情で目を瞬かしている。
因みに気持ちが解らなくもなかった伏黒はソッ、と相手から視線を外すと態度だけで“それ”を肯定していた。マジな話だと。
また彼女の事をよく知る五条も「恵と悠仁くらいなら大丈夫だと思うよ」、だなんて極々普通に頷くものだから虎杖が更に驚いたのは言うまでもないだろう。
◆
「そう言えば巫蠱さんと五条先生って恋人同士なんですよね?」
「?いいえ」
男性陣を置き去りにして一足早く寮の中へと足を踏み入れた釘崎は自分自身に宛がわれた部屋をぐるり、と見渡しながら背後の女性にそう問い掛ける。
何分、初めて顔を合わせた際の彼女の自己紹介が野郎共の「五条先生のお嫁さん」「になる予定の人だ」「決定事項なのに恵は頑なに認めようとはしないよねー」などと言う巫山戯た会話で終わってしまったので今一要領を得なかったのだ。
ただ件の五条の態度が明白と言うか全てを物語っていたので「お嫁さん」ではなくとも「恋人同士」ではあるのだろうと踏んでいたのだが──────まさかの「
では五条の“あの態度”は一体なんだったのかと釘崎が思わず女性を凝視してしまったら。
「…………。……あっ。
「?」
「ええと、この「いえ」と言うのは否定でして、否定と言っても、その」
「よし、一旦落ち着きましょうか。はい深呼吸」
釘崎が女性を凝視した事で本人も自分の
見るからにあたふたとしながら説明しようとし始めるので、彼女の肩に手を置いた釘崎が一先ず深呼吸をするよう促す。でもって落ち着いて話せる場所、つまりはベッドにまで移動するとそこに腰を下ろしながら静かに相手からの言葉を待つ。
正直そこまで根掘り葉掘り聞くつもりはなかったのだけれど、これでも年頃の
「ええと、悟の認識は、それで間違っていないかと」
「ほう」
「ただ、その、此方の認識が少々……色々な観点から、ハッキリと“そう”だとは断言出来ないと言いますか、解らないと言いますか」
「は?解らない?」
「正直、悟をちゃんと「異性」として見れているのかどうか、私自身が未だ解っていない状態、でして……」
何たって幼少期の頃から彼を知っているのだ。
成長した今ですら彼女にとっての「五条悟」は慈しむべき「子供」の一人、なのだが──────“それ”を一言でも口にしようものなら「子供じゃない」ことを
そもそも五条からの過度な愛情表現を嫌がらずに受け入れている時点で、既に彼のことを「子供」として見れなくなってきているのでは?
「うーん……巫蠱さんって、五条先生のこと好き?なのよね?」
「はい、それは勿論」
「じゃあ五条先生が巫蠱さんに向ける「好き」と巫蠱さんが五条先生に向ける「好き」は違う、ってわけか」
「そ、うですね……少なくとも同じものではないのだと思います。以前尋ねたら「全然違う」と言われましたので」
「ふうん」
なるほどねーと頷く釘崎は足をパタパタと揺らしながら自身の隣で肩を落としている女性を盗み見る。素直に珍しい部類の人間だな、と思ったのだ。
今時の人間ならば親愛と恋情の違いなど直ぐに解るだろうに、彼女の中には一切“それ”がないらしい。
そのような感情を抱く機会が全く無かったのか、或いは“そのような感情を育める環境下になかった”のか。
真意は定かではないけれど、解らないことに対して逃げ出すのではなく、ちゃんと真摯に向き合おうとしている彼女のその姿勢は頗る好ましいものとして映った。要は気に入った、と言うか。
「でも巫蠱さんは、いずれ五条先生に同じものを返したいと思ってるんでしょ?」
「……え」
「ならそれで良くない?詳しい事情は知んないけど、巫蠱さんはちゃんと相手のことを考えてんだから“その時”が来るまで好きなだけ待たしときゃ良いのよ」
いつか必ず同じ「想い」を返してくれるってんなら幾らでも待てるでしょ、とまで続けて「私ってば良いこと言ったな?」感を醸し出してくる釘崎だった為に隣に座っていた女性が目をパチパチと瞬かす。
正直なところを言ってしまうと件の五条は既に十数年近く彼女からの「想い」を待ち続けているのだが────────まあこれは黙っておいた方が良いのだろう。説明が追い付かなくなるし。
それに釘崎が落ち込む自分を気遣ってくれていたであろうことは言葉の端々から気付けていたので、
『…………本当に、優しくて、芯のある子ばかりだな』
と、胸を温かくさせる女性は静かに微笑む。
いつの日か本当に“そんな
【どうせ殺すなら、全ての宿儺を取り込ませてから殺せばいい】
あの瞬間に自分の『終わり』も決まったようなものだったのに。
本当に、なんて馬鹿げた「願い」なのだろうか。
◆
【記録】
2018年、7月。
西東京市、英集少年院、運動場上空。
特級仮想怨霊(名称未定)
その受胎を非術師数名の黙視で確認。
緊急事態のため高専一年生3名が派遣され──────内1名、死亡。
◆
「わざとでしょ」
場所が検死室と言うこともあってか、五条悟の“その声”はよく響いた。
「……と、仰いますと」
よく響いたからこそ、同じ空間に居た一人の男性が否応なしに心臓を逸らせていく。
決して相手と視線を合わせようとはせず、けれど俯き気味に五条へと言葉を返す男性こと伊地知潔高は、今にも震え上がりそうになる己が身体を何とか奮い立たせると尚も変わらずその場に佇み続けた。
自分自身、少なからず責任を感じていたからだ。
もっと早くに的確な判断を下していれば、或いは“このような事態”だけでも避けられたのではないか、と。
「特級相手、しかも生死不明の五人救助に一年派遣はあり得ない」
「……はい」
「僕が無理を通して悠仁の死刑に実質“無期限”の猶予を与えた。面白くない「上」が僕の居ぬ間に特級を利用して体よく彼を始末、ってとこだろう」
「……!」
「他の二人が死んでも僕に嫌がらせが出来て一石二鳥とか思ってんじゃない?」
淡々と言葉を紡いでいく五条の視線の先には見慣れた人物の姿がある。
冷たい検死台の上に寝かされた一人の
だから、であろうか。
冷や汗を流し、カタカタと震え出す手で掛けている眼鏡の位置を調整する伊地知はそのまま己が口を押さえつける。
“まさか”、と思ったのだろう。
だって、下手をしたら将来有望な呪術師の卵らも巻き添えとなりかねなかったのに。
本当に“そのようなこと”を、「大人」が、「子供」相手に?
「犯人探しも面倒だ」
「っ!」
「
瞬間、ひゅっと息を飲む伊地知であったものの、
「おや珍しい」
直後に聞こえてきた足音とその一言が、重苦しかった場の空気を一変させたのが分かった。
「お前が巫蠱以外のことで感情的になるとはな。余程お気に入りだったのか?」
「……僕はいつだって生徒思いのナイスガイさ」
「ふうん。まあ余り伊地知をイジメてやるな。私達と「上」の間で苦労してるんだ」
白衣を靡かせながら検死室に現れたのは医師である家入硝子で、此方を慮ってくれた彼女のその発言には思わず胸をときめかしてしまう伊地知だった。文字通り、優しさに飢えているのだ。
「で。コレが宿儺の器か────好きに
「役立てろよ」
「役立てるよ。誰に言ってんの」
言って遺体に被せられていた布を剥ぐ家入は静かに「虎杖悠仁」を見下ろす。胸に大きな「穴」が穿たれた彼の身体を。
次いで傍らの女性に気をやりながらも備え付けの棚から新品のマスクを取り出す彼女は、ニトリル製の手袋を装着するなり死体検案書を片手に先ずは黙視で身体の損傷部位を確認していく。まあ胸の穴以外に目立った外傷なんて殆ど無かったのだが。
「僕はさ、性格悪いんだよね」
「知ってます」
「伊地知、後でマジビンタ」
「えっ」
此方に来るよう手招きしながらも女性に首を振られた五条は仕方なしに一人で椅子に腰を下ろすと徐に腕を組む。
それでいて隣に立つ伊地知に何気なく話しかければキリッ、とした顔で即答されたので両手で力強く彼を指差した。あとで必ずビンタするから、と言う意味を込めて。
「教師なんて柄じゃない。そんな僕が何で高専で教鞭を取っているか、聞いて」
「な、なんでですか……?」
「夢があるんだ」
五条にマジビンタされたら自分は確実に死ぬ。
そんな事を思いつつ素直に問い返すと返ってきたのは「夢」、と言う単語だった。
だからか目を瞬かす伊地知は訝しげに隣の五条へと視線を投げ掛ける。
「悠仁のことでも解る通り、上層部は呪術界の魔窟。保身馬鹿、世襲馬鹿、高慢馬鹿、ただの馬鹿。腐ったミカンのバーゲンセールだ」
「……はあ」
「そんなクソ呪術界を、リセットする」
「上」の連中を皆殺しにするのは簡単だけれど、それでは「頭」がすげ替えられるだけで変革は起きない。どころか、誰も五条には付いてこないだろう。
故に彼は「教育」と言う道を選んだのだ、自分の手で強く聡い仲間を“育てていこう”と────────そう決意した。
【君は五条悟だから「最強」なのか?「最強」だから五条悟なのか?】
そのことを、“たった一人の親友”に教えられたから。
「──────……、?」
彼らの会話に耳を傾けながらも確と家入の作業を眺めていた女性は不意に首を傾げる。
気のせいか、遺体である筈の虎杖が
無論そんな筈はないのだが、それでも少しだけ気になって彼の指先に触れてみると又もや“ピクリ”と。
それでいて己が手から伝わってくる確かな温もりに女性がすかさず相手の顔を覗き込もうとしたら──────“気付く”。胸に空いていた「穴」が何時の間にか塞がっていたことに。
それどころか死んでいた筈の虎杖が普通に身体を起き上がらせていた。
「おわっ!?フルチンじゃん!!」
遺体だった。
確かに死んでいて、間違いなく死んでいた。
なのにも関わらず虎杖悠仁はケロリとした様子で起き上がり、まるで何事も無かったかのような態度で辺りを見回し始めるものだから────────女性は堪らず彼を抱き締めた。
例え虎杖本人が全裸のまま抱き締められていることに慌てふためいていても決して離さずに、ただただ力強く、
((…………))
(いや、そんな目で見られても、流石の僕だって教え子には妬かないから。どんだけ余裕のない男だと思われてんの)
【呪いを内包している人の話3】
20.12.11
23.05.17:加筆修正