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「小翳ちゃん。お母さん、少しの間お家空けるね」
見た目に反して嵐のような内面を持つ母親に突然そんなことを言われたせいか、小学校低学年程と思しき一人の少女が見るからに首を傾げた。
仕事以外で長期間家を空ける理由、とやらが何も思い付かなかったからである。これと言って詳しい説明も無かったし。
恐らく母親も母親で逡巡したのであろう、「……やっぱり話しとくべきかなー」などと呟くと頬に手を当てながら目の前の我が子を見据えてくる。
“隠したところでいずれ必ず知ることになるんだし”、とでも言わんばかりに。
「────甚爾くん、亡くなったって。五条悟に殺されちゃったみたいなの」
甚爾くん。五条悟。殺されちゃった。
それらの単語を耳にした瞬間、少女の中で一切の「音」が止んだ。
母親の言葉を理解することを脳が拒否したからなのか、「え……」と口にした筈の声も音にならずに消えていく。
またそれと同時にカタカタと身体が震えだし、一瞬にして目の前が真っ暗になっていく感覚に恐怖を覚えては自分自身の腕に容赦なく爪を立てることで何とか意識を保ち続ける。
次いで此方を気遣わしげに見つめてくる母親に何を求めるべきかを考え、暫しの沈黙後、少女はただ静かに
私も一緒に連れて行って、「証拠を見せて」と。
「…………な……んで……………」
そしてキレイ、とは言い難い
◆
一瞬、見ては行けないものを見てしまった、と思った。
「…………ちはっす」
「え、あっ、こんにちは!」
見慣れぬ少年だった。
見覚えがあるようで見覚えのない、どこか真希を彷彿とさせる切れ長の目と理知的な顔立ちをした、パッと見からしても跳ねた黒髪が特徴的な中学生程と思しき一人の少年。────が、何故か呪術高専に居たのである。
ここを起点に活動している呪術師らが一時の休息を得る為の休憩室で、スマートフォンを片手に、これまた何でか“自身の想い人でもある女子生徒に膝枕をした状態で”。
否。
この場合は膝枕を
件の女子生徒が腹にしがみつく形で就寝スタイルに入ってしまった為に“嫌々ながらも仕方なく”、な空気がびしびしと伝わってきたが故に「……えっと?」と素直に戸惑いを露にしてしまう乙骨憂太であった。果たしてこの状況とこの少年は一体。
「乙骨先輩、ですよね?」
「うん、あっ、はい。その、君は……」
「伏黒です。ここでアホ面晒してるコイツの……まあ身内、みたいなもんです」
「小翳ちゃんの……じゃあ真希さんとも?」
「一応、そうっすね」
「そうだったんだ。……そっか、」
身内かぁ、と呟くなり、乙骨があからさまに胸を撫で下ろす。
一瞬でも『まさか』、と思ってしまったからだ。もしかしたら“この少年こそが彼女の心を掴んで離さない人物なのではないか”、と。
だが実際のところは彼女の身内、つまりは親戚筋の子であったようなので露骨にホッとしてしまったのである。
まあ女子生徒の方から相手にしがみついている、と言う構図には少々思うところがあったのだが。少々どころか結構思うところがあったのだが流石にそこは口を噤んでおいた。
「……その態度を見るに、本当っぽいな」
「?」
「乙骨先輩、マジでコイツのことが好きなんですね」
それはもう見事に此方の抱く感情をズバリと言い当ててくる少年こと伏黒恵であったが故に乙骨の動きがぴたり、と止まる。
でもって“初対面の子に見抜かれるほど自分の好意は明け透けになってしまっているのだろうか”、と言う疑問と共に顔を赤く染め上げると、隠すこともせずに「う、うん」と頷く。
何分どのような状況下でも彼女に対する「想い」を否定したくはなかったのだ。否定した途端、件の女子生徒に「やっぱり」と思われてしまいそうだから。
「物好きっすね」
「そ、んなことは、ないと思うんだけど……」
「
「──────……え?」
俺も人の事は言えねぇけど、とまでは口にせず、己の腹にしがみついて離れない相手を徐に見下ろす伏黒は女子生徒に向けてぶっきらぼうに「おい、」と声を掛ける。此方の気も知らずに寝こけている身内の頬をむにぃ、と引っ張っては眉間に皺を寄せながら。
「いい加減起きろ」
「……あと……24時間後に……起きる……」
「日付変わってんじゃねぇか。いいから起きろ」
「………………いやだ」
「あ?」
「起きたら最後、また暫く恵と会えなくなる」
「今に始まったことじゃねえだろ」
「久しぶりに恵と会えたのに、またすぐに離れなきゃならないだなんて……無理。私には堪えられない。恵と離れるくらいだったら死ぬ。いっそ恵の手で殺して」
「ふざけたこと抜かしてる暇があるんだったらさっさと任務に行ってこい」
「そんな殺生な」
相手の意識が完全に覚醒しているのを確認するなり、伏黒は情け容赦なく自身の身体から女子生徒を引き剥がす。
それはそれは慣れた手付きで襟首を掴み、べりっと。そしてポイッと。
だからかソファーから転がり落ちるような形となった女子生徒はさめざめと泣き出す、フリをした。同情を引こうとしたのである。生憎と見え見え過ぎて意味をなしてはいなかったが。
「恵が冷たい……反抗期だ……お姉ちゃんは悲しい……」
「オマエは俺の姉貴じゃねぇだろ」
「ちっちゃい頃から面倒みてきたんだから姉も同然です。なんだったら津美紀ちゃんと結婚して本当の
「なんでそこで津美紀になんだよ」
「?」
「…………いや、いい。さっさと行ってこい」
俺もあの人に呼び出されてんだよ、と続けてはしっしっと此方をぞんざいにあしらってくる従甥だったので「やる気が起きない」とぼやく女子生徒はそのまま床に寝そべろうとする。ので、状況を見守っていた乙骨が透かさず彼女の脇に腕を差し込んでそれを阻止するのであった。
「小翳ちゃん、そんな所に寝そべったら汚れちゃうよ?」
「丁度いいんでそのまま引き摺ってって下さい」
「えっ」
「こうなったら梃子でも動きませんよ、こいつ」
今に始まったことではない、と言わんばかりに溜め息を吐き出しながら手にしていたスマートフォンで誰かに連絡を取り始める伏黒であった為に女子生徒が更にやる気を失い掛けたら────────ぽすっ、と頭に手が置かれた。まるで“こう”なることは端から分かっていた、とでも言いたげに。
「……
雑な対応をしてきた割に妙に優しさを感じさせる手付きで頭をポンポン、と軽く叩くような撫で方をしてくる伏黒だったが故に目を見開かした女子生徒が何かを堪えるかのようにして唇を真一文字に結ぶ。
一瞬とはいえ泣きそうになってしまったのだ。
何も知らないはずの伏黒が“かつての日の「彼」と全く同じ台詞を吐き、全く同じ行為をしてきたから”。
『やっぱり、親子だなぁ……』
伏黒の中に「彼」の記憶は殆ど無い。
なのに時折こうやって「彼」を彷彿とさせる言動を見せ付けてくるから、女子生徒はいつだって行き場のない感情を持て余してしまうのだ。
伏黒恵は伏黒恵で、他の誰でも無いと言うのに、年々そっくりになってくるから。
だから忘れたくても忘れることが出来ないのだ、と、乾いた笑みを溢す禪院小翳は──────すぐに自己嫌悪に陥る。
己はいつまで自分自身に言い訳をし続け、いつまで伏黒恵を“「伏黒甚爾」を忘れないための免罪符にし続けるのだろう”と。
◆
「伏黒君、て、もしかして小翳ちゃんの好きな人と似てたりする……?」
任務終わりの雑談、にしては少しばかり踏み込みすぎだろうか。
そんなことを内心で考えながらも乙骨は目の前に居る女子生徒へとそう尋ね掛ける。何分、伏黒と出会った日からどうにも彼女の様子が気に掛かって仕方がないのだ。
露骨、と言うほどではないのだけれど、微妙に元気がないと言うか物憂げな様子で居ると言うか。
それとなく真希に聞いてみても「恵と離れた後は大体いつもこんなんだぞ」と返されるだけで納得の行く答えは得られなかったし。
「似てる、って言うか」
「うん」
「恵のお父さんだよ」
「うん?」
「私の好きな人」
「えっ!?」
まさかの父親。でもって、まさかの既婚者。
だが真希から聞かされていた話によると彼女の「想い人」なる人物は疾うに“亡くなっている”、……そうなので、とどのつまり伏黒には父親が居ない──────以前に、彼は“この事”を知っているのだろうか?
禪院小翳の「想い人」が「実の父親」であることを。
「好きな人。うん、好きな人には違いないんだけど、師事していた人でもあると言うか」
「小翳ちゃんの呪術の師匠だった、ってこと?」
「んー、呪術の師匠、では、なかったかな。ただ術式の有無なんて関係ないくらい強くて、圧倒的だったから、純粋に憧れだったんだよね。いつかその人みたいになりたい、って思ってたぐらいだし」
「そうなんだ……」
「なのに
禪院家相伝の術式を受け継いでいなかったから。
それどころか“その身に一切「呪力」を宿していなかった”から。
だから生まれ落ちた瞬間から「落伍者」として扱われ、周囲からも無能だ何だのと蔑まれてきた。望んで“そう”なった訳ではないと言うのに。
「考え方が古くさいんだよ、
「今のご時世でそれは珍しいね……あ、でも、伝統のある家だと当たり前のことなのかな?」
「伝統を重んじるんだったら先ずオマエは金髪とピアスを止めろと言いたい」
「すごく特定的だね」
「乙骨くんは知らなくて良いし関わらなくても良いような人だから気にしないで。困ってても助けなくていいよ」
ああ言った輩は一度痛い目を見て我が身の矮小さを思い知るべきだから、と続ける女子生徒は思い出さなくても良い台詞をついでに思い出してしまったことで瞬時に
「……何の話だったっけ」
「えっと、小翳ちゃんの好きな人の話、かな」
「そうだった。…………ってか、それって聞いてて楽しい?」
「?」
「いや、乙骨くん、私のこと好き?らしいのに、私の好きな人の話、聞きたいのかなって。普通そう言うのって嫌がるもんじゃない?」
「うーん……確かに良い気はしないんだけど、」
「やっぱり友情と恋情を履き違えてた系?」
「ぼ、僕はちゃんと小翳ちゃんのことが好きだよ!一人の女の子として!」
「左様ですか」
「なんで残念そうなの……」
いや出来れば「
「その、少しでも小翳ちゃんの理想のタイプに近付けたら良いなぁ……って思って」
恥ずかしそうにしつつも嘘偽りのない答えを返してくる乙骨を前に女子生徒は『健気だなぁ……』、だなんて感想を抱く。
それと同時に“相手が自分じゃなければ応援してやれるのに”、と哀れむような眼差しを向けては人知れず溜め息を吐き出し、考える。これガチかもしれん、と。
『……てっきり幼心に抱いた別のなにかだと思ったんだけど』
むしろそうであって欲しいとさえ願っていたのだけれど──────やはり違っていたらしい。
過去の「約束」を思い出してしまった事もあってか、今まで以上に“それ”がよく分かるようになってしまったのだ。乙骨憂太が禪院小翳に抱いている感情は紛れもなく「恋情」である、と。
【きみが、僕たちを幸せにしてくれるって】
恐らく「あれ」が無意識下での
何分あの時は子供同士の他愛もない約束、程度にしか捉えていなかったので「制約」と「誓約」のことなんてすっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。乙骨に呪術師としての才があっただなんて思いもしなかったし。
────……いや、まあ、今さら言い訳を重ねたところで自分自身の迂闊さが無かったことにはならないのだが。
『にしても、「幸せ」って??乙骨くんらが「幸せだ」と思えるようなことをすれば“縛り”の解除に至る、ってこと?』
そもそも“縛り”を科した事による自身のメリットとは一体なんだったのだろうか?
今のところ特にこれと言って思い付くものがないんだけど、とまで思考した所で女子生徒はハッとする。何を隠そう、一つだけ思い当たることがあったのだ。
『えっ、まさか、里香ちゃんが私に何もしてこなかったのって、要するに……』
“それ”があったから?、と呟いた後、女子生徒は『まあメリットと言えばメリットか』と一人頷く。
お目付け役と言う立場からすれば確かに有難い内容ではあったのだ。祈本里香を前に無駄に身構える必要も無くなるので。
それに今に至るまで自身に何もしてこなかったと言うことは「彼女」も本能的に理解しているのだろう。
「…………。ところで、」
「小翳ちゃん?」
「乙骨くんさ」
「?」
「こう、私にして貰ったら嬉しい事とか、幸せな事とかって、何かない?」
それはさておき。
考えれば考えるほど泥沼に嵌まっていく感覚がしたことで女子生徒は最終手段だとばかりに本人に直接そう問い掛ける。
手っ取り早く乙骨に「幸せ」だと感じて貰い件の“縛り”を無かったものにしてしまいたかったのだ。他者間との“縛り”は自らが自らに科す“縛り”とは訳が違うため、下手を打つ前に彼との「約束」を果たしてしまおうと。
なので「最近頑張ってるみたいだから、御褒美的なものをね、差し上げようと思って」などと中々に出鱈目なことをそれらしく伝えては「さあさあ!」と乙骨を促す女子生徒で。
「えっと……僕はこうやって小翳ちゃんが話し掛けてきてくれたり、傍に居てくれたりしてくれるだけで十分嬉しいんだけど……」
「…………」
「小翳ちゃん……?」
「この良い子ちゃんめが……!」
「!?」
突然の問い掛けだったのにも関わらず確と返事を返してくれた相手に何故か悪言を吐く女子生徒だった。どうやら求めていた「答え」ではなかったらしい。
「いや、ほら、もっと具体的にこうされたら嬉しいとか、叶えて欲しい事とか!ないもんかな!?思春期の男子でしょうよキミ!」
「あ、あの、小翳ちゃ……」
「この際だから何でも叶えてあげるよ?!私のためでもあるし!だから気兼ね無く、ほら、言ってみて!」
「な、何でも、って」
「例えば手を繋ぎたいとかハグしたいとか!」
「?!!」
「何だったら付き合ってとか彼女になってとかでも良いからさ!乙骨くんが心から「幸せ」だと感じるようなことを言ってくれなきゃ」
私も困るんだよ!、とまでは流石に言えなかったものの、勢いは止んだ。
次いで自分自身の発言を即座に振り返る女子生徒はスンッと真顔になるなり『貴様は馬鹿か』、だなんて己を罵り始める。口走るにしても他に内容があっただろうにと。
また自分でもドン引くほどの必死さを思い返しては羞恥心からすぐに「今のは忘れてくれ」と乙骨に告げようとするのだが─────何故か彼女は
だって向き直った先の乙骨が明らかに“なにかを期待するかのような眼差しで此方を見てきていたから”。
あの意図せぬ「約束」を思い起こさせるような瞳で此方を見つめてきていたから、だから女子生徒は反射的に口を噤んでしまったのだ。今回ばかりは何がなんでもすぐに訂正すべきだったのに。
なのにそうしなかったから、彼女は又もや己の迂闊さを呪う事となる。
「……もし「恋人」になって、って言ったら」
「あの、乙骨くん、そのですね」
「小翳ちゃん、本当に僕と付き合ってくれる……?」
いかん、これ、完全に墓穴を掘ったぞ。
◆
「そう言えば、今回はちゃんと顔出すん?小翳ちゃん」
自室に戻る道すがらに目についた無駄に細長い木を見て一人の年若い男性が今思い出した、と言わんばかりに口を開く。
因みに話し掛けられたのは男性の三歩後ろを歩んでいた使用人らしき年配の女性で、「予定ではそうなっております」、と返すなり彼女はまた沈黙を貫き始める。使用人たるもの
「そもそも前回は何で来うへんかったん?」
「体調を崩されたそうです」
「体調?生理やのうて?」
「…………」
「ま、仮病は仮病なんやろうけど。母子揃って気が向いた時にしかこっちに来うへんし」
何せ禪院家当主の呼び出しであっても電話で済む内容なら電話で済ませようとしてくる親子だ。
大方、本家に顔を出すことで生じる嫌味や小言が煩わしくて仕方がないのだろう。特に「娘」の方は禪院家相伝の術式を受け継いでいながら未だに四級術師で在り続けているため、周囲からの
疾うに準一級術師相当の実力が備わっているのにも関わらず「真希ちゃんの実力を認めないなら私もこのままで良いや」だなんて子供じみた理由で昇級を蹴り続けているから、尚のこと。
「真希ちゃん言うより甚爾くんを認めさしたいんやろうけど」
「……?」
「小翳ちゃんは昔から、なぁんも変わっとらんからな」
子供の頃から
すぐ近くに相伝の術式を受け継いだ天才が居ても二言目には「でも甚爾くんの方が凄い」「甚爾くんの方が強い」「甚爾くんみたいな人のことを「最強」って言うんだよ」としか言わないほどに。
【甚爾くんの力を認めない禪院家に価値なんてないよ】
もはや取り憑かれているのではないか、と疑いたくなるほどに禪院小翳は禪院甚爾に“魅入っていた”。
【いっそ、「禪院家」なんか無くなっちゃえば良いのに】
だからこそ、こうも腹が立って仕方がないのだろう。
「ほんま、癇に触る子やわ」
禪院甚爾が伏黒甚爾になってからも変わらず彼だけを見つめ続け、挙げ句、死んでからも相手に想いを寄せ続けているあの娘が。
一度だって
【恋する乙骨憂太と同級生の話2】
21.05.05
22.01.16:加筆修正