「巫蠱ちゃんは、あれやね、“八方美人”」

 どちらかと言うと、禪院直哉は年相応とは言い難い物言いをする子供だった。
 それは幼いながらに自分自身の立ち位置を良く理解していたからこそのものであったのかもしれないが、何にせよ、なにも知らぬ第三者からすれば「小生意気」と取られても仕方がない態度の少年であったことは間違いないだろう。
 尤も、第三者の前では上手いこと“年相応の子供”を演じているのであろうが。

「まず他人を否定せえへん。誰に対しても平等であろうとしとる。そやから明確な優劣の中で生きとる人間はみぃ〜んな優しい優しい巫蠱ちゃんに惹かれ(なつい)てまうわけやし」

 特に「呪術師」っちゅう特殊な環境下で育つような子供は、と直哉は続ける。
 すぐそこの中庭で年端も行かぬ子供たちと戯れている件の女性へと視線を投げ掛けては『そこから早う去ね、愚図(カス)ども』、だなんてことを内心で思いながら。

「何せ物心付く頃にはもう「呪術師」が何たるかを身を以て教え込まれとるわけやからな。甘えさせてくれるもんなんてどこにもおらんし、そもそも「甘える」ことが許されへん」

 だからこそ無条件で此方を甘やかし慈しんでくれる相手に並々ならぬ感情を抱いてしまうのだ。
 一般家庭で当たり前に与えられる家族の「愛情」や「温もり」なんてものは、こと「呪術師」の家系においては当たり前に与えられるものではないが故に。

「そやのに巫蠱ちゃんは詰めが甘い。考えなしに「愛情(そんなん)」与えてもうたら誰かて欲深うなってまうやろ。現にあそこにおる俺の兄さん方も“今だけでええから巫蠱ちゃんを自分だけのもんに出来ひんか考えを巡らせとる”──────ポンコツのくせしてな」

 鬱陶しゅうてしゃあない(・・・・・・・・・・・)
 これ見よがしな溜め息と共にハッキリとそう述べた直哉は、中庭に居る女性から音もなく視線を外すと徐に自身の話し相手となってくれていた人物を見上げる。先程からずっと面倒臭そうな表情(かお)で腕を組んでは渡り廊下の壁に背中を預けている一人の年若い男性の姿を。

「……で?結局何が言いてぇんだよ」
「甚爾君、いずれ禪院家(ここ)を出ていくやろ?そん時に巫蠱ちゃん連れていかんと、置いてってや」
「置いていったところで即オマエのもんになる訳じゃねぇだろ」
「そらそうやけど。でも最終的に手に入れることが出来るんなら別に今すぐで無うてもええかなて。そやから今は大人しゅう順番を守っとるわけやし」

 せっかちさんは嫌われてまうやろ、と言わんばかりに肩を竦める直哉。
 だからか無意識の内に眉を(ひそ)めてしまっていた禪院甚爾は己と向き合う形で廊下に佇む少年を静かに見下ろす。
 現在進行形で己を否定し続けている禪院家当主、禪院直毘人の息子に当たる小生意気な「子供」を。


「オマエ、当主にでもなるつもりか?」


 その問いに禪院直哉は「答え」を返さなかった。
 けれど此方に向けられている瞳が雄弁に“それ”を物語っていたが故に甚爾は隠すこともせずに舌を鳴らす。次いで「オマエに俺のものをくれてやる義理はねぇよ」などと口にすると、無駄な時間を過ごしたと言いたげに直哉の横を通り過ぎて行く。
 相変わらず「禪院家(ここ)」の奴らは何でもかんでも自分の思い通りに事が進むと思ってやがるんだな、と心底呆れ果てた様子で。










「オマエ、あんまりアイツに隙見せんなよ」

 開口一番にそんな事を言われたせいか、女性は何とも解りやすく目を瞬かせた。
 それでいて甚爾の言う「アイツ」が「直哉」であることに行き着くと『そう言えば先程あの子と何か話していたみたいだったな』、と思考を巡らす。
 ただ彼女自身は中庭に居たこともあって両名の会話内容までは流石に耳にすることが出来なかったのだが──────まあ“この様子”からして件の直哉に何かしら言われたのであろう。
 でなければ甚爾が自ら進んで大嫌いな「禪院家(もの)」の名を口にする筈がないし。

「理由をお聞きしても?」
「いざって時に面倒くせぇ」
「それだけでは判断に困るのですが……」
「面倒くせぇもんは面倒くせぇんだよ」
「……よく解りませんが隙を見せるような可愛がり方をするな、と?」
「そもそも可愛がんな」

 オマエは俺の相手だけしてりゃ良いだろ、とまでは流石に言わなかったものの、ニュアンス的にはそれに近しい物言いではあったように思う。
 なので「子供が子供である内は可愛がるものですよ」、だなんて返事を返す女性ではあったのだが────────間髪入れずに返ってきたのは案の定舌打ちで。
 不快感を隠すでもなく頬杖をついてそっぽを向く甚爾を前に、困り顔で小さく息をつく女性は読みかけの書物を脇に置くなり静かに相手の側にまで移動していく。

「直哉に何を言われたのですか?」
「心底くだらねぇこと」
「……甚爾を貶してきたのですか?」
「ちげぇ」

 禪院甚爾を蔑むような言葉を投げ掛けてきた訳ではない。
 それが分かっただけでも充分であったのか、甚爾と膝を突き合わせる形で腰を下ろした女性はどこか安心した様子で表情を和らげた。
 もし件の相手が甚爾を傷付けるような発言をしていたら「大人」として彼を窘めなければならなかったからだ。
 何せ「禪院甚爾」と言う存在を知り、その処遇をまざまざと目にしてきた今、“こればっかりは看過していいものではない”と思うようになってしまったが故に。

 「落伍者」相手になら何を言っても何をしても良い、などと言う偏った思考(かんがえ)だけは決して看過(ゆる)してはならないと。

「では何がそんなに気に入らなかったのですか?」
「人様のものを奪い取る気満々のガキを可愛がれってのか?なんのメリットもねぇのに」
「損得については各々の価値観がありますので何も言うつもりはありませんが……要するに直哉が欲しがるようなものを甚爾が持っている、と言うことなんですね?」
「────……」
「?」

 何も与えられず、何も求めることを許されなかった禪院甚爾が唯一所持しているもの。
 所持している(・・・・・・)、と言っても過言ではないもの────────が、「巫蠱」と言う存在だ。
 つまりアイツはオマエを欲しがってんだよと、そう眼差しだけで暗に伝えてみる甚爾ではあったのだが、如何せん目の前の女性は彼が言いたいであろうことを全く汲み取れずにいた。
 “そう言う意味”で自分自身を欲しがるものなんていない、との思考回路でいるせいであろう。

「……オマエ、つくづく“そう言うの”に自分を結び付けることをしねぇんだな。普通なんとなくでも分かんだろ」
「?あの、出来れば具体的に話して頂きたいのですが……」
「言うわけねぇだろ。まず有り得ねぇだろうが、言って変に意識(きに)されてもムカつくしな」
「…………甚爾は年々意地が悪くなってきている気がします」
「なら育て方を間違えたんだろ」
「うっ」

 ぐさっと胸に突き刺さる一言を口にされたことで見るからに肩を落とし始める女性ではあったものの、何気なく盗み見た先の甚爾が物言いたげに此方を眺めてきていることに気付いては小首を傾げたまま相手を見つめ返す。今度はなんですか?、と。

「甚爾?」
「……なんでもねぇよ」
「でも、何か言いたいことがあるのではないですか?」
「あったとしても言わねぇ」
「またそうやって、」

「今は“その時”じゃねぇ、ってだけだ」

 そう述べるなり甚爾は目の前に居る女性へと徐に手を伸ばす。
 次いで疑問符を浮かべたままで居る相手の頬をむにっと引っ張ると「隙だらけなんだよ、オマエは」、などと言いながら実にこれ見よがしな溜め息を吐き出し、少しだけ眉を顰めた。まるで“俺が居なきゃ本当に駄目だなコイツ”、とばかりに。
 そして抵抗の「て」の字もない相手からゆっくりと指を離し、そのまま撫ぜるようにして女性の頬に触れ続ける甚爾は──────近く訪れるであろう「その時」について静かに想いを馳せる。



 この先も「彼女」の傍に在り続けるのは自分だけ(・・・・)であると信じて疑わずに。











「────…………?」

 妙な息苦しさがあると思ったら物の見事に抱き竦められていた。
 しかもこれでもかと言わんばかりに“がっしり”とホールドされてしまっているが故に、寝返りはおろか横たわっているベッドから起き上がることすらも出来ない。
 となれば此処は潔く諦めるしかないだろう、と小さく息を吐く女性は転た寝から覚醒したばかりの頭で自身を拘束しているであろう人物について思考を巡らす。まあどう考えたって相手は五条悟なのだろうが。
 むしろ五条以外だったら気配を察した時点で直ぐさま飛び起きていた筈だ。

『…………それにしても』

 実に懐かしい記憶(ゆめ)、であった。
 勿論、今でもふとした瞬間に「彼」のことを思い出すのだが──────このような形で過去を振り返ったのは随分と久し振りだったようにも思う。何せ「彼」に関することで何かがあった、と言う訳でも無かったから余計にそう思うと言うか何と言うか。

(強いて言うなら……ボロボロになって帰ってきた恵の姿が、)

 「彼」の幼少期を連想させた。
 生まれながらの落伍者であるが故に幼き頃から周囲の者々に冷遇され続け、挙げ句、理不尽な嫌がらせを受けてきた禪院甚爾の姿と。伏黒恵の姿が。

(親子なのだから似ていて当然、ではあるんだけど……)

 伏黒恵は禪院甚爾の面影を色濃く残しているから。
 だから時折、「彼」に「彼の父親」の姿を重ねてしまうのだ。
 どんなに見た目がそっくりでも伏黒恵は「伏黒恵」でしかないと言うのに。


 “それなのに”。




【俺に帰るべき場所なんざねえよ】




 伏黒恵(あのこ)を前にすると、いつだって禪院甚爾(かれ)に対する「後悔」ばかりが胸を占めていく。

「──……どさくさに紛れて腰紐を緩めないで頂けますか」
「うーん、むにゃむにゃ」
「起きているのでしょう、悟」
「五条悟は睡眠中でーす」

 そんな受け答えのハッキリとした寝言があってたまるか。
 完全に起きている、と言うか、端から眠ってなどいなかったのだろう。
 現に「いや、これでも睡姦について小一時間は考えたんだよ?」だなんてことを暴露し始めてるし。無論なにも聞かなかったことにしたが。

「……八十八橋の件、やはり「共振」でした」
「みたいだねー。しかも「呪胎九相図」の受肉体とも鉢合わせたんだって?」
「…………」
「どったの?」
「……あの時、せめて「呪胎九相図」だけでも取り戻していれば…………」
「過ぎたことを気にしてもしょうがないでしょ。悠仁の時もそうだったけど、“それ”自体は呪術師を続けていく以上、避けては通れない道なんだし」
「…………解っています」
「今回の件は悠仁も野薔薇も恵も、よくやったと思うよ」

 流石は僕の教え子たち、と述べては相手を抱き締めている腕から少しだけ力を抜く五条。次いで女性の顔を覗き込み、ふむ、と喉を鳴らす。
 室内の照明が落とされているせいなのか、或いは夢見が悪かったせいなのか、見詰める先の女性はどこか顔色が悪いようにも思えた。
 ただ現状において彼女が体調を崩す、と言うことは考えにくいので「これ」は精神的なものからくる不調なのだろう。

「ところで。僕が居ない間、他に何か遭った?」
「────……いえ、特に何もありませんでしたよ」

 “一度ならば見逃してやる。だが二度はない”。
 頭の中で幾度となく繰り返されるその呪詛(ことば)にじわじわと「心」を蝕まれつつも、女性は敢えて何事もなかった体で五条に微笑み掛ける。
 この事を彼に知らせる必要はない、と判断したのだ。

 実際問題、「両面宿儺」は彼女に“何もしていない”のだから。

 と言うより、する必要がない(・・・・・・・)のだろう。
 何たってこれまでに散々、それはそれは嫌と言うほど“経験させてきた”のだから──────彼女が『現実』から目を背けたくなるほど、繰り返し、何度も何度も何度も何度も。

『んー……十中八九「嘘」、ではないにしろ、この様子からして何かしらは誤魔化してるんだろうな』

 現在(いま)に至るまでずっと傍に居続けたからこそ解るようになったのだが、どちらかと言うと彼女は精神的に“かなり脆い”方だ。
 恐らくこれまでにも何度か折れてしまった(・・・・・・・)ことがある筈で、その度に欠けた部分を何とか繋ぎ合わせて表面上だけでも“何でもない風”を装い続けているのだと思う。
 吹けば飛んでいってしまいそうな危うさを宿したまま、誰にも寄り掛からず、誰にもる救済(たす)けを求めずに。

 「恋人」である五条悟が傍に居ても尚、自分の身に関することにだけは一切触れさせようとしないでいる。


(今の僕は確実に巫蠱にとって「特別」な存在、である筈なんだけど……それでも頼りたくない、ってこと?)


 或いは「特別」になってしまったからこそ“一刻も早く自身のもとから遠ざけたい”、だなんて気持ちもあったりするのだろうか?











「明太子?」
「棘」

 何を見ているのか、と言う問いに対する答えとして女性は手にしていたものを快く狗巻へと差し出す。
 因みに彼女が差し出したものは所謂「絵はがき」と言うもので、馴染みの無い風景の裏に“馴染みのある人物”の名があることに気付いた狗巻は少しだけ目を見張らせるとすぐに「しゃけ」と一つ頷く。まるで合点がいった、とばかりに。

「すじこ」
「ええ、憂太からの近況報告です」

 とは言っても、このような絵はがきが届くのは実に稀なのだが。
 恐らく出先か何かで偶々目についた時にだけこうして近況を書いて送ってきているのだろう。現に相手から届いた絵はがきは片手で数えられる程度しかなく、近況も大体は一言だけで済まされていた。
 まあ「彼」のことだから同級生に向けても色々と書き綴りたい気持ちはあるのだろうが──────多分、一枚で収まりきる量ではすまなくなってしまうが故に泣く泣く一言二言で終わらせるようにしているのであろう。だから『元気ですか』『皆はどうしてますか』『怪我はしていませんか』『早く皆に会いたいです』『久し振りに五条先生から惚気話を聞きました』と言った内容ばかりなのだろうし。

「他にも連絡手段はあるのでしょうが……私が日本を出た事が無い、と言うことを知って“こう言った形”での報告をなさってくれているみたいなんです」
「しゃけしゃけ」

「そうですね。憂太は本当に心根の優しい子です」

 早く元気な姿を見れると良いですね、と微笑む女性に此方もまた柔和に笑む狗巻。
 それでいて二人の間にのほほんとした空気が漂い始めると不意に何かを思い出したらしい狗巻が唐突にポンッ、と手を叩いた。でもって再び女性へと「ある事」を尋ねてくる。

「こんぶ。ツナマヨ?」
「………………悟がそう仰っていたのですか?」
「しゃけ。……おかか?」
「いえ──……あれから何も仰らないので、もしかしたら考え直して頂けているものと思っていたのですが」

 それがまさか大々的に周囲へと言い触らし、挙げ句、既に決定事項として事を進めていたとは。
 通りで最近やたらと真希に「本当にあのバカで良いんだな?後悔しないな?」と何度も聞かれるわけだ。どうやら完全に此方の退路を封じ、「はい」と言わざるを得ない状況を作り上げているらしい。
 しかもこの様子だと身近な者以外には情報を小出しにしているのではないだろうか?(何せ当事者とも言える女性ですら今の今まで全く五条の動きに気付けなかったくらいだし)
 恐らく真偽が定かでない内は上層部も御三家も表立って口出しが出来ない、と言う部分(てん)を逆手に取ったのであろう。そして方々が裏を取るための情報収集に勤しんでいる中、反対も賛成も端から度外視して“全ての手続きを済ませてしまおう”と。

「……それもこれも私がちゃんと手放せないでいるせい、ですね」
「────!」

 説得することも、納得させることも出来ないのであれば潔く“五条悟を切り捨てるべき”なのに。
 一体いつまで現状に甘んじ続けるつもりだ、と己を叱咤しかけたところで突然ガシッ!と手を掴まれた。掴まれて、これでもかと言わんばかりに強く握り締められる。

「と、棘……?」
「しゃけ!!いくら、ツナマヨ、明太子!」

 らしくもなく早口になっている狗巻に目を見張る一方で、握り締められた手から伝わってくる確かな温もりに人知れず胸を撫で下ろす。
 あってはならないことだけど、まだ手離さなくていい、と言われているような気がしたのだ。

 そしてそれと同時に、痛感する。

『………………なんで、』

 どうして「私」は「人間」ではないのだろう、と。
 何故この温もりの持ち主たちと同じ存在ではないのだ、と、今更ながらにそのようなことを考える。そんなの、考えるまでもないと言うのに。






 “痛みを感じたまま(・・・・・・・・)死にたくない(・・・・・・)”。






 あの日。
 あの瞬間。
 自らが確かにそう願い、確かに受け入れたからこそ、「こう」なってしまったことを──────確と思い出した癖に。


 なのに“どうして”、などと、一体どの口が言うのだろうか。








「さて、と。それじゃあ始めようか。“五条悟の封印”」








 雲一つない晴天、とは正に今日のような日のことを言うのだろう。
 カラリとした空気も相まってか気分も爽快、とまでは流石に行かなかったけれど。
 でも、普段と比べて確かに気分は良い方であった。

 ──────だから、なのかもしれない。

「早く皆に会いたいな……」

 うっかり、本音が漏れた。
 寂しくなるからと、例えそう思ったとしても口には出さぬよう気を付けてきたと言うのに。

『……うん。でも、やっぱり寂しいものは寂しいよね』

 だって、ようやく心から笑い会える友達が出来たのだ。
 自分にとって「彼ら」は本当にかけがえのない存在で、自分で力になれることならば何だってしてやりたいと想える程に大切な人達なのである。
 なので本当は皆と一緒に新入生を出迎えたかったし、欲を言えば一緒の任務をこなしたりして更に友情を深め合ったりもしたかった。
 言わば青春っぽいことをしてみたかったのだ、呪術師としての責務を忘れない範疇で。

『それに……ここには皆の他に巫蠱さんも居ないし……』

 心から自身を出迎え(うけいれ)、“お帰りなさい”、と言ってくれる存在が現状どこにも居ない。
 それが思っていた以上に己に精神的な負荷を与えているようで自分で自分が心底嫌になる。同級生に会えない、と言う時点でも既に結構なストレスを抱えていると言うのに。

『五条先生は相変わらずだったけど……巫蠱さん的には自分を呪った「両面宿儺」が傍に居て本当に大丈夫なのかな……』

 「人間(ひと)」として生きていくのに必要不可欠な機能(ぶぶん)を“ぐちゃぐちゃ”にし、今もなお彼女の身を我が物として認識している「両面宿儺(呪いの王)」。
 そんなものが傍に居たら心労も絶えないんじゃ、と不安になる一方で、「器」の子が「子供」である限りは極々普通に接していそうだな、とも思う。聞いた限りだと肉体の主導権は「器」である虎杖悠仁の方にあるらしいし。

『心配しなくったって巫蠱さんの傍には真希さんや狗巻君、パンダ君達が居てくれるわけだし…………何より今年は伏黒君も居る』

 ならば大抵のことは何とかなるはず、と胸を撫で下ろしたい気持ちもあるにはあるのだが──────如何せん「百鬼夜行(きょねん)」のような出来事もある。
 もし攻守の要たる五条悟が機能せず、万が一にも「宿儺の器」のせいで“自分の大切な人達が傷付くようなことがあれば”、

「…………その時は、やっぱり殺すしかないんだろうな」

 僕の中の優先順位が揺らぐことはないんだし。
 そうハッキリと言葉にしたところでタイミングが良いのか悪いのか、今の今まで席を外していた人物が引き攣った笑みと共に姿を現した。「ソレ、俺ノコトヲ言ッテイル訳ジャナイヨナ?」などと言いながら。

「?どうかしたんですか、ミゲルさん」
「五条悟トイイ、高専ノ呪術師ハ碌ナ奴ガ居ナイナ……」

 冷や汗を掻きながらそんな事を述べる相手に首を傾げつつ、多分なにかしら気に障るようなことをしてしまったのだろうなと思って直ぐに謝罪の言葉を口にしようとしたら何故か片手で制された。次いで「マア良イサ。ソレモコレモ五条悟ノセイ……イヤ、五条悟ニ見付カッタ俺ノセイ……カ……」だなんて言っては掛けていたサングラスを外し目頭を押さえ始める男性で。

「俺モ、オ前モ、後モウ少シノ辛抱ダ。気楽ニ行コウジャナイカ」
「────……そう、ですね」

 考えすぎも、良くない。
 今は自分に出来ること、自分が成すべきことだけに集中し、やり遂げなければならない事をしっかりとやり遂げて見せよう。




「一緒に頑張ろうか、リカちゃん(・・・・・)




 “いざ”と言う時にちゃんと役立てるように。









 【記録】
 2018年、10月31日。19:00。

 東急百貨店東急東横店を中心に半径およそ400mの「帳」が降ろされる。





「おい、どーなってんだ!?」
「なんで出られないの?!」
「早く出せよ!!」
「これどういう原理でこうなってんの?」
「ねー、スマホ繋がんないんだけどー」
「えっ、やばくない?」
「このままじゃ待ち合わせに遅れんじゃん」
「は?五条?」
「誰?」
「分かんない」
「早くしろよ!」
「落ち着けって」
「五条悟だって〜」
「知らねー」
「いや早く呼んでこいよ」
「だから誰だよ」
「五条ってやつ」
「五条」
「五条悟」

「「「五条悟を連れてこい、って────皆が」」」






 その「帳」は非術師(一般人)のみが閉じ込められるものであり、術師や補助監督役の出入りは可能である。

 但し内部に踏み込むと連絡手段が断たれる為、緊急時は都度「帳」外に出るか、補助監督の足を使う必要がある。









「へぇ。そないなことになっとんの、渋谷」

 愉快やね、と続けたら側に控えていた使用人女性から物の見事に諌められた。言葉ではなく、その眼差しによって。
 故か、“本音なんやからしゃーないやろ”とばかりに肩を竦めた直哉はいつぞやの時と同じく文机に頬杖を突くと徐に京都の地から遥か彼方の東京を見据える。その脳裏に実父であり禪院家当主でもある禪院直毘人の姿を思い浮かべながら。

「通りでやる気なさそうにしとった訳やわ。要は悟君の“こぼれ球拾い”をさせられる、っちゅうことやろ?」

 蹴ってもええ依頼やったんとちゃう?
 そんなことを述べながらも「ま、俺には関係あらへんのやけど」、だなんて台詞を吐き出す直哉は手をヒラヒラと振ることで使用人女性に下がるよう促すと、次の瞬間には現在進行形の出来事について静かに思考を巡らせる。素直に“おもろい事になっとるな”と。

『あの六眼相手にこないな行動を取る辺り、明らかに何かしらの勝算(さく)があるんやろ。特級同士が徒党組んどる言うとったし、なんや、もしかしたら“もしかするかもしれへんな”』

 今回の件で仮に五条悟が“どうにか”なった場合、「五条家」は先ず間違いなく衰退の一途を辿っていく。
 何故なら、現在の五条家は彼一人で成り立っているようなものだからだ。
 つまり「五条悟」以外の人間はビックリするぐらいパッとしないのである。もはや居るのか居ないのか、ぐらいの認識でしかないほどに。

『どうせならこっちのご当主様にも“どうにか”なって貰いたいとこやけど……欲張りすぎると痛い目に遭いそうやし、ここはそう願うとくだけにしとこか』

 なんて優しい良い子ちゃんなんやろ、俺。
 こんなにも良い子なのだから、そろそろ願い事の一つや二つ、一気に叶ったって罰は当たらないだろうに。

「にしても、こんだけ大掛かりなことをしとるんや。せめて“お互いに「再起不能」になるとこまで追い詰め合って貰わんと”」

 そうすれば後はトントン拍子に事が進んでいく筈だ。此方の望み通りに(・・・・・・・・)

『五条悟っちゅう「楔」が無うなった五条家に巫蠱ちゃんを繋ぎ止めとくだけの力は無い。加茂家に至っては論外……となると、あかんな、考えただけで“にやけそうになるわ”』

 だって。
 伏黒甚爾が死に、五条悟まで死んだとなったら──────「彼女」にはもう禪院直哉(じぶん)しか居ない。

『なんせ「化け物」である巫蠱ちゃんを愛しゅう想える人間なんて俺ぐらいのもんやし』

 結局。
 禪院甚爾も、五条悟も、あれだけの執着心を見せ付けておきながら根本的な部分で「彼女」を“拒絶していた”。
 現に彼女を頑なに「人間(ひと)」として認識していたことが相手を受け入れられていなかった事実(こと)を如実に証明しているのだから。

『“「呪い」としての巫蠱ちゃん”をちゃんと見れてなかった時点で甚爾君も悟君も偽物(ぱちもん)の愛情を注いでた、っちゅうことやからな』

 そら「特別」にはなれへんわ、と直哉は笑う。
 無意識なのか両耳に付けられた幾つかの派手なピアスの内の一つに指を這わせては実に愉快(たの)しげな表情で。

「せや、どっかの誰かさんみたいに俺も当主になったら巫蠱ちゃんと籍でも入れよかな。流石に後継ぎは期待出来ひんけど、それは別でこさえたらええだけやし…………ま、その辺は実際に巫蠱ちゃんとシてみてから決めればええか」

 まだ相手の身にも、実の父親の身にも、何一つ変化は起きていないのにも関わらず禪院直哉は決定事項のような口振りでそのようなことを語りだす。
 それでいて音もなく立ち上がると閉めきられていた戸を静かに開け放ち、徐々に徐々に暗闇に包まれつつある空を眺めながら再度「ほんま愉快やわ」などと呟く。遠く離れた京都の地で高みの見物と洒落込みながら。





「巫蠱ちゃんには俺が居るんやから────安心して死んでくれてええで、悟君」











 上層部は被害を最小限に抑えるため、五条悟「単独」での渋谷平定を決定する。









「っなんでもいいから、はやく、はやく五条悟を連れてこい!!」











 2018年、10月31日。







「あらま。こりゃひどい」







 20:31。

 ──────五条悟、現着。
















【呪いを内包している人の話8】

21.03.14
23.07.16:加筆修正