期待されているであろうことは、すぐに分かった。
 年相応とは言い難い、その無邪気な笑顔が全てを物語っていたから。

 だけど、



ふざけんな(・・・・・)



 それと同時に“何一つとして期待されていない”であろうことも────────よく分かった。









「こりゃまた七面倒臭いことをしてくれちゃって」

 10月31日、ハロウィン当日。
 本来ならば仮装した人々で溢れ返っているであろう渋谷の街がもぬけの殻、正に“がらんどう”となってしまっていることを受けて五条悟は溜息と共に本音を漏らす。

「僕にアプローチしたい気持ちは解らなくもないんだけど、ほら、僕ってばもう心に決めた子が居るわけだし?どうしたって応えられないって言うか〜」
「ふざけたことを抜かしている暇があるんだったら、さっさと()ってきたらどうだ」
「ええー……学長、空気読みましょうよ。どう見たって今のは「他にうつつを抜かさない恋人の鑑」、ってのを巫蠱にアピールしてたところでしょ」
「知らん」

 これだから学長は〜、などと、これ見よがしな溜め息を吐き出す相手に若干の苛立ちを覚えながらも、それ以上は敢えて口を閉ざす夜蛾。
 恐らくは事態を重く見ているからこその沈黙、なのであろう。
 なんたって術師ではない数百、数千に及ぶ一般人が目の前の「帳」に閉じ込められてしまっているのだ。
 報告によると今現在は“ただ閉じ込められているだけ”、であるらしいが──────生憎と「相手(むこう)」は道徳などを持ち合わせてはいない。つまり、いつ殺戮ショーが始まっても可笑しくはない状況なのである。

「正直言うと、あんまり気乗りしないんだよね。なーんかキナ臭いって言うか」
「────……」

「いや、ちゃんと行くけどさ。仕事だし、流石に放ってはおけないから」

 だからそんな顔しないでよ、と続けられたせいか、彼と向き合う形で佇んでいた女性が小さく謝罪の言葉を口にする。
 如何せん鏡がないので自分が今どのような表情(かお)をしているのかは流石に確認のしようがなかったのだけれど、何となく“不安を露にしていたのだろうな”、とは察することが出来た。
 なにせ「八十八橋」の件や「呪胎九相図」の受肉体の話を聞いてからと言うもの、どうにも過去の忌まわしき出来事が頭から離れず、今に至るまでずっと漠然とした懸念を抱き続けてしまっていたから。

 今回の件と“あの出来事”は無関係である筈なのに。

(……「呪胎九相図」が絡んできたから過敏になっているだけ、なのだろうか)

 明治初頭。
 行き場を無くし、「救い」を求めてきた女に非道の限りを尽くした男。
 赦されざる行為を繰り返し、史上最悪として呪術界に名を残した御三家の汚点。
 数百の年月が過ぎても尚、記憶に残り続けている「その男」は疾うに“この世から姿を消している”と言うのに。
 それなのに何故、どうして自分は伏黒津美紀が呪われた時以上にその存在を強く感じ取ってしまっているのだろうか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「それじゃ、まっ、ちゃちゃっと祓ってこようかな」
「え……あ……」

 やれやれと肩を竦ませながら仕方なしに身を翻そうとする五条であったが故に傍に居た女性が何かしらを告げようと口を開く。
 が、思うように言葉が出てこなかったのだろう。
 暫し「あ」やら「ま」やらの単語にすらなっていない一文字を繰り返したかと思うと、最終的には悄悄と口を閉ざしていく。
 いつもなら「行ってらっしゃい」、と素直に言えるのに、今回に限っては何故か心から安心して見送ることが出来なかったのだ。

「────……巫蠱。もしかして自分で気付いてない?」
「……?」
「手」
「手?」
「僕の服、掴んじゃってる」
「っ?!」

 指摘されて初めて気付いたのだろう。
 自分自身でも気付かない内に五条の服を掴んでしまっていた女性は見るからに慌てた様子で相手から手を離す。しどろもどろになりながらも必死に引き留めるつもりではなかったのだと告げながら。

「巫蠱」
「すっ、すみません、でした。これは、あの、……っいえ、何でもないんです、何も気になさらず、行って下さって構いませんから。本当に、その、」

 何でもないのだと俯き掛けていた顔を持ち上げて普段通りに五条を見送ろうとしたら、音もなく唇を塞がれた。言うまでもなく彼の唇によって。

「……!?」

 幸いにも夜蛾や、夜蛾と肩を並べていた家入が空気を読んで瞬時に身体ごと明後日の方向を向いてくれた為に“口付けられた瞬間を見られる”、と言う事態はギリギリで回避できたのだけれど。
 それでも人前で何てことをするのだと反射的に苦言を呈そうとすれば、当然の流れだとばかりに舌を差し込まれる。いつの間にやら回されていた腕に強く腰を抱き寄せられながら。

「……っん、ぁ、」

 かつての日と同様、歯列をなぞってから舌に吸い付き、己の満足が行くまで女性の咥内を犯し続ける五条は相手が苦しげに自身の胸を叩いてきたのを見るなりゆっくりと唇を離していく。また突然の深い口付けに呼吸を乱して頬を淡く色付かせている女性を見下ろしては、『“こう言う顔”、僕以外には見せないでって言っても無理なんだろうなぁ。無自覚だし。や、そもそも僕以外にさせないけどさー……』、だなんて感情を胸に抱くと名残惜しそうに彼女を抱き締めた。
 因みに「もうちょっとだけ続きシちゃ駄目?」、と言う台詞は状況が状況なだけにしっかりと飲み込んだようだ。性格に難があっても空気だけはちゃんと読めるらしい。

「ね、巫蠱。僕が戻ってきたら残りのややこしい手続きとか一気に片付けちゃおっか」
「……っ?」

「どうせなら今日、籍入れちゃおうよ」

 身長差があるが故にすっぽりと己の腕の中に収まった女性を見下ろしながら事も無げに五条は続ける。「「上」の連中も反対する奴らも、全員、僕が黙らせるからさ」と。
 それでいて真っ直ぐに女性を見つめると、目元を覆う目隠しを僅かにずらしながら予てよりずっとずっと切望し続けてきたことを口にした。



「巫蠱。例え終わりが来たとしても、僕と一緒に生き続けて(・・・・・・・・・・)



 それが「あの日」から抱き続けてきた、僕が君に望む、唯一無二の「願い」だよ。

「────」
「じゃ、行ってくるね」

 ちゅ、と額に口付け、安心させるように頬を一撫でしてから瞬く間に女性の前から姿を消す五条。
 それ故か、相手に伸ばそうとして行き場をなくしてしまった手を微かに震わせる女性は伝えたかった言葉を寸でで飲み込んでしまったことをすぐに後悔した。
 例え聞き届けられなくとも、例え我が儘だと思われてしまっても確と言葉にすべきだったのに。
 こんな風に後々になってから悔やむくらいなら、彼の手を取り、ちゃんと伝えておけば良かった。



 「待って」「傍にいて」「どこにも行かないで(・・・・・・・・・)」と。












「アイツの執念には畏れ入るな」

 首都高速三号渋谷線、渋谷料金所にて。
 万が一に備えて夜蛾から招集を掛けられていた家入は、せっせと料金所に天幕を張っていく数体の呪骸らを眺めながら唐突にそのような感想を漏らす。明らかに独り言ではない声量で、はっきりと。
 だからであろう、道路上に簡易ベッドを作っていた女性が「執念?」などと言いながら入口に立っている家入へと視線を投げ掛けてくる。取り出したばかりのシーツを片手に何とも解りやすい疑問符を頭上に浮かべながら。

「前に私と五条と伊地知の三人で飲んだことがあってね。その時にアイツが言ってたんだよ」
「?」

「“「巫蠱」を一目見た瞬間に理解した。巫蠱を「幸せ」に出来るのは僕だけで、僕を「幸せ」に出来るのも巫蠱だけだ”ってね」

 歯が浮くような台詞だったけれど、その声音がいつになく真剣な“それ”であったが故に変に茶化すことも出来なかったのだと家入は語る。現に酔いが回っていた伊地知ですら「つ、つまり、お二人は惹かれ合うべくして出会った間柄であると……」だなんて言っては真顔になっていたくらいだと。

「────……」
「大抵の子供は「大人」ってのに一種の憧れを抱くもんだけど、五条に限っては憧憬じゃなかったんだと。割と最初から好きで好きで堪らなかったらしい」
「そんな、はずは」
「うん?ああ、「巫蠱に言っても信じてくれない」とかも言ってたかな。子供の頃からアピールしまくりだったのにスルーされまくってたとか、否定をしない代わりに「それは正しくない」だとか諭してきたり……とか。まあ愚痴と言うよりかは文句じみたもんだったけど、それすらも幸せそうに語ってたんだよ」

 下戸であるが故に一滴たりともアルコールを摂取しようとはしなかったが、それでも彼は驚くほど饒舌に語っていたのだ。女性との出会いから今に至るまでの軌跡(のろけ)を。
 尤も“それ”自体はいつも通りと言えばいつも通り、ではあったのだけれど。
 何せ隙あらば自分達の関係性を誇示(じまん)し、彼女に群がろうとする野郎(おとこ)共を軒並み牽制しまくるような人間(やつ)なので。

「要するに、だ」
「……?」

「ちゃんと待ってさえ居れば、アイツは必ず巫蠱の居るところに(もど)ってくるんだよ。心配なんかしなくてもな」

 羽織っている白衣のポケットに手を突っ込み、どこか呆れ交じりの笑みを浮かべる家入はそう言って女性に微笑み掛ける。いつもとは違い、どうにも不安を拭い去れないでいる彼女を少しでも安心させようと──────暗に“大丈夫だ”、と告げながら。

「そもそもアイツの身に何かが起きる、ってのがな。五条がダメージを受けるとしたら巫蠱関連で「何か」があった時くらいだろ」
「いえ、流石にそんなことは無いかと……」
「前にオマエへの接近禁止令が出されてただろ、釘崎の怒りを買ったとかで。そん時は割とガチで反省してたように見えたけど」
「あれは……その、無断で教え子の制服を拝借し、挙げ句、勝手に袖を通したとあっては流石の私も庇いきれるものではなく……」
「そらそうだ」
「ただそのことに対する罰とやらが私への接近禁止だったので、当事者の野薔薇的には本当にそれで鬱憤が晴れたのかどうか……」
「いや間違いなくアイツにとっちゃこれ以上にないぐらいの「罰」だよ。釘崎は着眼点が良い」

 実際、釘崎から一週間の接近禁止令を言い渡された五条は即座に彼女に向けて土下座をしたらしい。「すみませんでした。どうか許してください、野薔薇様」と。
 なので五条悟に対する「罰」としては妥当も妥当、実に効果覿面な内容であったと言えよう。まあ大の大人、しかも担任教師の土下座姿なんてドン引きも良いところであったらしいが。

『まっ、そんな奴でも一途に想い続けて、巫蠱に至っては想われ続けてきたわけだからな。今更どんなことがあったって離れられないんだろう、お互いに(・・・・)

 特に「想い」に「想い」を返された今、五条は何があっても決して彼女を手放したりはしない筈だ。
 否、そもそもの話として、彼の中には“「巫蠱」を手放す”と言う選択肢が端から存在していないのだろう。
 初めて彼女と出会った瞬間から今に至るまで、一度として疑ってはいない(・・・・・・・・・・・・)のである。

 “巫蠱の傍に在り続ける存在は「五条悟(じぶん)」だけだ”と。




【……悟と彼女を見ていると、時々、“これ以上の「正解」は無いんだろうな”って思う時がある】




 ────ああ、なるほど。
 オマエが言っていたのは“こう言うこと”だったのか、と、今更ながらに家入は理解する。
 数十年越しにやっと「彼」の気持ちが分かったのだ。分かって、ようやく納得した。

『あの時は“ああ”言ったが……あれからずっと近くで見てきたせいかね。確かに巫蠱の傍に在るべきだ、と思える奴は五条くらいのもんで、それ以外だと、どうにも“しっくり来ない”な』

 つまり第三者ですらそう思ってしまうだけの「想い」を一心に注ぎ続けてきたのだ、五条悟(あの男)は。
 永い年月をかけて、ただただ一途に、ただただ一心に、脇目も振らずに女性だけを愛し続けた。
 だからこそ彼は彼女に受け入れられたのだし、頑なに「特別」を作ろうとはしなかった彼女の「特別」にもなり得ることが出来たのだろう。要は情に流され、絆されてしまったのは五条ではなく女性の方だった────と言うわけだ。

「……硝子?」
「ん、いや、ちょっとな」

 ほんの少しだけ過去を回顧した為に反応がおざなりになってしまった家入は肩を竦めなり女性の手から真新しいシーツを受け取る。それでいて「私の出番が無いことを祈るばかりだよ」、と口にすると天幕内に姿を現した絶妙なキモ可愛さを有する呪骸に指示を出しながら悠然と簡易ベッドがある方にまで歩んで行く。
 偶々、若しくは無意識ながらに白衣のポケットに突っ込んでしまっていたタバコの箱を片手でくしゃりと握り潰しながら。








 夏油傑は死んだ。この手で殺した。
 だから目の前に居る“この男”が「夏油傑」である筈が無かった。








「────君さぁ、まさか本気で「巫蠱(かのじょ)」を「人間」に戻せるとでも思ってる?」

 五条袈裟を身に纏った、額に縫い目のある男。
 「脳」を入れ替えることで肉体を転々とすることが出来る術式を持つ“その「(ナニカ)」”は、夏油傑の呪霊操術と五条悟を封印するために必要な状況を作り出す為に「この身体が欲しかった」のだと語った。そして今現在は何とも親しげに五条悟へと話し掛けてきている。
 夏油傑の顔で穏やかに笑い、夏油傑の声で「彼女」の名を口にしながら。

無理だよ(・・・・)
「────あ?」

「なにせ彼女は自ら望んで宿儺の「一部」になったんだから」

 場所は渋谷ヒカリエShinQs地下五階、東京メトロ渋谷駅。
 五条による0.2秒の領域展開によって数百に及ぶ一般人らが立ったまま意識を失っている中、目の前の「(■■)」は何て事無さそうにそのような言葉を紡ぎ出す。生きた結界、源信の成れの果てである特級呪物「獄門疆」に肉体を拘束された五条を前に「その様子だとやっぱり知らなかったようだね」などと何処か彼を憐れんだ様子で。

「生まれながらの無痛症、って言うのが願ってもない代物だったんだろうね。術師の家系に生まれたこともあって「呪い」への耐性は十分にあった訳だし」

 ただ「彼女」が生まれてしまったことで一族の何人かは道を踏み外してしまったようだけれど、と「(■■)」は続ける。まるで直接それらを見てきたかのような態度で、淡々と。

「君も薄々気付いてたんだろ?彼女が「蠱毒」の器にさせられてたってことに」
「……」

「身の内にありとあらゆる毒物(のろい)を詰め込まされ、時には他者に掛けられた呪いや穢れすらも肩代わりさせられながら──────最後に残った強力な「呪い」を使役(つか)って数多を呪殺(ころ)し続けていた「呪詛師」だったってことにさ」

 尤も当時の女性に「呪詛師」たる自覚はなく、また自分の身が“どのような使われ方をされているのか”もよく解っていなかったみたいだが。
 いや、この場合は何も知らされずにいた(・・・・・・・・・・)、と言う方が正しいのかもしれない。
 恐らく周囲の者々によって巧妙に隠し通されてきたのだろう、彼女が「真実」を知って呵責の念に駆られてしまわぬように。「巫蠱(どうぐ)」が利用出来なくなっては困る、と言う、どこまでも身勝手極まりない理由から。

「哀れと言えば哀れだよね、赤児の時分に本家側(おやもと)から引き離された(盗み出された)訳だから。自分を大層大事に育ててくれていた人間たちが実は盗人で、本来なら自分は被害者側だったのに────────いつからか加害者側に立たされていた。初めからそうであったように」

 それに彼女は『他者の役に立つことをしている』のだと、そう頭から信じ込まされていた節がある。
 理不尽に呪われ、訳も分からず病床に伏すことになってしまった者たちから「苦しみ」を取り除くと言う行為は正に「善行」であると。
 だからこれらは「呪術師」として必要な行為なのだ、と、そう幼少期から信じ込まされてきたのではないだろうか。故に「助けてくれてありがとう」、の言葉を額面通りに受け止めてきた。

 呪われるからには呪われるだけの理由があったかもしれないのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「肉体に「呪い」を宿し、競わせ、生み出し、他者を呪い、侵し、殺し、その循環(サイクル)が当然のものとなるまでを繰り返していく日々の中で────────出逢ってしまったんだろうね、「呪いの王」と」

 で、文字通り喰われちゃったわけ、彼女。
 その身の内に数多の「呪い」が内包させられていたこともあって、女性の身体は血も肉も大層美味であったそうだ。
 これっぽっちじゃ食い足りない、と思う程度には惜しまれた“らしい”。

「これがまた不思議なんだけど、何でか宿儺だけは“彼女に「痛み」を与えることが出来た”らしくてさ。彼女、本来なら痛みを感じずに死ぬことが出来た筈なのにそれが出来なかったんだよ」
「──!」

「だから受け入れるしかなかった、宿儺を。想像を絶する「痛み」から逃れるために」

 そのまま死んでいた方が間違いなく彼女にとっての「幸せ」となり得たのに。
 それなのに彼女は目先の「欲」に囚われた。選んではならないものを選んだ。
 だから彼女が今も尚「死ねない」ことに苦しんでいるのは自業自得でしかない、と「(■■)」は考える。全ては身から出た錆なのだと。

「宿儺自身も好きな時に好きなだけ自分好みの食事が出来る、とあっては生かしておいて損はないだろうしね」

 つまり食材を熟成させる為の器でもあり非常食でもある、と、大体はそんなところだろうか。
 まあ宿儺の死後は極力その身に「呪い」を溜め込まぬよう行動していたそうなので、今現在の彼女は彼が求めるような「味」にはなっていないみたいだが。それに基盤となっている宿儺を除く古くからの「呪い」は目の前に居る五条によって悉くが祓われてしまった後だと言うし。

「結局、最初から最後まで「巫蠱」をどうこう出来る存在は宿儺だけなんだよ。宿儺が死ねば当然“彼女も死ぬ”訳だからね」
「────」

「私としては彼女を母胎に幾つか試してみたいこともあったんだけど、」

 いつの時代も食べ物の恨みは怖い、と言うし、宿儺の了承が得られない内は慎重に慎重を期すべきなのだろう。自分は何も宿儺の不快(うらみ)を買いたいわけではないのだから。

「話が長くなってしまったね。最後だからちゃんと教えておいてあげよう、って親切心だったんだけど、満足の行く内容になっていたかな?」
「そう見えてんだとしたらオマエの目は節穴だよ。傑は人を見る目があったってのにな」

 此方を睨み付けながら忌々しげにそのような言葉を吐き捨ててくる五条であったが故に「(■■)」は思わず「ははっ」、と笑い声を漏らす。自分は“夏油傑ではない”のだから当然ではないか、と言わんばかりに肩を揺らして。

「さっきも言ったけど、百年か千年後には封印を解いてあげるからさ。宿儺が存在する限り君の大切な巫蠱ともまた会える訳だし、そう悪いことばかりでもないだろう?」
「オマエみたいな下種野郎が気安く巫蠱の名を口にすんな。穢れるだろうが」
「可笑しなことを言うね。とうに穢れているだろう、アレは(・・・・・・・・・・・・・・・)
「──────ッッ!!」

 瞬間、ダンッ!!、と言う力強い音がホーム内に響き渡る。
 「獄門疆」に拘束されている以上、呪力操作も出来ず、身体に力を込めることも叶わない筈なのに。
 それなのに彼女を侮辱した途端あり得ない力を発揮して地面を踏み締める五条であったが為に流石の「(■■)」も「凄烈にも程があるんじゃないかな、彼女に対する君の“それ”は」、だなんて本音を漏らしてしまう。
 また“「人間(ひと)」としても「呪い」としても中途半端なアレによくもまあそこまで夢中になれるものだ”、と半ば呆れにも似た感情を滲ませては、かつての夏油傑を彷彿とさせる口調で五条に別れを告げた。





「おやすみ五条悟。新しい世界でまた会おう」










(──────もっとも、今話した内容が宿儺と彼女の真実(すべて)とは限らないんだけどね)








 “五条悟が封印された”。


 俄には信じがたい内容でも、「それ」を伝えにきたのが他ならぬ七海建人であったが故に女性は沈黙を返すことしか出来なかったのだろう。
 何せこのような状況下で彼が冗談を言う筈がなかったし、そもそも“目の前で息も絶え絶えな状態で居る伊地知を見てしまっては”相手の言葉を素直に信じるしかなかったのだ。
 一般人を閉じ込める「帳」以外の「帳」、つまり“術師を入れない「帳」”が下ろされた瞬間から事態は更に悪化の一途を辿り、此方にとって完全に予期せぬ展開になりつつあることを。

「他に、」
≪?≫
「幸吉は他に、何か言っていませんでしたか」
≪と言うと?≫
「例えば悟を封印するに至った者、協力者、或いは首謀者について」
≪────夏油さんの裡に居る「何者」か、ですか≫

額に縫い目の痕があるもの(・・・・・・・・・・・・)が近くに居た、など、そのような事は仰っていませんでしたか」

 東京メトロ渋谷駅13番出口側に隣接する歩道橋上にて。
 家入から借り受けたスマートフォンを片手に膝を折る女性は、腹部に簡易的な止血が施された伊地知を前にそう相手へと問い掛ける。スピーカー機能をオンにしたまま、渋谷駅構内に向かっているであろう七海に向けて。

 “額に縫い目の痕がある者”の有無を。

≪いえ、そのような事は一言も≫
「────」
≪何もかもが後手に回ったせいでしょうね。正確な敵の数、及びその配置も不透明である中、こちらの情報共有に必要不可欠な補助監督らが軒並み殺害(ころ)されてしまっている≫
「────……っ!」
≪息のある者が居れば伊地知君同様、巫蠱さんに回収をお願いしたかったのですが──……≫

 残念ながら、全員、手遅れでした。

≪巫蠱さん≫
「……」
≪貴女は伊地知君を連れてすぐに家入さん達の所に戻り、以降は彼女や夜蛾学長の側から離れないで下さい≫
「……硝子の身を護るため、ですね」
≪はい。反転術式が使える家入さんの存在を相手側に気取られるわけには行きませんから。それに、≫
「?」

≪今の貴女は冷静さを欠いている≫

 電話口で滔々と紡ぎだされたその言ノ葉に女性は驚きから目を見開かす。自分では上手く取り繕えていると思っていたのだ。
 なのにこの場に居ない七海に“それ”を看破されてしまったものだから「そんなことはない」、の一言が喉に引っ掛かって何も言うことが出来なくなってしまう。
 何かしら否定しなければ、何かしら言葉を続けなければ行動を制限されてしまうのに。

 冷静さを欠いたものが戦場に居るべきではない────と。

「っ、建人、私は、」
≪夏油さんの裡に居る人物に心当たりがあるんですね≫
「……根拠は、無いんです。ですが、どうしても、“もしかしたら”、と考えてしまって」
≪────……≫
「ただ、それは有り得ないことでもあるんです。だって、生きている筈が、ない」

 そうだ。生きている筈がない(・・・・・・・・・)
 不死の術式を持つ「天元」や自分のような存在ならいざ知らず、加茂家相伝の「赤血操術」に“そのような副次的効果は一切なかった”筈なのだから。
 勿論こちらが知らないだけ、と言う線も考えにくい。
 第一、明治初期から現代に至るまでの百五十年を誰にも知られずに生きていく事など不可能に近いだろう。仮に協力者が居たのだとしても、あれだけのことをしでかしたのだ、必ずどこかしらでその存在が露呈していたはず。

≪“生きている筈がない”。────それは正に今の夏油さんにも当てはまる言葉ですね≫
「…………傑は、」
≪解っています。夏油さんは既に亡くなっている。他ならぬ五条さんが手に掛けたのですから、そこに間違いはないでしょう。だから此処に居る夏油傑は“夏油傑の名を騙る何者か”でしかない≫
「…………」
≪どちらにせよ、状況は刻一刻と変わってきています≫
「…………」
≪私は日下部さん、禪院特別一級術師らと合流し情報を共有した後、直ちに五条さんの救出に向かいます。学生は下がらせますので道中で見かけたら保護をお願いします≫
「────……分かりました」

 簡潔でいて的確。
 どのような状況下でも必ず「冷静」で在るよう心掛けている七海のその判断に異論などはありはしなかった。
 ただ、────……ただ、純粋に“不甲斐なかっただけ”。自分自身の無力さが、あまりにも不甲斐なかった。
 このような時こそ己も己の身を使って何かをすべきなのに。何かを成すべきなのに。
 なのにオマエはこれまでと何ら変わらず役立たずのままなのかと、そう自分自身を叱咤したくなった。

≪巫蠱さん≫
「……」
≪人には向き、不向きと言うものがあります≫
「……?」
≪まず貴女は実戦に向かない。そもそもが争い事に向いていない。そう言う性分なのでしょうね≫
「……自覚は、あります」
≪ならば無理に不向きなことをする必要はありません。いえ、むしろされたら困ります。実戦だと足手纏いにしかならないので≫
「────そ、う、ですよね……」

≪ですが私は、貴女に助けられていますよ≫

 ズバッと足手纏いだと言われたことで見るからに肩を落とし始める女性だったものの、流れるようにして続けられた相手のその言葉には思わず「え」と返してしまう。一瞬、幻聴だと思ったのだ。

≪実際、巫蠱さんが居て下さったから私はこうして貴女に伊地知君を任せて現場に向かうことが出来ている。あの場で家入さんの到着を待ち続けていたら、私だけが更に後手に回されてしまっていたでしょうから。それを避けられたのは大きい≫
「硝子が赴くより私が行って抱えて戻った方が早い、と言うだけのことですよ」
≪十分ですよ。少なくともこれで伊地知君は大丈夫だ、と思うことが出来る。……私にとって“それ”は、割と重要なことなんです。意外に思うかもしれませんが≫
「──…………」
≪自分を「無力」だとは思わないで下さい。貴女が不向きなことは私たちに任せてくれれば良いんです。だから、≫

 “待っていて下さい”と彼は言う。
 相変わらず抑揚を感じさせない声音で、「自分達を信じて待っていて欲しい」と。
 だから、なのだろうか。
 意識のない伊地知を気遣いながらも、軽々と彼の身体を両腕に抱えあげた女性は地面に置いていたスマートフォンを手に取るなり短く返事を返す。

 そこにありったけの感情を籠めて。

「────必ず、(もど)って来てくださいね」

 ちゃんと、待っていますから。
 信じて待ち続けるから、だからどうか、誰一人として欠けることなく無事に(もど)ってきて欲しい。
 そのような想いを籠めてそう告げれば、フッ、と言う微かな音が耳に届いた。思わず漏れ出てしまったと言わんばかりの小さな「音」が。





≪勿論、そのつもりですよ≫





 そしてその言葉を最後に七海との連絡は途絶え、以降、彼の「声」を聞く機会は二度と訪れなかった。


















【呪いを内包している人の話9】

21.04.01
23.05.22:加筆修正