噂と問いかけ

「なあなあお前ら聞いた!?ヒーロー科にとんでもない美少女がいるって噂だぞ!」

緑谷出久は頭を抱え机に突っ伏した。クラスメイトの上鳴電気が登校してくるや否や開口一番に発した冒頭の台詞を脳内で復唱する。それってどう考えても、

「(名前ちゃんもう噂になっちゃってるよ……!)」

高校生活ものの数日にしてこの目立ちよう。彼女の母親を知っている緑谷は「まあ何てったってあの人の子供なんだもんなあ」と納得せざるを得ない。とりあえず状況を把握しようと緑谷は自分の席で突っ伏したまま聞き耳を立てた。

「は?ヒーロー科ってウチらじゃん。誰のこと?ヤオモモとか?」
「確かに八百万は美人だけど甘いぜ耳郎、ヒーロー科は俺らのクラスだけじゃねえだろ」
「ああ、B組」
「え〜っ、私それ心当たりあるかも!」

興味なさげに返答する耳郎とは裏腹に芦戸が上鳴の話に食いつく。

「えっマジで!?心当たりってどんな!?」
「試験会場が同じだった子にすっごい美少女がいてさ〜、もしあの子なら噂になってても納得できるなって。そっかあ、受かったんだ、B組か〜」
「芦戸も!?実は俺もなんだよ。実技入試ん時俺のこと救けてくれた子がめっちゃかわいくてこの噂聞いたときあの子じゃねえかな〜って」

それまで黙って上鳴の話を聞いていた切島が「噂って例えばどんなん?」と口を挟んだ。

「おっ切島興味ある?まあ噂っつっても『初日に地味めの男子生徒と登校してた』ってのと『入学式でヒーロー科クラスのとこにいた』っていう目撃情報があるだけなんだよなあ。俺たち入学式出てねえし、ならB組だなって思ったんだけど」
「(地味めの男子生徒って……そ、それ僕だ!)」

緑谷の額に嫌な汗が浮かぶ。もしその男子生徒が自分だと彼らに知られ名前と自分の関係性を問われたとして、ただ一言「幼馴染みだから」と弁明すればいい話なのだが焦らずにはいられない。もし誤解なんてされるものなら名前にも申し訳が立たないしこの話題には触れたくなかった緑谷は知らないふりを決め込んだ。

「でさ、見に行かね?B組の美少女。隣だしさ」
「はぁ?やめてよ上鳴、そういうアホっぽいことするの。A組の品が落ちるっての」
「えーいいじゃんか、てか耳郎には聞いてねえよ。なあ行こうぜ切島」
「あー、俺は別に興味ねえな」
「なんだよ!さっき食いついてたじゃん!」
「はーい!私は興味ある!見に行きたい!」
「よっしゃ!行くか芦戸!」

ああそうきたか、と緑谷は顔を伏せたまま眉を寄せた。そういえば、中学に上がった時もこういうことがあった気がする。大切な幼馴染みが見世物のように扱われるのはあまりいい気分がしない。そう思ったところで気付いた。『大切な幼馴染み』がそう扱われていい気分がしないのはきっと自分だけではない。恐る恐る顔を上げる。

「ヒッ……!」

思わず小さな悲鳴が口をついた。緑谷の前の席、そこに座る爆豪は背中を見るだけでも分かるくらい殺気にも似た苛立ちを放っていたのだ。

「(かっちゃんめちゃくちゃ怒ってるよ……!)」

このままだと上鳴くんが危ない。そう察した緑谷は止めないと、と席を立つ。でも止めるってどっちを?上鳴たちを理由も話さずに説得できる自信は彼にはなく、かと言って緑谷が爆豪に何を言っても火に油を注ぐことになるのは明白だ。そう躊躇してしまったのが仇となった。爆豪が勢いよく席を立ったのだ。そのまま上鳴らのいる教室の中心に向かってゆっくり歩き出す。

「おいテメェら、くだんねえ話してねぇで席ついて大人しくしてろ」
「え?なんでだよ、まだ一限目まで5分あるぜ?隣だし5分ありゃ余裕だろ」

地を這うような低い声、吊り上がった目尻、明らかに見て取れる爆豪の不機嫌さなんて意に介さずあっけらかんと答える上鳴に緑谷は危機感を覚える。

「俺はそういうこと言ってんじゃねえよ!」
「ええ!?ならどういうことだよ。あ、もしかして爆豪もホントは美少女が気になる系?それなら素直にそう言えよ〜」
「ァア!?」
「(なんで上鳴くん、かっちゃんを煽るようなこと言っちゃうんだー!?)」

緑谷は今にも上鳴に殴りかかりそうな爆豪の背中を慌てて追いかけて二人の間に割って入った。

「待って待って待って、と、とりあえず落ち着いてかっちゃん!」
「邪魔だ!どけデク!」

「え、何?何がどうなってるんだ?」と上鳴と芦戸が目を白黒させる。殺気立った爆豪と二人を庇うように彼の正面に立つ緑谷。教室の中心で起こっているその騒動はクラス全員の視線を集めていた。

「よく分からないが揉め事は良くないぞ!とりあえず落ち着いて、みんな自分の席につこうじゃないか」
「飯田くん……!」

腕を肘から曲げて上下させながらそう言う飯田に緑谷は安堵した。これで少しは事態の収集がつくかもしれない。上鳴と芦戸は「よく分からないけどそうするか」と渋々席につきそれを見た爆豪も盛大な舌打ちをして自分の席に戻っていった。緑谷は振り返り飯田に向かって「ありがとう」と口を動かす。「なに構わんさ」と答えた飯田に笑いかけて自分も席に戻った。

「おいデク」

椅子を引いて席につくと同時に声をかけられた。まだ何かあるのかと緑谷は肩を跳ね上げ、こちらに背を向け前を向いたままの爆豪に恐る恐る返事をする。

「な、何、かっちゃん」
「テメェはそれでいいんか」

緑谷は一瞬何を問われているのか分からなかった。しかしすぐにその言葉を噛み砕き呑み込むとゆっくり目の前の後頭部を見あげ、答える。

「……よくない、よくないよ。」

その声色は何かに気づきそしてそれを決心したような調子を含んでいた。爆豪は返事の代わりにフンと鼻を鳴らす。相変わらず不機嫌を微塵も隠す様子はない。

始業のチャイムが鳴った。

英語の教科書を広げながら緑谷は口を固く結んだ。ただただ自分が情けないと思った。人を救うヒーローを目指しておいて何故いちばん近くて大切な人をないがしろにしていたんだろう。自分の意思に関わらず好奇の視線を集めてしまう幼馴染みに距離を置いて自分にもその視線が向けられることを避けようとした。名前を放り出して自分だけ逃げていた。彼女は好奇の眼差しに戸惑い悩んでいるかもしれないのに。たぶん、近すぎたのだ。言い訳にしかならないが、幼い頃からずっと一緒にいる彼女の存在は緑谷にとって日常そのものだった。だから彼女の心配をしているようで特別気にかけることが出来ていなかった。

まさかそれを爆豪に気付かされるとは思わなかった。彼の行動はあまりに乱暴で刺々しかったが確かに名前を思っての行動だった。いつもそうだ。緑谷に出来ないことを爆豪はいとも簡単にやってのけてしまう。いつも緑谷はその背中を追っていた。名前のために怒ることができた爆豪が羨ましくて、悔しい。何故自分にはそれができなかったんだろう。事情を知らない上鳴や芦戸に非があった訳ではない。誰も悪くない。

「(あとで名前ちゃんに連絡しよう)」

そう心に決めて目の前の背中に目をやった。かっちゃん、どうして名前ちゃん本人を前にすると素直になれないんだろう。大方性格のせいだが緑谷から見ると爆豪が一人で空回りしているように見えて仕方がない。彼はなんでも器用にこなすのに名前が関わると昔からこうだ。それに加え名前は人の心の機微に疎い。名前には爆豪に歩み寄る意思があるようだが、彼の心情に噛み合わない行動が意味する所を察せるはずもなくいつも二人はすれ違ってしまう。なんか、かっちゃんって本当に性格で損してるよなあ……

昼休みになると緑谷は名前に某SNSで『今話せる?』と連絡を入れた。名前ちゃん携帯見るかな、返信なかったらB組に行こうかなという緑谷の懸念は杞憂となる。メッセージを送って数秒で既読がつきさらに数秒後、淡白に一言『平気』と返信がきたのだ。

『名前ちゃん、その、大丈夫?』
『何が?』
『怖い人に絡まれたりしてないかなって心配になって』
『してないよ。なんで?』
『ほんと?よかった……。名前ちゃんのこと校内で噂になってるみたいだから』
『ああ噂、友達から聞いた。だから登下校は人が少ない時間にしてるし教室からもほとんど出ないようにしてる。大丈夫』

よかった、と胸をなでおろしつつ緑谷の目はある文字を凝視していた。『友達』というその二文字。名前ちゃん友達できたの……!?と少し失礼な衝撃を受ける。B組の人だろうか。これは次にあったときに聞こうと決めて緑谷は本題を切り出した。

『今日久しぶりに一緒に帰らない?』
『えっ、いいの?』
『もちろん!というか今までごめんね、数日だけど距離を置いちゃって』

『そんなの気にしなくていいのに』と言う名前に彼女らしいなと思った。もし僕の方が遅くなりそうだったら連絡するから、そのときは待っててと伝える。『分かった』と返ってきたその文字を見つめた。文になるといつも以上に淡白な印象を受ける名前の口調にどこか安心感を覚えたのだ。早く会いたいな。

「デクくんご飯食べないの?」
「携帯電話はそれくらいにして、早く食べないと冷めてしまうぞ」
「うわっ、あ!うん!ごめんね食事前に!」

麗日と飯田に声をかけられ慌てて携帯をポケットに押し込む。

「なんか携帯見ながらニコニコしてたけどいいことあったん?」
「確かに何やら嬉しそうに笑っていたな」
「えっ!」

グワッと顔に熱が集まった。僕、ニヤけてたのか。それを人に見られていた羞恥。穴があったら入りたい。かろうじて「いや……なんでもないよ……」と蚊の鳴くような声で答えた緑谷は「えー!絶対なんかある!教えてよー!」と麗日に詰め寄られることになったのだった。