結いて縺れて

ホームルームが始まる五分前。「今日は帰りどうする?」と拳藤が後ろを振り返ると名前は何やら難しい顔で携帯電話の画面を見ていた。彼女は顔を上げると「ごめん一佳」と僅かに眉を下げる。

「今日も幼馴染みと約束してて」
「そっか、残念だな」
「本当にごめん」
「いや、いいって!私よりその子優先しなよ。クラス離れたからなかなか会えないんだろ?」
「うん。ありがとう」

拳藤の言葉に名前は感謝を述べる。しかしそのあとまた少し難しい顔をして携帯に視線を落とした彼女に拳藤は「何かあった?」と眉をひそめた。

「その、一緒に帰る約束はしたけれど、返信がなくて」
「返信?」
「うん。どこで待ち合わせるか、昼休みにメッセージ送ったけどまだ既読さえついてなくて」

「昨日、『また明日連絡するね』って言ってたし、昨日の昼休みはすぐに連絡ついたのに」と不安げに瞳を揺らす名前に拳藤は「隣なんだし直接確認しに行けばいいじゃん」と言いそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。きっと名前はB組の教室の外に極力出たくないのだ。名前は「しょうがないしホームルーム終わったらA組の教室に行こうかな」と小さな溜め息をつく。

「一人で大丈夫?不安なら私が着いて行こうか?」
「平気。昨日も少しだけだけどA組の前の廊下で待ってたし、今日もそうしてみる」

淡々とそう告げる名前だが、無表情にしか見えないその顔は拳藤の目にはやはりどこか不安げに映っていた。

「分かった。でも何かあったら、いや何もなくても、もっと頼ってくれていいんだよ。友達なんだから」

拳藤がそう言うと名前は目を丸くして、それから「ありがとう」とはにかんだ。





ホームルームを終えたA組の教室は騒然としていた。もともと「放課後、今日のヒーロー基礎学で行った対人戦闘訓練の反省会をしよう」という話が上がっていたため教室にはほとんどの生徒が残っている。しかし一向にその反省会が始まる様子はなく上鳴や瀬呂を筆頭に彼らの大半は廊下側に寄り、窓越しに廊下の様子を伺っていた。彼らの視線の先には一人の少女がいる。廊下の壁際に凛と立ち携帯電話の画面に視線を落としているその少女はそういう個性だと言われなければ納得出来ないほどに美しい。伏せた瞳を縁取る長い睫毛、それが瞳に落とす影、瑞々しい唇、透き通った白い肌。どれもが光の粒を散りばめたかのように眩く、そして儚げだ。彼女を見ている一人が「やべー……」と感嘆の声を漏らす。

「噂って本当だったんだな……いや、噂以上だわ」
「あれだな、百聞は一見に如かずってやつ?」

瀬呂と切島がそう言うと彼女をまじまじと凝視したまま上鳴が深く頷く。

「やっぱあの子だ……!俺を救けてくれた子!」
「私も、あの子で間違いない!試験会場で話した子だ!」
「昨日私が見た子だわ。やっぱり上鳴ちゃんや三奈ちゃんが言っていた子だったのね」

上鳴に続き芦戸と蛙吹がそう言って、『あの子』が同一人物だということが確定した。廊下側の席の生徒達ほぼ全員が窓越しに廊下を眺めていると、それまで自分の席で学級日誌を書いていた八百万がそれを書き終え席を立ち「何の騒ぎですの?」と比較的窓から離れた所で落ち着いている耳郎に声をかける。

「噂の美少女が何故かウチらのクラスの前にいるんだってさ」
「そんなことですか。全く、くだらないですわ」
「って思うじゃん?」

窓際に群がるクラスメイトを呆れた目で見た八百万に耳郎が意味ありげに眉を上げた。そして顎をくいっと廊下に向ける。

「見てみなよ、実物。ウチもあいつらあんなに騒いで馬鹿じゃないのって思ったけど、見てみて考え改めたよ。あれはホンモノだわ」
「うんうん、すごいよ!やばいよ!超美少女!」

耳郎のそばで葉隠が興奮気味に腕を上下させる。二人の言葉を聞いた八百万は怪訝そうな顔つきで窓の外に目をやる。そして目を見開き言葉を失った。固まる八百万の後ろで葉隠が尚も興奮気味に「尾白くんも見てきなよ美少女!男の子なら皆美少女好きでしょ!?」と自分の席に座り我関せずといった様子の尾白に話しかける。

「いや、俺はいいよ。ていうかそれ暴論すぎない?」

急に話を振られた尾白はそう言って困ったように笑った。一方窓際の男子生徒達は「おい誰か話しかけてこいよ」「いやお前が行けよ」と言い争っている。やはり鉄哲もそうだったように、彼女のあまりに特異な外見に普通の人間は尻込みしなかなか話しかけることができないようだった。しかし芦戸が「なんで?普通に話しかければいいじゃん」とあっけらかんに言い放つ。そして彼女のもとへ行こうと廊下へ踏み出そうとした、その時だった。

「あ?なんでテメェがここにいんだよ」

どこへ行っていたのか、ホームルームが終わってすぐに教室から姿を消していた爆豪が戻ってきた。携帯を見ていた名前だが耳馴染みのあるその声に顔を上げる。廊下で対峙する二人。名前は不思議な光彩を灯した瞳に苛立ちを露わにする彼の顔を写すと沈黙したままじっと彼を見つめる。そうして一向に口を開くそぶりを見せない名前に爆豪はこめかみをひくつかせた。

「おいコミュ障……返事しやがれ!」

怒鳴り声を上げ名前に突っかかる爆豪の姿にA組の面々は訳が分からないまま戦慄する。傍から見ると爆豪が何もしていない少女に突然怒鳴り始めたようにしか見えなかったからだ。爆豪を止めようと近くにいた芦戸と正義感の強い切島が慌てて教室を飛び出した。しかし二人が名前と爆豪のもとへたどり着くよりも早く名前が口を開き「かっちゃん」と言った。彼女のその言葉を聞いた芦戸と切島は「え?」と目を丸くする。二人は彼のことをそう呼ぶ人物を、他にも知っていたからだ。爆豪を呼んだ名前は尚も彼の赤い瞳を覗き込みながら少し首を傾ける。

「何かあった?」

あまりに脈絡がなく唐突なその言葉。この状況で何故突然そんな言葉が出てくるのか誰もが疑問に思うだろうがそれを言った当の本人である名前は真剣そのものだった。そして名前の表情が分かる爆豪には彼女の言葉の意図が分かってしまう。なんでテメェは。人の感情に極端に鈍いくせに、普通の人間が気付かないようなことには気付きやがる。そんな心配そうな目で俺を見るんじゃねえ。彼はそう思い、ギリッと奥歯を鳴らした。

「ァア?突然なんなんだよ、何言ってんのか分かんねえしコミュ障にも程があんだろーが!」
「でもかっちゃん、いつもと何か違うから」
「テメェに心配される筋合いなんざねえんだよ!」
「待て待て待て!落ち着け爆豪!」
「まさかいくらなんでも女の子に手を上げたりしないよね!?」
「ァア!?なんだテメェら!」

芦戸と切島が慌てて名前を庇うように爆豪の前に立った。芦戸の後ろ姿から少しのぞく目覚えのある角に名前は「あれ?君、」と小さく声を上げる。その声に芦戸は振り返り、ニカッと笑った。

「覚えててくれたんだ!?入試以来だね、また会えてよかった」

底抜けに明るい笑顔と声色に名前も思わず「私も」と小さく微笑んだ。一方爆豪は突然目の前に飛び出してきた二人に嫌な予感を覚えキッと睨むように教室を見る。すると案の定、A組の生徒達の大半がそこからこそっとこちらの様子を覗っていた。彼は眉間の皺をより深くするとずかずかと歩き出し教室の扉を乱暴に開け放つ。「あ、おい!待て爆豪!」と切島がその背中を追いかけて行った。中にいた生徒達は爆豪が怒鳴り散らすことを覚悟していたが彼は意外にもそのまま無言で自分の席まで歩いていき荷物を掴むと扉の方へ引き返した。

「待てよ!爆豪お前も反省会参加しろよ!」
「ンなもんテメェらだけで勝手にやってろ」

爆豪はそれだけ言うと周囲が止めるのも聞かず黙って教室を出て行く。廊下に出ると彼はいまだ心配そうに彼を見つめる名前を一瞥し、そして舌打ちを残して去っていった。取り残された名前は遠くなる背中をただ見つめることしかできない。今自分が追いかけたところで彼は心を開いてはくれないと、理解していたのだ。そうして目を伏せた名前に芦戸は下から名前の顔を覗き込む。

「爆豪となんか訳ありな感じ?」
「うん、ちょっと。色々あって」
「そうか〜、なんかごめんね。割って入っちゃって」

申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる芦戸に名前は首を横に振ると「ううん、救けてくれてありがとう」と言った。

「あっ名前聞いていい?私は芦戸三奈!三奈って呼んで」
「苗字名前。名前でいいよ」
「よろしく名前!ねえ気になってたんだけど、なんでA組の前にいるの?」
「人を待ってる」
「えっ、だれだれ?もしかして緑谷?」

興味津々といった様子で目を輝かせる芦戸。まさしく探している人物の名前を出した彼女に名前は驚いてゆっくり瞬きした。

「どうして分かったの」
「やっぱり!?さっき爆豪のこと『かっちゃん』って呼んでるのが聞こえたからさ〜、緑谷も爆豪のことそう呼んでたし知り合いなのかなって」
「ああ、なるほど」
「緑谷なら保健室だよ。そろそろ戻ってくる頃だと思うんだけどなあ」
「保健室?」

名前は顔を顰めた。途端、返信がない、と昼から抱えていた漠然とした不安が色濃く形を持って浮かび上がる。先ほど爆豪の様子にも違和感を感じていた名前は何故かその二つが関係してる気がしてならなかった。

「出久、どうしたの?怪我?」
「怪我。今日のヒーロー基礎学、対人戦闘訓練でね、すごかったんだよ緑谷!でも爆豪の爆破を正面から食らってその上右腕は自分の個性でボロボロ。もう目を当てられないくらいだったよ」

芦戸の言葉に名前は絶句する。固まってしまった名前に芦戸は「どうしたの?」と首を傾げた。間を置いて名前がようやく声を絞り出す。

「今、個性って」
「え?」
「自分の個性?どういうこと?だって出久は……無個性で」
「爆豪も個性把握テストのときそんなこと言ってたな〜。でもあれは個性だよ、すごいパワーだもん!」

名前はやはり言葉を失った。まるで頭上で溢れんばかりの冷水が入ったバケツをひっくり返されたよう。衝撃の事実に上手く思考がまとまらなかった。「出久に個性が……」とうわ言のように呟く名前に芦戸は「大丈夫?」と心配そうに声をかける。

「うん……大丈夫」
「ほんと?うーん、とりあえずここで話すのもなんだし教室入らない?」
「え?」
「みんな君と話したがってるしさ」

そう言って悪戯っぽく笑いA組の教室を指差す芦戸の指先を目で追うと、複数の双眼がこちらを見ていた。

「でも、出久が」
「緑谷ならすぐ来ると思うしいっしょに待とうよ。雄英広いしすれ違ったら大変でしょ?」

今すぐ怪我をしたという緑谷のもとへ駆けつけたい気持ちもあったが名前は納得し頷いた。何より自分の気持ちの整理が出来ていないこの状況で彼に会うのは避けるべきだと思ったのだ。一度他のことで気を紛らそう。しかしA組の教室に入るのは憚られた。B組のクラスメイトとさえろくに話を出来ていないのに他クラスの生徒と上手く話せる自信が名前にはなかった。そんな名前の心の内を知らない芦戸は扉の前で「早く早く」と手招きする。

「教室に入るのはちょっと」
「大丈夫だって!大船に乗った気持ちで私に任せて!」

彼女の笑顔を見ていると本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。名前は漠然とした大きな不安と新たな出会いへの小さな期待を胸に彼女のもとへ歩みを進めた。