「なあなあ俺のこと覚えてる!?」
芦戸につれられてA組の教室に入ろうとした名前を扉付近で遮る影があった。彼、上鳴電気は自分を指差し期待に満ちた眼差しを名前に向ける。一方名前は突然目の前に現れそう言った少年に驚き、固まった。正直に言うと全く見覚えがなかったのだ。
「なあ、おい、聞こえてる?」
「……」
「ちょっとー!上鳴!名前見るからに困ってるじゃん!」
名前はゆっくり瞬きし彼の顔を凝視した。見れば見るほどその顔に見覚えはなく、芦戸が呼んだ彼の名前「上鳴」にも心当たりはない。
「ごめん、分からない」
名前がそう言うと上鳴はガーンと効果音が付きそうな、あからさまにショックを受けた顔になった。すると彼の背後で「ぶはっ」と吹き出すような笑い声が響く。見れば先ほど名前を爆豪から庇ってくれた赤髪の少年と、もう一人黒髪に三白眼のすらりと背の高い少年が上鳴を指さして笑っていた。
「上鳴玉砕〜!お前全然認知されてねえじゃん!」
「やめてやれよ瀬呂、こいつ豆腐メンタルなんだからさ」
こみ上げる笑いを堪えながらそう言った二人を上鳴は涙目になりながら「うるせー!」と振り返る。そのときチラリと見えた彼の横髪に走る稲妻に名前ははたと首を傾げた。顔に見覚えはないけれど、その特徴的なメッシュはどこかで。そう思考を巡らせてある記憶に思い至った。
「君、実技試験の会場で、」
そう言った名前を上鳴はバッと振り返る。そして「思い出した!?」と目を輝かせた。名前は僅かに首を傾げたままこう続ける。
「仮想敵に囲まれてふらふらしてた人?」
再び「ぶはっ」と笑い声が上がった。上鳴はその表情に暗い影を落とし死んだ魚のような目で「まあ、そうなんだけどさ」とぼやく。瀬呂と切島は腹を抱えて笑い、近くにいた芦戸は少し上鳴に同情した。悪気は無いみたいだけど名前って結構容赦ないんだな、どんまい上鳴。一方名前はどうやら自分の発言が彼を傷つけたらしい、ということに気付き申し訳なさそうに眉を下げた。しかし何が悪かったのかよく分からなかった名前は、かっちゃんがよく私に言うように私はコミュ障ってやつなのかもしれない、と考えていた。
「とにかくあのときは君のおかげで助かったぜ!ありがとな!」
「いや、そんな、たいしたことは」
なんとか持ち直して名前に笑顔を向ける上鳴。名前はたいしたことはしていないと首を横に振るが上鳴は尚も食い気味に礼を言う。
「俺あんときアホになってたからちゃんと救けてくれた礼言えてなかったしずっと引っかかってさ。また会えてよかったわ。あ、俺上鳴電気、よろしく!」
「苗字名前、よろしく」
名前はじっと上鳴の顔を見つめた。よく整った綺麗な顔立ちをしている。そしてますます疑問に思った。あのときの人と同一人物とは思えないくらい顔が違う。鮮明に覚えているわけではないが、それはもう骨格レベルで違うような気がした。一方、名前から見つめられている上鳴はドギマギしていた。彼の平和で幸せな脳みそは「えっ何?なんでそんな見つめてくんの?もしかして。もしかしてこれは脈アリなんじゃね……!?お茶に誘うしかないんじゃね……!?」と盛大な勘違いを導き出す。
「苗字さんさ、この後ヒマ?俺とお茶しない?」
「え?暇じゃない。人を待ってるから」
あっけなく玉砕した上鳴は再び渋い表情になり暗い影をその顔に落とした。芦戸は「あはは、上鳴ふられた」と言いながら心の中で二回目のどんまい上鳴コールを送る。瀬呂と切島は相変わらず上鳴を馬鹿にしたように腹を抱えて笑っていた。「さて、」と芦戸が仕切り直し教室をぐるりと見渡す。A組の面々のほとんどがこちらを見ていた。
「この子、例の噂の苗字名前ちゃん。緑谷を待ってるらしいから教室に呼んじゃった」
芦戸の言葉に続き名前が小さく会釈すると「おお」と教室が小さくどよめく。そして「え?なんで緑谷?」とあちこちから声が上がった。
「君、緑谷君の知り合いだったのか!それと先ほど爆豪君から怒鳴られていたが大丈夫だったか!?」
大きな声をあげながら眼鏡をかけた生徒が名前の方へズカズカと歩いてきた。名前はその剣幕に圧倒されながらも口を開く。
「平気だよ」
「そうか。それならいいのだが、うちのクラスの生徒が面目ない。A組の同胞として代わりに謝罪させてくれ。すまなかった!」
そう言ってピシッと綺麗に九十度腰を曲げて頭を下げた少年、飯田天哉に名前はただただ圧倒された。B組にもクセの強い生徒はたくさんいるがA組もなかなか、文字通り「個性的」なようだ。「本当に大丈夫だから」と彼を宥めているとこれまた特徴的な声が教室に響いた。
「私、思ったことを何でも口に出してしまうの」
名前が声の方を振り返ると大きくかわいらしい瞳が名前を見上げている。目が合うと彼女はこう続けた。
「どうして緑谷ちゃんを待っているの?どんな関係なのかしら」
芦戸が「それ、私も気になってた!緑谷とはどういう関係?」と腕を上下に振りながら名前に期待の満ちた眼差しを向ける。「まさか、カノジョとか……」とボソリと呟いた上鳴に名前は首を横に振った。
「出久とは幼馴染みで、今日は一緒に帰る約束をしてて」
「ということは爆豪ちゃんとも幼馴染みということね」
「うん」
「とても幼馴染みって感じの雰囲気じゃなかったけどな……」
瀬呂の言葉に一同は「確かに」と思いながらも半ば呆れながら「まああの爆豪だもんな」という結論に至る。入学から数日でクラスメイトにそう認識されるほど彼は雄英でも傍若無人な態度を取り、そして幾度となくもう一人の幼馴染みである緑谷出久に異様な敵対心を向けていた。まさしく今日の対人戦闘訓練がそれだったのだ。そんなA組一同の心の内など知らない名前は困ったように眉を下げる。
「かっちゃんとは、しばらく疎遠だったから。それに雄英に入る前ちょっと喧嘩しちゃって」
「ば、爆豪と喧嘩した……!?まってそれやばくない?」
「よく生きていられたな……!」
不良の喧嘩といえば、と血が飛ぶ方の喧嘩を想像した芦戸と上鳴は顔を青くする。名前は単に仲違いしたということを言いたかっただけなのだが二人が誤解をしていることに気付かず瞬きを繰り返した。
「ところで反省会はしないのか?始めないのなら俺はもう帰らせてもらうぞ」
凛々しい声が響く。そちらを見れば黒い鳥のような頭の少年が机に腰掛けて座っていた。途端、「常闇君!」と飯田が鋭い声を上げ物凄い勢いで彼の方へにじり寄っていく。
「机は腰掛けじゃないぞ!今すぐやめよう!」
名前は呆気にとられながらも飯田がそういう人物だということを理解し始めていた。そして「反省会?」と気になったワードを口にした。そういえばさっきかっちゃんを引き止めていた男の子もそんなことを言っていたような気がする、と思いながら。
「今日の対人戦闘訓練の反省会だよ。名前見学しとく?」
「お邪魔じゃないなら」
「よし、決まり!じゃあ反省会はじめよー!」
芦戸がそう言ったと同時に名前のすぐ後ろでガラッと扉が開く音がした。振り返って名前は絶句する。怪我をしたとは聞いていた。しかしそこに立っていた少年、緑谷は名前が想像していたより遥かにボロボロだったのだ。彼もまたポカンと口を開け、A組の教室に名前がいるという状況に自分の目を疑っているようだった。
「おっ緑谷きた!」
切島の言葉を皮切りに複数人の生徒が緑谷の元へ走り寄る。名前はその輪から外れ一歩下がったところで呆然とA組の生徒に囲まれた緑谷を見つめた。なんで。どうして。彼に言いたい事、問いただしたいことが多すぎて思考がまとまらない。緑谷は受け答えをしながら生徒達の隙間からチラチラ名前の様子を伺っていた。放課後約束をしてはいたがまさか名前がA組の教室に来るとは思わなかったのだ。
「あれ?デクくん怪我治して貰えなかったの!?」
緑谷の元へ駆け寄る少女の言葉に名前は俯き気味だった顔を上げた。「デクくん」と彼女は今、緑谷のことをそう呼んだ。
「(あの子が、出久が言っていた子……)」
何かを話している二人をぼんやり見つめる。心配そうに緑谷を見上げる少女は名前の目にとても眩しく写った。何故私は今、彼女のように出久の側に駆け寄れないのだろう。何故ここに立ち尽くしているだけなのだろう。彼女のように暖かい優しさを出久に向けてやれないのだろう。
「(……苦しい)」
名前はまた俯いた。きっと自分は意地を張っているのだ、と気付いていた。緑谷が名前に個性のことを隠していたことに対して、なんだかとても、裏切られたように感じたのだ。いやだな、私、すごく嫌な奴だ。
「名前ちゃん!」
鼓膜を揺らす耳馴染みのある声に再び顔を少し上げると緑谷が真っ直ぐに名前を見つめていた。
「ごめんね!もう少しだけ待ってて!」
彼はそう言い残すとくるりと踵を返し、走って教室を出て行った。
*
辺り一面が夕日の色を反射して溶けるようなオレンジ色に染まっている。そんな茜さす校舎前の道で対峙する少年二人を名前は上から眺めていた。芦戸の話では今日の対人戦闘訓練で緑谷が爆豪に勝ったらしい。「ああ、それで」と名前は納得した。爆豪の様子がおかしかったのはきっとそのせいだ。そして自分はまた彼の地雷を踏んでしまったのだ、と気付いた。
「なんだったの?あれ」
「男の因縁ってやつです……!」
「緑谷ちゃんが一方的に言い訳してたように見えたけど?」
名前なら何か知ってる?と芦戸が名前を振り返ると名前はゆっくり芦戸を見てふるふると首を横に振った。そして再び校舎の外、彼らの方へ視線を落とすと一言「ずるいよね」と呟く。
「ずるいって?」
「……男の子って、ずるいよね。だって私はいつも、そこにいない」
いつも二人して私を置いていってしまうんだ。心の中でそう続けて物悲しげに目を細めた。その表情は固いのに、確かに憂いを湛えているその瞳からは今にも雫が溢れ出してしまいそうな気配さえある。黄昏に溶けて消えてしまいそうな少女に芦戸、麗日、蛙吹の三人は同性ながら見惚れてしまった。やがて麗日がハッと我に返るといかんいかん!と頭を振る。
「名前ちゃん、だっけ?なんか分からんけど元気だして!あっお菓子食べる?」
「てか緑谷もハクジョーだよね!名前緑谷のこと待っててあげたのに放ったらかして爆豪追いかけるなんてさ」
「ケロ……何か事情はありそうだけれどね」
一斉に三人から取り囲まれた名前は力なく微笑んだ。ぎこちないものの、その日名前が見せた表情の中でいちばん柔らかい笑顔だった。
「わ、笑った……!?」
「え、そんなに驚かなくても……」
「お茶子ちゃんそれはちょっと失礼だわ」
「ああ!いや!違うの!ごめんね!ただ、名前ちゃんってその、ずっと無表情だったし喋り方も淡々としてたから勝手に怖い人なのかなって印象持っちゃって……本当にごめんね!?でも仲良くしたいなあって気持ちが強かったから話せて嬉しい!」
赤面して顔の前でブンブン手を振り回しながらそう言う麗日に名前はすっかり毒気を抜かれて更に柔らかく微笑んだ。
「気にしないで。よく言われるし、そう思われてるみたい。私が悪いの。中学までもそれで友達がいなかったから。お世辞でも仲良くしたいって言ってもらえて嬉しかった」
友達がいなかった発言に三人は「えっ!そうなの!?」と驚いた。「こんなにかわいいのに……」と芦戸と麗日がぼやく。
「境遇が私とよく似ていて驚いたわ。私もあまり感情が顔に出ないから中学までお友達が少なかったの。ねえ、名前ちゃん、私達お友達になれるかしら」
蛙吹の言葉に今度は名前が驚く番だった。夕日によく映える、長い睫毛が縁どった瞼をゆっくり上下させ蛙吹の瞳を覗き込んだ。
「うん。きっとなれると思う」
「私もそう思うわ。名前ちゃん、私のことは梅雨ちゃんと呼んで」
「分かった。梅雨ちゃん」
「待って待って!私も!私も友達になりたい!お茶子って呼んでね名前ちゃん!」
「お茶子ちゃん」
「えっ待って!私はもう勝手に名前とは友達だと思ってたんだけど、友達だよね私達!?」
「うん、三奈ちゃん」
四人で顔を見合わせて「ふふっ」と吹き出した。笑い合う少女たちを夕日が優しく包み込む。雄英に来てから本当に人に恵まれているなあ、と名前は感じていた。今だけは心のモヤモヤを奥の方に押し込めて笑っていても、いいかな。