幼い頃、膝を抱えて蹲る少年に名前は決まっていつも同じ話をした。
「いずく、あのね。わたしのおとうさんも『無個性』なの」
名前がそう言うと緑谷は涙で濡れた目を擦りながら「うん。しってるよ」と返す。名前はそれ以上何も言わずに緑谷の横に座り込み彼が泣き止むまでただそばにいた。名前なりの励ましであり、緑谷が落ち込んだときの恒例だった。彼が落ち込むのは主に爆豪を筆頭に「無個性だ」ということを理由にいじめられたときか、爆豪にいじめられている子を庇って自分がとばっちりをくらったときだ。幼稚園の部屋の隅だったり、公園の砂場だったり、どんな場所でも名前は蹲る緑谷を目ざとく見つけては黙ってそばに居続けた。それが余計に、幼い恋心を抱く爆豪を苛つかせる要因になっていたとは当時の名前には知る由もないことだったが。
幼い子供というのは残酷なもので、「無個性」がどんなものなのか理解もせずに皆とは違うという理由だけで緑谷を仲間はずれの対象にした。小中学生にもなれば道徳の授業なんかで「個性差別はやめましょう」なんて教育がなされるが、幼稚園児にはまだそんなことを言っても理解されない。名前が他の子供と違ったのは幼いながら「無個性」に理解があったところだ。故に名前はそんな理由で緑谷を蔑ろにすることはなかった。彼女が無個性に理解があったのは彼女が言っているとおり、父親が無個性だからである。強烈な個性を持っている母とは違い無個性である父は優しく、朗らかな人物だ。そんな優しい父が好きだから名前は個性の有無を重視すべきものとしなかった。人を強く惹き付ける「カリスマ」という個性を持った美しい母を無個性の父がどうやって捕まえたのかは謎だが現在でも夫婦仲はとても良好である。そんな愛ある家庭で生まれ育ったはずの名前が無表情で人間味の欠けた人形のような人物になってしまったのは個性のせいとはいえなんとも皮肉だ。個性は親から子へ受け継がれる。片方が無個性なのだから名前が受け継ぐはずの個性は当然母の個性、のはずだった。それにも関わらず名前には違う個性が発現した。異例中の異例だった。
夕日はその姿を隠しつつあり空は端の方から侵食するように夜の顔を覗かせ始めている。帰路に立ち、そんな昔の事を思い出しながら名前は肩身が狭そうに隣を歩く緑谷に言った。
「出久、あのね。私の父親は『無個性』なの」
緑谷はヒッと肩を竦めた。幼い頃よく聞いていたその台詞を彼もまた鮮明に覚えていた。そして今それを言うことで名前が遠回しに怒りを示していることに、皮肉を言っていることに、気づかないわけがなかった。
「名前ちゃん、その、怒ってる……よね」
「別に怒ってるわけじゃない」
静かに緑谷へ向けられた眼差しは怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「私はただ、ショックだっただけ」
「……ごめんね」
名前は首を振って「謝ってほしいわけじゃない」と言う。そして足を止めて緑谷に向き合った。
「どうして無個性じゃなかったこと、教えてくれなかったの」
「その、この『個性』は、」
そこまで言って緑谷は言いよどむ。彼は先程、その個性の重大な秘密を一部とは言え爆豪に話してしまった。そしてそれをオールマイトから咎められたばかりだったのだ。
「ごめん。言えないんだ。僕が君に伝えられることは、この個性を使えるようになったのは中三の冬ってことだけ。突発的に発現したんだ」
「そういうことってあるの?」
「珍しいけど、有り得ないことではないって」
名前は眉を寄せた。親から個性を受け継がなかった名前のような例外もあるから彼の言う通り有り得ないことではないかもしれない。しかし緑谷の話はあまりに脈絡がない。嘘が下手な彼の表情を見て何か言えない事情があると判断した名前は小さく息をついた。これ以上言及すると彼を傷つけることになるかもしれない。それに名前もまた、事情があって個性の詳細を隠している身だ。これでは人のことは言えないと思ったのだ。
「何か事情があるようだから無理に聞こうとはしない」
「……うん、ありがとう」
「でも個性が発現した理由は話さなくていいから、せめて発現したって事実だけはその時話してほしかった」
「話したらきっと名前ちゃんは僕を心配すると思ってなかなか話せなかったんだ。ほら、この通り。個性を使ったら体が衝撃に耐えられなくて負傷してしまうから」
緑谷は包帯が巻かれた腕を持ち上げてそう言った。彼の優しさが個性が発現したと名前に打ち明けることを阻んでいたのだ。それでも尚名前は釈然としない思いを胸に抱えていた。
「当たり前。自分も傷付けてしまう個性なら、使わないでほしい」
「でも……でも僕はヒーローになりたいんだ」
「そのためにこの個性は必要なんだ」と、強い信念を宿した瞳でそう言う緑谷に名前は再び小さな溜め息をつく。
「私は君が決めた道に口出ししない」
「……」
「でも君がそうやって傷付くことを看過できない」
「それは、練習するよ。この個性を完全にコントロールできるように」
「……約束して」
「約束する。僕はこの個性を自分のモノにして笑顔で人を救えるヒーローになる」
ようやく名前の表情が微かに和らいだ。「そう、分かった。ありがとう」そう言って歩き始めた名前の背中を緑谷は小走りで追いかけ横に並ぶ。「そういえば名前ちゃん、いつの間に麗日さんと仲良くなったの?」と言う緑谷に名前は「内緒」と微笑んだ。
*
翌日、オールマイトは職員室でB組の生徒名簿に目を通しながら難しい顔をしていた。前日A組のヒーロー基礎学で行ったものと同じ授業を、今日はB組が行うことになっている。彼の目は一人の少女の名前を凝視していた。
「(苗字名前。雄英でも前例のない、個性の一部使用禁止を命じられた少女。個性差別になりかねないため本人と両親に了解を得た上での使用禁止措置だが両者共に妙に理解が早くあっさり了解してくれたとか。そんな重要人物である少女がまさか、緑谷少年が言っていた少女と同一人物だったとは)」
オールマイトはここ一年間の記憶を思い起こした。緑谷にワン・フォー・オールを継承するため彼に特訓を課した一年間。彼と過ごしたその一年の間にオールマイトは何度もある少女の話を彼から聞かされていた。
「(『僕がヒーローになる未来を信じてくれている女の子がいるんです。幼馴染みで、僕にとって大切な子なんです』と緑谷少年は言っていたな。そのときの緑谷少年の表情を見るに彼女の存在が彼の支えになっていたことは明らかだった。『僕が雄英を受けるからその子も雄英を受けるらしいです』と困ったように、しかし嬉しそうに話してくれたこともあった。やがて入試の日を迎え、合格発表を終え、あの海で彼と落ち合ったときも緑谷少年は彼女の話をした。『幼馴染みも雄英のヒーロー科に合格しました!』と。緑谷少年と出身校が同じ合格者が他に二名いたからきっとそのどちらかだろうと思って確認すればそれは爆豪少年と苗字少女だったわけだ。爆豪少年には一年前、いわゆるヘドロ事件で一度会っていた。そしてもう一人の苗字少女の資料を見て、その時は『この子が緑谷少年の言っていた苗字少女か〜!カワイイじゃないか!幼馴染みなんてチョット羨ましいゾ!』なんて思っていたがまさかその後の職員会議で苗字少女の名前が挙がり、彼女に対する一部の個性使用禁止措置が決まるとは誰が予測できただろう。緑谷少年の話では苗字少女は緑谷少年を追って雄英ヒーロー科を志望したようだが、とんでもない子を連れてきてくれたものだ)」
オールマイトは彼女の個性について記された欄を見て溜め息をついた。ワン・フォー・オールも特殊な部類だが世の中には実に色んな個性があるものだな、と。苗字名前の個性はもしヴィラン側にいればとんでもない脅威となっただろう。考えるだけでゾッとした。
「(しかし実に数奇なものだ。ワン・フォー・オールを受け継ぎ私の後継となる緑谷少年と、圧倒的な個性で入試一位の成績をおさめ合格を決めた爆豪少年。そしてこの苗字少女。ヒーロー家の出でもなく、何の変哲もない市立中学からやってきたこの三人が幼馴染みだとは。きっと今まで彼らが歩んできた道がそうだったように、これから向かう先も時に交錯しぶつかり合い、そうやってお互い影響を及ぼし合いながら成長していくのだろう。私の仕事は彼らを支え、行く先を示すことだ)」
始業五分前のチャイムが鳴った。いかんいかん、とオールマイトは慌ててヒーローコスチュームを掴むと更衣室へ駆け込んだ。
「(さて、緑谷少年と爆豪少年は昨日まさしく正面からぶつかり合った。特に爆豪少年にとって昨日の出来事は雄英での初めてのターニングポイントとなったことだろう。緑谷少年の身体のためには止めるべき局面だったが止められなかった、教師としての私はまだまだ未熟だが。次は君の番だぞ、苗字少女よ)」
もちろん彼ら三人だけではない、ここに集う全てのヒーローの卵たちを導く責務が彼にはあり、彼はそれを全うしようと息巻いていた。マントを翻しB組の教室に向かうその大きな背中は、平和の象徴として世を悪から守る男の背中だった。
*
「えっ!?待って、名前!?」
「何?」
訓練用の施設に拳藤の驚きに満ちた声が響いた。名前が振り返るとそこにはやはり驚き目を見開く拳藤がいる。チャイナ服のようなヒーローコスチュームを身にまとったその姿に名前は心の中で似合うなあと呟いた。
「『何?』じゃないよ!一瞬誰だか分かんなかったわ。何なのそのマスク」
「ヒーローコスチューム」
「いやそれは見れば分かるんだけどさ。なんでそんなもの要望に出したの」
拳藤は名前の顔の半分を覆う厳ついガスマスクを指さしていた。顔のパーツは目しか出ておらず他は隠れてしまっている。名前の外見にあまりに不釣り合いなそれは拳藤だけでなく他のB組生徒をもギョッとさせた。まずガスマスクに目が行くがそれだけでなく名前は全身を黒いローブで覆っている。中はシンプルで動きやすい戦闘服になっているようだが立ち姿だとローブで隠れて全く見えない。今はローブのフードを被っていないがそれを被ってしまうと完全に目しか表に出ず、ヒーローというよりは不審者にしか見えないだろう。
「要望には『顔と体全体を隠したい』と『毒に耐性を持ちたい』しか書いてなかった。ら、こうなった」
「いやそこはしっかり書けよ……」
拳藤の声につられてやってきた鉄哲も名前を見て固まったあと半ば呆れたようにそう言った。
「そういう鉄哲はコスチューム姿かっこいいね」
「おまっ、そう言うことさらっと言うのやめろ!マジで心臓に悪ぃ!」
「あはは、名前無自覚でそういうこと言うからタチが悪いよなあ。にしても勿体ないよ、せっかく綺麗な顔してるのにそれ隠すの。ヒーローは人気商売みたいなところあるしさ」
もう一度名前のマスクを指さしてそう言った拳藤は「まあ名前のことだからいつもの『目立ちたくない』ってやつだろうけど」と片眉を上げる。
「うん。いっそフルフェイスでも良かった」
「やめとけ!そこまでやると見た目がヒーローってよりヴィランだぜ苗字!」
そんなやり取りをしているとオールマイトが「さあ今日の課題を説明するぞ」と声を上げた。途端、生徒たちの話し声はやんでオールマイトの言葉に耳を傾ける態勢をとる。B組の生徒たちは基本みんな真面目で優等生といった感じだった。授業内容は前日のA組と全く同じ、ヒーローチームとヴィランチームに別れた2対2の屋内演習である。オールマイトは課題説明を終えると「コンビ及び対戦相手はくじだ!」と箱を取り出した。
「まずはコンビを決めていくぞ〜!チームAは……泡瀬少年と骨抜少年!チームBは……」
続々とチームが決まっていく。拳藤の名が呼ばれ、鉄哲の名も呼ばれた。「おっ、唯とチームか。よろしく!」と拳藤が小大唯のもとへ行き、鉄哲も「頑張るぞ回原!」と回原旋と肩を組む。しかし待てども待てども名前の名は一向に呼ばれない。ようやく呼ばれたのは最後の一組のときだったため、名前のペアは自動的に同じくまだ名前を呼ばれてない人物に特定される。その人物を見て名前は心の中で「最悪だ……」と悪態をついた。
「やあ、昨日ぶりだね苗字さん。よろしく」
「……よろしく、物間くん」