雄英の合格通知が届いた夜、名前は両親とある二つの約束をした。一つ、個性の詳細を出来る限り秘匿すること。二つ、個性のある一部分を絶対に使わないこと。両親はこれを条件に入学を許すと言い名前はそれに頷いたのだった。尚、二つ目に関しては後日学校側からも全く同じ要請が届いたのだが。
彼女には一つ気になることがあった。月日は一年近く前に遡る。雄英のヒーロー科を目指すと両親に告げた日。最初は冗談だろうと相手にされなかった。しかし名前が本気だ、と強く訴えると両親は目を丸くし手放しに喜んだ。内容はともかく彼女が自ら何かをしたいという強い意志を見せたことが十数年生きてきて初めてのことだったからだ。例えそれが「出久と一緒にいたい」という彼女の異常とも言える執着から来るものだったとしても。喜ぶ両親だったが名前は気付いていた、ヒーローを目指すと口にした時、父の顔が一瞬曇ったことに。
彼女は人の感情の機微にこそ疎いが人の些細な表情の変化に敏感だった。おそらく人の気持ちが分からないからこそ表面上の変化だけでもと、無意識のうちにそういった観察眼が身についたのだろう。故に父が難しい顔をしたことは分かっても、何故父がそんな表情を見せたのか。そこまで名前の理解は及ばなかった。そして個性の詳細を隠せという条件に何か関係しているのだろうと予想した。しかし両親は何も頭ごなしに名前に制限を設けた訳ではない。父はこうも言った。「信頼できる友ができたなら個性のことを隠さず話しなさい」と。「きっと名前の個性を知って尚支えてくれる仲間が必要だから」と。
父の言葉を思い出しながら名前は目の前の少年を見つめる。そして考える。彼は信頼するに値するか、と。……否、断じて否だ。彼ーー物間とは昨日初めて言葉を交わしたばかりだ。更には信頼どころか苦手意識を抱いてしまっている。個性のことを話せるはずがない。
「なんで駄目なの?ちゃんと理由を話してもらわないと分からないんだけど?」
「……」
名前との距離を詰めようとする物間と、物間との距離を一定に保とうと後退する名前。かれこれ5分近くこんな調子である。名前が戦闘訓練でペアを組むことになった相手、物間寧人は個性の性質上おそらくB組の中で最も相性が悪い人物だった。理由は言わずもがな、彼の個性が「コピー」だからだ。名前は自分の個性をコピーされては困ると物間から距離を取っている。ハリボテの核爆弾の前で攻防戦を繰り広げる二人をモニター越しに見ているB組の生徒達は「なんか揉めてるみたいだけどあいつら何してんだ?」「オールマイト、いつになったら始めるんですか?」と疑問の声を上げる。
「あの二人の組み合わせは不安しかねえなと思ってたけどマジで何してんだ?ヒーローチームは準備出来てるみたいだけどよォ。敵チームのあいつらがあんなに揉めてたら始めらんねえじゃねえか」
「あー……名前、物間に苦手意識持ってるみたいだったしな……にしても本当にどうしたんだろうな?何話してるのか私らには分からないし、オールマイトは開始の合図もしないで二人を見守ってるだけだし」
最早名前の保護者ポジションになりつつある鉄哲と拳藤が心配そうにモニターを見上げる。画面の中では一方的に名前が物間から何か言われているようだった。二人の会話を通信機で聞いているオールマイトは「ううむ」と唸る。名前の事情を知るオールマイトなら教師として物間に名前の個性をコピーすることはやめるよう頼むことができる。そうすることは簡単だがオールマイトは名前に自分で物間を説得し打開策を見出すことを望んでいた。そうでなければ成長を促せないと考えたからだ。しかし名前は物間相手に完全に口を噤んでしまっておりこのままでは二人の攻防戦は平行線の一途を辿ることになると目に見えている。
「ねえなんでコピーさせてくれないわけ?」
「……駄目」
「駄目ってそればっかり……僕このままじゃ無個性も同然なんだよね。ペアである君の協力が必要なんだけど?」
「……」
「ねえ何か言いなよ。昨日も思ったけど君、もう少し自己主張した方がいいよ。まるで自分の意志がないみたいだ」
物間の言葉に名前は顔を強ばらせる。自分の意志がない。幾度となく爆豪に指摘されてきたことだ。それを出会って間もない物間に指摘されたことに危機感を感じたのだ。それと同時にこの人相手に口で勝てないと本能的に理解した。それでもやはり個性をコピーさせるわけにはいかない。第一名前は家族と幼馴染み以外の人間に触れることも触れられることも未だ抵抗があるのだ。どうしたものかと困り果てた名前のもとへ助け舟が出された。耳に取り付けた通信機から音声が発せられたのだ。
『物間少年、苗字少女。ちょっといいかな?』
オールマイトだ。
『君たちだけでの解決を望んで見守っていたがそろそろ授業時間との兼ね合いもあってね、口を挟ませて貰うよ。まず物間少年。申し訳ないがここは彼女の主張を尊重してもらえないだろうか』
「僕の個性を彼女に対して使うなということですか?それでは僕は無力です。ちゃんとした説明もなしに納得できません」
『それも最もだが彼女には事情があってね。それに理由ならあるよ。苗字少女、君の個性は植物を生やすことができるね?その条件は何だったかな』
「条件……?構造を隅々まで明確に頭の中でイメージできるものしか出せませんが……あ、」
『そういうこと!そのために君は絵を勉強してるって聞いたぞ。つまりその個性は誰にでも扱えるものじゃない。植物の構造を完全に理解し且つイメージできる想像力があってこそだ。物間少年が苗字少女の個性をコピーしたとしても彼女と同じだけの想像力がなければそれは宝の持ち腐れになってしまうという訳さ。』
名前は呆気にとられた。そう言えば良かったのか、と納得する。そして物間には口で勝てないと初めから説得を諦めていた自分を深く恥じた。オールマイトの話を聞いた物間は「そうなの?」と訝しげな視線を名前へ送る。それに対し名前は静かに頷いた。
「はあ……分かりました。オールマイトの指示に従います」
『それは良かった!よし、じゃああと5分時間をあげるから作戦会議ヨロシクネ!5分後ヒーローチームが潜入を開始するから、じゃっそういうことで!』
通信はそこで途絶えた。訪れる静寂。物間は再び深い溜め息をつくと気怠げな垂れ目を名前へ向けた。名前は申し訳ない気持ちを抱えていたが表情は一貫して何を考えているのか分からない、無表情である。
「とりあえず君ができることを教えて」
「できること?」
「そう。個性で出来ること。さっきの話だと自分がイメージできるものなら植物を出せるんだっけ?確か個性把握テストでも地面から木を生やしてたよね。とりあえず相手を捕縛することを優先したいんだけど塩崎みたいなツルは出せない?」
「塩崎さんのツル……やってみる」
名前はそう言うと個性無効化のグローブを外ししゃがみ込む。そして両手をコンクリートの床へついて目を閉じた。頭の中で塩崎のツルをイメージする。イメージができたら個性を使う時の、掌を通して自分の力を床へ流し込むような感覚を呼び起こす。すると手をついた所からまっすぐ前方へ向かって無数のツルが飛び出した。おお、と物間が声を上げる。
「できた」
「できたね。よし、これで相手の捕縛はできるな……。捕縛ができたら相手の個性をコピーすることもできる。ヒーローチームは骨抜と泡瀬。個性は柔化と溶接……。どちらも厄介な個性だけど苗字さんの個性はうまく使えばかなり応用は効きそうだから……」
何やらブツブツ呟きながら作戦と対策を考え始めた物間の横顔を名前はまじまじと見つめた。オールマイトから説得された後、大袈裟に溜め息こそついたものの物間は文句一つ言わず自分に出来る最善を尽くそうとしてくれている。それなら自分もそれに応えなければならない、と名前は思った。
「何?その無駄に綺麗な顔でジロジロ見ないでくれる?」
ふと名前の視線に気付いた物間は顔を顰めてそう言った。昨日までは名前に対して物腰柔らかな態度を取っていたのにこの悪態のつきようである。いや、寧ろこれが彼の素の姿なのだろう。名前は相変わらず何故そんなに目の敵にされているのか分からなかったがとりあえず今は授業でのパートナーとして振る舞うことにした。
「作戦、これ使えないかな」
そう言った名前の指は自身の首にぶら下がったガスマスクを指していた。
一方B組の生徒達はモニターに映る物間と名前を興味深そうに眺めていた。オールマイトの連絡後、一言二言言葉を交わした二人。するとおもむろに名前が床に手をつくとそこから無数のツルを出した。「おお」と生徒達はどよめく。
「私のツル……?」
「確かに茨のツルにすごく似てるな」
「似てるっつーかそのものじゃねえ?」
塩崎は信じられないものを見ているかのような目でモニターに見入っている。鉄哲が「苗字の個性って、一体……」と呟いた。隣にいた拳藤は「あー、それね」と何かを思い出すかのように視線を宙に漂わせた。
「前私も名前本人に聞いたんだけどさ。あの子なんて言ったと思う?『植物、出せる』って一言。それだけだったんだよね。他に詳しいことは何も聞けなくて」
「私は植物の中でも『頭の中でイメージできるものしか出せない』とお聞きしましたが。それにしてもこれほど精巧だとは思わず……」
「あ、オイ!あいつらまた何か始めたぞ!」
鉄哲に会話を遮られた拳藤と塩崎が再びモニターを見ると核爆弾のある部屋はいつの間にか一面の緑に覆われていた。植物だ。ツルを始めとするあらゆる種類の木々や草花が生い茂り床だけでなく壁や天井をも緑に塗り替えている。一瞬の間に何があったんだと目を白黒させる拳藤と塩崎をよそにモニターの中の名前が物間に何かを差し出した。物間はそれを受け取るのをかなり渋ったが名前のしつこさに折れたのかやがてそれを受け取り自身の顔に宛がった。再び待機部屋がどよめく。
「あいつ……!よくも女子の私物をあんな平然と……!信じらんねえ!」
「いや、なんであんたが照れてんの鉄哲」
「照れてねえ!ていうかあれ苗字がさっきまでつけてたガスマスクじゃねえか!」
そう、名前が物間に手渡したそれは名前のガスマスクだったのだ。B組男子のほとんどが心の中でこっそりと「いいなあ……」と呟き物間へ羨望の眼差しを向ける。物間はというとガスマスクに隠れて表情はよく分からないが少なくとも拳藤の目には平然としているようには映らなかったようだ。
「物間もなんか照れてないか?あれ」
「そうか?俺にはいつも通り落ち着き払ってるようにしか見えねえけど」
「うーん、まあ確かに表情はよく分からないけど。平然としてるのは寧ろ名前の方だと思うな」
「ああ、それは確かに」
名前は物間に自分のガスマスクを押し付けたあと何事もなかったかのようにスタスタと部屋を出ていってしまったのだ。核のある部屋には物間が取り残されどうやら名前は部屋の外でヒーローチームを迎え撃つつもりらしい。拳藤はモニターの中の友を見つめながら口を開いた。
「どういう作戦なんだろうな、楽しみだ」
ヒーローチームが潜入を開始した。