箸を口元に運ぶ。黙々と晩御飯を食べ進める名前はホームルームで担任のブラドキングが言っていたことを思い出していた。
『明日学級委員を決める。揉めるだろうから多数決で決めることにした。よく考えておくように』
彼の言葉を聞いたB組生徒達は今までにない盛り上がりを見せていた。数日前に拳藤と鉄哲からヒーロー科における学級委員が如何に重要な役職なのか力説されていた名前は二人が言っていたことは本当だったのだと納得した。それと同時に自分がやりたいという気持ちはやはり湧かず代わりにクラスメイトの顔が脳裏に浮かぶ。
「(やっぱり一佳が適任じゃないかな)」
人に真摯に向き合う姿勢。人を導く力。拳藤はそれを持っている。名前はその日身をもって実感したのだ。彼女はたった十数分で名前が十数年かけて人との間に築きあげた心の壁を壊してしまったのだから。
「(鉄哲もいい人だけれど……)」
彼の場合は良くも悪くも真っ直ぐすぎる、と名前は思った。信頼を置くには申し分ない人柄だが何事にも正面からぶつかり、また、熱くなりやすい彼の性質上それこそ拳藤のような大局を見ることが出来る人間が彼の側には必要だ。他の人はどうだろう。思考を巡らせるがすぐに拳藤と鉄哲以外のB組生徒との交流がほとんどないことに気付いて溜め息をつく。他に交流があるのは朝に唯一挨拶を交わす塩崎や何かと名前に突っかかってくる物間くらいだ。付き合いの深さはともかく人数だけでいえばA組生徒の方が知り合いは多いかもしれない。
「名前?手が止まってるわよ、どうしたの?」
声をかけられ顔をあげれば母親が心配そうに名前の顔を覗き込んでいた。「少し作りすぎたかしら。でも名前最近たくさん食べるから……」とぼやく母に「大丈夫」と一言返すと名前はまた黙々と料理を口に運び始めた。机には彩り鮮やかな母の手料理が所狭しと並んでいる。母は昔芸能界にいたこともあり食生活に相当気を遣うタイプだったが最近名前の食べる量が増えたからと以前にも増して栄養が偏らないよう献立にこだわるようになった。
「あの、お母さん」
手をもう一度止めて箸を置くと名前はまっすぐ母を見つめた。目を細めてどうしたの?と問う母。名前はゆっくり自分の気持ちを確かめるかのように息を吐くとこう続けた。
「私の個性のこと、友達に話そうと思う」
名前の言葉に母親は微笑を浮かべたまま固まった。母の反応に名前の不安が膨れ上がる。やはり軽率だったろうか、もっと考えて話すか否か決めるべきだろうか。自分では充分考え、その結果決断したつもりなのだが。しかし名前の不安も杞憂に終わることになる。
「名前お友達ができたの!?」
突然身を乗り出した母はそう声を荒らげた。「え……うん」と名前が小さく首を縦に振ると母は「本当に本当!?出久くん以外のお友達ができたの!?」と喜びに満ちた声色で問いただしてくる。本当だよ、と答えながら個性のことではなくそっちに食いつくかと名前は首を傾げた。困惑する名前をよそに母は「お父さんが帰ってきたら一緒にお祝いしなきゃ。きゃ〜早く帰ってこないかしら」とか「大変!それならお赤飯を炊かなきゃいけないわ」とか一人で大袈裟に盛り上がっている。
「そうだ!今度そのお友達をうちに呼ぶといいわ、というか呼びましょうよ。名前のお友達に会ってみたいわ。どんな子なのかしら。というか名前、学校のこと全然話さないんだから。心配してこっちから聞いても『うん』とか『平気』とか簡単な相槌しか打ってくれないし。お友達が出来ていたなら早く教えてくれればよかったのに……ってあれ?名前?」
あれこれまくしたてる母を横目に名前は「ごちそうさまでした」と空になった食器に手を合わせていた。そして黙々と片付けを進めると母が気付く頃には自室に戻るためダイニングルームを出ようとしていたのだ。母は慌てて名前を引き止めるとこう言った。
「個性の話ね。名前のしたいようにするといいわ。きっとお父さんもそう言うはずよ。……信頼を寄せる人が出来てよかった」
振り返った名前は静かに耳を傾けると「うん。ありがとう」と残して二階にある自室へ上がっていった。母の表情を見て、母にも相当心配をかけていたのだなと改めて痛感した。名前は壁に掛けた制服のポケットに手を入れ携帯を取り出すとそれを操作しながらベッドに向かう。そこに倒れ込むと横になったまま光る液晶画面をしばらく見つめやがて文字を打ち始めた。「今話せる?」と淡白に一言。送信を押すと十数秒も経たないうちに名前の携帯が鳴り出した。着信音だ。ビクッと肩を揺らしたものの名前はすぐに応答を押し耳にそれを宛てがう。「もしもし」と耳馴染みのある声が聞こえてきた。
「夜遅くにごめん、出久」
「いやこっちこそ、急に電話かけてごめんね。丁度携帯見てたし文字より直接話した方が早いと思ってさ。それでどうしたの?」
「えっと、出久に謝ろうと思って」
「え?」
スピーカーの向こうから聞こえてきた幼馴染みの困惑した声を意に介さず名前は続ける。
「本当は会って話すべきなんだろうけど」
「ちょ、ちょっと待って!何の話?僕名前ちゃんから謝られるようなことされた覚えはないよ」
名前は緑谷にその日あった出来事を話した。拳藤の手を避けてしまったこと。自分に向き合おうとしてくれる彼女から逃げてそこで初めて今まで自分は他人だけではない、幼馴染みである爆豪にもちゃんと向き合っていなかったと気付いたこと。緑谷の優しさに甘えて人に向き合うことから逃げていたこと。それらに気付いた今は変わりたいと思っていること。
「私はきっと出久や色んな人の厚意を無下にしてきたんだと思う。だから、ごめんね。それとありがとう。私と友達でいてくれて」
「……ううん、こちらこそありがとう。僕はそんなつもりなかったんだけどなあ。でも名前ちゃん謝らないと気が済まないんでしょ?」
「ふふ、やっぱり出久は優しい」
「えっなんでそうなるの!?」
「甘さと優しさは違うから。相手の都合の良いように取り繕うのはそれはただ甘いだけ。出久は相手のことをよく考えてくれる。それは優しさだと思う」
「そ、そう?なんだか難しいけどちょっと照れるな」
面と向かって話しているわけではないのにその声色から頬をかいて照れる緑谷の表情が名前の脳裏に浮かんだ。
「それにしても名前ちゃん、頑張ってるよね」
「頑張ってる?」
「うん、人と関わろうとしてるじゃないか。今日だって元を辿ればそのおかげで今までの自分を省みることが出来たんでしょ?」
「そうなのかな」
「そうだよ!今日の昼休み、食堂に名前ちゃんが来たから驚いたよ。しかも友達と一緒に!あの人たちが前言ってたB組のクラスメイトなの?」
「うん。食堂、出久もいたんだ」
「いたよ。あっ僕も名前ちゃんに聞きたいことがあったんだ!名前ちゃん、その、いつからあんなに大食いになったの?麗日さんも驚いてたよ。『名前ちゃんってあんなフードファイターみたいなことする子なん!?』って」
大食い、という言葉に名前は食い下がった。珍しく少し動揺した声色で「わ、私は大食いじゃない!」と声を上げる。羞恥からかその頬は仄かに赤らんでいるが顔を合わせているわけではないため緑谷の知るところではない。スピーカーからは焦った声が返ってきた。
「そ、そうだよね!女の子に大食いだなんて言っちゃだめだよね!うわあごめん、僕の馬鹿!で、でも気になって……前は普通というか、むしろ少食だったよね名前ちゃんって」
「それは……」
名前は言い淀んだ。おそらく個性が原因だ。そしてその個性のことはいずれ緑谷にも話したいと思っている。しかしそれは今ではないと思った。そもそも名前は個性を使っているところを緑谷に見せたことさえないのだから。
「体質が変わったみたいなんだ」
「体質?」
「うん。たぶん個性のせいで」
「へえ、そういうこともあるんだね」
やっぱり、と名前は思った。名前が濁した言葉を選べば緑谷は個性について言及してこないだろうと思ったのだ。そしてその通りになった。
「……やっぱり出久は優しい」
「え?何か言った?ごめん、声が小さくて聞こえなかった」
「ううん。なんでもない」
それから二人は他愛のない会話を続けやがて夜も更けてきたところで別れの挨拶をし電話を切った。
「(明日、一佳と鉄哲に話せるかな)」
名前は天井に向かって溜め息を吐いた。
「(かっちゃんは私の言葉に耳を傾けてくれるかな)」
物の少ない部屋に少女の溜め息は馴染み、消えていく。ベッドに仰向けになったまま、陰鬱な色を湛えた目を閉じた。
*
「苗字さん、おはようございます」
「塩崎さん、おはよう」
清廉な朝の空気が満ちた教室で二人の女子生徒が挨拶を交わす。いつも通りの光景だ。名前が鉛筆を走らせていたスケッチブックから顔を上げると塩崎は柔らかな微笑を浮かべ名前に笑いかけていた。名前は「あ、」と声を上げる。
「塩崎さん、昨日はごめんなさい」
「え?何故謝るのですか、心当たりがないのですが……」
「昨日の戦闘訓練で勝手に塩崎さんのツルを真似してしまったから」
「ああ!そのことですか。どうかお気になさらず。確かに少し驚きましたが私、大変感動しましたので……!」
「感動?」
塩崎の予想外な切り返しに名前は驚いた。数回瞬きをしてどういうことかと首を傾げれば塩崎はどんぐり眼を輝かせこう続ける。
「とても美しい個性だと思ったのです。それに加えて苗字さんの努力が感じられました。以前、頭の中で明確にイメージできる植物しか出すことができないと仰っていたでしょう?実はそれを聞いた時失礼ですが扱うことが難しそうな個性だと思ってしまったのです。それにも関わらず苗字さんは昨日の戦闘訓練で一度にあれほど多くの植物を生み出しました。私のツルを再現したものもとても精巧だった。素晴らしいです。今まさに貴方が絵を描かれていたように日々の鍛錬の賜物なのですね。心から感心したと同時に私は自分を深く恥じました。少し話を聞いただけで扱いにくそうな個性だと決めつけてしまったこと、どうかお許しください」
まるで聖職者の説教のように自分の言葉を並び立てた後、塩崎は深々と頭を下げた。名前は塩崎の独特な雰囲気に圧倒されていたが頭を下げられたところで我に返り慌てて立ち上がって塩崎に駆け寄る。顔を上げるよう懇願すると塩崎はしずしずと上体を起こした。
「許していただけるのでしょうか……」
「許すも何も、そんなことで謝られたら私どうしたらいいか分からなくなってしまう」
「しかしそれでは私の気が済まないのです……」
「えっとそれじゃあ……」
名前は必死に考えた。彼女の決して高くはないコミュニケーション能力が試されている。考えた末名前はある一つの提案をした。
「塩崎さんにお願いがあるのだけれど、」