歩道も街路樹も空も少女の美しい髪も全てが橙色に染まっている。世界を橙色に滲ませてしまう夕陽を背に二つの赤が揺れていた。その深い赤は頭を下げる目の前の幼馴染みを映し戸惑っているようだった。しかしそれも一瞬で、赤い目の持ち主である爆豪は舌打ちを一つ鳴らすと早足で歩き始めた。名前の体が大きく傾く。爆豪が名前の制服の袖を引っ張っているからだ。何が何だか分からないまま顔を上げた名前は彼のあとを着いて歩きながら「かっちゃん?」と目の前の背中に呼びかける。
「テメェただでさえ目立つだろうが。場所考えろや」
そう言われて初めて名前は自分が人の目を集めていることに気が付いた。人通りの多い駅前でただでさえ目立ちやすい外見をした名前が道端で男子生徒に頭を下げていたのだから人目を引いて当然だ。
「場所を変えるってことは話を聞いてくれるの?」
「あ?テメェがそう頼んできたんだろうが」
名前は驚いた。あの爆豪のことだ。「テメェに構ってる暇はねえ」ぐらい言われる覚悟はしていたのだ。目の前の背中を見つめゆっくり瞬きを繰り返す。大股でずかずか先を行く爆豪は名前の方を振り向く気配さえない。半ば引きずられながら爆豪について行くと彼は路地裏に入り、細く入り組んだ道を迷わず進んでいく。そしてしばらく歩いたところで突然ぴたりと足を止めた。
「かっちゃん?」
「ここら辺でいいだろ」
爆豪はようやく名前を振り返った。周囲には高い壁、もとい古びた建物がそびえ立っておりその隙間から見える橙色の空はなんだか窮屈そうだ。辺りはしんと静まり返っており人の気配は全くない。駅の近くでもこんなに人気のない場所があるのかと名前は静かに驚いた。薄暗くどこか無機質な路上に射し込む微かな陽の光が少年の輪郭をなぞる。名前は浅く息を吸うと幼馴染みの目を見据えた。
「ここまで人目を避けなくても」
「テメェいい加減自分の見た目を自覚しろや!あんだけ目立ってるとこっちまで迷惑なんだよ!」
「それは……ごめんなさい」
「チッ……それより用があんなら早くしろ。テメェに構ってる暇はねえんだよ」
想定していた言葉をここで言われ名前は少し安堵した。様子がおかしい気もしたがこれはいつもの私のよく知る幼馴染みだ、と。もう一度赤い瞳を真っ直ぐ見つめる。
「今日かっちゃんに時間をもらったのは、私は君に謝らなきゃいけないと思ったから」
「あ?」
「今まで本当にごめんなさい」
再び深々と頭を下げた名前に爆豪は眉間の皺をより深くした。そして低い声で「おいコミュ障」と名前に呼びかける。
「突然謝られてもイミわかんねーんだよ。先にちゃんと説明しやがれ」
「説明……話すと長くなるんだけど、私なんでかっちゃんに嫌われてるのか分かったの。私はかっちゃんに嫌われても仕方のないことをしてきた」
名前の言葉に爆豪は片眉をぴくりと動かした。しかし何も言わずに口を引き結んでいる。続けろ、ということだろうと解釈した名前は淡々と自分の考えを語り始めた。
「私、昔かっちゃんとよく一緒にいたっていう事実は憶えてるのに、君の表情や言葉を思い出せないの。そして、それは思い出せないんじゃなくてそもそも記憶してなかったんだって気付いたの。個性が発現して以来、私は自ら人と関わることをしなくなった。目を閉じ耳を塞いで君の顔を見なかったし君の声を聞かなかった。だってかっちゃんは小さい頃から賢くて決して自分に嘘はつかなかった。だから君の指摘はいつだって正しかった。かっちゃん、私に言ったよね。『お前は与えられた感情を持て余してる人形みたいで気持ち悪い』って。この言葉だけははっきり憶えてた。私はきっと君の正しさが怖くて目をそらした。私は君にきちんと向き合えていなかった。だから嫌われて当然なんだ。本当に、ごめんなさい。……話を聞いてくれてありがとう」
そう言い終えた名前は胸の奥にチクリと確かな痛みを覚えた。爆豪に謝るという目的は果たせたのに何故こんなにも胸が締め付けられるのか、名前には分からなかった。
「……言いたい事はそれだけかよ」
「うん」
「チッ……一人で勝手に納得しやがって。大体なんで突然俺に謝ろうなんて思ったんだよ」
爆発しそうになる感情を押し殺しているような声色で、静かに爆豪は問いただした。そんな爆豪の言葉に名前の脳裏には真っ先に拳藤の顔が浮かんだ。
「……救けてもらったから。今まで腫れ物のように周りから遠ざけられてきたのに、雄英にはそんな私に手を差し伸べてくれる人がいたの。私はその人みたいに強く優しくなりたいと思った。そのために私は変わらなきゃとも思った」
「それと俺がどう関係あるんだよ」
「かっちゃんに謝らなきゃ私はきっと前に進めないから。……ごめんなさい。だからこれは私のためなんだ。嫌ってる人から突然謝られても君は腹立たしいだけかもしれない。そう気付いてはいたけれど、自分のために私は君に謝らなければいけな……、っ」
名前の言葉は遮られ、背中にドンと鈍い痛みが走る。爆豪が名前の肩を掴み壁に押し付けているのだと理解するのに時間は要らなかった。ほんの数センチ先にある射抜くような赤い瞳に気圧されて何も言えなくなる。
「あぁそうかよ、分かった。テメェがそんな顔するようになったのもそいつが原因なんだな」
「……?そんな顔って、」
「表情だよ、ハッ……やっぱり自分で気付いてねえんだな。テメェはちょっと見ねえ間に人間らしい表情をするようになってやがった。だからこの短い間に何があったんだって話を聞いてやろうとここまできたのに……クソ!なんなんだよ……ッ!」
ぐっと名前の肩を掴む手に力がこもった。細く華奢な少女の肩を今にも捻り潰してしまいそうな剣幕だ。名前は痛みに顔を歪め薄く唇を開く。
「かっちゃん落ち着いて……」
「うるせェ!」
名前の顔の真横にドンッと拳が突き立てられた。
「俺はテメェにとっての清算するべき過去でしかないのか?納得したような顔して好き勝手言いやがって……クソッ癇に障る……ッ!何も知らないくせに……!何よりムカつくのがテメェが俺の目の届かない所で俺が知らない奴の影響受けて変わろうとしてるところだ……ッ!昔俺が何を言ってもテメェには響かなかったのに、そうだよなァ……?テメェが謝ってきた通り聞く耳持たれなかったんだから当然だよなァ……?なんなんだよ、俺じゃダメなのかよ……クソ……」
その声色は徐々に弱々しく掠れていった。それに伴って名前の肩を掴んでいた左手の力も抜けていき、やがてするすると彼女の腕をなぞるように降りていく。それと同時に徐々にこうべを垂れ始めていた爆豪の頭がゆっくり名前の視界を塞いでいった。目の前がくすんだ金色に塗りつぶされていく。やがて彼の無骨な手のひらが名前の細い手首をグローブ越しにがっちり掴んだ。肩に重みがのしかかる。条件反射的に名前は全身をこわばらせた。爆豪が名前の肩に顔を埋めたのだ。彼らしからぬ信じられない行動に名前は状況を飲み込めずただただ硬直するばかりだ。しかし頬をくすぐる爆豪の髪の感触や確かな人の温もりがこれは紛れもない現実なのだと名前へ告げていた。そう頭では理解してもなかなか心は追いつかない。拳藤のおかげか相手が爆豪だからなのか、人から触れられることに対する恐怖は感じなかったものの口からは「かっちゃん……?」と困惑の声が漏れ出ていた。
「うるせえ」
爆豪は名前の呼び掛けを一言で一掃すると僅かに顔を上げまた口を開く。
「今から俺の言うことを黙って聞いてろ。口挟むんじゃねえぞ。一回しか言わねえからよく聞け」
「……うん」
「この体勢のまま?」「そもそもどうしてこんなことになっているの?」など名前には言いたいことが色々あったが爆豪が改めて何かを言おうとしていることがとても珍しく思えたためここは彼の話を聞くことを優先しようと決め頷いた。耳元で低い声が響く。
「自分の意志がまるでねぇ、テメェのそういうところが嫌いだ。気に食わねえ。ガキん時からずっとな」
「……」
「テメェに人形みたいで気持ち悪ぃって確かに言ったな。あれも本気で思ってたし今でもそう思うわ。テメェの人間としての在り方は異常なんだよ。それを俺がどれだけ指摘しても聞き入れられなかったし、よりによってテメェはデクの野郎にべったりで金魚の糞みてえにいつもあいつに付いて回って、年が経てば経つほど気付けば俺とテメェの間に横たわった溝は深くなっていきやがった」
「……」
「……なァ、なんで俺がテメェに、テメェの異常性を指摘したか、分かるかよ?言葉が悪かったかもしれねえ。自分がそういう言い方しかできねえ野郎だって自覚はあんだ。それでも……俺はあれでもテメェを救けたかった、それこそヒーローみてえにな」
「……!」
名前は静かに息を呑んだ。肩に感じる重みや名前の手首を掴む手が微かに震えている。
「馬鹿みてえだろ?ガキん時は本気でそう思ってたんだよ。個性が発現して以来感情のない人形みてえになっていくテメェを俺が救けるんだって。なのに、まるで上手くいかねえ。……俺は昔からなんだって上手くやれた、周りの誰よりも俺がいつも一番だった。それなのにテメェのことだけはどうにもならねえ。時間が経てば経つほどそんな現実にムカついてきた。テメェのそういうところに嫌悪感を抱いていった。それと同時に、いつまでたってもガキん時の思い出にしがみついてる自分自身を許せなかった。なんでだよ、なんでテメェなんかに俺はこんなに縛られてんだよ。なんで俺は縛られたままなのにテメェはスッキリした顔して俺から離れていこうとしてんだよ……ッ!なんで俺ができなかったことをポッと出の奴ができるんだよ……ッ!」
「かっちゃ、」
「口を挟むなっつっただろ!」
口を開こうとした名前の声は爆豪の怒号で遮られた。耳元で大声を出された名前はびくっと肩を震わせ口を噤む。チッと舌打ちが聞こえた後、再び肩に重みがのしかかってきた。
「クソッ……喋りすぎた……救けたかっただなんだ言ったけど結局は全部俺のエゴだわ……ダッセェ……」
掠れた声で独り言のようにそう呟いた爆豪はそれっきり口を閉ざし黙り込んでしまった。訪れる静寂に身を委ね、くすんだ金色の髪越しに宙を見つめながら名前は思案する。爆豪に何と言葉を掛けたらいいか、分からない。彼が言ったこともにわかには信じられない。しかし形がどうであれ彼が自分のことを幼い頃からずっと気にかけてくれていたことだけは、身を切るようなその想いだけは痛いほど伝わってきた。考えあぐねながらぼんやりと宙を見続けていると「おい」とくぐもった声が名前を呼んだ。
「黙ってねえでなんとか言えよコミュ障」
「絶対口を挟むなって、さっきかっちゃんが言ったのに……?」
「場の雰囲気ってもんがあるだろーがよ!察しろ!」
そう言った爆豪がバッと顔を上げた。正面から視線がぶつかる。名前は「えっ」と声を上げた。爆豪の顔が耳まで真っ赤だったのだ。建物の隙間から差し込む夕陽の色とそれを反射してきらきら光る色素の薄い髪、こちらを見つめる二つの深い赤、上気した頬の色、薄暗い路上でその全てが名前の目に眩しく映った。
「そんな……私がコミュニケーション下手なのは認めるけど耳まで真っ赤にするほど怒らなくても」
「ッ……!怒ってねーわ!テメェの……、テメェのコミュ障っぷりに呆れてんだよ!」
「怒るのと呆れるのと、それはどう違うの」と首を傾げながら名前は珍しくしどろもどろになっている爆豪をじっと見つめた。
「えっと、もう私も話していいなら、とにかく。かっちゃんが言いたいこと、やっと、ちゃんと話してくれてありがとう」
「……チッ」
「かっちゃんが言ったこと全部は理解出来なかったけど、かっちゃんは私のヒーローになろうとしてくれてたんだね」
「……テメェそんな恥ずかしいことよく言えんな」
「……なんで?恥ずかしくないしすごいことだと思う。私は、たぶん嬉しいんだ。私にとってかっちゃんは出久と同じ、特別な存在で、家族と同じくらい大好きな人でそれは小さな頃からずっと変わってなくて。でも私自身はかっちゃんに嫌われてるんだって、そう思い込んでいたけれど、実際そうなんだろうけど、それでもかっちゃんは私のことを見限らないでくれてたって分かったから」
「テメェやっぱ喋んな!聞いてるこっちがクソ恥ずかしいわ!あと俺とクソデクを一緒にすんなや!すげぇ腹立つ!」
再び名前の肩に手が伸びてきた。そのまま壁に押し付けられたが、肩を掴むその手は先程より優しい。名前の顔に影がかかる。不機嫌そうに口をへの字に引き結んでいる爆豪が名前の顔を覗き込んでいた。
「つうか俺がプライドを捨てて腹括って話したのに、俺の言ったこと全部は理解出来なかったってどういうことだよ……ナメてんのか。もう一度コミュ障にも分かるように言うからよく聞け。……俺はテメェの、自分の意思がない腑抜けたところが許せねえし見てて死ぬほど腹が立つし嫌悪感すら抱いてる。けどなァ、テメェを他に譲る気はねえしテメェは俺のモンだ。だから他の奴に絆されてんじゃねえ。今度こそ俺がテメェを変えてやる。分かったか」
そう言うや否や爆豪は名前を離し背を向けた。すっと影が遠のいていく。そのまま爆豪は名前に背中を見せたまま振り返りもせずに「いい加減人が来てもおかしくねえし帰るぞ」と言って歩き始めた。正常に動いていない脳みそを置いてけぼりにして名前は「うん」と答えると彼のあとを追う。黙々と歩き続け、やっと動き始めた脳内で先程の言葉を噛み砕いていく。
「やっぱり全然分からない」
誰にも聞こえないくらい小さな声で何も語らなくなった目の前の背中にそう投げかけた。名前には爆豪の考えていることが理解できない。それは話をする前から変わりなかったが名前の心は晴れやかだった。初めて彼と正面から向き合えた。自分にはもうその資格がないと思っていたのに許された気がした。傾きかけた太陽が柔らかく暖かな光で二人の道行く先を照らしている。
A組のUSJ演習授業へ敵が襲撃してきた、という報せがB組に飛び込んできたのはこの一週間後のことだった。