散りぬるを

「名前、最近無理してない?」

そう自分へ向けられた言葉を左の耳から脳へ送ったあと名前は数回瞬きをした。ヒーローコスチュームのマントを手に握ったまま顔を真横へ向ける。

「……してないよ」
「待て待て、なんだ今の間は」

名前に呼びかけた声の主である拳藤は眉を八の字に下げて苦く笑った。次の授業はヒーロー基礎学であり、二人は肩を並べ更衣室でヒーローコスチュームに着替えている最中だ。着替えを終えた拳藤はサイドテールを結い直しながら「やっぱ無理してるだろ」と名前に向き直る。名前は少し考える素振りを見せたあと、手に持っていたマントをバッと宙に広げそれを身に纏った。

「なんでそう思うの」
「うーん、なんていうか、最近の名前見ててなんか妙に焦ってるように感じるから?まあ気持ちは分かるけどな、あんな事があったんだし」
「……」

拳藤の言う『あんな事』とは敵連合によるUSJ襲撃事件を指していると見て間違いない。「A組が敵から襲われた」という報せがB組に飛び込んできたその日。顔を蒼白にした名前がホームルーム中にも関わらず教室を飛び出そうするのを拳藤と鉄哲が必死に止めていた光景は鮮烈にB組生徒達の記憶に刻まれていた。「何処へ行くつもりだ」と聞けば「出久のところ」と虚ろな目で答える名前に拳藤はこの危うく不安定な少女を放っておいてはいけないと直感した。それに何より、普段物静かな名前が取り乱していたその様子はより一層強い緊迫感をB組にもたらした。その日を境に物間を筆頭としたB組の一部の生徒はA組を一方的に敵視し始め、名前はずっとどこか焦っているようだった。おそらく敵というこれから自分達が対峙していかなければならない脅威の存在を改めて認識したことから生まれた早く強くならねば、という焦りだろう。その証拠にヒーロー基礎学などの演習訓練に対する名前の姿勢が前向きになった。それは良い兆しではあるのだが傍でそれを見守っている拳藤の不安は膨らんでいく一方だった。

「とにかく、来週末には体育祭もあるんだし無理は禁物だぞ」
「うん」

名前は頷きながらガスマスクを首に下げる。バタンとロッカーを閉じる音が広くはない更衣室に響いた。

「今日は一対一の対人戦闘訓練だっけ?」
「そうだと思う」
「一対一となると物間みたいなタイプは相当不利だよな〜」

演習場に続く廊下を歩きながら談笑していると噂をすれば影と言ったところか、角を曲がったところで男子更衣室から出てきた物間と鉄哲に鉢合わせた。物間は名前と名前の首からぶら下がっている彼女のガスマスクを見るなり「げ、」と顔を歪めた。

「げ、ってなんだよ。失礼な奴だな」
「拳藤に言ったんじゃないよ。あの調子づいた憎きA組の奴らと妙に親しい苗字に対して言ったんだよ」
「オメーなんでそんなに苗字に当たりつえーんだよ」

拳藤と鉄哲が半ば呆れながら話を進めていく。当の本人の名前は口を挟まずじっと物間を見つめていた。

「だいたい憎くはないっつーの。……まああれだけどな。最近私、A組のツンツンした男子……ほら、有名な奴いるじゃん、ヘドロ事件の。あいつから廊下ですれ違う度に何故かすごい形相で睨まれるんだよな。なんなんだろあれ……普通に怖い」
「なにそれ?拳藤そいつに何かしたの?」
「いや〜何も心当たりなくて訳わかんないんだよね」

そう言って肩をすくめる拳藤。黙って話を聞いていた名前は途中から顔を青くした。

「一佳ごめん。それ多分私のせいだ」
「え?どういうこと?」
「えっと、それは……」

名前は言い淀む。なんと説明したらいいのか分からなかった。爆豪との間に起こったことを話すなら幼少期から遡って話をしなければいけなくなる。そもそも先日彼と話した内容を人に話してしまっていいのだろうか。それは彼の沽券に関わる気がする。考え込んだままうんともすんとも言わなくなってしまった名前の顔の前で「おーい名前、戻ってこーい」と拳藤がひらひら手を振った。

「幼馴染みなんだけど、」
「ん?」
「その人、私の幼馴染みなんだけど、中学まで友達がいなかった私に高校で突然友達ができたからびっくりしてるんだと思う」
「……」
「……」
「……」
「?」

名前を見たまま固まってしまった三人を前に、何か言い方が伝わりづらかっただろうかと名前は首を傾げる。その直後、沈黙をやぶったのは物間だった。

「つまりそれってヘドロくんは拳藤に嫉妬してるってこと?へ〜案外器が小さい男なんだね」
「いや器が小さいってそれお前だけには言われたくないと思うぞ……っていやそうじゃなくて!名前、前言ってたA組にいる幼馴染みってあのヘドロ事件の人だったの!?」
「うん」
「じゃあ昼休みに携帯で連絡取り合ってたり一緒に帰る約束してた人もその人ってこと!?」
「あ、いや、それは別の子……A組には幼馴染みが二人いるんだ。言ってなかったっけ」
「ええ……初めて聞いたよそれ」
「なァ、俺分かんねーんだけどなんで女の拳藤がソイツから嫉妬されてんだ?」
「待って鉄哲、私も色々と混乱してるところだから今話をややこしくしないで」
「拳藤が男だと思われてるんじゃない?」
「うるさいよ物間」
「痛ッ!」

トスッと拳藤の手刀が物間の首元に沈んだ。あまりに鮮やかに決まったそれを見て、痛そうという感想より先に「おお」と感嘆の声が漏れる。「今から演習なんだし勘弁してよ……」と首を抑える物間だが「今のは物間が悪い」と鉄哲と名前が口を揃えたため彼はバツが悪そうに「……悪かったよ」と拳藤に謝った。
そうこうしているうちに目的地の演習場が見えてきた。先に着いていた生徒達は既に各々アップを始めており、演習訓練への意気込みで場が満ちていた。

「ッシャ!今日も頑張るぞ!」

意気揚々とその輪の中に入っていった鉄哲の背中を見送る。「アイツがいるだけでその場の温度が上がる気がするよ」と肩をすくめながら物間がそれに続いた。

「じゃあ名前、さっきの話後で詳しく教えてね。今はもう時間ないから。あっ、あと何度も言うけど無理は禁物だからな」

再び念を押してきた拳藤に名前は頷いた。無理なんてしない、今自分ができることを精一杯頑張るだけだ、そう思っていたのに。





「苗字?オイ、大丈夫か!?」

鉄哲が駆け寄ってくる。名前はすぐに「大丈夫」と答えたが口から漏れ出たその声は弱々しく離れた場所にいる鉄哲の耳に届くはずもなかった。ぐっと四肢に力を込めようとするがそれさえも上手くいかない。立てない、そう思った瞬間自分の首筋に冷や汗が流れるのが分かった。
何が起きたのか、時は数分前に遡る。
いつかの演習訓練の時と同じく、訓練の相手はくじ引きで決められた。名前の相手は鉄哲であり、彼は名前が最も苦手とする近接戦闘型だった。今回は1ペアの手合わせを全員で観戦するわけではなく、一斉に同じ会場で合図と共に試合をする。そのため個性の使用は他のペアの邪魔にならないよう最低限に抑えるようにと制約が課せられていた。
「手加減なしだぞ!」と吠える鉄哲に頷きながら名前は「まずは距離を取らないと」と脳内で戦略を巡らせる。戦闘開始の合図が鳴ると同時に鉄哲との間に木々を生やすことに決めた名前はそれを実行しようとした。合図が鳴る。予想通り鉄哲は一直線にこちらへ向かって走ってくる。名前はいつものように個性を使おうとした。地面に手をついて自分の力を流し込むような感覚。次の瞬間、名前の身体は大きくぐらりと傾いた。あれ?と思う間もなく彼女の意思に反して身体は重力に従って地面へ吸い寄せられていく。そうして倒れてしまった名前の異変に気付いた鉄哲が声をかけ先程のやり取りに至った。

「マジで大丈夫かよ!?立てるか?」
「……いや、……身体に力が入らない」

名前のもとに辿り着いた鉄哲は彼女を起こそうと手を差し伸べるが名前は力なく首を横に降った。

「待って……まだ私に触らないで。その前に私のグローブ取ってほしい……ズボンのベルトに引っ掛けてるから」
「お、おう!分かった!」

鉄哲は急に挙動不審になると分かりやすく顔を赤くしながら恐る恐る名前のマントを捲りあげた。足元までマントに包まれていた肌が顕になる。マントの中は動きやすさを重視したのだろう、かなり短いショートパンツで太めのベルトにグローブが取り付けられていた。これを取れと言うのか、そもそもこれ周りから見ると絵面がやばくないか。鉄哲はそう躊躇したが名前が辛そうにしているのを見て、なりふり構ってられねえ、と腹を括った。グローブに手を伸ばす。

「苗字、取れたぞ」
「ありがとう。……あの、掴む力が出せないから手につけてほしい」
「お、おう!」

僅かに持ち上げられた腕にグローブを通していく。両手にグローブを通すと名前は微かに息を吐き「ありがとう」と表情を和らげた。

「もう触っていいのか?あ、いや、変な意味じゃなくてよォ」
「うん、肩、貸してくれると嬉しい」

名前は鉄哲と肩を組んで立ち上がろうとしたがやはりまるで足に力が入らなかった。両手両足は糸の切れたあやつり人形のようにだらんとだらしなく身体にぶら下がっている。これではただ鉄哲の力のみで持ち上げられているようなものだ。まるで自分の体が自分のものでないとすら感じてしまう状況に名前は混乱し、それを見た鉄哲もいよいよ事の異常性を察し表情を固くした。

「オイ苗字、これマジでやべーぞ!今すぐリカバリーガールんとこ行くべきだ!いやていうか行くぞ!俺が連れてってやるからな!」

そう言うや否や鉄哲は名前と肩を組んだまま少しかがみその手を背中へ回し彼女の膝裏にもう片方の腕を通すとそのままひょいと身体を持ち上げた。横抱き、所謂お姫様抱っこと呼ばれるものだが正義感に駆り立てられている彼は一刻も早く名前を運ばなければということで頭が一杯になり先程までの羞恥など忘れているようだった。

「リカバリーガールの所へ行くのかい?鉄哲少年」
「わっ!?オールマイト!?いつからそこに!」

背後から突然響いた声に鉄哲は驚き振り返った。オールマイトは白い歯を見せながら「たった今私が来た」と笑う。しかし笑顔は崩さないものの真剣な声色でこう続けた。

「いやすまないね。生徒達の様子は満遍なく見ていたから君たちの異変にも気付いていたんだがヒーローの卵として鉄哲少年がどう対応するか見守っていた。兎に角、急いで苗字少女を連れて行ってあげてくれ。私が行けるならそれがいいけれど、私はここで他の生徒を見ていなきゃあいけないし、何より苗字少女は事情があって人に触れられることを拒絶するんだ、気を許した相手以外ならね。しかし見たところどうやら君なら大丈夫らしい」

オールマイトは鉄哲の肩に手を置くと「それじゃあ頼んだよ」と言った。鉄哲はビシッと背筋を伸ばすと「ハイッ!」と威勢よく返事をする。その様子を名前は朦朧とし始めた意識の中見つめていた。
演習場を出て静かな廊下を進んでいく。鉄哲の足取りは力強く、名前を抱えていることによる負担など微塵も感じられない。どこか安心感を覚えるその力強さに名前はすっかり身を委ねていた。

「こんなことに時間取らせてごめんね」
「おう、気にすんな。困った時はお互い様ってやつだ」
「私、重くない?」
「重くねえぞ、寧ろ軽い。ちゃんと食ってんのか……っていや苗字はフードファイターばりに大食いだったな。あれだ、オメーは米ばっかだからもっと肉と野菜を食わねえと!ホウレンソウがいいぞホウレンソウ!……お、なんで顔赤くしてんだ?」
「鉄哲のばか……そんなに大食いじゃないもん」

珍しく拗ねる素振りを見せる名前に鉄哲は首を傾げながら保健室へ向かうのだった。