今日は風に散って

薄暗い通路、その先に見える光の中へA組の生徒達が踏み出していく。一年生の入場が始まったのだ。熱のこもったプレゼント・マイクの声がここまで響いてくる。A組は注目されているとあってかなりの持ち上げられようだ。B組生徒の一部は顔を曇らせた。

「よし、私らも続くぞ!」

B組の先頭を歩く拳藤が振り返ってそう言う。名前は僅かに頷いて彼女の後に続いた。やがて視界が開ける。眩しさに一瞬目を細めたがすぐに周囲の光景に圧倒された。

「話題性では遅れをとっちゃいるがこっちも実力派揃いだ!ヒーロー科1年B組ィ!」

プレゼント・マイクの実況と観客の大歓声を一身に浴びながら歩を進める。人の多さに名前は怯みそうになったが隣を歩く鉄哲の足取りがあまりに堂々としていたのでそれにつられて自然と背筋が伸びた。彼の気迫が伝わってくる。それに勇気をもらえた気がした。隣に鉄哲がいてよかったと名前は心の中で呟いた。

「選手宣誓!」

ヒーロー科、普通科、サポート科、経営科。全ての科が入場を終え整列すると今年の1年生ステージの主審であるミッドナイトが登壇した。会場全体が色めき立ちざわつく中、名前はぼうっとミッドナイト先生の鞭は何に使うんだろうと一人場違いなことを考える。ミッドナイトはもう一度「静かにしなさい!」と鞭を振るうとこう続けた。

「選手代表、1A、爆豪勝己!」

名前は瞬きした。そして壇上へ向かって歩いていく爆豪の背中を見つめた。選手宣誓はかっちゃんなのか、なんでだろう。そう思った直後隣のA組から声が聞こえてきた。「あいつ一応入試一位通過だったからな」と。なるほど、だからか。納得はしたが少し嫌な予感がした。そして名前の予感はこの直後、見事的中してしまう。

「宣誓」

気怠げな声色。ポケットに手を突っ込んだままの決して行儀正しいとは言えない態度。爆豪の背中を見上げる名前の瞳が微かに揺れた。

「俺が一位になる」

一呼吸置いた後会場は生徒達のブーイングで包まれた。ミッドナイトもやれやれと頭を抱えている。以前知り合ったA組の学級委員長である飯田がずいっと前へ出て「何故品位を貶めるようなことをするんだ!」と爆豪を問い詰めた。しかし振り返った爆豪は立てた親指を下へ向けながら「せめてハネのいい踏み台になってくれ」と言ったのでブーイングの熱量が増す結果に終わってしまった。名前の隣では鉄哲が烈火のごとく怒りを露わにしている。やまないブーイングの中、名前は何のリアクションもとらずただじっと爆豪を見つめていた。その時だった。

「(あ……)」

爆豪と目が合った気がした。しかしそれはほんの一瞬で、その直後彼は階段を降り始めたので本当にこちらを見たのかよく分からない。もし目が合っていたならば睨まれそうなものだから気の所為だろうか。
名前は皆のように怒る気にならなかった。怒りの感情以前に疑問を感じたのだ。爆豪の不遜な態度は昔から変わらない。だが今回はいつもと何かが違うように思えた。違和感の正体を探すため過去の記憶を巡る。汚い言葉。傍若無人な態度。不敵な笑み……

「あ……」

気付いた。記憶の中の爆豪は誰かを貶めるときは必ず不敵に笑っていた。あの日、あまり思い出したくないが緑谷に自殺教唆まがいの発言をしていたときだって彼は薄く笑っていた。けれど今、爆豪は笑っていなかった。淡々とした声色だった。それの意味するところは何だろう?爆豪が何を思いそんな行動を取ったのか、分からない。名前は隣のA組、そこにいる緑谷の横顔を伺った。野次を飛ばす生徒達の中で一人、やはり名前と同じく真剣な面持ちだ。出久には分かるの?そう心の中で問いかける。戻ってきた爆豪と緑谷の肩がぶつかった。二人の横顔が名前の目に焼き付いて離れなかった。





「運命の第一種目、今年は……コレ!」

ミッドナイトの背後、そこにある大きなディスプレイに「障害物競走」と表示された。彼女によるルール説明を聞く傍ら名前の斜め後ろあたりで「ふーん、なるほどね」という声が上がる。物間の声だ。

「第一種目……ね。大体40位あたりまでかな」

独り言。否、B組の皆に聞かせるための独り言だ。彼の言葉の意図を理解した名前はぎゅっと拳を握った。下を向くより上を目指したい。後ろを振り返るのではなく前を見据える勇気がほしい。
ミッドナイトの指示により生徒達はスタート位置についた。カウントダウンのランプが一つずつ消えていく。名前は不思議と落ち着いていた。最後の一つが消えた時、「スタート!」という掛け声が高らかと会場に響いた。
駆ける。自分に出せる精一杯の力で進んでいく……はずだったのだが。会場から外へ続く狭い通路。そこで人の波に押しつぶされそうになった。これだけの人数がここを通ろうとすれば当然こうなってしまう。右を見ても人。左を見ても人。にっちもさっちもいかない。名前は必死にこみ上げてくる恐怖と嫌悪感に耐えた。大丈夫だと自分に言い聞かせる。グローブだってしている。個性を誤発させることはまずない。しかし頭でそう分かってはいても人間のトラウマはそう簡単に払拭されてはくれないのだ。人の海に揉みくちゃにされながらいよいよ気分が悪くなってきた名前は口元を押さえた。何か打開策はないものか。いっそここにいる人を全員、名前が触れられる人物……緑谷か爆豪、鉄哲か拳藤だと思うのはどうだろう。

「(そうだ、鉄哲は……)」

鉄哲はどこにいるのだろう。早く彼を見つけて追わないと。物理的に圧迫されながらも前に進んでいく。正直今にも心が挫けてしまいそうだったがそれでも足を動かせたのは鉄哲との約束、明確な目標のおかげかもしれない。

「(いた、鉄哲……!)」

やっとの思いで通路を抜ける。そんな時に鉄哲の後ろ姿を見つけた。よかった、これで彼を追うことができる。そう思った矢先名前の耳にピシッと聞き慣れない音が届いた。その直後視界が白い靄で覆われる。肌は刺すような寒気を感じていた。「動けねえ!」と周囲から上がる声。冷たい。気付けば名前も足の自由を奪われていた。氷によって足を地面に固定させられているのだ。何が起きているのか理解が追いつかないまま顔を上げれば左右で髪の色の違う少年が一人先頭を走っていた。そこでようやくどうやらこれは彼の仕業らしいと理解する。

「(どうしよう)」

名前は躊躇してしまった。その間にもA組の面々は先頭の少年を追ってこの氷漬けにされた集団の中から飛び出して行く。決断力といった面でも彼らは自分たちの一歩も二歩も先を行っているように思えた。入学して一ヶ月と少し、いつの間に水があいてしまったのだろうか。負けてられない、名前はそう思い唇を噛んだ。幸い氷に覆われたのは足だけだ。手は動かせる。迷いを捨ててグローブに手をかけた。片方のそれを手から引き抜きそのまま氷に触れる。花びらが舞った。そこにあったはずの氷は瞬きの間に花びらへと姿を変え、まるで名前の手から湧き出るように溢れ宙へ放たれた。自由になった名前はすぐさま走り出す。少女の髪が風に靡く。色とりどりの花弁は風に散る。その様に目を奪われる者がいた。思わず足を止めてしまう者もいた。名前の周囲にいた者達は自分が競技者であることを忘れ遠ざかる少女の後ろ姿に魅入っていた。やがて僅かな花の残り香が儚く消えていく……





足を止め浅い呼吸を繰り返す。体力の限界はすぐそこまで来ている。それでも目の前に広がるこの地雷原を越えなければならない。大きく息を吸って、吐いて、呼吸を整える。そして再び前を見据えた。鉄哲の背中は遠い。
名前の基礎的な身体能力はまだまだ未熟だ。雄英を志したのが中学三年生になった後だったしそれまでこれといって運動もしてこなかったので当然だ。名前にできることといえば絵を描くことくらいだった。雄英の入試を突破できたのは入試の内容と個性の相性が良かっただけに過ぎない。もちろんヒーローを志して以降並々ならぬ努力は積んできた。それでも身体能力や戦闘センスといった地力の差はなかなか詰められないものだ。足りない身体能力を補うには個性を使うしかない。簡潔に言うと名前は個性に頼り過ぎる傾向があるのだ。
恐る恐る地雷原に踏み込む。名前は焦っていた。このままでは鉄哲に追いつくことはおろか予選落ちしてしまうかもしれない、と。
最初の難所、仮想敵との対峙では入試の時と同じように行動し事なきを得た。地面から植物を生やし仮想敵を捕縛したり、時には仮想敵そのものを植物に変えたりした。名前が通った跡には草木が生い茂る。その様はまるで道を作っているようだった。しかし問題はその後の綱渡りであった。個性をどう使えば上手く綱を渡ることができるかまるで分からず足止めをくらったのだ。結局、素の身体能力が未熟な名前はそこで時間を費やしてしまい今に至る。
この地雷原だってどう乗り切ればいいか分からない。素直に地雷を避けて進む方法しか思い浮かばなかった名前は歯痒い気持ちを押し込めてそろりそろりと前へ進む。ふとそこであるものに目が止まった。

「(……出久?)」

名前の数メートル先、斜め前。そこにいたのは何故か地面を掘り返している緑谷だ。一体彼は何をしているのかと首を傾げる。誰もが名前と同じく、何してるんだこいつ、といった目で彼を見、その横を通り過ぎて行く。名前も人のことを気にしている場合ではなかったが緑谷が意味もなくそんな行動を取るはずがないと思うと目が離せなかった。少しずつ彼との距離が狭まっていく。気になりながらも緑谷を追い越そうとしたその時、眩い閃光が名前の視界を遮った。咄嗟に目を瞑ると次に名前を襲ったのは強烈な爆発音と爆風だった。両足に力を込めるも風に負け後方へ吹き飛ばされてしまう。背中から着地したその場にも地雷があったらしく爆発を全身で受けてしまった。肉を割くような音が身体中に響き鈍い痛みが走る。口からは一人でに呻き声が漏れ出た。一体何が起きた?訳も分からないままふらふらと立ち上がる。煙の先を見ようと目を凝らす。やけに興奮したプレゼント・マイクの実況が耳をつんざいた。

「1A緑谷、先頭を猛追!ていうか抜いたーッ!」

出久が?どういうことだ。さっきまで彼はそこにいたじゃないか。しかし名前の視線の先に緑谷の姿はない。まさかさっきの大きな爆発は出久が意図的に起こしたもの……?私が巻き込まれて後ろへ吹き飛んでしまったように、出久はそれを利用して前へ飛んだ……?もしそうなら、

「……すごい」

思わず感嘆の言葉が口をついて出た。どうしてそんな方法を思いついたのだろう。滅茶苦茶だが理にかなっている。実際に出久は一位に躍り出たのだから。そう思いながら遥か先の宙を見つめた。爆発に巻き込まれたことに対する怒りはない。むしろ自分と彼との差を見せつけられたように感じ名前は打ちひしがれていた。いつも隣にいたはずの幼馴染み。足並みを揃えてここまで一緒に歩んできたはずなのに。いつか君は私の手の届かない所まで行ってしまいそうで、怖い。心臓がぎゅっと音を立てた。
嫌だ、置いて行かないで。





この感情を知っているはずだ。遠い昔。これとよく似たものを抱いたことが確かにあるはずだ。

「かっちゃん」
「……」

古い記憶の中、名前は目の前を歩く少年を呼び止めた。名前の隣には緑谷がいた。夕陽に映える公園の前で三人は立ち止まる。小さな体に不釣り合いなランドセルはとてもとても大きく見えた。

「かっちゃん」
「かっちゃん、無視しないでよう……」
「んだよ、うるせーな」

爆豪が振り返った。眉間に皺を寄せ唇を尖らせている。不機嫌を隠そうともしない表情だ。それを見た緑谷は「ひっ」と短い悲鳴をあげたが名前は何も思わないのか変わらず淡々とした口調で彼に話しかけた。

「どうして先にかえろうとしたの。ひとりでかえったら危ないんだよ」
「てめーとデクがもたもたしてっからだろ」
「……」
「で、でも小学校に慣れるまでは三人でかえってくるようにって、お母さんたちから言われたよ……?」
「ンなもんババアがかってに決めたことだろ!」
「ひっ」

名前に続き緑谷も爆豪を咎めようとしたがあえなく撃墜してしまった。そこから爆豪の容赦ない迎撃が始まる。

「だいたいお前らまだつーがくろ覚えてねーんだろ?なんでそんなことも覚えらんねーの?道なんて一回とおれば忘れねえじゃん」
「……かっちゃんには簡単でもわたしと出久にはむずかしいの」
「ふーん」

爆豪はくるっと踵を返し名前と緑谷に背を向けるとずんずん先へ行ってしまう。「あっ、まってよう、おいていかないで」と緑谷が今にも泣き出しそうな声を上げた。
爆豪は幼い頃からなんでも出来てしまう人間だった。何をしても周りより頭一つ飛び抜けていた。その性質が彼の自尊心をエベレスト級にまで育て上げてしまった訳だがそれはそれとして。名前は爆豪が何かするたびに彼が遠ざかって行くような、自分が置いて行かれるような、そんな感覚を覚えていた。才能が爆豪を名前の手の届かない所へ連れて行ってしまう、そう思っていた。なんでも出来てしまう人間が身近にいれば仕方のないことだ。お互いに個性が発現する前はよく一緒に遊んでいたのに、もうあんなふうに時間を共にすることはなくなっていくのだろうか。そう思うと不安でならなかった。
それでも名前の隣にはいつも緑谷がいた。かっちゃんと違って出久は絶対に何処へもいかない。だって私と同じように飛び抜けた才能なんて持っていないから。何も持っていない者同士だから。それならずっと一緒にいられるはずだ。……いつの間にかそう思い込んでいたのかもしれない。しかしそれは甘えであり間違いだと心のどこかで気付いていた。ずっとそばにいたからこそ彼が抱くヒーローへの憧れを、その想いの強さを知っている。中学生になってもヒーロー分析をノートに綴ることをやめなかった、彼のその姿を見た時「まただ」と密かに思ったのだ。爆豪が離れて行ってしまったように、このままではまた緑谷も自分を置いて行ってしまう。緑谷は爆豪のような才能はなくとも誰にも譲れない確固たる信念を持っていたのだ。……私と同じはずがない。そんなの出久に失礼だ。何も持っていないのは私だけだった。何も持っていないから唯一無二の幼馴染みという存在にしがみつこうとした。私は空っぽの人形。人間のフリをしたロボット。本当の出来損ないは……