花びらのゆくえ

かっちゃんは出久を「デク」と呼ぶけれどそれは違う。本当の出来損ないは私だ。
一面の地雷原に少女は佇んでいた。顔を伏せているため表情は伺い知れない。何をする訳でもなくただただその場に立ち尽くす。体育祭の士気を下げるなとバッシングを受けても仕方のない行為だ。

「(こんなところを一佳たちに見られたら何と思われるだろう)」

もしかしたら先頭近くを走っていた塩崎や鉄哲ならもうゴールしていて会場から中継でこちらの様子を見ているかもしれない。もちろんそうなると二人の幼馴染みも同じく、だ。そう思うと胸のあたりがずしんと重くなった気がした。もしそうなら私のこんな姿を見て彼らは何と言うだろう。怒るだろうか。呆れるだろうか。お前はそんな奴だったんだな、と失望するだろうか。そんな知りようもないことに頭を悩ませても何にもならないと、そう頭では分かってはいても心は後ろ向きになっていく。戦意喪失。名前の今の状態を表すならその一言に尽きた。
そもそも雄英へ入学したことも緑谷を追ってきた結果に過ぎない。それだけ名前の中で大きな行動理念であった「緑谷と共にいたい」という執念がここへ来て折れてしまったのだ。だって君は私が追いかけても追いかけてもこちらを振り返らず先へ行ってしまうから。この想いは所詮ひとりよがりで、醜いエゴなのだと気付いてしまったから。
ここへ……雄英へ入学してしまったところからそもそも間違いだったのだろうか。心の隅に追いやって今まで見ないようにしていた考えに目を向けてしまう。だって皆、ヒーローになるためにここへ来ている。私は違う。もっと不純な動機だから。みんながヒーローを目指し励む姿を見れば見るほど、彼らといっしょにいればいるほど後ろめたくなっていたのだ。無意識のうちに自分で自分の首を絞めていたのだ。そう思い唇を噛む。しかしそれと同時に名前はあることに気付いて瞬きした。

「(みんな……?みんなって、私は一体誰のことを……?)」

そう思った途端脳裏に浮かぶのは拳藤や鉄哲をはじめとするB組のクラスメイトたちだった。息を呑んだ。周囲の喧騒が聞こえなくなっていく。まるで自分だけ周りから隔絶された空間に放り込まれてしまったようだ。

「(もう幼馴染みだけじゃないんだ)」

ぎゅっと拳を握る。

「(私には一佳がいる。鉄哲も、塩崎さんも。ちょっと苦手だけど物間くんも。それからB組のみんなも)」

俯いたまま頬を拭った。そしてゆっくり顔を上げる。もう出久の存在に甘えることはやめよう。もちろん彼が名前にとって特別な友人であることはこれからも変わらない。しかし彼のいないところに新たな出会いがあった。そこに自分の居場所を見つけた。少し寂しくもあるけれど、そう思えるようになれたことがとても嬉しいから。今はまだ、ここにいる意味を探しているところだけれど彼らにふさわしい胸を張れる自分になりたい。それを目指すことで許してもらえるかな。
それなら今すべきことは一歩でも前へ進むこと。見据えた地雷原の果てはまだまだ遠い。物間の予想が正しいなら今自分が予選を通過するには絶望的な位置にいることは明白だがそれでも足を動かさなければ。
名前は再び歩き始めた。地面の色が違うところを避けて少しずつ進みながらこの状況を覆せる策がないか脳を働かせる。何かいい方法がきっとあるはずだ。緑谷がしてみせたように不可能ではないはずだ。自分に出来ることを考えろ。もし緑谷や爆豪のように地に足をつけず跳躍できたら一気に前へ進むことができる。しかしその術を名前は持っていない。それならこの地雷原に道があったらいいのに、そう思って首を傾げた。

「(足元の地面に生命を与えたとしても地雷には届かない……?)」

自分の個性で出来ることは物に生命を与えること。何も無い場所では地面そのものに生命を与え植物を生やす、といった使い方をすることが多い。具体的なようで抽象的な「生命を与える」というこの力で出来ることの範囲は曖昧だ。正直、名前自身この個性を理解しきっているとは言えない。

「(でもこの地雷って多分そんなに深いところには埋められてない……踏まれた時の振動を感知して作動出来るくらい浅い所にある。しかも踏まれてから爆発するまでの間に僅かなタイムラグがある。コンマ数秒の世界だけど私の個性の反応速度より遅い、そう言いきれる自信はある)」

それなら、と名前は閃いた。試したことはないけれどもしかしたら出来るかもしれない。この状況を覆したいのなら僅かな可能性にも縋りたい。
そう思った名前はすぐ行動に移した。まず靴を脱いだ。周囲から奇異の目で見られている気はしたがそれに構わず靴下も脱いで裸足になった。ゴクリと生唾を呑む。大丈夫、爆発したとしても致命傷を負うレベルではない。そう自分に言い聞かせて一歩を踏み出した。





熱気の冷めやらない競技場。見事そこへ辿り着いた選手達がお互いを労う中、鉄哲はあんぐり口を開けて巨大なモニターを見上げていた。隣では塩崎が口元に手を当て同じように中継の様子を伺っている。
更に離れた所では緑谷が呆然とそれを見、また別の場所では爆豪が歯ぎしりしながらそれを睨んでいる。
カメラは一人の少女を追っていた。次々にゴールする選手ではなく地雷原を走る少女に焦点を当てているのはその方がマスコミ的に美味しいと判断されてのことだろう。それもそのはずだ。地雷原を何故か裸足で走っているその少女。彼女が一歩を踏み出す度に足元から緑が生え出てくるのだ。そしてその緑はみるみるうちに生長し立派な木々や鮮やかな草花となる。まるで細長い森林が地雷原を縦断しているようだ。少女を起点として生まれ続ける草木の道に選手、観客、誰もが目を奪われる。一体どんな原理なんだという驚く人、草木を背に走る少女の異様な程美しい容貌に圧倒される人、様々だろう。そんな観衆の胸の内を代弁するかのようにプレゼント・マイクの声が会場に響く。

「B組苗字、地雷原を激走!?どうなってんだオイ!なんで地雷が爆発しねえんだ!?つーか何なんだその植物はーー!?」

ハイテンションなマイクの隣で相澤は目を細めていた。道ができた、と思ったのか便乗して名前の作った草木の道へ踏み込む選手が見受けられる。終盤とは言え後方に道を作るのは得策とは言えない。そう思ったのだが次の瞬間その選手は悲鳴を上げながら茂みから飛び出してきたのだ。それを見た相澤は何も言わず更に目を細めた。

「何何?イレイザーったら苗字が何してんのか分かっちゃってる感じ?」

声が放送に乗らないよう音声を切ってマイクは相澤を茶化す。

「お前だって粗方分かってるだろう」
「まあね!にしてもこんなことも出来るってとんでもねえなトップシークレットのあの個性!ブラドキングのところの生徒もやるじゃんって思っちゃった!?イレイザー先生よぉ!」
「うるさい。お前は実況に戻れ」

相澤はマイクを軽くあしらうと再び中継映像へ目を戻す。あれは恐らく地に足を着けた瞬間、地雷を内包する形で地中に生命を吹き込んでいるのだ。大地は地雷ごと変質し、その結果があの草木なのだろう。しかも草木には何かしら人避け対策が施されているらしい。そうすることで後方に道を作るのを防いでいる。

「苗字名前、か……」

実況を再開したマイクの隣で相澤はぼそりと少女の名前を呟いた。音声にも乗らない、ましてマイクの耳にも届かないくらい小さくくぐもった声色で。
その時ふいに中継映像がゴール付近の映像へ切り替わった。画面の中にはもう、観衆を強く惹き付けた少女の姿はない。競技場でモニターを見上げていた鉄哲が「あっオイ!」と声を上げた。

「なんでそこで切るんだよ!今メッチャいいところだっただろ!?苗字を見せろ!」
「名前がどうしたの?」

地団駄を踏む鉄哲に背後から声をかける者がいた。拳藤だ。

「お、拳藤か」
「拳藤さん、お疲れ様です」
「うん、お疲れ。鉄哲、茨」
「オメーいつゴールしたんだよ」
「たった今だよ。マイクの実況が聞こえてたけど名前何したの?」

鉄哲と塩崎は顔を見合わせた。

「実況のままだぜ。苗字の奴、あの地雷原を一直線に走ってやがった。それで会場も盛り上がったのにいきなり映像切り替わっちまったんだよ」

そう言って鉄哲が指差した先のモニターにはゴール付近の固定カメラの映像が流れている。ちょうど小大や鱗、庄田、小森などのB組メンバーが固まってゴールしているのが見受けられた。

「しかしあのペースで走ってきても物間さんが言っていた予選合格ラインに間に合うかどうか……」

祈るように塩崎がそう言う間にも鎌切、物間、角取がゴールラインを踏んだ。38位、39位……続々と選手がゴールするモニターを三人は固唾を飲んで見上げる。と、その時拳藤が声を張り上げた。

「来た!」

外へ続く通路の先に少女の影。やがて息を切らして競技場に戻ってきたその少女を待っていたのは大歓声の嵐だった。一位でもない自分に向けられる歓声の意味が分からずぼんやりする名前に彼女より一足早くゴールしていた物間が声をかける。

「ほんと君って無駄に目立つのが得意だよね」

しかしそんないつもの嫌味さえ耳に入らないくらい、名前は無事ゴールできたことに安堵していた。





「予選通過は上位43名。残念ながら落ちちゃった人も安心なさい。まだ見せ場は用意されてるわ」

第一種目の障害物競走、結果発表。ミッドナイトはそう告げると舌舐めずりをした。名前はボロボロになった自分の足を見下ろし浅く息を吐いた。身の縮む思いだった。自分がまさにその43位だったからだ。隣に立つ拳藤が「よかったな」と耳打ちしてきたので名前は小さく頷いた。
すぐさま次の競技の説明が始まる。ミッドナイトの背後に表示された次の種目「騎馬戦」の文字に名前はまた息を吐いた。駄目だ、と思ったのだ。そんな名前の胸中にシンクロするように斜め前に立っている上鳴が「騎馬戦……!?俺ダメなやつだァ……」とぼやいた。そう、名前も騎馬戦は駄目なのだ。何故なら騎馬戦は人に触れなければならない種目。そして名前は人に触れることができない……自分が騎馬を組むなど想像さえできないのだ。
更に追い討ちは続く。この騎馬戦の特殊ルールとして予選の順位に応じて各選手にポイントが与えられる。それを奪い合うという形式らしいが最下位の名前に与えられるポイントは……

「ゼロ……?」

0ポイントだった。こんな自分と組んでるくれる物好きなんているのだろうか、そんな不安が芽生えた名前の耳に更に衝撃的な言葉が入ってきた。

「予選通過1位の緑谷出久君、持ちポイント1千万!」

1千万。一人だけ規格外な数字だ。その場にいた誰もが一斉に緑谷を見た。もちろん名前も。そして小さく小さく息を呑む。視線の先にいる幼馴染みは重圧の下にあっても尚、闘争心をその身の内に燃やしているようだった。前を真っ直ぐ見据える目がそれを物語っていた。その姿に心を打たれる。名前は私もここで諦めてはいけないと自分を鼓舞した。

「それじゃこれから15分!チーム決めの交渉スタートよ!」

ミッドナイトの合図を聞き流しながらどうしたものかと宙を見つめた。競技に差し支えない範囲で名前が触れられる人間は限られている。この場では緑谷、爆豪、拳藤、鉄哲のみだ。爆豪は相手にされないだろうから除外するとして残る三人のいずれかが自分を受け入れてくれるかどうか……。脳みそをフル回転させて考える。持ちポイントを1千万持つ緑谷の場合、組む相手のポイント数はあまり関係ないかもしれない。それなら0ポイントの自分も、あるいは……、

「苗字!俺と組もうぜ!」

すっかり考え込んでいた名前は頭上から降ってきた大きな声によってハッと我に帰った。見上げるときっと目尻の釣り上がった三白眼が自分を見下ろしている。鉄哲だ。願ってもない申し出に名前はゆっくり瞬きした。

「……私でいいの?」

思わず口をついて出てしまったのはそんな弱気な言葉だ。自分の持ちポイントがゼロだから、というのもある。けれど名前にはそれよりも気がかりなことがあった。自分の個性だ。鉄哲は名前の個性を知る数少ない人間の一人だ。だからこそ不安だったのだ。触れるだけで命を奪えてしまう個性の持ち主と騎馬を組みたいだろうか、と。否、普通はそんな真似、避けるはずだ。騎馬戦なんてずっと人と触れ合っていなければならない競技に自分のような個性を持つ人間を投入するのは危険極まりないから。いくら名前自身、個性のコントロールができるとはいえ最悪の事態が絶対に起きないとは言いきれない。鉄哲だってそんなことは分かっているだろう。それなのに何故、自分に声をかけてきたのか、名前はそれが理解できなかった。そんな思いから出た言葉だったが、鉄哲はそんな名前の弱気な心など吹き飛ばしてしまうかのごとく力強く頷いた。

「いい、苗字がいいんだ!」
「……」

あまりにまっすぐな言葉、目、表情。それらに射抜かれ名前は数秒固まってしまった。そうして名前が何も言えずにいると鉄哲は更にこう続けた。

「もう声かける奴は決めてあんだよ。苗字、お前とあとは塩崎と骨抜だ。その二人がダメだったら泡瀬も候補だな」
「B組の予選上位の子ばかりだね」
「おう。俺は正々堂々と全力で勝負する奴と組みてえからな。だから物間の策には乗らなかったし俺と同じようにそうした奴に声かけてえ」
「……でもそれなら尚更、なんで私を?」

鉄哲の考えはとても彼らしかったし理解できた。しかしそれは最下位の自分を抜擢した理由にはならない。首を傾げる名前だが鉄哲はそんなの当たり前だろとでも言うように片目の瞼を持ち上げた。

「なんでってオメーは一生懸命だったろ。立ち止まったりはしてたけどよ、俺にはわざと順位落としたようには見えなかったからなァ」

名前はまた言葉を失った。彼の言葉に救われた気がしたからだ。少なくとも、必死に走った自分の姿をそう捉えてくれる人はいるのだと、そう思うと胸がいっぱいになる。「私でよければお願いします」と頭を下げると土埃にまみれボロボロになった自分の足が視界に入った。

「一緒に獲るぞ、一千万」

差し出された手を取って今度は大きく頷いた。