邂逅する花

最近なにやら出久は忙しそうだ。

授業中、名前はノートの隅に落書きをしながらそんなことを考えていた。ヘドロ事件の後頃からだろうか。緑谷は朝の登校を別々にするよう名前に頼んできた。二つ返事で「分かった」と言った名前に緑谷はホッと安堵しつつ「僕、本気で雄英を目指すから」と力のこもった目で改めて決意表明をしたのだ。名前は少し呆気にとられたが「うん、分かってる」と答えた。

「(雄英のヒーロー科……私も頑張らないと。そのためにも自分の個性にちゃんと向き合わなければいけない)」

自分の個性が、嫌いだ。使わなくて済むのなら、このまま一生、グローブを外すことなく個性を封じたまま生きていくつもりだった。ノートの隅に描いた落書きを黒で塗りつぶしていく。どうしてみんなは自分の個性を受け入れて、それを自分の一部として扱えているのに。何故私はこうも自分の個性を受け入れられない。名前の脳裏に緑谷の顔が浮かんだ。唯一の友人である彼にもこの話はしていない。「無個性」である彼にとって名前の悩みなど残酷なものであるに違いないから。

ちらりと窓の外へ目を向けると雲一つない青空とジリジリと肌を刺す太陽。最近聞こえてくるようになった蝉の声が夏の訪れを告げていた。





苗字名前はヒーローになりたい訳ではない。しかしヒーローに憧れていない訳でもない。例えばオールマイト。幼い頃から何かと衝突が多かった緑谷と爆豪だが彼の話をするときは揃って目を輝かせた。そんな二人を見ているのが好きだった。緑谷と爆豪を繋ぎとめてくれるオールマイトは間違いなく名前にとってヒーローだった。

「(でも、私は自信がない)」

緑谷出久という少年をずっとそばで見てきた。故に彼の本質を名前はよく理解していた。彼は困っている人、苦しんでいる人を放っておくことができない。どんなに怖くてもどんなに膝が震えても彼は救けを求める人の元へ走り手を差し伸べる。彼の本質はヒーローの本質だ。だから名前は緑谷がヒーローとなる未来を信じていた。そして自分には彼のようになれる自信がなかった。

「……それでも今は頑張るしかない」

放課後、夕暮れに包まれた美術室。太陽はもうすぐ完全に沈みきるだろう。そんな美術室の真ん中に名前は一人立っていた。向かいあうのはキャンバス。そこには花の絵が描かれている。改めて周囲に人の気配がないことを確認し個性無効化のグローブを手から外した。
心臓が激しく脈打つ。緊張していた。個性が発現して以来家の外でグローブを外したのは初めてだったからだ。
ゆっくり深呼吸し恐る恐るその手でキャンバスに触れる。すると一瞬でキャンバスが消え、たくさんの花びらが宙を舞った。突然現れたその花びら達はひらひらと踊りながら床に零れ落ちていく。

「……できた」

名前は花びらを一つ拾い上げまじまじと観察する。そして今度は自分の体調に変化がないか確認した。大丈夫、なんともない。まだいける。心の中で自分自身に納得させるようにそう呟いた。今まで自分の個性を封じてきた名前は自分の個性の上限を知らない。使いすぎると自身に不調をきたす個性もあると聞く。それを確認する必要があった。

「(とりあえず第一段階はクリアかな)」

ホッと胸を撫で下ろす。花びらで散らかしてしまった床の掃除をしようと思った矢先だった。突然背後で乱暴に扉が開く音がした。





数年ぶりに対峙した幼馴染みから微かに感じた花の香りがずっと鼻の奥に残っている。

爆豪勝己は舌打ちした。路地裏で彼に胸ぐらを掴まれている男子生徒はヒッと声にならない悲鳴を上げる。数分前、爆豪とこの男子生徒の周りには他数名の男子生徒がいたが彼らは既に爆豪に怯え逃げ出してしまった。

「テメェがなんで今こんな状況にあるか分かるか?」

男子生徒は心当たりがあるのか肯定も否定もせずただただ震えている。

「人のモンに手ェ出そうとしたからだろーが!モブはモブらしく地べた這いつくばってろ!」

爆豪が手を離す。尻餅をついた男子生徒はすぐに立ち上がると一目散に逃げて行った。また一つ舌打ちをすると爆豪は来た道を引き返し足早に学校へ向かう。たまたま通りかかったこの路地裏で先程の男子生徒達がしていた話が頭をよぎったからだ。

『最近苗字さん閉門時間ギリギリまで美術室に籠ってるらしいぜ。』
『マジ?美術室って教室から少し離れてるし俺ら数人で抑えこめば襲えんじゃね?』
『うち市立だし校内の見回り甘いもんな』
『しかも苗字さんほぼ無個性のようなモンだし抵抗できねぇだろ。』

苗字名前、彼女は学校で「高嶺の花」と呼ばれている。あまりにも特異な見た目に、普段は皆彼女を遠巻きに見ているだけで関わろうとはしない。が、たまにさっきのような奴らが現れるのだ。名前を花と例えるなら奴らはその甘い蜜に寄ってくる害虫だ。爆豪は中学に入ってすぐの頃そんな奴らを見つけ次第潰して回った。やがて「苗字名前に手を出そうとすれば爆豪が黙ってない」という認識が広まり名前に近づく者はほとんどいなくなったが当の本人の名前は緑谷以外との交流がないためそのことを知らない。

「名前の奴、こんな時間まで何してんだ……自分の見た目のこと分かってんのか……危機感なさすぎんだろ……!」

苛立ちがつい言葉になってこぼれる。ここ数年の間にたった一度しか言葉を交わしていない名前のもとへ向かってどうするのかなど考えていなかったが放っておくこともできなかった。

ああ、ムカつく。なんで俺がお前のためにこんなこと。意志のない人形のくせに。雄英受けるとかほざいてたけど、それもどうせテメェの意志じゃねえんだろ。個性が発現してからだ。少しずつあいつの顔から感情が消えていったのは。何かから逃げるように人と関わることをしなくなった。しかもタチが悪いことにあいつは自分の個性を明かさない。どんな個性か知らねえけど手にあんなもんつけて、それでお前の個性がなくなるわけじゃないだろうが。自分の個性と向き合わない限りあいつはずっと人間味の欠けた人形のままだ。

そう思いながら舌打ちした。爆豪は名前を嫌っている訳ではない。むしろ逆で幼い頃はいつも一緒にいた可憐なその少女に淡い恋心を抱いていたくらいだ。しかし歳を重ねるにつれてつるむ友人が変わってくると名前は緑谷と一緒にいることが多くなった。「なんで俺じゃなくてデクなんだよ」と憤りを覚えたが彼の高いプライドは自ら名前を求めることを許さなかった。名前の方から自分を選ばせたかったのだ。そうしているうちに二人の間には境界線が引かれてしまった。
あの時抱いていた恋心はこじれ、歪み、今やもう何なのか爆豪自身分からない。ただ彼女が他の誰かのものになってしまうのは我慢ならないと感じた。だから今、彼は境界線を越えようとしているのだ。

太陽はもう沈みかけている。学校についた爆豪は真っ直ぐ美術室へ向かった。近づいてきた美術室の扉を無遠慮に開け放つと名前がいた。ふわっとあの日と同じ花の香りが鼻腔を掠める。扉の方を振り返った彼女の表情は相変わらず無表情にしか見えないが爆豪には名前が驚きをその目に滲ませたのが分かった、誰より長く彼女を見てきたから分かるのだ。
そして名前の状況の不自然さに爆豪は眉根を寄せることとなる。美術室の真ん中で名前はキャンバスが乗っていないイーゼルに向き合うように立っており、その足元にはたくさんの花びらが散らばっている。更に爆豪は最大の不審な点に気付いた。名前が個性無効化のグローブを外していたのだ。

「あ?」

彼のよく響く声が美術室に転がった。