「あ?」
名前は予想だにしなかった人物の最悪なタイミングでの来訪に思考が追いつかない。なんでかっちゃんがこんなところに?何か美術室に用事があるのかとも考えたが爆豪と美術室なんて組み合わせがミスマッチすぎて余計に混乱した。
「何してんだテメェ」
爆豪が一歩、また一歩と大股で近づいてくる。個性無効化グローブを外していることにハッと気付いた名前は今近づかれるのはまずいと慌てて後退した。
「なんで逃げんだよ」
「別に逃げてるわけじゃ、」
「逃げてんじゃねーか!殺すぞ!」
「これは距離を取っているだけ」
そんな押し問答を繰り返し、壁際まで追い込まれてしまった名前をすぐ上から赤い目が見下ろしている。本当にこれ以上近づかれては困ると焦る名前に爆豪はフンと鼻を鳴らし踵を返した。
「触るなって言いてえんだろ。最初からそう言いやがれコミュ障」
その言葉で名前はずっと昔の記憶を思い起こした。それは彼女の個性が発現した次の日の出来事だった。
個性無効化のグローブをして幼稚園へやってきた名前を園児達は取り囲んだ。みんな興味津々といった表情で「名前ちゃんどんな個性が出たの?」と口々に問う。その中の一人だった爆豪は「強力な個性だったら将来俺のサイドキックにしてやってもいいぜ」なんて言っていた。しかし名前は暗い顔で園児達に向かってただ一言「近づかないで」と呟いた。名前の様子がおかしいことに気付いた爆豪は「どうしたんだよ?」と名前の肩を掴もうとする。すると今度は「触らないで!」と声を荒らげ名前は頭を抱えてその場に蹲った。
初めて名前と爆豪の間に亀裂が生まれた瞬間だった。
名前は個性が発現したあと訳あって人に触れることができなくなった。人に触れてしまうことが死ぬことと同じくらい怖くてたまらないことになってしまったのだ。
苦い記憶を思い起こしながら俯いていると目の前にずいっとグローブが差し出された。どうやら椅子に掛けておいたそれを取ってきてくれたらしい爆豪に驚いて顔を上げると、口をへの字に曲げたその顔が早く取れと催促するように眉間の皺を深くする。
「これあればちょっとはマシになんだろ?早くつけろ」
今日は彼に驚かされてばかりだ。事実今はグローブがあれば触れることは怖くても近付くことは平気になっていた。名前は戸惑いながらもそれを受け取る。彼のおかげであの時の記憶の苦さが薄れた気がして小さく小さく微笑んだ。
「ありがとう」
「うるせえ、死ね」
爆豪の罵言を意に介さず名前は続けて口を開く。
「それで、どうしたの」
「あ?」
「どうしてここへ来たの」
名前の問いに爆豪は舌打ちした。
「帰るぞ」
「え?」
「俺と帰れっつってんだよコミュ障が!殺すぞ!」
爆豪の剣幕に名前は何が何だか分からないまま頷いていた。
*
突然現れた爆豪に連れ出され帰路についた名前は隣をあの爆豪が歩いているという状況をまだいまいち呑み込めていなかった。私何かしただろうか。何か、こうなってしまった要因があるはずだ。考えあぐねるが答えは出ない。
太陽は完全に姿を隠しあたりは薄暗い。学校を出てお互い一言も話さないままもう住宅街に着いてしまった。名前はちらりと街灯の光に照らされた爆豪の横顔を見る。
「(何も聞いてこないのかな)」
てっきり美術室で何をしていたのか問いただされると思っていた名前は何も聞いてこない爆豪に拍子抜けしていた。いや、もしかしたらかっちゃんは私が個性の練習をしていたと気付いていてその上で何も聞いてこないのかもしれない。というか本当にこれはどういう風の吹き回しなのだろう。そんなことをぐるぐる考えていた名前はいつの間にか爆豪の家との分かれ道を通り過ぎていることに気付く。
「あれ?かっちゃん」
名前が立ち止まり爆豪に呼びかける。彼は「あ?」と言って振り返った。
「かっちゃんの家向こうだよ」
「んなこと分かってる」
「え?」
「どうせクソ近いんだから家まで送るっつってんだよ!理解しろ!」
確かにもう名前の家は目と鼻の先である。でも、だからこそ分かれ道で普通に別れてもよかったのではないかと思ってしまう。これくらいの距離送って貰わなくても大丈夫だ。
「……もしかしてかっちゃんのフリをしたヴィラン?」
「あ?」
爆豪は片手で小さな爆発を起こした。
「かっちゃんだった」
「ふざけんなよテメェまじで殺すぞ」
そう言いまた歩き始めた爆豪の背を追いかけて名前は彼の横に並んだ。あとほんの数十歩で家についてしまう。そう思うと少しだけ名残惜しく感じた。すると横から「おい」と声がかかる。名前が爆豪を見ると彼は前を向いたまま続けた。
「テメェ明日から日が沈む前に帰れ」
何故そんなことを言われなければならないのだろう。しかも日が沈む前って、小学生並の門限じゃないか。それに個性の練習をしたいのだ。それには校舎内に人が少なくなるまで待つ必要があった。しかし今は嘘でも了承しないと引き下がってくれない気がした名前は「分かった」と答える。
「じゃあ送ってくれてありがとう」
到着した家の前で名前が礼を言うと爆豪は無言で数秒名前を睨み付けたあと踵を返した。最後までよく分からなかった今日の彼の言動に名前は苦笑する。
「かっちゃん」
背中に向かってその名を呼ぶと彼は顔だけこちらを振り返った。
「私、本当は個性をコントロールできるんだ」
返事はしないものの続きを促すかのように片眉を上げた彼の表情を確認して更に続ける。
「このグローブは保険、本当に最悪の事態を起こさないためのもの。これを外せないのは私の心の弱さのせい」
顔だけをこちらに向けていた爆豪はいつの間にか体ごと振り返り名前との距離を少し空けた状態で向き合っていた。
「でもきっと克服して雄英を受けるから。それだけ。聞いてくれてありがとう」
「……デクは知ってんのか」
「個性の話?いや、人に話したのは初めてだけど」
何故ここでいきなり出久が出てくるのだろうと疑問に思いつつ名前がそう答えると爆豪はフンと鼻を鳴らし今度こそ踵を返した。そのとき名前には一瞬、彼が笑っているように見えた。