黄や赤に色付いていた葉ももうほとんどが地面に落ちてしまった。道を覆い隠すそれを踏むとパリパリ音が鳴る。その音を聞くともう秋が過ぎ去ろうとしていることが嫌でも分かった。
静かで清廉な朝の空気が好きだ。名前はすっかり日課となった早朝のランニングを終え家に帰ると目深に被っていた帽子を脱ぐ。庭の花たちに水をやってシャワーを浴びようと風呂場へ向かった。雄英を受けると決めてから始めたこのランニングも半年経って板についてきた。少しは体力、ついただろうか。決して運動能力が高いわけではない名前の不安は拭えなかったが、その不安こそが一層努力するための原動力となっていた。
最近は毎日、朝に体力作りのトレーニング。昼間は学校に行き夕方になると美術室をはじめ人がいない所を探し個性の練習。夜は家で筆記の勉強。脳と体を酷使していた。勉強はやれば出来る方だったため課題は運動能力と個性だった。
名前の、自分の個性へ対する評価は曖昧なものだった。強力かどうかは分からない。使い方次第で応用できる個性だと思ってはいる。
とにかくまずは家の外でも個性無効化グローブを外すことに抵抗をなくさなければならなかった。そのために学校や街中、人のいない場所、個性が使えそうな場所を探し個性を使った。個性の使用は公共の場所では原則禁止だからこっそりと。少しは抵抗もなくなってきた、気がする。
親馬鹿気味の名前の両親は「雄英のヒーロー科を受ける」と突然言い出した娘に対し驚きはしたが止めることはなかった。むしろ今まで淡々と生きてきた名前が熱心に受験勉強に励む姿を喜んでいるようだった。
「(出久は順調なのかな……)」
シャワーを浴びた後、食べ物を探して棚や冷蔵庫を漁っているとふと幼馴染みの顔が頭に浮かんだ。一緒に登校することをやめて以来、クラスが違うため顔を合わせることも格段に減ってしまい彼が今どうしているかは分からない。分かることは彼は夢を諦めていないということだけだ。それだけ分かれば十分だった。自分も彼について行くために努力するだけのことだ。
「(そういえば最近、個性を日常的に使うようになってから、お腹がすいてしょうがない。個性の影響なのかな)」
*
「あれ……」
思わず独り言が名前の口から漏れた。
今日は放課後寄り道をせず家に帰っていた。すると住宅街に着いたところで見知った後ろ姿を見つけたのだ。気崩した制服、所謂腰パンに色素の薄い髪色。話しかけるべきだろうか、少し迷った。話しかけても嫌な顔をされることは分かっていたから。
どんな風の吹き回しなのか爆豪が名前を家まで送ってくれた夏のあの日以来、彼と話すことはなかった。たまに校内ですれ違っても、挨拶くらいはしようと爆豪を見る名前を彼は話しかけるなと言わんばかりにすごい形相で睨み付けるのでそれは叶わなかった。
名前が迷っているうちに爆豪の背中が遠くなっていることに気付く。男の子は歩くの早いんだななんてぼんやり思った名前は小さな違和感に気付いた。
夏のあの日、隣を歩く爆豪の歩幅。そんなに早かっただろうか、いや何も感じなかった、ということはちょうどよかった。つまり爆豪が何も言わず名前に合わせてくれていたのだ。
それに気付いた瞬間、さっきまで迷っていたのが嘘のように名前は駆け足でその背中を追いかけていた。
暴言を吐いたり家まで送ってくれたり、噛み合わないその言動が意味することは名前にはまるで分からない。同じ幼馴染みでも緑谷のことは手に取るように分かるのに。爆豪の、自分の自尊心のために他人を貶めるような言動は好きにはなれないが彼の中にある確かな優しさに目を瞑ることもできないと名前は思った。
少しずつ狭まる距離。近づいてくる背中。あと少しというところで「かっちゃん」とその名を呼ぶと彼は振り返った。
「あ?」
名前を見て不機嫌そうに顔を顰める爆豪の正面まで来て足を止めた。彼女は自分から引き止めておいて何も言わない。ただじっとその赤い瞳を見つめた。
「んだよ!用があんなら言え!」
「えっと、別に用はないんだけど」
名前の言葉に爆豪は片眉を吊り上げた。表情や態度にこそ出さないようにしていたが爆豪は名前の方から、それもわざわざ自分を追いかけてまで話しかけてきたことに驚いていたのだ。その上特に用事もないと言う。疎遠になって以来初めて自分が名前に求められた気がして悪い気はしなかった。
「ああ!?用がねえなら引き止めんじゃねえ!つーか俺に気安く話しかけんなコミュ障が!」
しかし彼の凝り固まったみみっちいプライドは簡単に折れはしなかった。満更でもない素振りなんて見せられるはずもなく、拒絶の言葉を名前に投げつけることしかできない。そのまま彼女に背を向け先へ向かおうとした。
「あ、待って」
手が伸びてきた。グローブに包まれたその手は爆豪の制服の袖を掴む。今度は驚きを隠せない表情で彼は振り返った。あの名前が、人に触れ、触れられることを極端に拒絶する名前が自ら手を伸ばしてきたのだから。
名前自身、自分の行動に困惑していた。このままでは爆豪が行ってしまうと思ったのと同時に、ほぼ反射的に手を伸ばしていたのだ。掴んだのは制服であり直接触れている訳ではないが今までの自分には考えられない行動だった。
互いに言葉を失う。まるで時が止まったかのようにその数秒がとても長く感じられた。
「、ごめん」
名前が手を引っ込めようとすると間髪入れずに爆豪が彼女の手首を掴んだ。名前は大きく肩を揺らす。表情は強張り何かに怯えるような瞳で爆豪を見た。それでもその手を振り払おうとはせず「かっちゃん?」と困惑の声を漏らすだけだ。
爆豪は腹の底から何かがふつふつと湧き上がってくるような感覚を覚えた。名前と疎遠になってから欠けていた心の隙間が満たされていくようだ。それは承認欲求の類だろう。俺はコイツにこんなにも求められたかったのか、と長年名前に抱いていた感情の正体に気が付き、また蓋をした。
「嫌がんねェのかよ。今まで散々避けてきたくせによ」
グローブ越しでも彼の熱が伝わってくる。長年触れることのなかった確かな人の温もりに名前は困惑した。人から触れられることはまだ怖い。でも、この手を振り払えないのは何故だろう。
「……怖いけれど、かっちゃんなら、」
名前は爆豪の目を真っ直ぐに見て続けた。手を振り払えない理由は分からないけれど、それならそれで自分が今思っていることを言ってしまえばいい。
「君ならいいや」
そう言って小さくぎこちなく微笑む。わざと意地の悪い問いかけをした爆豪は予想外の切り返しに動揺しパッと名前の手を解放した。
その目が嫌いだ。自己中心的で傍若無人な爆豪は昔から周りを振り回すことはあっても振り回されるなんてことはなかった、ただ一人名前を除いては。幼い頃から名前を相手にするときだけはどうも上手くいかない。何を考えているのかまるで読めないその顔でじっと見つめられるとどうしたらいいのか分からなくなるのだ。爆豪はその目に逆らえない、名前はずるい。その目は、ずるい。
「クソが……ッ!なんで俺がお前なんかに……!」
耳まで赤くして歯ぎしりし、よく分からない言葉を吐いた爆豪に彼の地雷を踏み抜いてしまったのかもしれないと名前は一歩退いた。それじゃあ、と言って別れようとも思ったが帰る方向が同じなのにそれも不自然だ。
「方向同じだし途中まで一緒に帰らない?」
駄目元でそう聞いた名前に爆豪は舌打ちをしずかずか歩き始めた。それを彼なりの承認だと捉えた名前は彼の半歩斜め後ろを歩く。それから分かれ道まで互いに口を聞くことはなかったが爆豪の歩幅が狭まっていることに名前は気付いていた。