昼下がり、庭で花に水をやっていると玄関でチャイムが鳴り、数十秒後、母親から家に入るよう呼ばれた。今日か明日、雄英の合否通知が届く。分かっていた事だけれどいざそれを目の前にするとその封筒は実際の質量以上の重みを伴って名前の手にのしかかってきた。
神妙な面持ちで名前を見守る母親に「とりあえず一人で見たい」と告げて自室に向かう。
頭の中では試験終了後の、緑谷の暗い顔がぐるぐる渦巻いていた。あのとき「0Pだった」と静かに告げた彼にかける言葉が見つからず「そっか」と素っ気なく返してしまった自分に嫌気がさした。静かに扉を閉めそのまま床にへなへなと座り込む。深く息を吸って吐いて、恐る恐る封を切った。中から出てきた円形の物体を手に取るとそれは突然発光した。
『私が来た!!!!!』
「オールマイト?」映し出された映像に疑問符を浮かべた名前に構うことなくホログラムのオールマイトは『ウン!とてもいいリアクション、ありがとう!』と相手が相当驚いたと想定したのだろう台詞を投げかけてきた。しかし当の名前は残念なことにほぼノーリアクションだ。出久だったら悲鳴を上げて天井を突っ切る勢いで驚くんだろうなと名前はぼんやり考える。今年から雄英に教師として勤めることになった旨を伝えた後、オールマイトは言った。
『さて、まずは合格おめでとう!苗字名前さん』
「え」
オールマイトは今何と言っただろう。正直自分の実技入試の手応えなど分からなかったのだ。息の仕方さえ忘れそうになった名前に構うことなくホログラムのオールマイトは続ける。
『敵Pが36PにレスキューPは35P!実にバランスの取れた優秀な得点だ!君は素晴らしいヒーローになれるぞ!』
レスキューポイント。その言葉で自分のことなど意識の外へ飛んでいった。そんな審査項目があったなんて。彼の説明を聞くや否や名前は部屋を飛び出した。階段を降りかけた所で慌てて部屋に引き返すと制服を引っ掴んで身にまとい合格通知をポケットに入れまた部屋を飛び出した。
驚く母に「受かったよ、とりあえず話は後で」とだけ伝えて玄関に走る。転がるように家の外へ出た名前は真っ直ぐに緑谷の住む団地へ向かって走った。会ってもし彼が落ちていたら、なんて想定は頭になく確信めいたものが名前を突き動かしていた。
緑谷の家まで走って三分もかからない。いつもの公園を通り過ぎるともう目と鼻の先だ。極力音を立てずに階段を駆け上がりその扉の前まで来た。インターフォンを押すと中から出てきたのは涙目になった緑谷の母親だ。
「おばさん、突然すみません、あの、」
「ああ名前ちゃん……!いいのよ、分かってるわ。いま出久を呼んでくるから」
涙目ながらも安心しきった顔で笑う彼女に名前は確信した。
「えっ、名前ちゃん!?」
母親に呼ばれて奥から出てきた緑谷も同じくさっきまで泣いていたのだろう、目が濡れていた。彼は突然の名前の訪問に驚いたがその意図をすぐに理解したようで表情を緩めた。
「名前ちゃん、あのね、僕、受かったよ。」
「良かった。おめでとう」
私も受かったよと続けながら名前も微笑んだ。お互いにおめでとう、ありがとうと言葉を交わす。
「今から学校に報告行くよね?一緒に行こう」
「ああ、それで制服なんだね。待ってて、僕も着替えてくるから!」
「分かった」
「それにしても名前ちゃん、合格通知も持って制服で僕の所に来るなんて、まるで僕が受かってること知ってたみたいだね」
そう疑問を投げかける緑谷に名前は一呼吸置いて「レスキューポイントなら、って思った」と答えたのだった。
*
「いやあ、まさかウチの中学から雄英進学者が三人も出るとは」
緑谷と爆豪の担任が締りのない表情でそう言った。国内最難関と言われるあの雄英に何の変哲もない平凡な市立中学から一気に三人も合格者が出たのだから当然の反応だろう。
「(最悪のタイミングだったな、まさかかっちゃんも報告に来てるなんて)」
右隣から殺気のような気配を感じる。名前の隣に立つ爆豪の機嫌がすこぶる悪いのは一目瞭然だった。彼は緑谷と名前が雄英に合格するなんて微塵も思わなかったのだろう。
「特に緑谷は奇跡中の奇跡だな」
先生のその言葉で右隣から感じる殺気が一層強くなった。右を見れば爆豪が鬼の形相で名前と緑谷を睨みつけ、左を見れば緑谷が完全に萎縮して直立不動になっているであろうことは想像に難くなかった。名前は自分の上履きを見つめながら面倒な事になったなあと心の中で呟く。
「おいテメェらツラ貸せ」
職員室を出た途端機嫌の悪さを全く隠さず低い声でそう言った爆豪に緑谷と名前は「かっちゃんのことだからそう出るだろうと思った」「私も」とアイコンタクトを交わす。半分諦めながら二人は不機嫌な背中について行った。道中緑谷が「もしかっちゃんが僕に何かしてきても止めようとしなくていいから。名前ちゃんは自分の身を守って」と爆豪に聞こえないよう名前に耳打ちした。「でも、」と言いかけた名前を「お願い」と緑谷は遮る。信念のような何かをその目に感じた名前は「分かった」と頷いた。
校舎裏まで来ると爆豪は突然振り返り緑谷の胸ぐらを掴む、そして乱暴に校舎の壁へ叩きつけた。名前は二人に駆け寄ろうとする足を抑え込み、数歩後ろで様子を伺う。
なんでテメェが受かるんだとか、他行けって言っただろうがとか、自己中心的な発言を繰り返す爆豪。
すると緑谷が爆豪の腕を掴んだ。爆豪が息を呑む。次に紡がれた緑谷の言葉に名前も目を見開いた。
「言ってもらったんだ、君はヒーローになれるって」
ああそうか、と名前は見開いた目を細める。「ヒーローになれる」と、名前でも言えなかったその言葉を出久に贈ってくれた人がいたのか、と。その人のその言葉がきっと出久を支えていたのだ、と。そう思うと自分の不甲斐なさに情けなくなった。
名前と同じく緑谷の剣幕に圧倒された爆豪が歯ぎしりする。そして振り返り、怒りの矛先を名前に向けた。
「テメェもだぞ!」
慌てて「かっちゃんダメだよ!」と爆豪を止めようとする緑谷を振り払うと彼は名前に近付き肩を掴んだ。容赦ない力の強さに痛みを感じ名前は顔を歪める。
「雄英に受かるくらい強力な個性持ってたのかよ。それ隠して今までずっと俺やデクを心の中で馬鹿にしてたのか?いいご身分だなあ?」
その言葉は名前にとってナイフも同然だった。
「んだよ、その目は」
爆豪の声が震えた。名前は何も言わず、ただただ目の前の赤い瞳を見つめる。その顔は一見いつもの無表情だが緑谷も爆豪も気付いていた、名前が初めて怒りという感情を見せていることに。
「黙ってねえで何か言いてえことがあんなら言えよ!殺すぞ!」
「流石に怒った」
「ハァ?テメェが俺の神経逆撫ですんのが悪いンだろうが!そもそもテメェが今まで個性隠してなきゃ俺もこんなにキレてねえンだよ!」
「確かに元はと言えば個性のこと隠してきた私が悪いけどそれでも言っていいことと悪いことがある」
「ま、ま、待って二人共、落ち着いて!」
緑谷が二人の間に割って入ると爆豪は忌々しげに緑谷と名前を睨み付け舌打ちした。
「二人して俺に反抗しやがって」
その言葉を置き去りにして爆豪は帰って行った。緑谷はホッと溜息をつき名前は遠ざかる背中に向かって「かっちゃんの馬鹿」と呟いた。緑谷は不安げに名前を見つめ「大丈夫?」と声をかける。
「私、心の中で二人を馬鹿になんてしてなかった」
「うん、分かってるよ」
「出久のことは本当に応援していたし、かっちゃんのことは善し悪しはともかくすごい人だと思ってた」
「うん」
名前はそれきり押し黙った。沈黙が続く。「帰ろっか」と緑谷が切り出すと名前は小さく頷いた。
「あっ言い忘れてた!」
「何を?」
「名前ちゃん、高校でもよろしくね」
そう言って照れたように笑う緑谷につられて名前も微笑む。「こちらこそ、またよろしく」と言って爆豪のことを頭の隅に追いやった。もうかっちゃんのことなんて知らないんだから、と胸の中で一人拗ねてみると心が少し軽くなった。
歩き始めた二人の間を柔らかな風が吹き抜ける。新しい春はもうすぐそこだ。