君は春を纏う

「出久、そのネクタイなんか変」

いつもの公園の前で待ち合わせた名前に緑谷は開口一番そう言われた。雄英高校の制服を身に纏った緑谷のネクタイは何やらもっさりしている。

「いやあ、どうやっても何故かこうなるんだ……」
「ちょっと貸して」

そう言って緑谷のネクタイを結び直し始めた名前の手には個性無効化のグローブがはめられている。ち、近いよ!と焦りながら緑谷は「ヒーロー科に進学してもグローブは外さないんだな」と思った。
名前の個性について、名前自身は何も語らない。緑谷が聞こうとしてもはぐらかされてしまうし、彼女の個性は謎に包まれている。気になるけれど何か事情があるようだし無理に聞くのはよそうと緑谷は頭を振った。

「このネクタイおかしい……」
「ね、何故かこうなるんだ。というか名前ちゃん、昔は人に触れることを怖がってたけど今はもう平気なんだね」
「最近グローブがあれば平気になったんだ」

緑谷のネクタイを結び直すことを諦めた名前は「早く行こう」と言って歩き始めた。柔らかな春風を巻き込んで揺れる後ろ髪が真新しい制服の上を行ったり来たりする。そんな彼女の姿を見て緑谷はハッと気付いたことを口にした。

「名前ちゃん雄英の制服すっごく似合ってるよ!」
「ありがとう」

名前が微笑む。普段は無表情な名前の、ほんの些細な表情の変化。その微笑みは冬をも融かす。君は春の匂いがする。

「名前ちゃんの季節だね」
「私の季節?どういうこと?」
「名前ちゃんって、なんだか春っぽいって思って」
「なにそれ」

冬じゃなくて?と言う名前に春だよと答える緑谷。きっと君は自分の表情が冷たいことを気にして冬だなんて言うんだろうけど、やっぱり春だよ。だってその微笑みはどこか暖かい。君は心ない人形なんかじゃないんだよ。緑谷は、春の空気を纏いまた春に攫われそうな儚い少女に心の中でそう語りかけた。

「今日帰れたら一緒に帰ろう」とか「クラス離れたのは残念だったね」とか何気ない話をしながら駅に向かう。市街地に出てくるにつれて緑谷は周囲の視線が気になり始めた。雄英の制服を着ているというだけでもかなり目立つのに隣を歩く幼馴染みの目立ちようといったらない。平凡な街の雰囲気には不釣り合いな、まるで絵画の世界の儚い少女が現実になったかのような耽美な目鼻立ちに加え、そこにいるだけで目を引く存在感。春風に踊る髪も不思議な光を灯した瞳も綺麗だ。すれ違う人が振り返るのも頷ける。

「(たまに思うけど僕なんでこんな子と幼馴染みなんだろ……)」

名前本人は自分の見た目のことを鼻にかけるどころか忌々しげに「母のせい」と言っているし快く思っていないのだろう。だからしょうがない。それは分かっているのだが名前と歩いていると自然と隣にいる緑谷にも視線が集まるのが問題だった。それも「あの子の隣にいる地味目の男は誰?どんな関係?」といった居心地の悪い視線。学校に近づいてくるにつれそれは顕著になる。

「視線がつらい……」
「ごめん、私の母のせいで……」

学校の最寄り駅に着いた時には二人揃ってげんなりしていた。中学では名前と緑谷と爆豪が幼馴染みであることは周知の事実だったため一緒にいてここまで視線を集めることはなかった。新しい環境だとそうもいかないのは当然だ。入学初日からこれだと先が思いやられると思った名前は緑谷にある提案をする。

「しばらくの間は一緒に登下校するの控えようか」
「う、うん。僕それだとすごく助かる……あっいや名前ちゃんと一緒にいるのが嫌とかではなくて!」
「分かってるよ」

それに出久が新しい学校で新しい人間関係を築くの、邪魔しちゃ悪いし、と名前は苦く笑った。あくまで自分は人と関わる気がないとも取れる口ぶりだ。

「(名前ちゃん、中学までのこと気にしてるよね……)」

高嶺の花と呼ばれ、勝手に線引きされ、孤独だったその少女に緑谷はどんな言葉をかけるべきか考えあぐねた。きっと名前だってそれが本望ではないだろう。彼女はみんなが思っている以上に普通の女の子だ。幼馴染みだからこそ外見や性格関係なしに緑谷はそう理解出来ていた。

「名前ちゃん、一歩踏み出してみようよ。今まで自分から人に関わることってなかったでしょ?君が思っている以上に人間は単純なんだ。一歩を踏み出せば相手もそれに応えてくれるかもしれない。」

名前は緑谷を見て数回瞬きをした。そして珍しくフフッと表情を崩すと「頑張るよ」と微笑んだ。

「出久も私以外の女の子とまともに話せないのなんとかした方がいい」
「そ、それは、その、無理かも」

冗談めかして笑い合う。そうこうしてるうちに学校に到着した。視線に耐えながら広い校舎を二人でさまようとヒーロー科の教室らしき所へたどり着く。ヒーロー科そのものの人数が少ないためか他の科の階に比べて廊下は静かで人の影も見当たらない。
「1-A」と書かれた扉の前で「じゃあまたね」と別れの挨拶をした。この隣の教室が名前が在籍することになる「1-B」の教室のようだ。名前は緑谷と別れて更に廊下を進む。B組の扉の前に立つと一度ゆっくり息を吸ってまた吐いた。扉に手をかけ横に引く。教室の中を見渡すと席はほとんど生徒で埋まっていた。時間に余裕を持ったつもりだったけれどかなりギリギリの登校だったようだ。初日にも関わらずなかなか賑わっている室内の様子に名前は息を呑む。

意を決して教室に足を踏み入れると話し声や笑い声が次々に消え、その代わりにクラスメイトの視線が肌に突き刺さる。居心地の悪さを感じた名前はとりあえず早く席につこうと黒板に貼ってある座席表に目を通す。廊下側の端、いちばん後ろ。自分の名前を見つけると指定された席に向かい腰かけた。

「(はあ、胃に穴が空きそう)」

小さく小さく溜息をつき、教室に入ってからずっと俯き気味だった顔を上げるとバチッと目の前の双眼と目が合った。名前の前の席に座る少女が体ごと振り返り食い入るように名前を見ていたのだ。目が合っても尚彼女は目を逸らさずに名前の瞳を覗き込む。

『一歩踏み出してみようよ』

緑谷の言葉が頭をよぎる。思えば彼の言う通り、名前は今まで自分から他人に関わることをしてこなかった。孤独だった原因は見た目だけでなく名前の性格にもあるのだ。

「えっと、おはよう」

名前から声をかけるとサイドテールが特徴的なその少女はニカッと朗らかな笑顔を見せた。その笑顔に心が跳ねる。

「おはよう!君、苗字さんだろ」
「なんで知ってるの」
「座席表で名前見たから。後ろの席の子どんな子だろうなって待ってたら君が来たから驚いたよ。君が苗字さんだったんだな」

その言葉に首を傾げるとサイドテールの彼女は白い歯を見せて笑う。

「覚えてないだろうけど君と私、同じ実技入試の会場だったんだよ」
「……ごめん、覚えてない」
「いやいや、私が勝手に覚えてただけだからな。というかあの会場にいた人はみんな君のこと覚えてんじゃないかなあ、目立ってたし。だから君が教室に入ってきた時、あのときの子だ!ってびっくりしたんだよ。しかも後ろの席だしさ」

名前は試験会場でも目立っていたという事実に軽くショックを受けながら似たようなことをその試験会場でも言われたなと思い出した。

「まあこれも縁だし仲良くしてほしいな。あ、私は拳藤一佳っていうんだ」
「こちらこそ。よろしく、拳藤さん」
「一佳でいいよ。苗字さんは?名前なんていうの?」

座席表には苗字しか書かれていなかったことを思い出しながら「名前。苗字名前」と答えると拳藤はうんうん、と頷いた。

「名前ね、よろしく!」
「よろしく、い、一佳」

同世代の女の子を名前で呼ぶのは初めてで、名前は思わず口ごもってしまった。顔に熱が集まってくるのが分かり恥ずかしさで視線を机に落とす。でも私、一歩を踏み出せたよ、出久。

「どうかした?」
「私、女の子を名前で呼んだの、初めてで、」

名前がそう言って拳藤を見上げると彼女はぽかんと口を開き数秒名前を見つめた。

「ね、ね、今のもっかいして」
「今のってどれ」
「一佳って呼んで上目遣いで見上げて」

拳藤の不可解な言葉に名前は頭上に疑問符を浮かべ眉根を寄せた。「どういう意味」と少し棘を含ませた語気で問うと拳藤は「あちゃーやっぱダメか!さっきの表情すごい可愛かったんだけどなあ」と笑った。この快活な少女が近い未来、唯一無二の親友と呼べる存在になることをこの時の名前はまだ知らない。