或る少女の憧憬
実は父がヒーローだ。
と言っても万人がヒーローと聞いて連想するオールマイトのようなそれではない。私の父は前線で戦うようなヒーローではないのだ。警察などの公共機関が個性を公的に使うことを禁止されている代わりにヒーローが存在する。言い換えれば公的に個性を使うことが出来る役職、それがヒーローなのだ。そして父の仕事はヴィラン関連の未解決事件現場に赴き遺留品を『サイコメトリー』で解析すること。父が個性で得ることができる情報は捜査において非常に有益だ。ぶっちゃけ事件の捜査に限定すればチートな個性だと思う。そこに残された記憶をありのままに覗き見ることができるのだから。難解事件をいとも簡単に解決した実績も多くある。そういった訳で父は世間的には無名だがヒーロー界隈では腕の立つヒーローとして名を知られている。
そんな父に憧れヒーローを志すのは至極当然と言えるだろう。
そう、私も幼い頃はヒーローに憧れていた。むしろヒーローに憧れない子供なんて珍しいと思う。個性が発現したときは自分も父のようになれるのだと喜んだものだ。しかし私は母の個性も受け継いでいた。それが何を意味するのか、小学生にもなると理解することができた。私は、父のようなヒーローになることはできない。何故なら私が個性で得ることができる情報は第三者にとって信憑性に欠けるからだ。物体に残った記憶だけでなく感情をも共有してしまう私の個性。例えばヴィランが残した物に触れたらヴィランに同情してしまう。それはまずい。捜査の役になんて立てない。だから、まあ、それに気づいたときはそれなりにショックだった。父の個性のみを受け継ぎヒーローを目指している弟が羨ましかった。でも脳天気な私はしょうがないか〜なんて、割りとすんなり諦めて。最近ではそんな昔の話すっかり忘れてた。夢なんてなくて漠然と学校に行って友達と笑ってただ時間を消化するような毎日。それなのにあの時の懐かしい気持ちを、幼き日のヒーローへの憧れを、よく思い出すようになったのは切島くんと知り合ったからだろうか。
そういえば切島くんってどんな個性なんだろう。
バリバリの戦闘系かな?朝聞いた話だと雄英の入試は戦闘向きだったらしい。それを突破したんだからたぶんそうなんだろう。目を閉じて瞼の裏に切島くんの姿を思い浮かべる。制服姿しか見たことがないけれど、体はすごく鍛えられていたような。昨日だか一昨日だか、ここ最近の記憶を思い起こす。瞼の裏の切島くんは「今日も暑いな〜」と爽やかに笑って制服の袖をまくった。そこからのびる逞しい腕が吊革を掴む。それだけの仕草に私の心臓は何故か鼓動を早めた。電車はガタゴトと揺れる。蒸し暑い車内。手に持った傘が先端から雫を落とし床に小さな水溜まりを作っていた。
ゆっくり瞼を持ち上げる。見慣れた学校の机が目に入った。学校でも切島くんのこと考えてるなんて、どうかしてるよなあ。でもしょうがないと思う。彼と知り合って二週間近くたったけど今だ正体不明のあのドキドキは切島くんと会う度に私を襲ってくるのだから。
「名前何ぼーっとしてんの?次移動教室だよ」
「え?まじで?ちょっと待って今行く!」
最近いつもこんな調子だ。友人が訝しげな視線を向けてくるけれど気付かないフリをする。切島くんのことは絶対話してなるものか。
*
「寝坊した……!」
目覚まし時計の針は信じたくない数字を指していた。待って、いつも家を出てる五分前とか嘘だよね。覚醒しきらない頭のまま制服に袖を通すと階段を降りて洗面台に駆け込み顔を洗った。うわ、こんな日に限って寝癖ついてる。昨日好きな作家の新刊を夜遅くまで読みふけっていたから寝坊したんだろう。おかげで髪だけじゃなく顔も酷い。自業自得だ。身支度を整えると荷物を取りに自室へ戻る。適当に本棚から文庫本を取り出して鞄へ押し込んだ。
「うわあ、今日も雨」
傘を広げて雨に飲み込まれた街を走る。あまりの静かさにローファーが濡れた地面を蹴る音と少し荒い自分の息遣いが余計耳に響く気がした。漸く駅が見えてきたところで時計を見る。
「間に合った……」
呼吸を整えながら足の速さを緩めた。そこでふと我に返る。私、なんでこんなに急いでたんだろう。だってそうだ。いつもなら少し寝坊したくらいで走って駅に行くことはない。この時間帯ならまだ人は少ないし一つ電車を逃したところで差し支えがないからだ。それなのに急いで、必死に走ってここに来た理由は。
切島くん?
そう思った瞬間ガッと顔に熱が集まったのが分かった。切島くんに会いたいからなんて、そんな理由?本当に?でも自分の中の冷静な私がそう答えを出してしまったからたぶん、そうなのだろう。やだな、馬鹿だな、私。だって切島くんとこの時間の電車って約束してる訳じゃないのに。会ったら話そうってだけの約束なのに。元々習慣で乗っていた電車に切島くんがまるで私に合わせてくれたかのように毎日現れるから。いつもの電車に乗れば切島くんに会えるなんて思い込みが生まれてしまったんだろう。熱を持ったままの顔を少し伏せながら歩き改札をくぐった。歩いていると無意識のうちに寝癖がついていたところを手で梳いていることに気付いてギョッとする。これも今から切島くんに会えるっていう考えからの行動だろう。乙女かよ。頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られる。なんだか私が私じゃないみたいだ。あーもう!
「おはよ苗字!」
「切島くん、おはよう」
乗り込んだ電車にはやっぱり切島くんがいていつも通り笑いかけてくる。私もいつも通りに戻らなきゃ。だからその眩しい笑顔をこっちに向けるのやめて欲しいな。視線を泳がせながら無意識に寝癖があったところへ右手を持ち上げた。
「今日も雨だな」
「だね。梅雨だもん」
「……早く明けねえかなあ」
天気の話なんて場を繋げるためのベタな会話を繰り広げる。恐る恐る顔を上げて切島くんを見れば彼もさっきの私のように目を泳がせていた。あれ?いつも通りだと思ったけれど、なんだか今日は切島くんもよそよそしいような気が……なんだろ。私何かしたかな。急に不安になって手すりを掴む左手にギュッと力を込めた。
「なんか苗字、顔色悪くねえか?」
切島くんが泳がせていた目を私の方に向け数秒固まった後にそう言った。ああ、やっぱりそう見えるか……。
「……実はあんまり寝てなくて。三時くらいまで起きてた」
「はあ!?何してたんだよ!?」
「本読んでたんだ」
「本……?あー、前は電車でも読んでたもんな。やっぱ好きなん?」
「うん。唯一趣味って呼べるものかなあ」
「でもちゃんと寝なきゃダメだろ」
「あはは、気を付けまーす」
あ、なんかいつもの調子に戻ってきた気がする。妙な胸のドキドキはやっぱり付き纏うけれど最近はこれにも慣れてきたのだ。切島くんは「頼むぞマジで」と冗談めかして笑うとこう続けた。
「本ってどんなの読むんだ?」
「ジャンルはけっこうなんでも読むけど、」
「けど?」
言い淀む私に切島くんが首を傾げる。弟や友人達に「似合わない」と笑われる趣味の話をしていいのか、私は迷っていた。「笑わない?」と尋ねてみる。切島くんは私が何を言ってるか分からないと言いたげな顔で、でもはっきりこう言った。
「何をかは分かんねえけど人の好きなものを否定したりはしねえぞ」
実に彼らしいその言葉に、胸につっかえていたものが流されるようだった。そうだよね、切島くんはこういう人だ。自然と自分の表情が和らいだのが分かった。
「切島くんのそういうところすごく好きだ」
「えっ、あ?お、おう」
焦りと気恥ずかしさを露わにした切島くんの目が右へ左へ泳ぐ。そんな彼の様子を見て漸く自分がどれだけ恥ずかしいことを口にしたか気付いた。いや、今の言葉に他意はないというか!純粋に思ったことを言っただけで!うわあほんと無理なんで私少し気を抜くと考えなしに発言しちゃうんだろう。失言生産機だ。これは後で一人反省会案件だ。カァァと熱が顔に昇ってくるのを感じながらもとりあえず強引に話を進めるしかない、と私は口を開いた。
「ジャンルは問わずなんでも読むけど特に明治とか昭和あたりの純文学が好きなんだ」
「へえ。すげえな、笑うわけねえじゃん」
「いや友達とか弟からは『似合わない』って馬鹿にされるから」
「なんで?詳しくねえけど昔の純文学ってあれだろ、教科書に載ってるような文豪たちが書いたやつ。苗字にはむしろ似合うと思うけど」
「その、私の性格に似つかわしくないっていうか」
「あーそれは、なるほどな」
「ちょっと納得しないでよ!そこはフォローしてくれないんだね!?」
切島くんはおかしそうに笑う。笑わないって言ったくせに。まあ私の趣味に対してじゃなくて、私の態度に笑ってるだけだろうから言ったことは守ってるのか。そう思うと悪い気はしなくて、なんだか変な気持ちだ。
「あー、あのさ、苗字」
ひとしきり笑ったあと切島くんは急に神妙な面持ちになると私の名前を呼んだ。「何?」と首を傾げる。なかなか口を開かない切島くんにそういえば昨日の別れ際も何か言いたげだったなと思い出した。どうしたんだろう。じっと彼を見つめると正面から視線がぶつかった。一瞬目を逸らされたけど彼は何かを決心したようにギュッと口を引き結び再び真っ直ぐに私を見た。
「苗字の連絡先、知りてえんだけど」
「えっ」
唐突な要望に理解が追いつかずに固まる。連絡先?なんで?正直なところ学校も違うし事務連絡もない、切島くんと連絡先を交換する必要性は全くない。それでも聞いてきたってことは、どういうことだろう、なんて。いや本当は分かってる。でも認めたくない。認めてしまったらただでさえ熱いこの顔から火が出てしまいそう。
「あー……、だめかな」
固まって返事をしない私に切島くんはそう言った。そんな追い縋るような目で見ないでほしい、勘違いしそうになるから。友人を通して軽ーく連絡先を聞いてくる野郎もいるのに、切島くんは真剣そのもので。聞く前に躊躇っていたのも迷っていたのも真剣に悩んでくれた証拠で。そんな実直な人に駄目だなんて言えるわけがない。断る理由もない。でもやっぱりその目をこっちに向けるのはやめて欲しいな。俯いて消え入りそうなくらい小さな声で「いいよ」と答えると一呼吸置いて「マジで……!?」と声が返ってきた。ああたぶん今、彼はあの眩しい笑顔をこっちに向けてるんだろうな。なんとなく気配で分かる。顔を上げると切島くんはいつもの眩しい笑顔というよりは周りにお花が飛んでそうな柔らかな笑みを浮かべていて思わず心臓が跳ねた。すごく、嬉しそう。切島くん、そんなふうに笑えるんだ……
「えっと、これでいいか?」
「うん、ちょっと待ってね」
緑基調の某SNSトークアプリを見せてきた切島くんに頷いて自分もポケットから携帯を取り出した。
「どうする?QRコード?」
「あれしよう、振るやつ」
「あっ俺それで追加したことねえ」
「簡単だよ。隣で同時に携帯振るだけ」
切島くんの横に回り込んで設定画面に誘導するため「ここタップして」と指示を出す。うっかり切島くんの携帯に触ってしまわないように気をつけながら。触るとまた勝手に個性使っちゃうかもしれないし。「これ?」と聞き返してくる彼に頷く。自分から近づいておいてなんだけど狭まった距離にドキドキした。
「じゃあせーので振ろう。行くよ、せーの!」
「お!すげえ!出てきた!」
「苗字ってこれだよな?」と画面を見せてくる切島くんの指の先には『苗字名前』と私の名前が表示されている。名前の隣の『追加』というボタンを押せば登録完了だ。「うん」と頷いて自分の携帯に目を落とすとそこには『切島鋭児郎』と表示されている。そ、そういえば私切島くんの名前知らなかったな……。鋭児郎、か。すごく切島くんっぽい名前だと思う。名は体を表すってこういうことなのかも。
「あっ、やべえ着いた」
「えっ!?早!」
いつの間にか雄英前に着いていて驚く。「あっという間だったな」と切島くんが私の言葉に頷いた。電車を降りながら彼は私の方へ振り返ると「これ、サンキュな」と携帯を指さす。
「ううん、こちらこそ。じゃあまたね」
「おう、またな」
扉が閉まる。その背中を見送る間もなく電車はまた動き出した。一人になった私は短く息をついて再び携帯の画面へ目を落とす。家族以外で異性の連絡先が携帯に並ぶのは初めてだなあ。なんか、変な感じ。
電車内に残った微かな雨の匂い。それをゆっくり吸って吐き出して、手で髪を梳いた。