結び目を固く


苗字と知り合ってもうすぐ二週間経つ。あれからも結局俺は毎日苗字に時間を合わせて電車に乗った。朝は電車で顔を合わせて話すのが当たり前になりつつある。そんな俺にとって幸せこの上ない今日この頃だが、苗字と話すようになって初めて迎えた先週の土曜日。その味気なさといったらなかった。土曜日、苗字は電車にいない。知り合う前からそうだった。俺は土曜も学校があるけど苗字は恐らく平日だけなのだろう。

窓の外には鉛色の空が広がり右から左へ目まぐるしく風景が流れていく。今まさしく俺の目の前にいる苗字は目を丸くした。

「えっ雄英って土曜日も授業あるの?」
「ヒーロー科だけな」
「ひえ〜っやっぱエリートは違うなあ」

嫌味ではなく苗字は純粋に尊敬の眼差しを向けてくるから少し照れくさい。俺はクラスでも勉強できる方じゃねえしエリートって呼ばれるのはなんか違うんだけどな。

「苗字こそ勉強出来そうじゃん」
「いやあ、私全然だよ。エスカレーター式で高校受験なかったから真面目に勉強してないし」
「でも中学で受験したんだろ?俺の周りで中学受験してた奴は大体みんな頭良かった気がするんだけど」
「それは偏見!特にうちの学校は見かけだけの自称お嬢様学校だから」

「私も親の方針で受験させられただけだもん」と言って苗字は短い溜め息をついた。伏せた目を縁取る黒い睫毛一本一本が束となり白い肌に影を落としている。前から思ってたけど苗字は目を伏せると長い睫毛が一層際立つ。だから苗字の表情の変化はどんなに些細なものでも色っぽく、目が離せない。

「切島くんは?雄英のヒーロー科の入試ってどんな感じなの?」
「あっ俺?」

突然話を振られて我に返った。やっべ、ぼーっと苗字の顔見てた。ちょっと見すぎたかもしんねえ。内心焦りまくる俺をよそに苗字は不思議そうに俺の顔を覗き込んで追いうちをかけてくる。

「雄英はフツーに筆記試験と実技試験だよ。ヒーロー科なら大体どこの学校もこんなもんだろ」
「実技試験って具体的にどんなことしたの?」

妙に入試の話に食いついてくる苗字。確かに雄英のヒーロー科の入試は苗字みたいに高校受験をしなかった奴にとっては物珍しいのかもしれない。

「市街地を模したでっけえ会場に案内されて、そこで仮想敵を倒してポイントを競うって入試だったぜ」
「仮想敵?」
「名前そのまんま、仮想のヴィラン。ロボットだな」
「へえ、ゴリゴリの戦闘系だね」

苗字はそう言ったあと明後日の方向へ目をやりながら独り言のように「じゃああいつ駄目じゃん」と呟いた。あいつ?誰だ?少し雑な口ぶりからして親しい人物なんだろうか。気になる……男だったらと思うと余計に。腹を括って「あいつって?」と聞いてみた。苗字は笑って「なんでもないよ、こっちの話」と答える。はぐらかされた……!いや、ここで引いたら絶対この後モヤモヤしちまう。踏ん張れ、頑張って聞き出すんだ切島鋭児郎……!

「なんだよ、気になるだろ」
「あ〜……それもそうだね」

苗字は眉を下げて困ったように笑った。それから「すごいつまんない身の上話なんだけどね、」と続ける。やっぱ苗字と親しい人の話っぽい。もし男だったら。怖い、聞きたいけど聞きたくねえ。ゴクリと唾を飲み込んだ。

「弟が今年受験生なんだ」
「……弟」

一気に脱力した。心の中で「はーーーー……」と溜め息をつく。よかった……男には違いねえけど家族なら。そうか、苗字弟いるのか。確かに上がいるってよりは弟や妹がいそうだ。

「弟ヒーロー科志望で。でも頭は良いけど個性が戦闘向きじゃないから実技試験が戦闘系のとこは駄目だなあ」
「あ〜なるほど。そういうことか」

苗字の話を聞いてある人物を思い起こした。体育祭本戦で緑谷と戦った普通科の生徒。確か名前は、心操。「洗脳」っていうとんでもない個性を持っていながら入試では形式上その個性を生かせず普通科に進学した人物だ。

「雄英の入試制度ならもしかしたら来年から見直されるかもしれねえぞ」
「えっ!そうなの?」
「精神に作用する系統の個性を持った普通科の生徒がいてさ。すげえ個性なんだけど雄英の入試には不向きでヒーロー科には受かんなかったんだって。でもそれが体育祭で明るみに出たから、何か変わるかもしれねえ。俺の担任も『雄英の入試は非合理的だ』って言ってたし」
「おお!精神系!弟と一緒だ!」

パッと笑顔を咲かせた苗字。「今日帰ったら教えてやろうっと」と柔らかく笑うその表情を見る限り、弟と仲いいんだろうなって思う。しかも受験生ってことは年子で歳近いんだよな。ちょっと羨ましいかも。あー……好きな子の弟に嫉妬するなんて俺こんなに女々しかったっけ。

「苗字は弟思いなんだな」
「げ、やめてよ、すごい仲悪いんだから。男女の年子って最悪だよ。毎日喧嘩が絶えないもん」
「でも喧嘩するほど仲がいいって言うだろ。それ照れ隠しなんじゃねえ?」
「違うってばもー!」

俺は思わず笑ってしまった。だってからかわれて反抗する苗字めちゃくちゃかわいい。こういう会話をできるようになったのは割りと打ち解けてきた証拠だと思うしすげえ嬉しい。まああんまやりすぎると嫌われそうだから程々にしねえとな。現に「なんで笑うの!ひどい!」って苗字が俺を睨んでるけど全然怖くねえし寧ろそういう表情もかわいいし、これが恋は盲目ってやつなんだろうか。

「わりーわりー」
「絶対悪いって思ってない!」
「ごめんな?」
「う……これが弟だったらシャイニングウィザードをその顔面に食らわせるところだけど切島くんはいい人だから許します」
「待ってなんで苗字シャイニングウィザード知ってんの!?」

プロレス技じゃねえか!いやまあ有名な技ではあるけどどう考えても女子高生が普段使う言葉じゃねえだろ。

「漫画で読んだんだ」
「なるほどな……」

へらへら能天気に笑ってそう言った苗字。正直、知り合う前と後では苗字の印象はガラリと変わった。俺が一目惚れした大和撫子ってイメージは完全に崩れ落ちてしまったけど、それでも変わらず苗字が好きだ。寧ろ前以上に、苗字と話せば話すほど自分の気持ちが加速していくことに気づいている。俺が思ってたよりずっと苗字はたくさんの表情を持っていた。コロコロ変わるその表情を見ていたいし、まだ知らない苗字のことをもっと知りたい。さっき苗字は「つまらない身の上話だけど」なんて言っていたけどそんなことねえ。それでいいんだ。そうやって苗字のこと少しずつ知っていきたい。だって俺と苗字の繋がりは朝の電車だけで俺は電車の中での彼女しか知らないのだから。情けないことに連絡先はおろか名前さえまだ知らない。

「苗字さ、」
「何?」

電車のアナウンスが次の駅は雄英前だと告げる。やばい、もう着いちまう。焦る俺の気持ちを置いてって電車はどんどん進んでいく。首を傾げる苗字。聞きたいことが喉でつっかえて出てこない。上鳴の言葉が頭をよぎる。「その子に男がいたらどうすんだよ」「連絡先くらい知っとかねえとアプローチできないだろ」分かってる。分かってるけどやっぱ簡単に聞けねえよ。

「切島くん?」
「やっぱなんでもねえ」
「えー!何、気になるよ」

窓の外、流れていく景色が遅くなっていく。やがて完全に止まると俺は逃げるように「じゃあまたな!」と言って扉の外へ転がり出た。背後から「あ!逃げた!」と声が聞こえる。十数歩進んだところで振り返るとまだこっちを見ていた苗字と目が合った。それだけで心臓が跳ねるのに目が合った途端苗字がふわっと微笑んで「また明日」と口を動かすから生きた心地がしなかった。苗字は本当にずるい。大和撫子っていう第一印象は崩れたのに、たまにああやってそれを思い起こさせる顔をするから俺はそれに弱い。とりあえず動揺を隠すように苗字に向かって大きく手を振った。



相変わらず空は重苦しい鉛色で今にも雨が降り出しそうだ。雄英までのゆるやかな坂を登りながらはあ、と短い溜め息をつく。毎日毎日、今日こそはと思いながらもなかなか踏み出せない。自分の不甲斐なさに嫌気がさしていた。教室に着くまでに気持ち切り替えねえとな。

「ん?そういえば、」

ふと思い当たることがあった。苗字は弟の個性を精神系だと言っていた。ということは苗字の個性もそうなのだろうか。確か前聞いた話だと個性のせいで人の負の感情に影響されやすい、とか。改めて考えるとそれってどういうことなんだ?まさか、人の心を読むみたいな個性じゃないよな。可能性としては有り得ないことはない。違ってもそういう系統の似た個性かもしれない。うわ、なんでこれもっと早く気付かなかったんだ俺。もしそうなら俺の気持ちバレてたりして。はは、やばいじゃん。いや笑い事じゃねえ。

昇降口で靴箱から上履きを取り出す。それを足元へ放り投げると乾いた音が静かな校内に響いた。

冷や汗が首を伝う。まだ予測の範疇を出ちゃいないが可能性がある限り焦るのもしょうがねえと思う。もしそうなら前苗字に個性を聞いた時「それは内緒!」って言われたことも腑に落ちてしまうし。俺明日どんな顔して苗字に会えばいいんだよ。あー、上鳴が学校来たら相談してえけど「また連絡先聞けなかったのかよ〜」って言われるだろうし少し憂鬱だ。それに教室ではできるだけ浮ついた話をしたくない。何故って芦戸にこの手の話がバレたら面倒なことになるからだ。あいつ中学ん時から人の色恋沙汰に目がなかったし。

「はー……どうすっかなあ」

つい口をついて出た独り言が虚しく廊下に響く。なんかあれこれ考えるのに疲れてきた。こういうの柄じゃねえよな。登校してくる生徒が増えるまで自主練で思いっ切り体動かして気持ちを切り替えよう、うん、それがいい。そう決めれば教室へ向かう足は自然と早く、軽くなっていた。