邂逅する雨、雷


改札をくぐりホームへ出る。期末試験が近づいているのもあって放課後恒例のだらだら喋る会は開催されず私は帰路についていた。いつものメンバーに電車通学の子はいないため一人だ。私の学校は少し変わっていて中学も高校も学生寮がありそこから通ってきている子もいる。全寮制ではないが利用している生徒は多く、私も中学の時は寮に入って埼玉に住む家族と離れて暮らしていた。というかむしろ心配性な母が私をどうしても女子校に行かせたかったらしく寮目当てで私をこの学校に入れたと言ってもいい。高校に上がったのと同時に父親がヒーローの活動拠点をこっちに移したいとのことでまた家族と暮らすことになったのだけれど。

「(そういえば、あのまま寮生活を続けていたら切島くんと知り合うこともなかったんだな)」

個性の件があって人混みが苦手な私には電車通学は酷だろうと母親は高校に上がっても寮生活を続けることを勧めたが私は家族と一緒に住むことを選んだ。あの選択がなければ切島くんと知り合えなかったのかと思うと胸のあたりがひゅっと冷えた。

「(ってなんでまた切島くんのこと考えてんだろ……!)」

ホームに立って電車を待ちながら自分の気持ちを誤魔化すように鞄の中をごそごそ漁った。お目当ての文庫本を取り出すとページを捲る。しばらくそうして活字に縋っていたけれど気付けば同じ文を何度も繰り返し目で追っていた。文字がだんだん意味を成さない記号の集まりに見えてくる。だめだ、内容が全然頭に入ってこない。頭の中は今朝の切島くんとのやり取りのことでいっぱいで、それ以外の新たな情報を脳が勝手に弾き返しているようだった。

「(まだ今朝のこと引きずってるんだな私……情けないなあ)」

やって来た電車に乗り込み小さく溜め息をついた。ここ一週間くらい、まともに切島くんの目を見て話せなくなっていたけれど今日は特にそれが露骨だった。原因は自分で分かっている。昨日悶々と悩んだ結果見てしまった雄英体育祭。手の中の液晶画面上で動く切島くんをとてもかっこいいと思った。戦う姿そのものがかっこいいのもあるけど、何よりひたむきにヒーローを目指すその姿勢がかっこよかった。夢も目標もない自分にはそんな切島くんの姿が眩しくてたまらなかったのだ。そして今日、本人を前にするとこっそり体育祭を見てしまった気恥ずかしさがうわっと押し寄せてきて顔を向けられなかった。そして後になってあの態度はあからさますぎた、と頭を抱える始末。だってあんな態度取られたら気分が良いわけない。そういった経緯で今日は一日中、脳内にて一人反省会が催されていた。

「(切島くんが浮かない顔してたのは気がかりだけど……)」

いつも救けられてばかりだから私も何か切島くんの力になりたいと、話を聞くくらいなら出来るかもと、そう思ったのだけれど切島くんからは気にしなくていいと言われてしまった。彼曰く当然のことをしているだけだから、とのことだ。ここまでくるともう切島くんのいい人っぷりに頭が上がらない。
電車は次の駅に向けて徐々に速度を落としていく。今度こそ本に集中するべく吊り革を掴んでいる方とは反対側の手でパラパラとページを捲っていると自分の手首にぶら下がっている髪ゴムが目に付いた。今日は体育もないのになんとなく朝から結んできて結局学校に着くと解いてしまった後ろ髪。

「(……一人で舞い上がって馬鹿みたいだな)」

本当は気付いていた。なんとなくなんかじゃない。私はきっと切島くんに見てほしくて髪を結んできた。というのも昨日、体育のために髪を結んできたら切島くんが驚いていたから。男の子はこういうのには無頓着だと勝手に思っていたけれど案外そうでもないのかななんて考えが今朝の身支度のときに頭をよぎって髪ゴムを手に取ってしまった。自意識過剰だなって恥ずかしくなって結局学校で解いてしまったけれど。

「(もうすぐテストなのに違うことばかり考えて……こんなんじゃだめだ。なんとかしないと)」

頭の中から切島くんを追い出さないと生活に支障が出てしまいそうだ。そのとき車内アナウンスが雄英高校前駅への到着を告げた。そういえば帰りにばったり切島くんに会ったことってないなあ。……っていかんいかん、言ったそばからまた切島くんのこと考えてるじゃん!だめだだめだ!煩悩よ去れ!本に集中させて!

「おい切島?どうした?」

どうした?じゃないよ。今その切島くんを必死に忘れようとしてるところで……って、え?
声につられて顔を上げると雄英の制服が目に入った。どうやら隣に雄英生がいるようで更に奥へ目を向けるとちょうどこちらへ向けられた三白眼と視線が交錯した。切島くんだ。びっくりしすぎて呆然としていると彼はいつものようにニカッと人懐っこい笑顔を見せ私に向かって軽く手を挙げた。体の内側で心臓がぎゅっと音を立てる。咄嗟に私も笑顔を返したけれど上手く笑えてない気がする。

「えっ何、誰に挨拶したん?」

そんな声がすぐ横から降ってきた。あ、そっか、さっきの声もこの人か。切島くんの友達かな?そう思って振り向いたその人の顔を見上げれば私の口から「えっ」という声が転がり落ちた。驚いたのは向こうも同じだったらしく私の顔を見るや否や「あ!」と声を上げる。

「お前苗字?苗字だろ!?うわすっげえ久しぶり!」
「か、上鳴電気……!」

なんでお前がここにいるんだとかなんで雄英の制服着てるんだとか言いたいことは色々あるけど、記憶の中のあの少年より随分大人びた目の前のこいつが上鳴電気だということに一目で気付いてしまった自分に嫌気がさした。きっと嫌悪感を丸出しにしてしまっている私に構うことなく楽しそうに上鳴は口を開く。

「マジで久しぶりじゃね?卒業以来?」
「はは……そうだね」
「てか苗字切島と知り合いなん?……あ」

自分から疑問を投げかけておいて何かに気付いたらしい上鳴はゆっくり切島くんを振り返った。二人が何やら目配せしたように見えたけどなんなんだろう。

「俺の落し物を苗字が届けてくれたことがあってそれで知り合ったんだよ。それからはなんつーか……成り行きで朝話すようになったっていうか……、な?」
「う、うん」

同意を求めてきた切島くんにコクコクと頷いた。切島くんの言葉を選ぶような話し方で気付いてしまったのだけれど私達の関係は言葉にするのが難しい。落し物をきっかけに学校が違うにも関わらずいっしょに登校するようになったってよく考えたらすごいことだ。「成り行き」と濁した切島くんの判断はきっと正しい。上鳴は「へ〜!なるほどな〜!」と相槌を打つと「あ!」とまた何かに思い当たったようなそぶりを見せた。

「落し物届けたって苗字なら納得だわ!お前の個性あれだもんな。名前なんつったっけ、ほら、サイコなんとかみたいな」
「わーーー!?」

ちょっと上鳴電気!?人が隠してることあっさり暴露しないでもらえます!?そんな気持ちを込めて奴の言葉を遮ったのだけれど上鳴は突然変な声あげてどうしたんだこいつ……みたいな顔でこっちを見てくる。切島くんに至ってはきょとんとしている。しまった、女子校で培ったリアクション芸をまた電車で出してしまった。いやでも周囲の迷惑になるような声量ではなかったしセーフ……っていやそうじゃなくて!

「切島くん、ちょっと上鳴借りるね」
「?おう」

相変わらず状況が読み込めていない切島くんに背を向けると彼に聞こえないよう上鳴を引っ張ってきて小声で耳打ちした。

「切島くんに私の個性を話したら命はないものと思って」
「は!?なんでだよ」
「いいから!」

強引に話を押し通し切島くんに向き直った。「ごめんね」と謝れば「もういいのか?」と聞き返してくる切島くんに私の良心が痛む。自分だけ会話から外されてきっと気分の良いものではないだろうになんていい人なんだ。私もほんとはこんなことしたくなかったんだけど急がないと上鳴が喋ってしまいそうだったから咄嗟に他の方法を考えられなかった。隣の上鳴は不服そうに「なんなんだよ〜」とぼやいている。

「てか俺は上鳴と苗字が知り合いだったってことにめちゃくちゃ驚いてんだけど」

切島くんが不思議そうにそう言うのも最もだろう。私だって上鳴が雄英に通ってて切島くんと親しいだなんて思わなかった。頭の隅でそんなことを考えながら重い口を開く。

「小学校が同じだっただけだよ」
「マジかよ!すげえ偶然だな!」
「苗字が中学受験しなかったら中学も同じはずだったんだけどな〜。実際お前の弟とは委員会で仲良くなって今でも連絡取り合ってるし俺」
「え?」

なんだそれ初耳だ。そう思った瞬間弟が「知り合いが出ているから」という理由で雄英体育祭を見ていたことを思い出した。あれってもしかして上鳴のことだったのかな。うわ、何この点と点が繋がった感じ……なんであの時に私は上鳴の存在に気付けなかったんだろう。いや、あの時だけじゃなくて昨日だって雄英体育祭見てたのに。

「ていうかなんで上鳴が雄英に受かってるの……絶対頭良くないでしょ」
「ひどくね?さっきから薄々感じてたけど苗字俺への当たりきついよな!?」

態度に出てしまっていることは謝るけどそれは仕方ない。だってこの上鳴電気という男は私の男嫌いの元凶なのだから。小学生のとき、私が恋に恋するきっかけとなった出来事。クラスメイトの女の子が意中の男の子へ想いを綴った手紙。それを受け取り私に見せてきた男の子こそが上鳴だったのだ。浮かれてしまう気持ちは分からないこともないけれど個性によってその女の子に同調していた私は人の感情を軽んずるその行動が許せなかった。上鳴のことはなんだかんだいい奴だと思ってはいる。どんな環境でも楽しい雰囲気を作ることができる、所謂ムードメーカーでありそれは誰にでもできることではない。ただその分行動が軽率なきらいがあるのだ。当時は軽いとかチャラいとか、そういうものが分からなかったけど今は上鳴がそういう人だと分かるし、やっぱり私はそういう軽さが好きになれなかった。端的に言えば上鳴とは相性が悪いのだ。一方的に。

「ごめんね」
「一ミリも悪いとは思ってなさそうな謝罪だな。まあいいや」
「いいのかよ」
「それより俺、苗字に聞きてーことあんだけど」
「何?」
「ズバリ!得意な教科は!?」
「え?勉強の話?」

いきなり何を聞いてくるのかと思えば勉強の話らしい。雄英もそろそろ期末テストがあるのかな。そう思いながら頭をひねる。

「国語……?」
「なんで疑問形なんだよ。そこは自信持ってくれ」
「だって消去法で国語が残ったって感じだし……ていうか何なのそんなこと聞いてきて」
「いや〜今後の参考にしようと思って!な!切島!」
「お、おう……!?」

切島くん力強く頷いてるけど絶対なんなのか分からないまま頷いてるよこれ。今後の参考って上鳴が何を企んでるのか知らないけど切島くんを巻き込むのはやめてあげてほしい。いい人なんだから。上鳴にジト目をお見舞いしたけど全く効いてない様子で次から次に色々なことを聞いてくる。挙げ句の果てに「あ、連絡先教えてくんね?」なんて言うものだから「嫌!」と突っぱねてしまった。そういう軽いところが無理なんだって!やだな、切島くんの前でこんな態度悪いところ見せたくないのに。

「つれねーなあ。じゃあお前の弟経由で聞いとくわ」
「駄目だってば……!」

なんかもうこいつの相手するの疲れてきた……切島くんだけならよかったのに。溜め息をつくと同時に車内アナウンスが私の最寄り駅への到着を告げた。やっとだ……!そう思って手に持ったままだった文庫本を鞄へ仕舞う。

「じゃあ切島くんまたね」
「待って俺は?俺もいるんだけど?」
「おう!また明日な。気を付けて帰れよ」
「ありがとう」
「無視かよ!ひでえ!」

ここまで露骨に無視するのは流石に酷いかなと思って扉の前で一度振り返り「バイバイ」と小さく手を振った。腑抜けた顔でポカンと口を開く上鳴を尻目にローファーを鳴らして駅のホームに降り立つと夏の匂いが鼻を突き抜ける。「またなー!」と背中に投げかけられた声に「上鳴とはもう『また』がないことを祈るよ」と苦笑した。