恋に恋してる
五年前、私がまだ小学生だった頃。当時隣の席だった男の子が同じクラスの女の子からラブレターを貰った。そこまではいいのだが、何故か彼はそれを自慢げに私に見せてきた。あまりに軽薄なその態度に「やめなよ、それを書いた子の気持ちを考えなよ」と押し返そうと手紙に触れた瞬間、それに込められた彼女の想いが溢れて記憶と共に私の中に流れ込んできた。意図せず個性を発動させてしまったのだ。彼女の想いはとても真っ直ぐで、暖かくて、苦しくて、甘くて、切なくて。そのとき初めてそれが恋という感情だということを知った。エンパスによってそれと同調してしまった私は彼女の代わりにボロボロ涙を落としながら彼に訴えた。「なんで他人にそんな大事な手紙を見せようとするの」「あの子の気持ちにちゃんと向き合ってあげてよ」「あの子は君のこと、本当に本当に……」
それから先はあまり覚えていないけど、確かなことが一つある。
あの時からずっと、私は恋に恋してる。
あんな感情を私は知らなかった。それからもいまだ一度もあれと同じものを抱いたことがない。あれは私の感情ではないし、あのとき零した涙も私のものではなく彼女のものだ。でもいつか、自分の中にもあんな気持ちが芽生えたら。そんな日をずっと夢見てる。きっとこの話を友人達にしたら夢見がちすぎるって笑われるだろう。それでも憧れずにはいられないのだ。初めての恋は彼女のように真っ直ぐで美しいものでありますように。
*
「あれ?名前今日帰んの?」
放課後、荷物をまとめていると友人から声がかかった。最近は昨日のように放課後は毎日教室で駄弁っていたから今日もそのつもりだと思われていたんだろう。
「落し物届けに行くから今日はパス」
「落し物?」
友人の目が光る。次に開いた口から男?という言葉が飛び出したから私は思わず吹き出した。男に飢えたハイエナって表現、我ながら的を得ていると思うよ。君たち男の気配を察知する能力高すぎ。
「そうだねー、男の子だったねー」
「何?アンタまた個性で物に残った記憶見ちゃったわけ?」
「そうそう。勝手に他人の記憶見ちゃった後ろめたさすごくてさ、せめて届けてあげようと思って」
友人はニヤニヤ笑うと「頑張りなよ、どうだったか明日聞かせて」と言って送り出してくれた。どうだったって何?どうもないと思うけど。駅に向かいながら疑問符を頭上に浮かべる。というか急がないと。雄英高校の終業時間がどれくらいか分からないけれど、エリート校だからうちの学校よりは遅いはず。初めて雄英高校前駅で降りて改札口付近で待つことにした。少なくとも昨日は同じ電車に乗ってたわけだし本当は今朝、電車で会えたらそこで渡せばよかったんだけどよりによって今日は今学期初めて寝坊した。タイミングの悪さよ……おかげで今朝は満員電車の中通学することになりエンパスが発動しないよう必死だった。
「(あ、雄英の制服だ)」
スマホをいじって暇つぶしをしつつ待っているとちらほら雄英の制服を見かけるようになってきた。もう少しかな。目当ての人物を頭の中に思い浮かべる。赤く尖った髪が特徴的な男の子。名前は確か切島くん。少し記憶を見ただけでもクラスの賑やかし担当って感じがした。あれ?私ちゃんと話しかけられるかな、今更だけど。だって男の子との接し方が分からない。いつも友人に連れられてナンパされに行くときは「名前は喋ったら残念なのバレるから絶対口を開かないで」と言われているし。いやこれ改めて考えると酷い言われようだな。まあ私はナンパ男なんて雀の涙ほども興味無い上あくまで友人のためだから話しかけられても一言二言話してあとは素っ気なくしている。でも今の状況って逆じゃない?私から話しかけなきゃいけないし、いや落し物届けるだけなんだけど、でも。悶々と悩み始めた私の視界の端に赤がチラついた。ハッと顔を上げると腕時計の記憶で見たまんまの彼が改札の前で足を止め駅の遺失物窓口の方を眺めている。あれ絶対この腕時計探してるんじゃん!いやもう、行くしかない。ここまで来たんだから、パッと渡してパッと帰ろう。意を決して一歩踏み出した。こちらに背を向けている彼の背後に近付いてその肩を叩く。
「は……?」
振り向いた三白眼が私を捉えると、彼は乾いた声をこぼした。驚きに満ちた表情でそのまま固まってしまった彼に首を傾ける。「あの、」と声をかければ彼は何事もなかったかのように表情を崩して「あー、スマン、何?」と言ったので特に気にはとめず私は腕時計を手渡した。私の手より一回り大きな無骨な手がそれを受け取る。彼は見ず知らずの、全く接点のない人間から失くした物を届けられたことにとても驚いているようだった。まあ、それが普通の反応だよなあ。私だって逆の立場だったらきっと驚いた。だから私は嘘をついた。「友達に物の持ち主を探せる個性の子がいたから」と。だって本当のことを言ったら嫌な気分にさせてしまうと思う。自分の知らない所で自分の知らない人間から勝手に記憶と感情を盗み見られてたなんて、気持ち悪いじゃん。知らぬが仏ってやつだよ。
「お前めっちゃいい奴だな」
「いやいや、元はと言えば私が悪いし」
いい奴なんかじゃないよ。ごめんね。だって私は君に嘘をついている。
「いや、これ大事なモンでさ。もう見つからないかと思ったからマジで助かった。ありがとな!」
そう言って彼は笑った。記憶で見たのと同じ、人懐こく爽やかな笑顔に不覚にも心が跳ねた。なんでこんなに心臓がドキドキしてるんだろう、おかしいな。それを誤魔化すように私も少し微笑んで、それじゃあと改札の向こうに消えようとしたけれど彼にそれを阻まれた。お礼をさせてほしいと言う彼に断りを入れたけどどうしても、と引いてくれそうな気配がない。律儀でいい人だなあ。
「お礼って例えば?」
「あー、何かおごるとか?」
「何でもいいの?」
「おう!なんでもいいぜ!」
「じゃあたこ焼き食べたい!」
失言した。彼の「え?」という顔を見てそう気づいた。こ、これかあ。「口を開けば残念なのがバレるから」と友人が言っていたのはこういうところだったのか。客観的に見てみると確かに、初対面の人にいきなりたこ焼きをたかる女子高生なんて嫌だ。というか意地でも引くべきだった、お礼をされるほどのことはしていないのだから。でももう既に引くに引けなくなっていて、彼の横を歩き駅中の商店街にあるというたこ焼き屋さんに向かっているところだ。できるだけ猫をかぶっているけれどもうあまり意味はないかもしれない。
歩いている間の沈黙が気まずくて余計断ればよかったと後悔した。何か喋った方がいいのかな、とも思うけど何を話したらいいか分からないし何より口を開けばまた失言してしまいそうで怖い。
「あのさ、」
「ハ、ハイ!」
突然横から声をかけられて思わず声が上ずってしまった。もうだめだ……挙動が不審すぎる。でも彼は私の失態をまるで気にしてないようで「あ、驚かせた?ごめんな」と笑った。いい人だなあ……!
「名前聞いてもいいか?」
「名前?えっと……苗字っていいます」
改めて名乗るのはなんだか気恥ずかしくてローファーの先を見つめながらそう答えた。隣からは「苗字か!その、なんだ、よろしくな!」と返ってくる。きっとまたあの人懐こい笑顔をこちらに向けているだろう。
「そういう君は、切島くん」
「えっなんで知ってんの!?」
「へへ、内緒」
へらっと笑って彼に顔を向けた。どうやら私は少しでも気を抜くと素が出てしまうらしい。今のは馴れ馴れしかったなとすぐに思い直したが、彼を見ると顔を赤くして口元を手で覆い明後日の方向を見ていた。え、その反応って。
「ど、どうしたの?」
「いや、なんでもねえ……」
絶対なんでもないことないと思ったけどあえてそれ以上聞かなかった。いや、聞けなかった。