夢か現か幻か
あまりの急展開にいまだに実感が湧かないけれど今俺の隣には確かに電車のあの子がいる。昨日まで全く接点なんてなかったんだから、駅のちょっとしたショッピング街のベンチに二人で並んで座っているこの状況だってよく出来た夢か何かなんじゃねえかって思ってしまう。
チラッと彼女を横目で盗み見ると幸せそうにたこ焼きを頬張っていた。電車での物憂げな表情の彼女しか知らなかった俺はもちろんそんな幸せそうな顔をする彼女を見るのは初めてでつい見惚れてしまう。ひとつひとつが大きめのたこ焼きにも関わらず一口でパクッと口に入れてしまう彼女の豪快な食べっぷりに意外だと驚きつつも目が離せない。決して口が大きい訳ではないから小さな口でモグモグと咀嚼するその様子がなんだか一生懸命に見えて微笑ましい、小動物みてえだ。って何凝視しちゃってるんだ俺!女子の口元、それも食べ物食べてる時の口元をガン見するなんて良くないよな、うん、良くない。うわー、なんか俺キモくない?大丈夫?
慌てて彼女から視線を外す。しかしもう遅かったらしく俺が見ていたことに気づいた彼女が「あの、」と声をかけてきた。やばい、どんなこと言われるんだろ。見てたことの言い訳を考えながら「ん?」と彼女の方に顔を向ける。
「少し食べる?」
「いやいや、俺はいいよ。苗字が全部食べて」
どうやら俺がガン見してたことを俺もたこ焼きを食べたがってるのかも、と勘違いしたらしい彼女に安堵した。変な事を考えてたんじゃないか、とか思われなかったようだ、よかった。しかし胸をなでおろす俺とは裏腹に彼女は残念そうに眉を下げる。
「そう?なんか私ばっかり申し訳ないんだよなあ」
「礼なんだから気にしなくていいんだって」
「うーん、でも……あ、そうだ!」
何かを思いついたように彼女は突然立ち上がった。そして「私飲み物買ってくるよ、切島くん何がいい?」と俺を振り返る。
「それなら俺が、」
「ダメ!切島くんは座ってて!私が買ってくるの!」
それなら俺が買いに行く、と立ち上がろうとしたが彼女の剣幕に押されてそれは叶わなかった。「それで、何がいいの?」と再び問う彼女に「……コーラ」と答えると彼女は満足そうに笑って「じゃあ買ってくるね!待ってて」と駆けていく。その背中を眺めながら俺は「はーーー……」と長い溜息をついた。彼女と一緒にいることでずっと気を張り詰めていたから、それが一気に解けたのだ。
ここへ来る途中、さり気なく名前を聞いた。彼女は苗字というらしい。できれば苗字だけじゃなくて名前も知りたかったけど彼女は苗字しか名乗らなかったから追求するのも変かと思ってやめておいた。苗字を知れただけで充分だ。そして驚くことに彼女ーー苗字は俺の名前を知っていた。「切島くん」と彼女の口から俺の名が紡がれる度に夢みたいで浮き足立つ。なんで俺の名前を知ってるのかと聞いたとき「へへ、内緒」と微笑んだ苗字に意味がわからないくらい動揺して照れて、にやけそうになる口を手で隠してしまった。あの態度はまずかったと思う、俺が苗字に好意を寄せてることを勘づかれてもおかしくない。でも苗字もずるくないか?なんだよ、内緒って。完全に気を許したような笑顔も俺が知らない表情だった。あんなの、敵うわけない。
「でもほんとになんで俺の名前知ってたんだろ……」
いちばんの疑問が独り言となって漏れた。可能性が高いのは雄英体育祭だ。テレビでも放送されるあの一大イベントが終わってからまだ一ヶ月も経ってない。俺は予選を通過して本戦にも進んだし、どっちかというと知名度は高いほうだ。苗字があれを見ていて俺を覚えていた、と考えるのが少しむず痒いがいちばん自然だと思う。もう一つ、可能性として有り得るのは彼女の友人が持っているという「物の持ち主を探し出せる」個性によるもの。その個性の解析範囲がどれほどなのか具体的なことは聞いてないから分からないけど、持ち主の名前を割り出すことができて、苗字に伝えられていたのかもしれない。どっちにしてもこうやって接点が生まれる少しでも前から苗字が俺のことを知っててくれたのかと思うとまた口元が緩みそうになる。それを必死で抑え込めていると突然首筋のうなじ辺りにヒヤッと冷たい刺激が走った。
「うわあっ!?」
「あはは、びっくりした?」
大声を上げて仰け反った後振り返れば苗字がコーラを片手に悪戯な笑みを浮かべていた。なるほど、それを俺のうなじに押し当てたのか、っていやいやいや。
「そりゃびっくりするわ……!」
「ごめんね、はいこれ」
「ああ、サンキュな」
苗字からコーラを受け取ると、彼女はまた俺の隣に腰を下ろした。見れば苗字はもう1本コーラを買ってきていてそれを自分のすぐ横に置いた。まさか自分用だろうか。苗字みたいな子でもコーラ飲むのか。しかもたこ焼きといっしょに。食べかけだったたこ焼きをまた頬張り始めた彼女に声をかける。
「お前あんなことするんだな、ちょっと意外だったわ」
「さっきの?ごめんね。馴れ馴れしかった?なんていうか、普段周りに女の子しかいないから男の子との距離感分からなくて」
「いや、いいんだぜ!むしろさっきので俺も緊張ほぐれたっていうかさ」
「緊張してたの?」
「あ……いや流石に初対面の女子相手じゃな」
「へえ、意外だなあ。君、誰とでも仲良くできそうなのに」
そう言って最後の一個をつつく苗字。確かに俺は男でも女でもどんな奴ともコミュニケーションを取れる方だ。同じクラスのあの爆豪とだってそれなりに仲良くやれている。でもな、お前は別なんだよ苗字。好きな奴が相手だとこうも上手く話せないって俺だって今まで知らなかった。苗字がコーラの蓋を開け炭酸が気化する音が弾けた。やっぱりそれ自分用だったのか。似合わねえけどそれを飲む苗字がたこ焼きを食べてる時と同じく幸せそうで意外だと驚く気持ちもどうでもよくなってしまう。
「ごちそうさまでした」
「おう。じゃあ帰るか」
「本当にありがとう。あ、昨日同じ電車に乗ってたってことは方向は同じなんだっけ?」
「そうだな。たぶん途中まで一緒だ」
本当は苗字の最寄り駅だって把握しているけど流石にそんなこと言えるわけない。だから何も知らないフリをした。そんな俺の心の内を知らない苗字は「じゃあ一緒に帰れるね」と言って笑う。なあ、それずるい。顔に熱が集まる感覚に慌てて立ち上がって苗字から顔を逸らした。「行こうぜ」と言うと苗字も立ち上がって俺の横に並んで歩き始める。不思議と来た時に比べて会話は弾んで、お互いの学校の話とか俺の腕時計の話とかそんな他愛ない話をした。苗字と一緒にいると俺が思っていたよりずっと苗字は気さくな性格で色んな表情を持っていることが分かったし、今日は何度も意外だと心の中で驚いた。それなら何故、電車ではいつもあんなに物憂げな表情なのか疑問に思う。聞くか迷い、ホームに着いたところで決心し切り出した。
「あのさ、俺、実は前から何回か電車で苗字のこと見かけたことあったんだけどさ、」
「えっそうなの?」
「そうそう。で、いつも本読んでるよな、苗字。そんときいつも静かで落ち着いた雰囲気持ってたから、今日喋ってみてなんか意外だった」
「あ〜電車では心を無にしてるからなあ、私」
そう言って苗字は苦く笑う。心を無にしてる?それはどういう意味なのか問おうとしたところで騒音と共に電車がやってきた。俺の声はかき消され苗字の艶やかな黒髪が風に靡く。開いた扉をくぐって電車に乗り込み、俺は反対側の扉に寄りかかって苗字はそのすぐ側の手すりに掴まった。
「さっきの、心を無にしてるってどういう意味?」
「えっと、私ね、個性の影響で人混みが苦手なんだ。特に朝の電車がいちばん駄目で」
「個性?どんな個性なん?」
「うーん、それは内緒!」
「またそれかよ!」
苗字は楽しそうに笑った。ああ、俺。その表情がいちばん好きかもしれない。
「個性は内緒だけど、ざっくり言うと人混みにいると気が滅入っちゃうんだよね。個性のせいで人のマイナスな感情が感染ってしまうんだ。その要因が人の表情とか声だから本を読んで音楽聴いてできるだけ自分を周りの環境からシャットアウトしてるの。」
「それめっちゃ大変だな。今は大丈夫なのか?」
「今は切島くんと喋ってるから平気だよ」
なるほど。紐付けられた謎が次々に解けていく。苗字がいつも本を読んでいた理由は自分と周囲を切り離すためであの物憂げな表情は個性の影響か。たぶんあんなに早い時間の電車に乗っているのもピーク時の通勤通学ラッシュを避けるためだろう。
「俺と喋ってると平気って、それって誰かと喋ってると本を読むのと同じで周囲からの情報をシャットアウトできることになるのか?」
「うん。気を紛らすことができたら本じゃなくても何でもいいんだ」
苗字はまた苦く笑う。本当にその個性に困っているんだろう。少し躊躇したが「それなら、」と俺は口を開いた。
「朝また電車で会ったら俺と話さねえ?」
言ってしまった。平静を装っているけれど本当は口から心臓が飛び出しそうだ。まるでもう告白してしまったかのようにうるさい心臓を宥める。恐る恐る苗字を見れば彼女はポカンと口を開き俺を見つめていた。
「その、俺より本の方がいいかもしんねえけど。苗字本読んでても憂鬱そうな顔してたし、それなら俺が、って思ったっていうか……」
最後の勇気を振り絞ってそう言った。顔から火が出そうだ。でもこうでもしないともう苗字とはこれっきりかもしれない。それは嫌だった。じっと苗字の返事を待つ俺に苗字は少し視線を彷徨わせると最後に俺を見上げてはにかみながら微笑んだ。
「うん。切島くんがいいならまた話してほしい」