微睡み落ちる雫


「あんたバカァ?」

私の話を聞いた友人はほとほと呆れたと言わんばかりに眉を寄せた。ちなみに冒頭の台詞やこの前ゲンドウポーズをしていたところからも分かるように彼女はエ〇ァ信者である。

「初めて会った人それも男子高校生にたこ焼き奢らせるって何事!?他校の男と知り合う絶好の機会なのになんでたこ焼きって言っちゃったの!?チョイス考えろ!よりによってあんな大口開けて食べなきゃいけないもの選ぶあんたの頭の中どうなってるの!?そこはスイーツ系でいいんだよ!しかも相手雄英生だったんだよね!?超優良物件じゃん!馬鹿!」

女子校って男がいないから趣味に走りがちなのかみんな何かしら趣味持ってるし所謂オタクが多いんだよね。目の前の彼女はエ〇ァ信者だから私は無理矢理アニメと映画見させられたし、他にもアイドル好きな子からはCDとかDVD押し付けられたりクラスで漫画回し読みしてたりして、自動的に私は広く浅くこういった娯楽に詳しくなった。私の趣味は読書、特に純文学が好きだけど弟や友人たちに「見た目には似合うけど中身に似合わない」って笑われるから大変遺憾である。ふん、いいもん。お前達に私の高尚な趣味が理解されてたまるか。

「ねえちょっと名前聞いてんの!?」
「痛い痛い痛い痛い!聞いてる!聞いてるって!」

ちょ、このゴリラ容赦ないな!なんの躊躇いもなく私の右頬を抓る友人のせいで涙目になりながら聞いていたと訴える。まあほんとは九割くらい聞いてなかったけど。だってお小言だし。

「とにかく。あんたのそういう所が残念って言われる所以だからね。にしても珍しいじゃん。ガードの堅い名前がたこ焼きに釣られたとはいえ男についてくとかさ」
「いや、私が嫌いなのは軽い男だから。彼は善意の塊みたいないい人だったし問題ない」

私がそう言うと友人は「ふーん?」と訝しげに片眉を上げる。いや、何を疑ってるの。

「気があるわけじゃないの?」
「気がある?」
「だーから、その男子のこと好きになりそうなんじゃないの?」
「いやなんで。昨日会ったばかりだし」
「だって名前が男についてくとかやっぱ想像できなくて。世の中には一目惚れっていうものがあるでしょ」
「そんなもの、本当にあるとは思えないけど」

一目惚れって本当にありえるのなら素敵だとは思うけど全く感覚が分からない。友人はどうやら私が切島くんに気があるんじゃないかと疑っているようで目を細め「怪しい」と呟きながらこっちを見ている。いや正直、私自身それが分からなくて混乱してる状況ではあるんだけどそんなこと相談できない。だってこいつ絶対面白がるし。それになにより個性のせいで自分の感情さえ見つけられないなんてあまりにも間抜けで滑稽で、自分で自分が嫌になるんだ。でもやっぱり今朝も切島くんといるとドキドキした。昨日のあれは錯覚なんかじゃなくて本当だったんだと嫌でも思い知った。あれが私の感情なのか彼の感情なのかはやっぱり分からない。ただ、顔を真っ赤にする彼を見て「もしかしたら、」って思ってしまった。いやでもあのときは私も顔が熱かったしお互い様かな。なんか思い出してたらまた恥ずかしくなってきた……

「何一人で百面相してんの」
「いや……別に……」
「能天気なはずのあんたが悩んでるからますます怪しいんだよなあ」

なかなか鋭いところを突いてくる友人にぐうの音も出ない。それ私も思ってたよ、なんで私のくせにこんなに悩んでるんだろって。いつもなら寝て起きたら大抵のことは忘れてしまうのに。もうこれ以上言及されたくなくてわざとらしく明後日の方向を向けば友人は携帯をいじりながら「あ、そういえば」と何かを思い出したらしい声を上げた。

「この前ナンパしてきた人達いるじゃん?あの一人がさ、しつこく名前の連絡先聞いてくるんだけど教えていい?」
「絶対やだ」
「言うと思った」

軽い男は嫌いだって散々言ってるのになんだってそんなこと聞いてくるんだろう、答えはノーに決まっているのに。

「どうしてもダメ?しつこすぎて相手するのめんどくさいんだよね、私が」
「私が頼まれたのは口を開かずただ君たちと行動を共にするってことだけでそこまでは面倒見られませんね」
「ケチ。たこ焼きあげたじゃん」

駄目なものは駄目だ。ジト目で友人を睨むと彼女は「はいはい分かりました、教えません」と白々しく肩をすくめた。

「この人と同じで名前にその気はないとしても彼には気があるのかもね」
「何の話?」
「昨日あんたが落とし物を届けたっていう雄英生の話」
「話蒸し返さないでよ……てか私に気があるって?やめてよ彼に失礼でしょ。さっきも言ったけど昨日会ったばかりなのにそんなの有り得ないって」
「それこそ一目惚れじゃない?あんた黙っていれば見た目は申し分ないから。あ、でも喋っちゃったしたこ焼き奢らせたしで残念なところ発揮しまくったのか。じゃあ幻滅されたか」
「なんか一気に上げて落とされた。屈辱」

友人には昨日の出来事を話しただけで、電車で会ったら話そうという約束については何も話してない。だってこれ話しちゃうと絶対面白がって覗きにくるだろうし。ついでに切島くんがヒーロー科だということも話してないし、切島くんの名前も出してない。さっきも「雄英生は優良物件だ〜」とか言ってたくらいだし、ヒーロー科だと分かると紹介しろって食いついてくるのは目に見えているからだ。彼に迷惑をかけるようなことはしたくない。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り一斉に教室内は先程までとは違った騒々しさに飲まれる。友人は「放課後また詳しいこと聞かせてよ」と言って自分の席へ戻っていった。いやもうこれ以上君に話すことは何もないんだけど。





「一目惚れ、ね」

昼休みの友人の言葉を反芻し、小さく小さく呟いた。ベッドの上に転がって頁をめくる。本は良い。別の誰かの人生を疑似体験できるそれが私は好きだ。頁をめくる音もそれぞれが持つ紙の匂いもそこから紡がれる物語も、全部を引っ括めて本が好きだ。過去の文豪たちが残した小説の中にも恋愛をテーマにしたものは多くある。それは素朴で純粋な恋だったりドラマチックで熱烈な愛だったり、作家によって描く物語は千差万別だけれどどれもそれぞれの良さがある。確か昔読んだ長編小説の中に一目惚れを題材にしたものがあったはずだと思って本棚から引っ張り出してきたけど、そうだ、これ文語体だから難しくて一度読んだ後はなんとなく読むのを避けて本棚の肥やしにしてしまった本だった。

「う〜〜〜ん、一目惚れかあ……」

この話も劇的でドラマチックではあるけど正直まるで現地味はない。ざっくりとした内容は一度すれ違っただけの男女がお互い一目惚れをしてお互いを想い続け、九年後、医者と患者という関係で再会する、というものだ。患者である女性は訳あって麻酔なしでの手術を切望し結果この世を去り、医者もその日のうちにあとを追ってしまう。あまりに迷いのない、究極の愛って感じだ。私はその感情を理解できないけれどそれを情緒的で美しいものと捉える人がいてそうして支持されてきた作品だということは理解できる。でも結局、一目惚れなんてものが実際に有り得るとは信じられないまま私は本を閉じた。それを顔の上に被せて大きな溜め息をつく。

「(切島くん、なんであんな顔したんだろ……)」

髪の赤に負けないくらい顔を赤くした彼の顔が今日は一日中何度も脳裏をチラついた。あんな表情見せられたら勘違いしそうにもなる。あのとき貰った言葉も嬉しかったけれど、それ以上に自分へ向けられる熱を帯びた真剣な眼差しに思わず顔を逸らしてしまった。あんな目で見てくるなんてずるいよ。自分自身の感情を見失った私はそれに耐えられなくて「友達」という言葉を口にした。私は切島くんの友達くらいにはなれたってこと?って。今思えば私は名前のない関係に名前がほしかったんだと思う。友達っていう型にはめて安心したかったんだ、きっと。だってそうすれば逃げ道ができる。切島くんは友達なんだから、と理由を付ければ彼が私に良くしてくれてることにも無理矢理でも納得できる。私は酷い奴だ。あまりにも切島くんが真っ直ぐすぎるから私はそれに向き合うのが怖くて、全部自分の勘違いだって、自分の個性のせいなんだって自分自身に言い聞かせたいんだ。

なんか、苦しいな。

息苦しい。本当に息苦しい訳ではないけれど、こう、表現として。喉の奥に何かが突っかえたような苦しさがあるんだ。切島くんといるときは楽しいのに、彼と会ったあとは苦しくなるんだなあ、昨日もそうだったし。これからもそうなのかな。これから、はいつまで続くのかな。明日は、切島くんに会えるかな。ああもう、考えるのやめよう。掛け布団を頭まで引き上げて横になり丸まった。寝るにはまだ早い時間だけど寝てしまえば強制的に思考をシャットダウンできるしもう寝ちゃえ。

窓の外、しとしとと降り続ける雨音を子守唄に微睡んでいく。